G20大阪サミット期間真っ只中の大阪で飲み歩きレポ 〜牡蠣とラーメンとわたし〜

2019年6月29日。

電車に揺られるわたしの片手にはKanzo、もう片方にはレモンチューハイ。

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これがないともう胃がやってられません

ごめん、同窓会には行けません。いま、G20大阪サミット期間真っ只中の大阪にいます。

 

夕方にメインの用事が入っているので、昼過ぎからの飲み歩きのタイムトライアル。

正直行きたいお店が山ほどあったのだけれど、人がまあすごい。そもそも土日に大阪駅にくること自体が自爆行為よね。関西にきてまだ数年なわたしは、大阪の地下街のわからなさがすごいので、生粋の関西人の夫に道案内は全てお任せであります。オットに、お任せ!

 

すしまるでよいちょまる

まずは、空腹を満たすため炭水化物を投入〜!ってことで、事前リサーチで特に気になっていたこちらのお店「牡蠣とワイン 立喰い すしまる」にて寿司をキメます。

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牡蠣殻がまるでスイミー?な外観。目はどれ?

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頭上にはワイングラス、各種ワインも見受けられます。

一番のお目当はもちろん、牡蠣、カキ、KA-KI!!!!!

選べるソースは岩塩レモン、わさび、タバスコ、トマトソース、ウイスキー(!?)の5種。全部試したいところではあるが、如何せん一人につき2個までという厳しいルール付き。きっつー(フミコ・フミオさん風)。ただこれ、一個200円なんですよ。最高すぎませんか?!??そりゃ上限設けるのにも納得するしかない。

 

やっぱり最初は安定のさっぱりでいきたいよね〜ってことで、岩塩レモンとわさびをチョイスしました。見てください、このツヤツヤさとプルプルさ。まるで宝石のようにキラキラと輝いております。美しい。

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岩塩レモン、これは文句なしにハズレなし。当たり前に旨い。続いてわさびをキメます。わさびって絶対に合うのに、いままで牡蠣と合わせて食べたことはなかったのですが、これがもう大正解だった。レモンよりもさっぱりするし、こっちの方が断然食べやすい。塩レモンだと、2個くらいでいいかなってなるのが、多分わさびだったら倍くらいイケます。次もわさびは固定で、もう一つをお酒入りソースで楽しみたい。

 

そしてこれから美味しい季節がやってくるねの鱧。わたしは関東に四半世紀住んでましたが、正直鱧なんて食べる機会0。むしろ生で見る機会すらなく、全然馴染みがありませんでした。関東にお住いのみなさん、鱧食べる機会ってなくないですか??

それが関西に住んでびっくり。余裕でスーパーにも並んでいます。いまでは毎年の夏のお楽しみになりつつある。この独特な弾力とフワフワ感?がたまらん。天ぷらとかも美味しいんだよね。

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梅肉と合わせるのが最高

その他にも、サーモン、はまち、えんがわ、いわしを放り込んでサクッとお会計へ。

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ここはマジで最高でした。大阪の地下街、飲食店が有り余るほどにあるので迷いがちだけど、ここは間違いなし。すしまるでよいちょまる〜。よいちょまるなんて実生活で使うことなったから使ってみたかったのだ。語呂よ。

 

続いて梅田方面へ歩き、シルコ・リクエストでGong Cha梅田茶屋町店へ。

到着して行列に並び始めたものの、この右側には建物に沿うようにL字型にずら〜っと長蛇の列があることに気付き、やむなく断念。ざっと見積もって1時間強くらいだろうか…?フェスの物販なら余裕でこのくらい並べるけれど、さすがに500円弱のタピオカ一杯のためにわたしは並べなかったよ。南〜無〜。また平日にリベンジすることにして断念しました。こういうときこそ、決断力が試されるのだと思う。

 

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大阪駅周辺はお店が密集しているので、徒歩で移動できるのが利点だけど、足がめちゃんこ疲れるのが難点である。ゴンチャの行列を見て人疲れしたこともあり、喧噪から離れるため、揚子江ラーメンへ。

 

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地下の安心感。

揚子江ラーメンと蒸し餃子で胃を休憩させつつ、キリンラガーで一杯。

このラーメン、鶏のお出汁だそうで、めちゃんこあっさり。胃に染み渡ります。

 

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このプリプリな蒸し餃子も美味でしたが、ワンタン麺もおすすめらしいので次の機会には是非ワンタン麺にトライしたいところではある。 

 

G20サミットの交通への影響

G20サミット期間中の規制や高速道路の通行止について、TVでも連日注意喚起がなされていたのでかなり心配なところではありました。物騒な話だけど、下手に人の多いところに行ってテロにでも巻き込まれたらどうしよう…とか考えても仕方のないこのご時世。

 

実際のところは、大混乱というほどのものはなかったんじゃないかという感じでした(その前日や前々日など平日は不明)。ちなみに、下の写真が大阪駅を出てすぐの歩道橋からの景色ですが、早速交通規制を発見。部分的に規制されているところが多い様子。


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通行止めになっていた左の道路の様子

「なんだあんまり影響ないじゃん…」と思いつつ、りくろーおじさん大丸梅田店へチーズケーキを目当てに行ったところ「G20の影響でチーズケーキは品切れ中です」との文字。シルコ・リクエストのタピオカに続き、チーズケーキも粉砕。ここにしわ寄せが来ていたか…と落胆しながら歩き回っていたら、約束の時間に近づいてしまい、西長堀の焼き鳥屋へ向かうため、タクシーに乗り込みます。

タクシーのおっちゃん曰く、この日(6/29)はかなり車が少なかったそう。乗車した場所から目的地まで15分ほどの距離でしたが、途中に所々通行止があり、遠回りをする必要も。他県からも警察を招集しているだけあって、随所に警察官が見受けられます。

 

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この左側一帯は通行止めがされていて、というのもそのあたりにプーチンさんの泊まっていたリーガロイヤルホテルがあるとのこと。前回プーチンさんが日本に来た時は皇居の近くにおり、同じく大規模な交通規制に遭遇したのですが、やっぱりちょっと滅多にない経験だからワクワクしちゃうよね。ミーハーじゃないとは自分では思ってるつもりだけど、ちょっと写真とか撮っちゃうよね。

 

予定時間より5分ほど遅れ、西長堀の焼き鳥屋到着。G20よりも何よりも、タクシーの運転手さんの勤務がぶっ続けで20時間と聞いてびっくりでした。とても感じの良い運転手さんだった。焼き鳥を頬張りつつ、夫や同僚のおじさま方とひたすら4時間半しこたま飲む。

 

 

解散し、〆の一杯は神座にて。しこたま飲んだあとの「野菜いっぱいラーメン」はちょっとボリュームがすぎたけど、このスープを飲めただけでよし。りくろーおじさんもだけど、神座も店舗がかなり限られているので、できるだけチャンスはモノにしていきたいのだ。ただし、今日ラーメン食べすぎな件について。

 

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大阪は最高

関東人からしてみると、近畿地方のなかでも大阪ってずば抜けて一番コテコテの関西人!ってイメージが強くて抵抗があったんだけど、今は「大阪に住みたい」感がすごい(むしろ京都人は怖い)。東京まで行かなくとも、行きたいお店(主に食べ物)が集結してるのが魅力的すぎる。ただし、都会はマジでテロに気をつけよう&地下街の地図頭にインプットしたい。

 

写真:著者撮影(iPhone6を使用) 

生きづらさを感じるすべての人に観て欲しいドラマ『すいか』の話

私が感じる生きづらさの中で、特に原因のひとつと思われることは、たった一ヶ月のなかでも自分の人格がころころ変わっていくことにある。主にその人格は大きく二つに分けられていて、端的に表せば「自信に満ち溢れた自分」と「自分をゴミクズだと思う自分」というのが妥当だと思う。ホルモンバランスが大きく関係していることは自分でも自覚しているけれど、なかなかコントロールするのは難しい。

 

かといって、“二重人格”とは違う気がする。思うに、二重人格とは常に両者が共存できる状態にあると感じていて、これはあくまでもわたしのイメージの話なのだが、わたしの場合は月の満ち欠けのように、満月のように光に照らされた自分がいる一方で、徐々に三日月から新月へ月が陰っていくように、一定のリズムで人格が移り変わっていく...という感じだろうか。*1

 

ワタシは最高にツイている

このブログのなかでは憂鬱な記事が多いため、わたしは常にブルーな人間に見られているかもしれない。自分を客観視することを常に意識しているつもりではあっても、どれだけ意識したところで主観でしかないから、他人の目からどのように見えているのかは気になるところではある。わたしは画面の向こうのあなたの目に、どんな人間に映っているのだろう?

 

特に好調なときは、自分のことが好きだと自信を持って言える。小林聡美さんのエッセイのように「ワタシは最高にツイている」」と思っている。こんなに人に恵まれて、面白いネタが有り余るほどにある人生はなかなかない。もはや、「私は天才だ」とすら思えることだってある。この時期は何をするにも上手くいく傾向が強い。良い波がきたらほぼ確実に乗りこなせる。

 

一方、もう一人の陰の自分が出てくる頃には、自信に満ちた自分はどこかへ行ってしまう。存在意義がわからない。本当は色んなことができるはずなのに、自分は何も出来ない、無能で価値がなく、ゴミクズのような誰にも必要とされない存在だと思い込んでは泣きたくなる。

 

そういうときは、「みんな居ていいんです。」という浅丘ルリ子の台詞を思い出すことにしている。生きていくのに大切なことの3割くらいを、この作品に教えてもらった。大げさかもしれないけれど、本当にそうだ。わたしも過去に死にたいと思いながら生きながらえていた人間で、だからこそ、そういう境目にいる人を救いたいと思っている。それがわたしの使命のひとつだと、本能的に感じている。

 

この作品に出会ってから、わたしの生きづらさは幾分マシになった。だから、生きづらさを感じている人には是非一度この作品に触れることを心からおすすめしたい。私は偏った人間で、人に何かを勧める行為は相手からの相当な尊敬と信頼がないと出来ないと思っているので、安易に人に何かを勧める人が苦手だ。よほどの要求がない限り安易に人に何かを勧めることはしたくない。わたし自身、人に何かを勧められるほど出来た人間ではないが、これだけは心から生きづらさを感じている人みんなに見て欲しい。

 

すいか

突然、ふとどこからともなくすいかの香りがしてくる時がある。あの独特なウリ科の匂いでさえ私にとっては愛おしい。『大好き!五つ子』で、のんちゃんが半分にすっぱり割ったすいかをお玉ですくって食べるのに憧れた。これと言った結婚願望はなかったものの、「夏になったら毎日嫌という程すいかをお腹いっぱい食べられるかも。」という安直な理由から、すいか農家の人とだったら結婚してもいいかな〜と考えていたこともあった。上から目線にもほどがあるが、そのくらい果物のすいかが昔から好物だった。

 

中学に入りたての頃、大塚愛の『さくらんぼ』がとにかく流行っていた。カラオケの履歴には必ずと言っていいほど入っていたし、お店の有線でもTVからも、どこに行っても自然と耳に入ってくる。同級生に好きなタイプを聞くとだいたい「大塚愛」と返ってきたし、私の好きだった男の子もそのうちの一人だった。その大塚愛のデビューシングル『桃ノ花ビラ』が主題歌に使われたのが、ドラマの『すいか』だった。

 

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生きているといろんな人に出会う。感心したり、呆れたり、嫌な思いをしたり、あるときは感動を覚えたりもする。人情なんて捨てたもんじゃないと思うときもあれば、すれ違う人すべてが鬱陶しく感じられてしまう日もある。

このドラマにも、いろんなタイプの人間が出てくる。職業でいえば、大学生、就職浪人、エロ漫画家、信用金庫のOL、大学教授、スナックのママ、専業主婦、広告マン・・・etc。「職業に貴賎はない」ということを示すために、これだけの人が意図的に登場してくるのかもしれない。

 

 

主人公は小林聡美演じる早川基子、34歳。実家暮らしの信用金庫に務めるOLで、基子の同僚であるキョンキョン演じる馬場ちゃんが3億円を横領して逃亡することから物語が始まる。

 

正直このキャストの中でキョンキョンって浮いてない?というのが、観る前の感想だった。鑑賞後、馬場ちゃん役は「小泉今日子」だからこそ務まるのだと思った。何事も卒なくサラッとこなして、いつの間にか会社の金を3億円も横領して、警察に捕まることなく逃亡生活を続けていく馬場ちゃん。絶望と希望の人。

 

基子さんと馬場ちゃん、ベタベタに仲良しというわけではなく、一定の距離感を保ちつつ、でもお互いの本質を理解しているところが理想的な友人関係だなーとわたしは思う。逃亡中に手紙に添えて送られてくる顔はめパネルの写真は本当に最高なので、注目して欲しい。

 

死者と生きる人たち

生きてるってなんだろう、と 何歳になっても考える。わたしはこの数年間で相次いで叔父を二人も突然亡くした。愛する文鳥もそうだ。身近なひとが亡くなることは、自分の生かされている意味をより深く考えるきっかけになる。

 

どの死もあまりにも唐突だった。叔父に至ってはふたりとも、「まだまだ人生これから」という年齢だった。だから私はなおさら、生きていることが馬鹿馬鹿しくなってしまった。必死に毎日時間と労力を犠牲にして、ようやくゆったりした日々を送ろうという矢先に死ぬなんてあまりにも残酷すぎる。同時に、先のことばかり考えるよりも、いまのことを一番大切に生きるべきだと思った。

 

『すいか』のなかでも、死んだ人が帰ってきたり、向こうの世界から迎えにきたりする。

 生きることにそれほど大した意味は本当はないのかもしれない。というか、なくても良いのかもしれない。ただ、自分の意思に反する生き方をすることだけは、わたしは違うと思う。不満や不甲斐なさは生きていればつきものだけど、それを少しでも減らして自分の信念に従った生き方をするべきだと思うのだ。人生は誰かのためのものでなく、自分のものなのだ。

 

わたしが感情移入してしまうのは、一番は主人公の基子さんだけれど、ある部分ではともさかりえが演じている絆さんにも共感する部分が多い。絆さんは、由緒あるお家の生まれにして、自分の夢を叶えるためにエロ漫画家になった。実家を逃げるように出て、シェアハウス「ハピネス三茶」で家賃を滞納しながら漫画を書き続けている。

 

絆さんが基子さんを救うために、ずっと帰っていなかった実家に忍び込むシーンがあって、たまたま帰ってきた父親の後ろ姿をこっそり眺める姿がどうしても自分に重なってしまう。(わたしの場合は、上手く忍び込んだつもりが予定を早めて父親が突然帰ってきて、修羅場になったことがあった。)

 

いろんな人がいて、その分いろんな親や家族がいて、中には人を自分の持ちもののように扱う親もいる。たとえそれが独占欲からくるものだろうが、愛情からくるものだろうが、人に示された人生を生きていくことほど馬鹿馬鹿しくて意味のない生き方はない。

 

独立記念日」 

自分と条件が似ている人と自分を比べてしまいたくなる。同級生が成功して超有名人になったとか、あの人は自分よりもずっと稼いでいるとか、結婚して子供も生まれてあんなに立派なマイホームを手に入れたとか。基子さんがいうように人は数字にこだわりすぎている気がする。そんなのくだらない。

 

「負け組」とか「勝ち組」とか、人生を勝ち負けで決める必要はない。

どれだけお金がなくても、日の目を浴びなくても、その人がその人らしい生き方をすることが大事なのだと思う。わたしは正直、目に見えるものや数字にこだわっていた人間だったけれど、『すいか』を見てからそう思えるようになった。

 

わたし自身、10代の半ばからおよそ10年間、ずっと生きづらさを抱えながら生きてきた。それは単純に自分の意思を無視して、誰かの言うように生きるしかないと絶望して、それに従うしかないのだと思っていたからだった。いまになってやっと、自分らしく生きられていると感じられるのは、自分の意思を尊重するために戦ったからだと思う。自分のために独立戦争をして「独立記念日」を手に入れたからだ。

 

 

生きるのがしんどくなったら、ビールでも第3のビールでもストロングゼロでもいいから、とにかく好きなおつまみやスナック菓子をたくさん並べて、このドラマを見て欲しい。もしかしたら、これからの生き方が変わるかもしれないし、全然変わらないかもしれない。でも、とにかくここで伝えたかったのは、みんな居ていい。

 

ワタシは最高にツイている (幻冬舎文庫)

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*1:新月が陽で満月が陰なのか、厳密なことはわからないのでその点には深く触れないでおく。

わたしのヤバい家族と家族コンプレックスについて

よく衝撃的な出来事を目の当たりにして「ドラマみたい」なんてことを言うけれど、事実は小説よりも奇なりと言われるように、現実には自分の想像を絶するような奇妙な出来事はたくさん起きているのだろう。

 

 

毎週待ちわびていたドラマ『向かいのバズる家族』がとうとう先週最終回を迎えてしまった。いまはまだ、木曜日の虚無感に苛まれている。どこにでもいる普通の家族がある日突然 “バズる” ことによって家族解散へと追い込まれるという内容。このドラマを見ていて一番に思ったのは「このドラマの内容よりも自分の家族をドラマにしたらもっとキョーレツだな」ということだった。

 

 

家族の呪縛

小さい頃のわたしは「ずっと子供でいたい」という気持ちよりも「早く大人になりたい」という気持ちの方がよっぽど強かった。一人で何もできないことが歯がゆかった。少なくとも実家に住んでいるうちは、自由だと感じられることなどなかった。自分の思うように生きられない、自分の人生を選ぶことができない。毎日が絶望の連続だった。人に干渉されることほど苦痛なことはない。

 

 

この数日「箸の持ち方」がツイッターのトレンド入りしているが、わたしの親も躾には異常なまでに厳しい親だった。箸の持ち方が上手くできないと、ご飯を食べさせて貰えない。ご飯を一粒でもお茶碗に残していたら怒られる。味噌汁にご飯を入れて食べようものなら「これは人間の食べる飯じゃない」と玄関に持っていって口で食べろと言われた。大学時代に学校近くの定食屋に行き、隣で食べていた友人が「お腹いっぱいになっちゃった〜ごちそうさま」と三分の一以上も生姜焼き定食を残したときは、心の中で(そんなのいけない…)と思って「残すの申し訳ないから代わりに全部食べるよ」と言って友人の分まで食べきったのも、この“躾”が影響していると思う。幼少期、寝る前は必ず正座をして、父に向かって「おやすみなさい」というのが決まりだった。

 

 

オミソ・シルコの家族プロファイル

わたしにとって「家族」は「帰りたくなるあたたかい場所」ではなく、呪縛であり、時には息の詰まる場所、そしていまでも強いコンプレックスの一つだ。

 

家族を呪縛のように感じてしまう諸悪の根源は間違いなく父親だ。いまでこそ物理的な距離のあるおかげで戦いが勃発せずに済んでいるけれど、高校生のときは胸ぐらを思いきり掴んで投げようとしたこともあるし、包丁で親を刺し殺したというニュースは他人事とは思えない。父親の母、つまり祖母は女学校の先生、そして父方の親戚は国立大学出身のエリートばかりで勿論父親も国立大学出身だった。高学歴を良しとしている一族だ。なお、父の兄は蒸発している。母と結婚した頃は、スリムで、『Dr.コトー診療所』のコトーに風貌の似ている、アコースティックギターフォークソングの似合うような青年だった。私が5歳くらいの時、交通事故に合い、生死を彷徨うような体験をしてから、性格がまるっきり変わってしまったらしい。いつからか眉間には男梅のように深いシワが入り、外見・内面ともにまさに “頑固親父” そのものだ。どこへ行っても「先生、先生」と呼ばれる立場だったこともあり、自分の通った道こそ正しい道だという信念を頑なに捨てない人間だった。

 

母は専業主婦。いまでこそ白髪の目立つ初老のババアになってしまったが、昔の写真を見るとひときわ目立つ美人だった。一時期は芸能活動をしていたらしく、番組で貰ったという木のお面のようなオブジェが実家に飾ってあったり、アルバムの中にはオーディションの様子や、牛乳のキャンペーンガールになったときの凱旋パレードの写真が残っていたりもする。そんな母は変わり者で、一時期姉と一緒に母は魔女なんじゃないかと疑っていたこともあった。“母の教え”といえば「人に優しくしなさい」のような、母性を感じるような教えが一般的には多いような気がするが、自分の母親からは「何事にも懐疑心を持つこと」「発想の転換が大事だということ」「女の嫉妬は怖いということ」の3つをしつこく叩き込まれたように思う。

 

 3つ上に姉がいる。顔のパーツや背格好が似ているくらいで、それ以外は全く似ていない。わたしが鋭い気の強い人間な一方、姉はほんわかしたのほほんとしたタイプ。それでも中高生のときはわたし以上に荒れていた。内緒でバンドをやったり、バイトをしたり、眉毛を全剃りにしたり。ただただ両親への反抗の礎を築いてくれたことには感謝しかない。高校時代、姉の成績が悪すぎて、激怒した父親にガラケーを逆パカされ、退学寸前にまでなった。実家のわたしが使っていた部屋のクローゼットに今でも退学届がしまってあるはずだ。バンドマンの彼氏と付き合ってもう7年くらいになるが、父は断固として結婚を認めるつもりは無く、今年の頭にはお見合いをさせようとして姉と言い合いになったらしい。2年くらい前から父親に黙って同棲し始めた。なお、わたしも大学生の頃から両親に内緒で友人とルームシェアをしていた経験がある。

 

 

平均的に生きることの難しさ 

学生時代に知り合った相手と結婚して、一男一女をもうけ、マイホームを買い、子供たちが成人して巣立っていく様を見守り、老後のスローライフを楽しむ…というような “当たり前の人生” こそ難しい。

『向かいのバズる家族』の家族のような、平凡な家族がわたしには夢のようだった。わたしにとって、 “仲の良い家族” は幻想でしかなかった。母や姉との関係は比較的良好だが、父親との関係は他人よりも遠かった。話すときは基本的に敬語、家に住んでいる生徒指導のおじさんのような存在。帰宅する途端に家の空気が凍りつく。わたしの親は、教育に関するものにはお金はかけるがそれ以外のものは無駄だと考える人間だった。誕生日に貰えるものといえば、新しい辞書や参考書、学習に関するものばかりで、クリスマスに至っては「うちは仏教徒だからそんなものはない」と言い放たれ、サンタさんの存在に幻想を持つ余地などなかった。おもちゃやゲームを買ってもらった記憶がない。

 

少し前に学校を舞台にした『明日の約束』というドラマがあったが、井上真央の母親があまりにも自分の父親を見ているようだった。父は、わたしの人生を自分の思うようにしないと気が済まないタイプだったのだ。部活動、受験校、就職先、結婚相手、口癖は「こんなことも知らないのか」と「常識だろう」だった。平気ですぐに人を貶すのだ。事あるごとに「おまえは鳴かず飛ばずだ」と貶された。褒められた記憶はほとんどない。正確に言えば、父の意向に沿うもの以外はほぼ全て否定される。家庭以外の場面で、何とかして自分に自信をつけることに努めてきたが、自己肯定感の弱さはここに繋がっているのかもしれない。

 

『SHORT TERM12』と性的虐待の父親 

平凡な家族には想像もできないような険悪で複雑な家庭環境はたくさん存在している。それは物理的な暴力だったり、言葉の暴力だったり、ネグレクトかもしれない。そして、円満な家庭に育った人ほどそういう家庭に対する想像力は乏しいことを今までの自分の身の回りの反応をもって実感した。わたしは悲劇のヒロインを気取っているなどと形容するような人とは距離を置くようにしている。ぶってるんじゃない、ただの悲劇な場合はどうしたらいいんだって話だ。

 

このニュースを知った時、ある映画のことを真っ先に思い出した。

www.excite.co.jp 

『SHORT TERM12』という映画がある。いわば児童養護施設のような場所、複雑な家庭環境に育った子供たちが住んでいるグループホームを舞台としている。

ショート・ターム [Blu-ray]

グループホームで働く主人公のグレイスとある日入所してきた女の子ジェイデンは同じく父親から性的虐待を受ける経験を持つ。ある日、ジェイデンは自分の被害をグレイスへ暗に伝えるため、タコの物語をする。タコはサメと仲良くなりたい一心で、サメに「足をくれないか」と頼まれたら一本ずつ足をあげてしまう。そして最後には全ての足がなくなってしまう。

ジェイデンは自分の被害をどうにかしてグレイスへ訴えようとしていた。いくら虐待の事実が予想できても、自分の口で証言しない限りは父親から離すことはできないのだそうだ。そのくらい自分から被害を主張するのは難しいのだと学んだ。話の終盤で、ジェイデンの父親に復讐するために、寝込みを狙って父親の車のフロントガラスをバットで二人叩き割るシーンが最高にスカッとする。目に見えない背景を想像するには、常に想像力を鍛えなければならないと改めて思わされる作品だった。

 

 

黒歴史は笑いに変えることで昇華される

わたしは子供らしい幼少期を過ごしていない。

でも、わたしは同情をされたくない。可哀想だとは絶対に言われたくはないと思って強く生きてきた。

多感な頃、周りの環境と自分を比べるたびに自分を追い込んでいた。友人には悩みを相談できなかった。中学時代に男の担任に相談してみたこともあったが、「このくらいの時期はそんなものだよ」と一蹴された。唯一相談できたのは、保健室の先生と母子家庭で母親と兄との関係に悩む高校時代の男友達のMだけだった。

  

悲しいけれど、世の中には自分ではどうすることも出来ないことが一定数ある。その中で家族は最たるものだ。当時はそういうことを実感せざるを得なかったのと同時に、Mとお互いの話をしていると幸せな奴らに負けてたまるかという気持ちにさせれくれるのだった。中学時代、教室を抜け出して、ただ人目を避けて泣くしか出来なかった頃にはなかった救いだった。

 

 

それでもわたしは自分が不幸だとは思っていない。どうしても闇に沈んでしまうような日もあるが、自分で自分を不幸だと思ったら、どんどん悪循環に陥るだけで、もっと自分を不幸にするだけだということが分かっているからだ。悪循環を絶つのに有効なのは、自分の嫌な思い出や過去をできるだけネタにして笑いに変えることだった。高校生のとき、家族の話をネタにすると、どっと笑いが起きることに気付いた。ハプニングや嫌な過去も表現次第で笑いに変えられるなんて思ってもいなかった。それからは事あるごとに「ネタがまた一つ増えた」と考えるようになって、心が軽くなるのだった。ある時からわたしの人生は、超面白い、ネタの宝庫になった。

  

自衛隊の指令と鏡文付きの文書

父親との連絡手段はかつては主にメールだった。それもワンシーズンに一度するかしないか、実家に帰省する際の一行や二行に収まる簡単なものか、一方的に送られてくる長文かのどちらかだった。大学時代は、定期的に父親から自衛隊の指令のようなメールが届くこともあった。時には一番上にことわざが書いてある、学年通信のようなメールもあった。わたしが社会人になる頃からの連絡手段は、メールでなく書面へと変わった。

 

一年に一度送られてくる、父親の年間計画表には、仕事の予定から祖父の介護の予定などが詳細に書かれている(これが親戚中にも送られる)。

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時にはご丁寧に鏡文まで付けられている

最新の文書はこれだ。必ず末尾は「以上」で締めくくられ、一丁前な事務文書である。

冒頭の「必ず遵守し、履行しなさい。」あたりが、父親の押し付けがましい性格を顕著に表しているのではないかと思う。


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こんな父親の義理の息子になるなんて申し訳ないという気持ちで、結婚をする気は毛頭なかった。自分が家族を作るという未来が描けなかった。たまたま自分を気に入ってくれ、育った環境からお酒の好み、何から何まで意気投合できる相手に運良く出会ったので結婚したのがいまの夫だ。

 

初めて実家に連れて行ったときは、その場では結婚を承諾するフリをされ、2〜3日経ったあとで、「断固反対である。」という内容の長文メールを送ってきた。理解に苦しむ。挙げ句の果てには相手のことを「伸び代のない男だ。」とまで言われた。他にも挙げきれないくらいあるが、このことは父が死んでも許さないつもりでいる。結果的には、一年間に及ぶ戦いを経て、なんとか両親を屈することができた。

 

 

夫との生活はリハビリの毎日だ。実家から500㎞以上離れたいまの土地に引っ越してすぐの頃は、父親が見張っているような気分が払拭できない、突然父親から届く封書にビクビクして目眩のする日々だった。それでもいまでは、ようやくその呪縛から解き放たれ始めている気がする。自分の心を蝕むような存在からは、距離を置くしか方法はない。物理的な距離は心に余裕を生む。どんどん呪いが解け始めているのを実感する一方で、この戦いは父が死ぬまではずっと続いていくのだろうと思う。父親との戦いであり、自分の心との戦いである。この経験は、自分の弱さに繋がるのではなく、強さに繋がるものだと信じて戦い続けなければいけない。

 

 

最後に、自分のプライベートを切り売りすることには時にリスクを孕んでいるけれど、今までの人生を昇華したい気持ちで書きました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

【せんべろ】バーミヤンのハッピーアワーは盲点だった

ファミレス飲みの王者に君臨しているのは間違いなくサイゼリヤだと思う。

まずはデカンタ200mlを注文。小エビのカクテルサラダを前菜とし、続いてエスカルゴのオーブン焼きを追加オーダー、セットプチフォッカでエスカルゴの旨味が滲み出たオリーブオイルを余すことなく楽しむのがわたしの鉄板のコースである。その時の気分次第でワインを一杯ずつ追加していくのがオミソ・シルコのサイゼ・スタイル。

そんな王者のサイゼリヤも最近は全店でグラスがプラスチック化してしまったことが残念で仕方がない。とはいえそのグラスもかなり精巧に作られており、パッと見はガラス製に見間違えてしまうクオリティなのだ。

www.nikkei.com

ただやっぱりお酒はガラス製のグラスで飲みたいよね。ここだけはわがまま言わせてほしい。

 

 

盲目のサイゼリヤ信者にとって、盲点だったのがバーミヤンだった。

まともにバーミヤンで食事をしたのはもう15年以上前だろうか、まだ大叔母が存命だった時のことなので記憶がおぼろげになっている。祖母や祖父を交えた家族一同で定期的に食事に行っていた頃に一度みんなで行ったなあという微かな記憶。追憶へと導いたのは『帰れま10』のキムタクがゲストだったバーミヤンの回だった。キムタクのスター性に改めて感動を覚えたのと同時に、「えっ、バーミヤンめちゃめちゃ美味そうじゃない???」という気持ちが湧く神回だった。

 

それからというものバーミヤン行きたい...バーミヤン行きたい...と脳の一部をバーミヤンが占拠する形が続いていたのに、如何せん家の近くに店舗がない!ない……!東京に遊びに行った際にわざわざ吉祥寺へ行ってまでバーミヤンに友人を引きづり込んだくせに、1軒目でしこたま食べ飲みした私は結局タピオカミルクティーとドリンクバーしか摂取することができなかった。せっかくのチャンスを踏みにじってしまったのだ。

 

 

そして今回、そんな悔しい思い出にリベンジする機会がようやく巡って来た。

我々の手元にはジェフグルメカードという超心強い存在。頂き物のグルメカードを握りしめて、バーミヤン豪遊をするぜ。この世に人の金で飲む酒以上に美味い酒などないのだ。ワクワクが止まらない私は前日からメニューをチェック。すると目に入った「ハッピーアワー 平日14:00〜18:00限定 生ビール¥200」の文字!!!これは平日に行くしかない!!!


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とはいえ最寄の店舗といえば車を一時間弱走らせねばならず、私or夫のどちらかがその犠牲にならざるを得ない。昨日バースデーボーイだった夫に今回は飲酒の権限を譲り、残念ながら私は運転手になった。あービール飲みたい。

 

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閑散とした店内

14時を待って、いざ入店。す、空いてる〜〜〜〜!そりゃそうか、月曜日の真昼間です。不規則勤務の醍醐味を今日もまた味わうのであります。

 

朝ごはんも食べず腹ペコなので、とりあえず一通り食べたいものを注文。エビチリ、レタスチャーハン、タルタル唐揚げ、チャーハン&チキンチリのランチセット。この、チキンチリがマジで当たり。エビチリも最高に美味いんだけど、カリカリの唐揚げにこのチリソースがかかってるの、本当に食欲をそそる、そそる。写真ではすでに私に食された後です(ごめんなさい)。

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見事に写真を撮り忘れたので全部食べかけごめんなさい

夫用の生ビール来ました〜。ちなみにこのビールは2杯目。グラスもキンキン、最高です。やっぱり注ぎたてが一番だよね。一口目を飲むのを見届けてからの飲みかけのビール。ビールが来てすぐはどうか乾杯させて、世の居酒屋のホールスタッフの皆さんには、一口飲んでから注文を取りに来て頂きたいものです。わたくしめはホット烏龍茶です。あービール飲みたい(2回目)。

 

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今回はランチの延長的ラインナップだったので、次回(再訪決定)のための予習をば。メニューパトロールに入ります。まずはおつまみ小皿メニュー2品セットで¥500という圧倒的なコスパの良さ。しかもこの手の300円メニューといえば、枝豆や漬物、トマトスライスあたりの“盛って出すだけ”メニューが多いところ、バーミヤンはバンバンジー、水餃子、なんてのもあるのが良いよねー。かなりポイント高め。開発者、気が合いそうだなー。


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他にも、ラーメンからちゃんぽん系の麺類、青椒肉絲や回鍋肉などのTHE・中華的メニューにチャーハンなどのご飯ものに点心、さらには火鍋食べ放題など店員泣かせメニューの数々。しゃぶしゃぶなんてのもあったな。

 

さらにはアルコールのラインナップの良さ。サワー、ハイボール、日本酒、梅酒… 凍結レモンサワーなんてもう飲み屋じゃん。追いサワーが安くてサイコーだね。ハッピーアワー以外なら狙い目。

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ハッピーアワー以外の時間でも常時ワイン、梅酒、紹興酒の3種は¥100ぽっきりというサービス精神。ドリンクバーには完全に割もの要因の炭酸水があったので、好きにブレンドして飲んじゃってくださいよ〜って感じですね。

 

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個人的に気になったのがここ。「焼酎 ボトルキープできます」って、ボトルキープしてくれるファミレスなんて今までありましたっけ。バーミヤン、完全に居酒屋に憧れを抱きまくっておる。

 

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今回はチャーハンが2つ被ったのがお腹に溜まって、バンバンジーや点心系まで辿り着けないという結果になりました。復習は次回に最大限に活かしていこう。今回はTotal¥3,500弱でしたが、これだけ食べても安い。エビチリとかはクオリティが高いだけにこの値段でも大満足。


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次回は運転手役を交代してもらって、わたしもハッピーアワーを楽しみたい。昨日は夫の誕生日兼、結婚記念日でしたー。おめでとう私たち!!!

 

写真:著者撮影(iPhone6を使用)

 

あなたにはサードプレイスがあるか

 

顔見知りの多い世界はどこか窮屈だ。

“その人向きの顔”をしなくてはいけないからかもしれない。あの人にはここまでの話はできる、でもこの一線を越えたら引かれてしまうかもしれない、じゃあやめておこうと言って悶々とした気持ちが放出されないままでいる。私はサシ呑みに近い少人数の飲み会は得意だが、人数の大きい飲み会やそれに近い場所が苦手だ。どこまで自分を見せたら良いか分からなくなって、結局ニコニコして人の話を聞くに徹する。

 

 

案外、自分のことを全く知らない人の方が、自分のことをペラペラ話せることもある。人間は家庭でも学校でもなく、職場でもない居場所を一つ以上持っていないと必ずダメになる。

 

 

学生時代、コミュニティに関する論文を書いた。その参考文献の中でも特に印象に残っているものはレイ・オルデンバーグの著書、『サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」(The Great Good Place)』だ。彼はその中でサードプレイスの重要性を唱えている。自宅のように人々が生活をする場所をファーストプレイス、職場や学校などの一日の大半を費やすであろう場所をセカンドプレイスとして、家でも職場でもない「第3の居場所」がサードプレイスとして位置付けられている。

 

サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」

 

どんなに居心地のいい場所であっても、必ず逃げ場のようなものは必要だ。

常に百点満点な人間や人間関係なんて存在するわけないのだから、ちょっとやそっとその交友関係に否定的な気持ちを肯定してくれる場所がないと人間はやっていけない。

 

 

2年ほど前に世間を騒がせた暗殺事件の被害者、金正男は身分を隠して一般人と酒場を楽しんでいたらしいと聞く。立場や身分に縛られ生きるだけではなく、まっさらな生身の人間として付き合える場所こそが人生に潤いを与えているような気もする。

東京に住んでいる時、友人の住む高円寺によく飲みに行った。そこで友人が仲良くなったおっさんたちと定期的に飲みに行くようになったのだが、丸の内に自社ビルを構える会社で総務をやっているおっさんや、新宿の某携帯会社の本社で働いている人もいたが、立場や年齢など関係なく“飲み友だち”だった。遠くへ引っ越したいまでも東京に寄れば皆集まって飲むし、気にかけて連絡を取ってくれる人もいる。

 

 

 

川崎・登戸での殺傷事件を受けて、現代にはこのサードプレイスが欠如している人があまりにも多くなってきているのではないかと思った。ご近所付き合いなど、都市部ではほとんどない。むしろ顔の見えない隣人は怯えるべき存在にさえなりうる。人が溢れるほどいるのに、家の中では孤独なのだ。ある程度の気力があれば、能動的に外の世界へサードプレイスを見つけにいけるかもしれない。でも現実にそんな気力や勇気がない人も多くいて、SNSやオンラインゲームなど、ネット上で人と繋がれることは唯一の希望なのかもしれない。

 

 

容疑者の自宅にゲームがあったというニュースを知り、『箱入り息子の恋』という映画を思い出した。友人とテアトル新宿へ舞台挨拶を観に行った記憶がある。

星野源演じる主人公は、一人息子であり公務員として勤めている。趣味は貯金、友人はおらず、毎日の昼休みには実家に昼食を取りに両親と住む自宅へ一時帰宅する。自室に籠もれば、ペットの蛙を愛でることかゲームに勤しむくらいしかない。映画の中での描写とはいえ、彼にとってはそのゲームこそが精神安定剤なのだということが登戸の事件を受けて改めて感じられた。現実にこの主人公のような状況が何万とこの国の中では起きているのだろう。

 

 

容疑者が遊んでいたゲームがどのようなものか知らないが(私は一昨年グラセフにハマっていたくらいでゲームについて詳しいことはあまり分からない)、もしも彼のゲームがオンラインゲームではなかったとして、仮にネット上で顔の見えない誰かとコニュニケーションを取ったり、毎日のやり取りをしていたり、帰る場所のようなものがあれば、このような結果にはならなかった可能性も少なからずあったのではないかと思ってしまう。

 

箱入り息子の恋

箱入り息子の恋

 

 

病院におけるオレンジページ vs レタスクラブ闘争の考察

20代後半になってくると、自然と病院にお世話になる頻度も高くなってくる。「自分は丈夫だ」と考えていたのは、ただの願望・思い込みにすぎなかった。それは自分が “丈夫” だったのではなく、ただ若かっただけなのだ。現実と向き合わなければならない。胃腸炎は1年に1度のペースで罹っている。25歳は、一般的に「お肌の曲がり角」というだけではなく、体に不調をきたしまくっていた私は1年間で1冊のお薬手帳を使い切ってしまった。

 

 

眼科、耳鼻科、内科…… お財布のなかには診察券ばかりが増えていく。

そしてある日、私は気付いてしまったのだ。オレンジページレタスクラブの派閥争いをーーー。

 

 

一生のうちに待合室で費やす時間

良い病院ほど待ち時間は長く、アプリで予約や待ち時間の確認ができるところもあるけれど、ひたすら待合室でじっと待っているしかない病院もまだまだ多い。一体人生のなかで、待合室での時間にどのくらいの時間を費やしているのだろう。一生のうちにもしかするとトータルで半年間くらいは時間を使っているかもしれない。

 

高校時代に片道1時間半をかけて通学していた友人が、ある時3年間でどのくらい通学に時間を費やしているかノートに計算していたことを思い出した。当時私のクラスの席替えでは前からの2列だけは希望制(3列目からはくじ引き)だったので、センターの前から2列目の席にいつも私は彼と隣り合わせに座っていた。休み時間はお互い本を読んだり、お互いの好きなアーティストのアルバムを貸し合って感想を言い合ったり、理想的な友人関係を築いていた。彼は隣で冷静にその時間をはじき出し、限られた時間を有効に使うことで、皆の憧れる有名大学へ進学していった。

果たしてわたしは彼のように待合時間を有効活用することができるだろうか。

 

 

そんな時に、手を差し伸べてくれる存在がレシピ本だ。

「診察を待つ」という大義名分のもとに、布張りのソファに座りながら読みたいだけタダで本が読める。私は決して立ち読みにきたわけじゃない。ただ本を読みながら診察を待っているのだけなのだ。それが見方を変えれば、診察室は一瞬でウォーターサーバーのある雑誌喫茶になってくれる。物は考えようだ。

 

ESSE、クロワッサン、NHK きょうの料理、おかずのクッキング、レシピ関連のたくさんの月刊雑誌があるなかで、必ずと言っていいほど置いてあるのが、オレンジページレタスクラブの二大巨頭だ。わたしは一度気付くと自分のなかで統計をとりたくなるクセがある。題して、オミソ・シルコ調べ。駅前のあのクリニックにはレタスクラブが置いてあったし、あの眼科にはオレンジページが置いてあった。

オミソ・シルコ調べでわかったことは、「両方置いてあるクリニックはほぼ存在していない」ということだった。ESSEレタスクラブは共存できるのに、オレンジページレタスクラブはできないのはなぜか。そこには目に見えない闘争が存在しているのだった。

 

 オレンジページレタスクラブの比較

 オレンジページ

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  • 出版社名:オレンジページ
  • 発行間隔:月2回
  • 発売日:毎月2,17日
  • 1冊定価:[デジタル版]432円
暮らしに「おいしい」と「ワクワク」を。
1985年創刊以来、幅広い女性に支持されている生活情報誌『オレンジページ』。今日の晩ごはんのおかずから、お弁当やスイーツ、季節のごちそう……すべて、編集部で試作を重ねた、失敗なく作れるおいしいレシピをはじめ、家事、収納、健康など暮らしまわりの「いま使える」「いま知りたい」情報をお届けします!
   (引用元:https://www.fujisan.co.jp/product/331/

 

 レタスクラブ

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  • 出版社名:KADOKAWA
  • 発行間隔:月刊
  • 発売日:毎月25日
  • サイズ:A4変
おかず、お弁当、料理のレシピおいしい情報満載!レタスクラブは奥様の強い味方。
料理が苦手で毎日の献立に悩まされている方、忙しくて料理に時間をかけられない方、日々の料理に季節感を出したい方、みなさんの料理の悩みを解決します!スーパーで手に入る材料で簡単なレシピ、綺麗な写真で紹介してくれるから読んでるうちに「美味しそう、自分でも作ってみたい!」と思うこと必至です。プロに習う「おかずのカレンダー」は、毎日献立選びで頭を悩ませている奥様の強い味方。もちろん、生活をたのしくする情報もたくさんゲットできます!!
  

 

まず、オレンジページ、1985年創刊ってめちゃめちゃすごくないか?!??

もうすぐ35周年?そんなに歴史があったなんてすごすぎる。おそらく、祖母の世代から愛されている雑誌なのだろう。レシピ本界の老舗とも呼ぶべきかもしれない。老舗には学ぶべきことは多い。しかも、レタスクラブもなんと1987年創刊だそう。虎屋とたねやみたいなものだろうか。

両方とも付録のおかずカタログが付いていたり、レシピだけでなく、健康・収納・ダイエットと、内容はほぼ被っている。永遠のライバルであり親友?という感じなのだろうか。ただ唯一差異化できるであろうポイントは値段の違いだ。オレンジページが月二回発行されるのに対して、レタスクラブは月一回。年間購読すると、冊数が多い分、オレンジページの方が値段がほぼ倍近くになる(レタスクラブ:年6,960円(税込)、オレンジページ:11,200円(税込))。

 

 

わたしのオレンジページレタスクラブ遍歴

かく言う私は正直、今までオレンジページ派だった。というのも実家で母が読んでいた印象が強いからだ。単純に身内が好んで愛用・愛読しているものは自然と馴染みやすい。それもあって、レタスクラブのことを「食材の名称を頭につけているぱちもんレシピ雑誌」のような認識でいた(ごめんなさい)。だって、cabbageっていうキャベツをモチーフにしたアイコンのPCとか出てきたら怪しくない?(再度レタスクラブさんごめんなさい)

 

しかしある時、家の近くのクリニックに付き添いでいった日を境にレタスクラブ派に寝返ったのだ。急にレタスクラブのまわしものみたいになるのだが、2年くらい前にリニューアルしたらしい。わたしが寝返ったのもこのリニューアルの多分半年後とか1年後とかなので、明らかにその流れに乗っかった読者のうちの一人ということになる。

 

そしてこの編集長インタビュー記事。

ddnavi.com

なんとオレンジページが言及されているではないかっ。(そして見出しの「オレペ」という略し方がめちゃめちゃ気になる…。この法則でいえばレタスクラブは「レタク」になるのだろうか。)

 

■あの『オレペ』を抜いた! 歴史的快挙を達成できたワケ

――そんななか『オレンジページ』の実売部数を抜くという歴史的快挙を成し遂げたわけですが、やっぱり存在は意識していたんでしょうか?

松田:もちろんです!『オレンジページ』ってすごくいい雑誌なんですよ。お料理好きな読者さんをがっちり掴んでいて。だから『レタスクラブ』がどこか“二番煎じ”と思われがちだったというか。それを払拭したいっていう気持ちもあってやってきたので、今回の結果は素直にうれしいですね。

――ちなみに、差別化のためにどんな工夫をしたんですか?

松田:意識して口コミが広がるように仕向けた部分はありますね。長年当たり前のように存在している雑誌って、わざわざ話題にしないんですよ。だからまず、編集メンバーそれぞれにTwitterアカウントを作ってどんどん発信してもらうようにしました。アイコンはたかぎなおこさんに書いてもらって「ポケモンGO」のような、集める楽しみも感じてもらえるようにしたり。もちろん、発信力のある方に連載や特集で参加していただいてます。それから、ちょっとした違和感も大切ですよね。増田俊樹さんの連載は「なぜ『レタスクラブ』で?」っていう疑問が毎月のようにSNSで話題になっているので(笑)。

 

こう見ると、やはりレタスクラブもばりばりにオレンジページを意識していたことがわかる。そして読者の考えが見透かされてしまっている。ぱちもんなんて言ってしまい、本当に申し訳ございませんでした!!!

確かに、わたしがレタスクラブ派に寝返ってすぐの頃、やたらTwitterに「レタスクラブ最高!」的なツイートをしていたのだけれど、誰かしら編集部の方がいいねをしてくれた記憶がある。SNSってすごい。わたくしもSNSと程よく距離のあるいいお付き合いをしていきたいなーと思う今日この頃である。

 

レタスクラブが好きな理由のひとつに、レタスクラブニュース(https://www.lettuceclub.net)という最高なサイトがある。レシピを考えるのが面倒な時は、冷蔵庫にある食材を2〜3種類ぶち込む。するとプロのレシピがごろっごろ出てくるので重宝しまくっている。いま初めて存在に気付いたのだが、なんとオレンジページ改めオレペにもオレンジページnet(https://www.orangepage.net)があるらしい。(オレンジページnetのアイコン?が小さいオレンジになってるの可愛い。)

 

どちらも優秀すぎて、もはやわたしにはどちらが良いのか判断がつかなくなってしまった。ええい!匙を投げよう。

 

結論

オレンジページレタスクラブも最高。」 

おそらく価格的な理由(もしくは院長がどちらかの熱狂的な信者か)でどちらを定期購読するか選んでいるのではないだろうか。ただ、両方とも定期購読している病院は限りなく少ないと思われるので(もはや両方置いてあったら奇跡!)、是非病院に行く際はどの雑誌が置いてあるのかチェックしてみていただきたい。そして、オミソ・シルコのことを思い出すのも思い出さないのも、あなたの自由だ。

 

*闘争はフィクションです。

最悪で最高な免許合宿のおはなしのくに

付き添いで免許センターに来ている。クーラーの効いた車内から場内コースを見つめていたら車の免許にまつわる記憶が蘇ってきた。

 

これからヤバい免許合宿のおはなしをしようと思う。

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このところ交通事故による悲惨なニュースが目立ち、高齢者の免許返納が問題になっている。

返納に至らない背景には、交通の不便や身分証としての役割、はたまた自分はまだ運転できるというプライドなど複数の理由が考えられる。その中にも「あんなに苦労して取ったのに」という気持ちは少なからずあるのではないだろうか。

 

自動車免許を取るだけでも、ある程度のお金と時間が必要になってくる。お金がなんとか工面できたとしても、いくらお金を積んだところで取得にかかる時間を極端に短縮することはできない。

 

その点、大学時代の数年間は車の免許を取るためにもってこいな期間である。一ヶ月を超える休みが何度も訪れる。

ただ、大学生にとって免許のために長期休暇を犠牲にするのはとてつもなくリスキーなことだ。教習所に通う形をとれば、融通は効くものの、混雑してなかなか受けられない講義も出てくる。効率が悪い。一方、合宿免許は通いよりも割安なのが利点だが、約二週間もの連続した期間を費やすのはかなりしんどい。その間バイトに入ることもできず、魅力的なイベントの数々に参加することもできないのだから。

 

 

 

大学四年生、ようやく就職先が決まったわたしは慌てて教習所を探していた。

数ある長期休暇をあれこれ理由をつけてはパスしてきたわたしは、チェックリストの「免許取得」を消化しないままここまできてしまった。大学生で居られる時間もかなり限られている。金銭的にも時間的にも選択肢は免許合宿の一択しかなかった。

 

「今すぐ取りに行けるところならどこでもいい。」

 

近隣の有名な観光地に合宿でできたお友達と遊びに行く…とかそんなオプションなどを選ぶ余地などない。呑気なことは言ってられない。時期も時期だったので、なかなかすぐに申し込める教習所がない。とにかく空きがあるかひたすら電話をかけまくった。

 

そしてようやく、オペレーターから「キャンセルが出ました。」との返答が。わずかな希望がここにあった。

 

「しかし、寮は相部屋になりますがよろしいでしょうか?」

 そもそも一人で申し込んでいる時点で、そんなの気にしていない。有無を言わさず答えはイエスだった。

 

「全く問題ありません!今すぐ申し込ませてください!」

すぐさま、指定された口座へなけなしの金を振り込みに行った。

 

 

 

 

直前のキャンセルで、合宿の開始はすでに一週間後とかそのくらい目前に迫っていた。

旅の支度は慣れている。40ℓのバックパックandymoriのトートバッグに衣類など必要なものを一通り詰め込んで、合宿所の最寄駅まで2時間くらい電車に揺られた。

 

構内にはちらほら大きなスーツケースを抱えた同年代くらいの人が数名いる。その人たちも同じく免許合宿のために来たのだろうと検討がついた。勢いで申し込んだものの、どんな人と相部屋になるのかもうすぐ分かると思ったら、少しドキドキしてきた。

 

  

 

集合時間に到着したスクールバスに乗り込む。合宿の同期になったのは8人くらいだった。そのうち女子はわたしを入れて4名。大学4年生の美大生2人と高校生1人だった。

  

駅でさえ十分に田舎だったが、さらに人通りの少ない田舎町へ数十分かけてようやく教習所へ到着した。バイト先の後輩が通っていた綺麗な教習所とは程遠い、ボロい施設だった。「入所」という表現があまりにも相応しい。

まともな待合室などはなく、革のボロボロに破けた古いベンチがたくさん置かれているスペースがあり、男の子や通いらしき高校生たちがわちゃわちゃしている。奥にはなぜか免許合宿の女の子用に6畳+2畳くらいの小さい和室があった。

 

 

寮は教習所からかなり離れたところにあったのだが、私たちが入所する前に寮生が酒を飲んで暴れ、退校処分になる事件があり、それを機に掃除のおばちゃんが行方不明だという話を聞いた。かなりヤバイ時期に来てしまった。案の定、わたしの部屋も入居者が出て行ったきりで掃除のされていない状態だった。私と相部屋になったのは同期の高校生で、8畳くらいの洋室に3つベットパットが置かれていた。かろうじて新しいシーツやカバーが置いてあったものの、一つのベッドには前の入居者のものであろう経血がシミになっていたり、髪の毛が付いていたり、吐き気すらもよおすレベルであった。事件を起こした男子寮がどれだけ最悪な状態だったのだろうと想像するとゾッとする(男子寮は離れたところに別にあったので内情はわからない)。

 

 

行方知れずの掃除のおばちゃんの代わりに、送迎もしてくれていた教官が掃除に来てくれたが、あまりにも不憫に思った(かなりオーバーワークだった)ので、高校生と二人で掃除用品を買い足し、まずは自分たちの住処を綺麗にするところから免許合宿は始まった。

 

 

私たちの前のクールと後のクールにもそれぞれ高校生や大学生たちが入所していたのだが、女子の集団があまり得意ではない私にとって自分の同期はかなり当たりクジだった。程良く自分のワールドを持っていながらも、わずかな協調性を持った常識人たちだった。教習所から寮までの道のりに線路をくぐるアンダーパスがあり、その土地の名称をもじり同期の名称は「〇〇アンダー」となった。 

 

 

気の利いた食堂などはなく、食事はHotto Mottoの弁当が一日3回(お昼はおにぎりと味噌汁飲み)出るだけだった。栄養の偏りが半端ない。早朝に寮までバスが迎えに来てからは教習所に一日缶詰めで、徒歩圏内にスーパーやコンビニなどもないため、毎日寮に帰ってから近くのコンビニにめかぶやゆで卵などを補充しに行っていた。教習所内の奥の和室には小さな冷蔵庫があり、各々当日必要な分だけを持ち込み、授業に参加したり、和室で昼寝をしたりして夕方のバスまでの時間を過ごしていた。 

 

 

 

THE 田舎の教習所は教官も押し並べて田舎感がもろに出てしまっていた。鈍りすぎて言っていることがよく聞き取れないおじさん、笑顔の可愛らしいおじいちゃん、ほとんどサングラスに近い茶色みのかかった眼鏡をかけリーゼント気味に髪を固めるオヤジ、学科を主に担当していた中学校の理科の先生に居そうな人、背が低くて人懐っこく生徒に人気だった教官、etc……。 女子部屋では誰が当たりで誰がハズレ、「今日は〇〇さんだった〜!」「当たりじゃん羨ましい〜!」みたいな会話が日々繰り広げられていた。

 

 

ある日は寮への送迎もしてくれている温和な教官に当たった。生徒からも人気で「〇〇ちゃん」と呼ばれていた気がする。普段はかなりお疲れモードだったが、どうやら教官モードだとスイッチが入ってテンションが上がるらしい。路上教習の途中で信号待ちをしている間、道端に鳥が何羽も止まっているのを二人で見つめていた。「生まれ変わったら鳥になりたいよね〜」と〇〇ちゃんがボソッと呟いたことが忘れられない。完全にスイッチがオフに入っていた。義姉(兄嫁)があまりにも鬼嫁すぎて、僕は結婚に希望を持てないからずっと一人でいいんだ、と話をしてくれて悲しくなった。

 

 

毎日3食弁当生活にも慣れ、教習も後半に差し掛かってきた頃、とあるおじさん教官に当たる回数が増えた。元警官だったそのおじさんは他の教官に比べてもかなり厳しかったが、教習を終えればただの優しいおじさんだった。その教官が毎朝教室の掃除をしていると聞き、翌日相部屋の高校生と顔を出しにいった。

 

 

そのあとすぐにその教官に当たった。急にプライベートな話題を持ち出すようになり、かつて生徒の女の子と恋愛関係になったという話をし始めた。掃除を手伝いに行ったことを好意的に受け止められていたらしく、どんどんその矛先は私に向いた。その日はいつもはしていたマスクを外していたため、「〇〇さんはマスクを外したらそんなに綺麗な顔をしているんだね〜」とか言われて、もう気持ち悪すぎて早く教習所に戻りたかった。

「は〜」とか「へ〜」とか「そうなんですか〜」と適当に話を聞き流しているうちに、どんどん話はエスカレートし、デートをしようとか、この教習が終わっても俺が大学に迎えに行くとか言い始めた。教官と一対一の路上教習で、いつの間にか私を下の名前で呼び捨てにし始めた。教習車とはいえ密室の中で、おじさんと二人きりの恐怖をこれ以上に感じたことはなかった。

 

 

教習所に戻ってすぐ、同期の〇〇アンダーへ一連の出来事を報告し、外のトイレに行くにもその教官と鉢会うことのないよう見張って貰うなどして、なんとかまともに顔を合わさずに済んだ。あからさまにその教官を避けるようになったので、仮免許に書かれた氏名も住所を悪用されたらどうしようと不安になったが、事なきを得た。有段者の貫禄が出てるのか、はたまた筋肉質でおケツが硬いからか、痴漢などにも一度もあったことがなかったので私的にはかなり衝撃的な出来事だった。そして、教官が男性だらけだと気軽に相談もできないものだなと実感した。(男女差別抜きに、セクハラ相談窓口は女の人じゃないとろくに利用できないと思う。)

 

 

 

免許合宿最終日、〇〇アンダーは全員無事に卒業検定を合格し、目出度く出所することができた。地元に戻り、免許センターで本試験に合格して念願の免許証を手に入れた。

 

 

 私の免許取得までの道のりにはお金と時間、それ以外にもかなりの犠牲を払った。その分、大事に大事に使い、しかるべき時が来たら後腐れなくすっぱり返納したいと思う。

 

 

掃除のおばちゃん行方不明事件や変態おじさん騒動、一日中教習所に缶詰めになっている間に〇〇アンダーの団結力は想像以上になっていた。それぞれ自分たちの生活に戻ってからも、金沢へ旅行したり、横浜へ遊びに行ったりした。同室だった高校生は、専門学校を卒業し、当時から夢見ていた職に無事に就けたことを報告してくれ、わたしが引っ越すときにはわざわざ引っ越し祝だといって花束をプレゼントしてくれた。

 

 

この免許合宿から、私は「安い免許合宿は何かしら欠点があるから気をつけろ」と「試練は人の仲を深める」という二つの教訓を得た。これから免許合宿に挑もうとしているそこの大学生が仮にこれを読んでいるとしたら、今一度教習所選びを一から考えて欲しいと思う。

 

 

 

 

先日「おはなし」というワードが出た時、夫が急に「おはなしのくに〜♪」と高らかに歌い始めたのだが、ギリッギリその世代でないらしくわたしには全く共感ができない。共感ができない上に、その『おはなしのくに』のOPが脳裏に焼き付いてしまったために、四文字のワードが出る度に歌わないと気が済まない体になってしまった。たけのこのくに〜♪ 華麗にコースアウトしてこの話を締めくくりたいと思う。

 

写真:著者撮影(iPhone6を使用) 


おはなしのくにOP