わたしに一番近かった東京「浅草」

北関東の片田舎出身のわたしにとって、東京は近いようで遠い街だった。

 

年に数回、甲信越地方にある祖父母宅へと向かう道中に通り過ぎるだけで、東京が目的地になることはほとんどなかった。首都高をぐるりと覆う防音壁から垣間見える東京の街並みを頭に焼き付けるべく、目まぐるしく変わる景気を後部座席の窓から食い入るように見るのだった。立ち並ぶビル群を見ても、そこが東京のどこなのかはさっぱりわからなかったが、唯一頭にはっきりとインプットされていたのは、「金色のうんこ」が東京に入ったことの合図だということだけだった。パブロフの犬がベルの音でよだれを垂らすように、黄金に光り輝くうんこが視界に入る度に東京への憧れは増幅されていくーー。

  

高校生になってやっと、自力で東京に行くことを覚えた。部活の同期と高速バスの最後部を陣取って、お台場近くのジョイポリスへ遊びに行ったり、当時付き合っていた先輩と高円寺に行って古着屋を巡り、通学に使うための洒落たリュックを買って帰ってきたりした。東京に一歩近づいたような気がした。

 

わたしに一番近かった東京

受験期。東京に一人で行き、宿泊するのは初めての体験だった。いままでのように日帰りで遊びに行くのとは違って、今度は大荷物だ。冬の着替えは厚手で場所をとる。参考書や洋服を詰め込んだSWIMMERで買ったおもちゃのようなスーツケースをぎこちなく高速バスの座席に持ち込んだ。隣には友人も彼氏もいない、今回は一人だ。東京は、誰かと一緒だと楽しくてキラキラした街に見えたが、電車が1時間に1〜2本しか来ないのが当たり前の田舎者にとって、一人で行くにはあまりにも心細い街だった。

 

でも、この街なら見覚えがある。浅草だ。

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わたしの地元から出ている東京行きの高速バスは、必ず金色のうんこ、否某ビール会社の情熱のオブジェの脇を通って上野や秋葉原を経由し、終点の東京駅に到着するのだ。受験地が多少遠くても気にしない。いつ大勢の乗客が一斉に乗り降りするかわからない電車に大きな荷物を抱えて乗るよりも、浅草付近のホテルに荷物を預けて身軽になってから移動する方がよっぽど気が楽だった。浅草は、東京の中で “わたしに一番近い東京の街” だった。

 

 

無事に東京の大学へ進学することになったものの、初めて住んだ街は惜しくも東京から一駅分外れだった。厳密には上京とは言えない。上玉だった。ランクの高い卵入りのかけうどんみたいだ。それなりに住み良くはあったが、どことなく道が汚かったり、すれ違う人の歯の本数が一般的な街のそれよりも数本少なかったりして、家賃が安いのも納得だった。現実はあまりにも現実的だった。大学生らしく、渋谷や新宿へ繰り出して夜な夜なお酒を飲んだり、原宿や下北沢で洋服を買い漁ったりもした。バイトが終わってあたりが暗くなってから電車に乗り、ライブハウスで汗だくになるくらい朝まで踊った。無駄に代々木公園にも行った。東京の街の美味しいところを少しずつかじっていった。

 

 いつの間にか、浅草のシンボル・金色のオブジェの隣には新たなランドマークが誕生していた。

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 怠惰な大学生だったわたしは、教育実習を言い訳にして就活を一旦放棄し、出来立ての巨大な鉄塔のふもとでバイトをしていた。近くのテナントで働いていたお姉さんと仲良くなり、上がりの時間が被れば最寄りのコンビニで焼き鳥とお酒を買って、浅草まで夜の散歩をした。街灯の下に渥美清さんなどの著名人の写真が飾られていることで有名な浅草六区通りの石製ベンチに座り、ドン・キホーテで買い足した缶チューハイを飲みながら身にならない話をダラダラとするのだった。上機嫌に飲んでいると、帰宅途中のサラリーマンに「写真を撮っていいですか?」と言われて、まんざらでもない気分で被写体になった。本来であればわたしの脳裏にしか記憶されていないはずの黒歴史は、あのサラリーマンの携帯にまだ記録されているだろうか。もともとレコードショップで働いていたお姉さんはバンドに詳しく、「あのバンドの〇〇っていうメンバーが浅草に住んでるらしいんだよね。」と言っていた。その時初めて、観光地として浅草に「来る」んじゃなくて浅草に「住む」選択肢があってもいいんだ、と思った。

  

周りの友人が着々と就活を終え、卒業旅行の計画やら最後の長い夏休みの過ごし方に思いを馳せている頃、重い腰を上げて就活を再開し、なんとか滑り込みセーフした。上京を機に親しくなり、一時は週5で泊まらせて貰っていた高校の同期Sと、本格的に一緒に住むための部屋を探すことになった。最高の条件が揃っていたK糸町の物件を泣く泣く逃したあとにたまたま見つけたのが、奥浅草のマンションだった。予定よりも間取りは少々狭くなったが、二人とも一目で気に入り即決した。

  

浅草ととんかつ屋

引っ越しを済ませ、蕎麦じゃなくても何でもいいから美味しいものを食べに行こう、と外に出てたどり着いたのがとんかつ屋の「とんかつ弥生」だった。嬉しい再訪だった。

全国各地のゲストハウス巡りが趣味だったわたしは、Sと共に東京のゲストハウスにもよく泊まっていた。大学3年生の終わりに三ノ輪の行燈旅館に宿泊した夜、自転車を借りて夜の散策に出かけた。地図は見ずに、なんとなく行ってみたい方向に自転車を走らせていく。気付けばアーケードのある小さな商店街に着いた。道を抜けていくとそのとんかつ屋が見えて、お腹を空かせたわたし達は迷わず入ったのだ。住んでみて初めてわかったことだが、引っ越したマンションの近くにあった千束通り商店街は、わたし達がおよそ1年前に自転車でたまたま辿り着いた商店街で、その時訪れたとんかつ屋はマンションから徒歩5分の場所にあったのだ。浅草との縁を感じずにはいられなかった。

 

わたしがただとんかつに目がないというだけかもしれないが、浅草にはとんかつ屋が多く点在している。なかでも、一番忘れられないのは「カツ吉」のとんかつだ。

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雰囲気のある老舗は、若者を疎ましく思ったりしないか少し心配したが、店員さんが小娘二人に対しても丁寧な接客をしてくれるのがとても気持ちよかったし、何より嬉しかった。カツ吉のとんかつはパン粉がかなり細かめで、衣が薄いのが特徴だ。メニューは定番の味噌とんかつから紫蘇やチーズ、しいたけや牡蠣など、変り種がたくさんある。

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記憶は曖昧だがおそらくチーズとんかつ。ナポリタンが敷いてあるのが嬉しい。

カツ吉には特別な日に行くと決めていた。地元から共通の友人が遊びに来た時、不動産業界で働いていたルームメイトが宅建に合格した時。とびきり美味しいものを食べたい!そんな日にぴったりだった。「いいかい学生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいの歳の頃にはな、脂っこいものはあんまり食えないんだ。」というツイートを思い出すと、20代前半にあんなにも美味しいトンカツを頻繁に頬張れたわたしは幸せ者だと思う。

 

 

浅草と下町人情

「浅草と人情」は「ホストにドンペリ」くらいにぴったりな言葉だと思う。浅草は街の人との距離が近い街だった。干渉されるのとは違って、程よく心地よい距離感だった。

週末には、平日にたんまりと溜め込んだ洗濯物を洗って、IKEAの大きな青色のバッグに詰め込み、自転車でよろよろとコインランドリーに向かうのがお決まりだった。

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待合スペースに置かれた週刊誌をぱらぱらとめくってゴシップに見入ったり、洗濯物がぐるぐると回る様を見ながらぼーっとする時間は、無意味なようで大切な充電の時間だった。たまにオーナーのおばさまと鉢合わせると「いつも綺麗に使って頂いてありがとうね」と声をかけられ、たわいない世間話をする。おばさまがパン屋のパートから帰ってきたタイミングで遭遇するときは、「ここのパン美味しいのよ」と袋に入っていたパンをほとんど私にくれるのだった。

 

休日出勤を終えて駅から自宅に向かっていたある日曜日には、通勤路沿いにあったバーの前で「知り合いの居酒屋さんが店を畳むから好きなものを持って帰って」と店の前にテーブルを広げて、街ゆく人に食器を配っていた。いつも自分で作るのは洋食ばかりで、和食に合う器をあまり持っていなかったため、味のある和食器を揃えたいなと思っていたところだったので、ありがたくご飯茶碗や小鉢などを頂いて帰った。それらの食器はいまでも我が家の食卓に並んでいる。

 

浅草は等身大で生きられる街

浅草にいると、他の街に行ったときに感じる窮屈さを不思議と感じなかった。時たま、緑や土の多いところに行きたくなるので、自転車を走らせれば10分くらいで上野公園に行けるのも魅力だった。ライフにSEIYU、肉のハナマサがあるだけでなく、商店街の八百屋や大きなドン・キホーテなど、日用品や食料品の買い物にも全く困らない。モーニングは朝マックから喫茶店讃岐うどんなど選び放題だったし、作業用のカフェも十分だった。ちょっと疲れた日は銭湯に行って、ケロリンの黄色い洗面器に溜めたお湯を勢いよく被り、あったかいお湯にざぶんと浸かれば大抵のイヤなことは忘れられた。

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春には綺麗な藤の花が破風屋根を彩る曙湯

ホッピー通りでは、サラリーマンたちが昼間はキュッと締めているであろうネクタイを緩めて、各店自慢の牛スジ煮込みをつまみにビールを流し込んでいる。通り全体を優しいオレンジ色の光が包み込み、道のいたるところから笑い声が聞こえてくる。使用感のある丸い椅子やテーブルは決して綺麗とはいえないが、飾らない雰囲気が心を解いて行くのだろう。こんなにもたくさんのリラックスした人々が東京で見られるのは、ホッピー通りか日比谷のオクトバーフェストくらいじゃないだろうか。

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浅草には背伸びをしない等身大の生活があった。それこそが浅草に住む魅力だった。東京の街を歩いていると、どうしてもみんな無理をして生きている感じがして逃げ出したくなった。でも、浅草では息ができる。無理をしなくていいんだ、と思えた。

 
浅草を出てから来春で3年になる。これからの人生でまた浅草に住むことは、きっともう二度とないだろう。わたしにとって、引っ越した後でこんなにも「またあの街に住みたい」と思える街は、後にも先にも浅草以外にないだろう。

 

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写真:著者撮影(iPhone6を使用)

シルコ旅行記 〜直島 嵐の中の南瓜編〜

間が空いてしまいましたが、シルコ旅行記の続きをお届けします。

2日目は直島 嵐の中の南瓜編です。

 

1日目の記事はこちらからどうぞ。 

misoshiruko.hatenablog.com

早く起きた旅の朝は

2日目の朝、TEN to SEN cocohttps://tentosen.jp)をチェックアウトし、高松港へと向かう。名残惜しいけれど、今回は瀬戸内がメインなので、高松ともこれにておさらばです。

 

まずは腹ごしらえ。前日のチェックイン時に TEN to SENのスタッフさんに教えて頂いた、早朝でも食べられるというおすすめのうどん屋さん、味庄へ。

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お店の外観、内観のすべてから、いい味が出ています。こちらの味庄さん、早朝5時からやっているというから驚き。始発より早いかもしれません。また、高松商店街の中心部あたりのうどん屋さんは開店時間がやや遅め(9時とか10時とか)なので、高松駅まで出てからの方が朝早くにうどんにありつける可能性は高め。

 

さあ何を食べようか、朝から天ぷらいっちゃおうかな、と一瞬迷いながらも、さすがに血糖値ブチ上げすぎなのでは……と自制し、ワカメうどん(温)をチョイスしました(280円)。

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事前に調べたお店のイチオシを目当てに行く、というのも一種の楽しみ方だと思うけれど、下調べなくお店に入って自分の食べたい!という欲望に沿うのもまた面白いな、と個人的には思います。わかめうどん、うどんのコシとわかめのシャキシャキ感が相まって美味しかったなあ。朝からこんなに贅沢なことはない。こんなに美味しいうどんが朝から200円そこそこで食べられるなんて香川県民が羨ましい……。味庄さん、また近いうちに訪れたいお店の一つとなりました。しばらくこの後、たまご天に後ろ髪を引かれていたことは内緒。朝なんだもん、血糖値ぶち上げてなんぼだったよなあ。

 

 

モーニングも済んだところで、高松港へ。

高松駅を左手に見ると、右奥の方に「高松港はこっち!」的な案内がデカデカと書かれたエスカレーターがあるので初心者でも分かりやすい。Sと私の地元はアピール下手(勿論案内も下手)なので、香川の案内本当分かり易いわーアピールも上手だし少しは見習って欲しいわーと思うのでありました。

 

それはさておき、案内通りに歩いていくと港が見えて来た〜!

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この日の朝はTHE・秋晴れ。旅に最適で最高な天気。左側の高松港にはちょうど小豆島行きのフェリーが停まっており、右側の高松東港にも小学生くらいの子供たちがわんさか乗っている旅客船が出発を待っています。

 

高松駅周辺はオフィスビルやホテルなど結構大きい建物が並んでいたので、すぐ向こう側にこうして海が広がっているのがとても不思議でした。海と言っても瀬戸内海、穏やかでまるで広い湖のよう。瀬戸内海の近くで育った方は穏やかな人が多いのだろうか……なんてことを想像したり。四国といえば、チャットモンチーは徳島出身だったな、あの心地よいリズムはこの穏やかな海のそばだからこそ生まれたのかな、なんてことを考えたり。

 

高松港から直島 宮浦港へ 

そして、今回の旅で最も心配していたのがフェリー

何故なら、高松港からだけでも直島、豊島、小豆島、女木島、男木島、大島行き、三宮行きなど複数の路線があり、島によっては2つや3つも港があるのです。路線によってフェリー会社もそれぞれ違うため、時刻表を探し出すだけで超一苦労。ガイドブックにはほとんど時刻表は載っていないため、基本はフェリー会社のHPで確認する必要があり、これがまた複雑でわかりずらい。瀬戸内国際芸術祭の期間内外で変わるだけでなく、土日ダイヤや平日のフェリー定休日など結構イレギュラーが多いので注意が必要です。いくらペーパーレス社会とはいえ、こういう時手元に時刻表があると心強い(自宅のプリンターで印刷しまくった)。 

 

今回の行き先は直島

宮浦港行きのフェリーに乗るため、四国汽船のカウンターへと向かいます。

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高松ー直島(宮浦)便は以下の2種類。

  • フェリー(約50分)/520円
  • 高速旅客船(約30分)/1,220円

だいたい30分〜1時間おきにフェリーと高速旅客船が交互に来るので、高速船よりも半額以下で乗れるフェリーでのんびり行くことにしました。

  

出航の15分前くらいに船が来るので、ぞろぞろと乗船。こちらが船内の様子です。

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想像以上に綺麗で広くてびっくり。大きなテレビも付いているし、ボックス席?というのか、向かい合った席なんかもあり非常に快適です。ただこの日はあまりにも天気が良かったので、デッキに上がり、海風に当たります。この日は瀬戸内国際芸術祭の期間中ではありませんでしたが、思っていたよりも人が多い。

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甲板の両サイドに特等席のベンチが8つくらいあるんですが、欧米人のカップルが脇目も振らずにイチャイチャしていて、それはもうバカンスっぽかった(語彙力)。

 

フェリーはおよそ1時間かかるとはいえ、天気がよければこの景色。時間に余裕があれば、料金も安いしゆったりできるのでフェリーがおすすめです。穏やかな海を見ていたら、普段抱えていた悩みがどうでも良く思えてきます。突然哀愁の漂うシルコ。海を見たら誰だって少しは黄昏たくなるものでしょ。

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めまぐるしく変わる景色を楽しんでいたら、あっという間に直島 宮浦港へ到着。乗船時は写真を撮っている余裕がなかったんですが、直島行きのフェリーは草間彌生さんを連想させるような赤いドット柄でとても可愛い外装をしていました。

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港の端にはあの有名な『赤かぼちゃ』が海に面するように佇んでおり、フェリーを降りた人が思い思いに写真を撮っています。穴から顔を覗かせる人、セルフタイマーでかぼちゃの前にあぐらをかいてセルフィするチャイニーズ。後方からそんな諸々の光景を撮るシルコ。なんだかサカナクションの「誰かを笑う人の後ろでもそれを笑う人〜」っていう歌詞みたいだな。


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この直後、とっても可愛らしい大学生くらいの女の子に「写真を撮ってもらえませんか?」と声をかけられました。可愛い子に声をかけられて内心テンションがあがるシルコ。だいたい旅行中には一日に1組以上の方には声をかけられます。ひとり旅なのかな?と思って聞いてみると、一緒に来るはずのお友達が高熱を出してしまったとのこと。ぐすん。でも、ひとり旅もいいよね。この後も颯爽と自転車で駆け抜けていく後姿を見かけたり、途中の美術館ですれ違って少しお話ししたり、ちょっとした交流ができて楽しかった。彼女のひとり旅が素敵な思い出になったことを願います。

 

ひとしきり赤かぼちゃに満足したところで、早めの昼食を食べに。あれ?さっきうどん食べたばっかりじゃ……?と今これを書いていて自分でも思っています。分かっています。でも、いいんです!(川平慈英で脳内再生を)

何故なら食べることこそが旅の醍醐味だから。

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宮浦港から徒歩5分くらいにある 島食DOみやんだ にて海鮮丼を食す

左手に見えるお味噌汁、中にカメノテと呼ばれる、その名の通り亀の手のような貝が入っているんですが、これがまたショッキングな見た目で思わず言葉を失います。各テーブルには、丁寧にラミレートされた手作りの カメノテ食べ方ガイド” が置いてあり、それを見ながら見よう見まねで食べてみます。手の部分をスポッと抜いて中身を食べるんですけど、食べられるところがまあ少ない……。初めて食べた感想としては「これを最初に食べた人の勇気、讃えたい。」が正直なところ。わたし的に、これ初めて食べた人頭おかしいんじゃないかランキングの第1位はエビなんですが、それに匹敵するくらい考えてしまう、何故これを食べるに至ったのか。カメノテ、かなりセンシティブな内容のため、画像は載せませんが、気になる方は是非検索してみてくださいね!どうか自己責任でお願いします!(自己責任って本当便利な言葉ダナー。)

 

 

そんなこんなでカメノテと格闘してる間に、だんだん雲行きが怪しくなり、お店を出る頃には外は雨模様。朝の秋晴れは一体なんだったんだろうか……と思うくらいの土砂降り。傘を差して運転するわけにもいかないので、おそらく島唯一?のコンビニであろうセブンにてレインコートを購入し、あらかじめ予約していたレンタサイクルをピックアップします。 旅行のお供は高校時代、汗だくで練習に励んだ部活仲間なので、ビジュアルを気にすることなく非常に気が楽でした(元陸上部)。直島は坂が多いということで電動自転車を選んでいましたが、これが大・正・解!電動とはいえ、急な坂道はある程度自力で漕ぐ必要がありますが、自慢の脚力で坂を登っていきます。

 

最初の目的地は地中美術館

名前の通り地下にあり、上空からは地中に埋まっているかのように見える不思議な美術館。設計は安藤忠雄氏。

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地中美術館hp(http://benesse-artsite.jp/art/chichu.html)より

昨年2018年の8月からオンライン予約制になっていますが、当日入場数に余裕があれば、チケットセンターで当日券を購入することができます。運良く、余裕があるということでその場で当日券を購入。なお、地中美術館はゲートでチケットを渡してから敷地内での撮影は禁止。記録に残すのではなく記憶に残す、いま多くの人が忘れてしまいがちなことな気がします。たまにはカメラや携帯をしまって、目の前の世界と向き合うことも必要ですよね(しみじみ)。

 

チケットは2,060円と美術館の中ではややお高めですが、入館してすぐ「この値段で逆にいいのか??!?」と思ってしまうほどの満足度。クロード・モネの作品が5点も貯蔵されており、空間がモネの作品を展示するために建築されたことが素人ながらに良く分かる……。曇天の少し暗い自然光の下で観るモネの絵は一言では表せない独特な雰囲気があります。晴天では生み出せないであろうあの空間、雨が降ってくれて良かったとさえ思うほどに完成された空間でした。フェリーに乗ったときも直島に着いてからも、ヨーロッパ系の外国観光客が多いな〜と思ったのですが、この地中美術館をお目当てにしている方が多いのかな、という気がしました。

 

わたしはタレルの部屋が大好きで、金沢に行くたびに21世紀美術館に寄っては20分くらい空を見上げながらでぼーっと座っているのですが、この地中美術館にもタレルの部屋があり、事前に何も調べていなかったこともあってなおさら歓喜!この二つだけでもうお腹いっぱいです。最後のウォルター・デ・マリアの真っ黒の球体に至っては、友人がツヤツヤの泥団子と言い出したことをきっかけに、我々の教養のなさが爆発してしまったので割愛。

 

帰り道、地中美術館からチケットセンターへ下る小道のそばにあるモネの絵画のような蓮の池だけは写真に収めることが出来ました。

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地中美術館からさらに15分ほど自転車を走らせ、宮浦港とは島の真反対にある木村港付近を散策。

30代くらいの素敵なご夫婦がやられているおかしとコーヒーにてチャイを頂きます。雨ざらしで冷え切った体が温まってホッとする。他にもオートミールクッキーやスコーンなども販売していました。ディスプレイも外装もとっても素敵だったなあ。

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レンタサイクルの返却時間も迫る中、どうしても自分の目で見たかった草間彌生さんの『南瓜』を観るべく、嵐の中をずぶ濡れになりながら海沿いの坂道を下っていきます。そういえば、高校生の時、雨の日はわざと傘をささないでずぶ濡れになりながら帰ったっけ。今じゃ流石にできないけれど、なんか気分がスカッとしたんだよなあ。

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ようやく観れた念願の黄色いかぼちゃ。近くで見ると集合体恐怖症の方にはだいぶきついであろうドットの羅列がすごい。遠くが霞んで見えるほどこの時もかなり雨が強く降っていたのですが、南瓜の脇で韓国人の女の子が傘もささずにワンピースでぴょんぴょん跳ねている様子を、彼氏であろうカメラマンがバシバシ撮っていたのがすごく良かった。まさかこんなにも土砂降りになると思っていなかったので、わたしの足元はドロドロのビーサンでしたが、ここまできたらもうなんでも良い。雨予報だった最終日のためにスーツケースにはレインブーツを仕込んでいたというのにお天道様ってやつは本当に気まぐれだなあ。最後の力を振り、高校生に戻ったかのように爆走して宮浦港へ帰還しました。

 

なお、本日のお宿は宮浦港近くにある星屑https://ougiya-naoshima.jp/inn/hoshikuzu.html)。古民家を改修したゲストハウスなんですが、私たちが泊まったのは2階の隠し部屋?みたいなワクワクするお部屋でした。

 

小アジの南蛮漬けとジャーマン・ガール

チェックインを終えて一息ついてから、宿からほど近くにある居酒屋 ちくりんへ。

私たちが瓶ビールを1本空ける頃、ドイツ人の女の子たちが入店してきました。隣の席に並んで座ったのをきっかけに、店主のおっちゃんも交えてみんなでお喋りをしたのがこの日一番の思い出。もちろんペラペラとまではいかないですが、こういう時英語が喋れて良かったなあと思います。

 

学芸員で、現地の同じグループの美術館で働いているというふたりのジャーマン・ガール。京都で開催される学会に参加するため、今回初めての来日だそう。ドイツでも頻繁に日本食を食べているらしく、二人の箸の使い方が上手だった。店主のおっちゃんが「これは食べたことあるか?」と言って、嬉しそうに次から次へと色んな料理をサービスで出してくれたのだけど、その日の朝に自分で釣ってきたという小アジの南蛮漬けが今まで食べたどんな南蛮漬けよりも美味しくて忘れられない。

 

夜は近くの『I♡湯』に寄る予定でお風呂セットを持ってきていたため、本当はサクッと飲んで帰ろうと思っていたのですが、嬉しい誤算とはまさにこのこと。昼間にI♡湯の入り口で撮った写真が可愛かったのでこれだけ載せさせてください!金魚とペンギン。

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4時間くらい気付いたら飲んでいたんだけど、日本に来てどんなところに行ったのか、ドイツではいま何が流行っているのか、という話から結構真面目な話まで色んなことが話せてすごく有意義な時間だった。酔っ払っていたのでうろ覚えだけど……。これで日本語を勉強してるよ!と見せてくれた本の表紙があまりにもステレオタイプすぎて笑ってしまった。

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ドイツのイメージってウインナーにビール?みたいなものしか正直なかったけれど、二人と話していて気付いたのは、ドイツと日本の国民性は結構似ているのかな、ということ。特に、真面目というか勤勉なところ。厳密には、日本人の勤勉さとドイツ人のそれはまるっきり違うと思うんだけれど。ドイツ人は効率をあげるシステムを作るのが上手らしい。わたしは日本人を代表して「日本人は働くために生きるような社会になってるけど、それが馬鹿げてるって気付いてる人もいるんだよ!」ということを強く主張しておきました。知っている日本語が少ないなかで、二人が揃って知っていた単語が過労死だったのが、一国民として恥ずかしいし虚しいなと思った。

 

ちなみに、わたしは大学時代、ドイツ語が第二外国語だったんですが、ドイツ語に関してはかなり怠惰な学生だったので、「いまでも覚えてる単語?VOLKSとWAGENだけだよ!」と言ったらめちゃくちゃ笑ってくれたので優しかった。とにかく、本人達にも精一杯伝えたけれど、日本に来てくれて本当にありがとうという気持ちでいっぱいでした。また近い未来にベルリンで会おうね、と約束をして別れました。お願いだからわたしが行くまで解体しないでおくれ、EUよ。

 

ちなみに今、ドイツではアラビアンフードとひよこ豆が流行っているらしい。 ひよこ豆、わたしは大好きなんだけど、多分日本では一生流行らないだろうな。

 

3日目、オリーブと醤油の島 小豆島編に続く。

 

写真:著者撮影(Olympus E-M10 Mark IIIを使用)

対岸の彼女 〜女の友情って難しい〜

 

先週の一件(過去記事参照)があってからというもの、頭の中がまだそのことで支配されてしまっている。考えまいと思えば思うほど頭の中を巡るので、どうにかして断ち切りたい。どうしたものか。

 

misoshiruko.hatenablog.com

  

ストレスが溜まったとき、私がまず何をやるかというと、堅揚げポテトの大容量タイプ・冷凍ピザ・チューハイのスタメンを筆頭にポップコーンやワイン、バジルソースのパスタなどの好物を準備してとにかく自分を甘やかす。一日の摂取カロリーなんて知らねえ。理学療法士の友人も、そういえば食べることが一番ストレス発散には手っ取り早いよと言っていた。

 

 

手元の準備が整ったら、自分の心情に合わせた映画を選ぶ。仕事面で自分に喝を入れたいなら『プラダを着た悪魔』や『マイ・インターン』が最高だし、スカッとした気分になりたいなら『007』シリーズを観れば間違いない。泣くほど笑いたいときは、007のパロディ映画の『SPY』やミスター・ビーン役で知られているローワン・アトキンソンが主役の『ジョニー・イングリッシュ』あたりを観るのも良い。家族関係のことで悩んでいてとにかく現実逃避をしたいときは、絶対に現実には起こりえないであろうファンタジーの世界に飛び込むようにしている。急遽にストレスが溜まっていて、思いっきり泣いて発散したいときは明らかに涙するであろう作品をわざと選ぶ。

 

 

さて、今回の私は女の友情に辟易している。何の映画がちょうどいいだろうか?

確かにスカッとしたいからスパイ映画も悪くないし、笑ってこの気持ちをすっ飛ばす?それもなんだかしっくりこ来ない。

 

PS3のコントローラーで作品をひとしきりスクロールしていたら、見つけた。『対岸の彼女』だ。

 元々の原作として小説があることは知っていたが、一度も読んだことはない。むしろこれが映画化されていたことを初めて知った。財前直見さんとあの『結婚できない男』の早坂先生役の夏川結衣さんがサムネイルに写っている。きっと間違いない。

 

対岸の彼女 [DVD]

 

再生してみたら、結構古い。2006年の映画だ。しかも、キャストがかなり豪華。主役の二人はさることながら、香川照之木村多江堺雅人多部未華子(敬称略)・・・なんて有名俳優がごろごろ出ている。

 

あらすじはこんな感じ。

35歳の主婦・小夜子は、人付き合いが苦手で、言いたいことがあっても飲み込んでしまう性格。そんな彼女が、再就職のために訪れた会社で独身社長・葵に出会う。葵も同じ35歳。開けっぴろげでおおざっぱな性格の葵との交流を通して、小夜子は次第に心を開いていくが…。葵の高校時代の女友達との過去の経験を挟み、物語は進行していく。

(出典:https://movie.jorudan.co.jp/cinema/31942/

 

どちらかに感情移入するっていうわけでもなかったけど、幾つになったって人は孤独だし、何かしら抱えて生きてるんだよなーと思わされる。葵が高校時代に当時仲が良かった友人に対して「あなたは何不自由なく幸せに育ったように見える」と言うんだけど、その子は全然そんなことなくて、家は貧乏で妹は不良で、結局いじめられてしまう。

 

あーわかる、平気なフリして明るく振舞っている人が平凡で幸せな人生を送ってきたかって言ったら、そんなことない方が多い。返って、普段明るくひょうきんに振舞っている人の方が闇を抱えてるってこと、結構ある。分かってるようなフリして、わたしだって「あの子はきっと不幸なんて味わったことない」と思えるような人でもきっとそんなことないんだよな〜、目に見えるものだけで判断しちゃいけないんだよなって改めて思わされる映画だった。

 

 

正直、女の友情にわたし辟易してしまっている。友人関係ってこんなに難しかったっけ?そういえば、小学生の頃に複数の交換ノートをやっていたことがあって、それがきっかけで喧嘩に発展したりしたっけ。あの時初めて「あ、女ってすげーめんどくさい生き物なんだ。」って思ったのを覚えている。女同士の友情って“マメさ”が重要になってくる気がするんだけど(話をうんうん聞くとか頻繁に会ってお茶するとか…)、わたしはそういうの向いてないんだなと改めて実感してしまった。なんて言うか、何度も言うけどすごいめんどくさい。

 

映画のラストは、「もう、めんどくさい。付き合ってられない!」ってところから、「やっぱりあたし、あんたとなら何でもやっていけるよ!」ってところに復活するんだけど、わたしにそのオチは無理だ。そこまで復活できるのこそが真の女の友情ってやつなのかもしれないけど。ますます、女の友情ってなんだ?とこんがらがってしまった。

 

確かなことは「いつまでも耐えることなく友達でいよう〜」っていう童謡の歌詞があるけど、あれはとてつもなく難しいことで、かなり恐ろしいことだということ。

 

15年来の親友と距離を置こうと思った話

先日、親友Kと数ヶ月に渡って予定を立てていた旅行がやっと決行された。

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結論から言うと、Kが帰ったあとに残った感情は残念ながら、楽しかったよりもうんざりしたという感情が勝っていた。いまは、彼女とは少し距離を置きたいと思っている。旅行には、正直もう行きたくない。次そのような話が出たら、どうにかしてお断りするつもりでいる。 

 

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 上の過去記事の通りに、わたしは予定の段階から多々モヤモヤを感じていた。 

ざっくりとそのモヤモヤの原因を分析すると、旅行の話を進めるよりも、気づけば話はKの自分の忙しさアピールでもちきりになっており、私はそれを

  • 大変だね。
  • えらいね。
  • 体壊さないでね。

という主に3つの表現で労わるというのがルーティンになっていたのが正直しんどかった。オミソ・シルコの正直しんどい、だ。加えて、向こうのお休みにはこちらの都合もお構いなし急に電話をかけてきたり、LINEを連投してきたり……。あれ?あたいも結構忙しいんだけどな……?

それでも、「忙しくて余裕がなくなっているのだ。仕方がない。自分にだってそういう時はある。」と気持ちをなだめてなんとかやり過ごした。

 

その旨をはてなブログに投稿したら、諸パイセン方が共感やアドバイスをくださって非常に有り難かった。その節はありがとうございました!うーん、そうだよなー、と噛み砕きつつ、実現する方法を自分なりに模索していた。

 

顔の見えないコミュニケーションツールにはそれぞれ多くの利点があるけど、対面のコミュニケーションよりはやっぱり劣ってしまう。きっとこの気持ちも、本人に会ったら会ったできっと忘れるのだろう、いざ旅行が始まればモヤモヤも嘘のように吹っ飛んできっと楽しめるだろう、と思っていた。というか、純粋に楽しみたかった。

 

 

来訪スケジュールと旅行当時の様子  

K来訪の予定はざっくりとこんな感じだった。

・初日、某テーマパークで待ち合わせ。

   夜までアトラクションやご飯などを楽しむ。

・2日目、アンティーク着物を着て京都散策。

・3日目、ドライブ。パン屋や名物スポット巡り。

 

わたしの住む地域にわざわざKに着てもらう手前、こちらがアテンドする必要があるのは当然だと思っていた。そのため、チケットの手配やレンタル着物の予約、バス・鉄道の案内はわたしがすることになったがその点は全く問題なし。むしろこちらに任せてもらってOKという感じだった。

 

初日は、久しぶりに会えて嬉しい〜!&ようやく旅が始まって楽しい〜!という気持ちで、自然と笑顔が溢れ、実に快調な出だし。会ってみたらやっぱりただの思い過ごしだった!めでたしめでたし!という雰囲気すらあった。年甲斐もなく、揃ってキャラクターの被り物をしてテーマパークをヘトヘトになるまで歩き回った。普段わたしはこの手のテーマパークに自ら進んで遊びに行くタイプではないので(夢の国に行ったのも7年前が最後)、Kと一緒だからこそ楽しめるプランだなーと素直に感じられていた。

 

が、中盤から怪しくなる雲行き……。

少しずつあれ?おかしくね???と思うポイントが増えてくる。

  

Kは常にスマホを片手に、とにかく目の前の景色を記録に残そうとする。自撮り、ムービー、加えてわたしに「このアングルで写真を撮って」とスマホを預け、わたしはKの写真を撮り続ける。まあ、こういう非日常的な所に来ればテンションも上がるよね……としぶしぶ撮影していたが、わたしの撮る写真やムービーに時たまダメ出しが入る。わたしプロカメラマン?あなたモデルさんだっけ……?

わたしのhpはみるみる下がり、内心(はあつかれた… 家に帰りたい…)を連呼したくなるも、遊んでるときに口に出したらいけない言葉No.1じゃん!やめなよ〜!ともう一人の冷静な自分がなだめてくれ、何とか言葉を喉の奥に引っ込めた。

 

二日目もその調子で、とにかくわたしは着物姿のKの写真を撮ることに奔走し、着物返却までのタイムスケジュールを考えながら京都を案内し、(わたしってKを引き立たせるためのアテンドのおばちゃん……?)という気持ちが湧き出てくる。私だって結構可愛いアンティークのお着物着たんですからね。えへん。頭に赤いかんざし刺しちゃってさ。これからあんみつを食べにいく女学生みたいにさ。あんみつは食べられなかったけど、清水で食べたほうじ茶パフェやわらび餅、勇気を出して入った祇園のお蕎麦やさんの親子そばはとても美味しかったなー。美味しい食べ物は世界を救うし間違いない癒し。

  

最終日の朝はゆっくり準備をして、わたしの運転で我が家から1時間くらいの場所へドライブ。Kの好きなベーグルを目指してパン屋を巡ったり、名物スポットを回ったり、晩御飯はKの美味しいお米を食べたいというリクエストで美味しい焼肉を食べに行った。

 

3日間に詰め込んだので慌ただしくはなったが、Kもとても満足して帰っていった。反面、表面上はニコニコしていたわたしだが、内心はずっと真顔だった。これってKを接待するための旅行?こんなにも早く終わらないかなー、と思う旅行は正直初めてだった。

 

対照的な環境とこれまで仲が良かった理由

基本的に、Kには「人の話を聞く」という考えはあまりなく、2人で会ったときに1割でもわたしの話をしたらいい方だった。いままでも、人の話全然聞かないじゃん……とは思いながらも、それでよかった。大人になれば少しは変わるだろうと思っていたのだと思う。ただし今回も、どんなにわたしが話そうとしても、それを遮って自分の話を始めるのだった。せめて人が話を始めたら、最後まで聞くべきじゃないだろうか。話を遮られて嫌な気持ちのしない人などいない。

  

1日目にホテルに泊まった時、ほんの数ヶ月前から出張で都内のビジネスホテルに泊まるようになったというKが「だいたいこの手のホテルは〇〇が付いているよね、エレベーターにカードタッチするなんて当たり前でしょ?」と知ったかぶりしていたのは痛々しかったし、焼肉屋に連れて行ったときに「この前連れて行って貰った1万円くらいする焼肉屋さんにすごい似てる!」と言ってわざわざそのお店を検索しては「見て、このメニューは2万円だったの。」と言われた時も、そんなこと言う必要ある?と思ってしまった。フミコ・フミオ氏風に言えば、非常にキッツー。な局面であった。

 

正直な話、大学時代から全国各地や海外に行って安いゲストハウス・ホステルから5つ星ホテルまで、Kの10倍は色んな所に泊まっているし、会員制で表に看板の出ていない焼肉屋などこの歳になれば連れて行ってもらう機会などあるだろうと思っていたが、そこで張り合うのが馬鹿馬鹿しかった。職場の同僚とならバチバチ張り合いたくなるかもだけど、昔からの親友にそのマウンティング必要かしら?少なくとも、口に出す必要はないんじゃないだろうか。

 

挙げ句の果てに、京都の飲み屋に行けば「シルコのスパークリングワインの量少なくない?私の方が多く注いでくれた!」などと、火に油を注ぐようなことを言われて、ただでさえ酒に強いというのにそれまでの酔いが一気に醒めるのであった。

  

高校を卒業して地元の百貨店で働いている実家住みのK。高校を卒業して都内の大学に進学して就職して今では関西に住む私。高校生になってから一度疎遠になったけれど、18になり、私がもっさい浪人生をしていて、Kが百貨店で働き出した頃の帰り道に再会してから今までこの関係が続いている。正直、いま縁が続いている友人といえば高校時代の友人がデフォルトだった。進学して地元を出たら、中学の友人など過去の同級生でしかない。高校を卒業して地元で働いてる人たちはその中で連むのがお決まり。それでもここまで環境が違うのに仲が続いていたのは、お互いがリスペクトし合うとか、気遣いあうとか、惹かれるものがあったからだったと思う。わたしが基本的にテンションが低めでネガティブ思考なのに対して、Kが超ポジティブ人間でハイテンションなこともバランスが取れていたのかもしれない。

 

Kのように一つの仕事をずっと続けてることも偉いし、簡単にできることではない。でも、この歳に関西に来れてよかった〜と経験値が上がったと言わんばかりに清々しく言っていたのをみて、ポカンとなってしまったし、私から言わせてみれば30手前になって一度も実家を出ていないのはどうなのだろうとすら思えてしまうのだった。わたしも彼女をどこかで見下していたのかもしれない。彼女は自分が最近出世したことを誇りに思っている分、自分の正しさを必要以上に評価しすぎている感じがした。各々が置かれた状況に置いて酸いも甘いも色んな経験をしてきたはずなのに、一貫して自分が正しいと言わんばかりの姿勢がわたしには受け入れられなかった。

 

彼女は同じ売り場で一時期働いていた男の子を引き合いに出して「わたしは昔の彼の方が好きだったな。歳を重ねるごとに変わっちゃたみたい。」という話をしていたが、そっくりそのままわたしはKに対してそう思うのだった。知らない間に、15年という長い付き合いのある親友は強い自己愛と承認欲求の塊になってしまっていた。

  

映画『プラダを着た悪魔』でアン・ハサウェイが演じる主人公のアンディが、彼氏がいるのにも関わらず色男とイチャコラしているのを幼馴染の女友達に見られた際「私の幼馴染はどこに行ったの?あんたはもう昔から知ってるあんたじゃない!」みたいなことをピシャリと言われるシーンがあるんだけど、まさにそのシーンのような気持ちだった。良い服を着て着飾って、良いホテルで表彰されて、良いお店に連れて行って貰ったら、昔のあなたは居なくなってしまったの?周りを見下して自分を上げるような人間になってしまったの?というのが私の正直な感想だった。

 

そして、この数ヶ月モヤモヤした気持ちを抱えていた理由は「長年の親友のことを悪く言うなんて私は最低だ」みたいな気持ちがあったからなんだといま気付いた。親友のことを悪くいう私が嫌なヤツだと思われることが嫌だったのかもしれない。偽善の方がよっぽど嫌なやつだ。

 

関係を続けていく理由が昔からの仲だからっていうことも、もちろんそれも大事なことなんだけど、お互いの環境や心境の変化で人間性って移り行くものなんだと思った。だからお互いに関係性をアップデートしていかないと昔みたいに仲良く、なんて綺麗事みたいなことは言えない。

 

この記事を読んでシルコは冷たい人間だ、人情がない、淡白だと卵白(および卵黄)を投げつけられるかもしれないが、自分の心に嘘をつくのは本当に苦しいことだなと今回のことで改めて思った。諸パイセン方、このような結果になり、アドバイス頂いたのにごめんなさい。私は悲しかったし、何より一緒にいて疲れる存在になっていた。

 

写真:Bhakti KulmalaによるPixabayからの画像

シルコ旅行記 〜讃岐うどんと仏生山温泉編〜

いつもの作風?とは打って変わりますが、今回からは番外編。ガリバー旅行記ならぬシルコ旅行記をお送りして参ります。

 

今回旅を共にするのは友人S。

Sは高校時代からの友人かつ部活の同期で、毎年9月下旬に行われる某音楽フェスに合わせて我が家に遊びにくるのが恒例になっています。前回、私の住んでいるところはほとんど案内し尽くしたし、今回はついでに旅行に行っちゃおうという作戦です。地元から神戸空港へいい感じの便が乗り入れていたので、実家に帰るついでにそこから神戸に飛んでくればいいじゃん!という話から旅の計画は始まります。

 

神戸空港経由で遊びに行きやすい場所・・・瀬戸内

そのまま香川でうどん食べたら最高じゃん?

という安直な考えから目的地を設定したものの、神戸で待ち合わせをするととにかくタイムロスが多い。のんびりしたいけれど、せっかくの貴重な夏休みを1時間足りとも無駄にするわけにはいきません。そのため、まる1週間程度時間を取り、お互いのプランを持ち込み、プレゼン大会を開催しました。電話で所要時間1時間の打ち合わせ。満場一致(2人だけど)で目出度くシルコ案が採用されました。題して、夏休みだョ!高松空港で現地集合!

 

当日

友人Sは東京近郊に住んでいるため、在来線を乗り継いで羽田空港から高松空港へ。一方のわたしは、在来線で神戸舞子駅まで行き、高速バスに乗り換え、さらに高松市内から高松空港へのリムジンバスへと乗り換えます。

 

7時半頃、ようやく舞子駅へ到着。

JR神戸線神戸駅から先に行くのは初めてだったのですが、須磨駅あたりからぱーーーーーっと景色が開けて、綺麗な海が見え、内心は(写真、撮りたい!)という気持ちでいっぱいでしたが、周りのサラリーマンを見ていたらそんなこと私には出来ませんでした。

 

舞子駅から10分弱歩いて行くと、バスターミナルのふもとに到着。地図が結構複雑で、無事にたどり着けるかな……と心配していていましたが、モーマンタイ。随所にわかりやすい案内表示がありました。駅まで着いてしまえばこっちのものなので必要ないと思いますが、心配性な人間にとってはこのまとめが分かりやすい&あると安心です(高速舞子(こうそくまいこ):バス停マップ)。

 

エスカレーターを登った先には、待合スペースが。自販機や綺麗めなお手洗い、ベンチなどが並んでいます。ここ、ビルでいえば10階?くらいの高さにあるので、景色がめちゃめちゃ良いのです。ガラス越しだけどやっと海が撮れた!

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さらに上へと上がると、バスターミナルがあります。

高速舞子バス停から明石海峡大橋は目と鼻の先です。※安全な場所から撮りました

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そして、あまりにもターミナルが混雑していたので行き先は確認できなかったのですが、おそらく淡路島行き?のバスが通勤客でめちゃめちゃ混んでいました。神戸に住んで、淡路島に働きに行くってありなんだなあ。淡路島には今年の2月に初めて行ったのですが、住みたいくらいに素敵な場所でした。むしろ淡路島に住んで、神戸に通勤するっていうのもありなんだろうな。

 

高松行きの高速バスの乗車率は30%程度で、2席を独占する感じで座ることが出来たので、ここでしばらく仮眠を取ります。あっという間に高松市内に到着し、県庁通りバス停で下車。下車したバス停は高松駅方面なので、横断歩道を渡って向かいのバス停で高松空港行きのリムジンバスに乗り換えます。そして、11時前、無事に高松空港へ到着!

 

ちゃちゃっと歯磨きやお化粧直しを済ませ、Sの到着を待つ間にあらかじめ予約していたレンタカーのカウンターで送迎をお願いします。レンタカー屋の強めなお姉さんが次々と呼び出しをしてくれるのですが、私たちと同じ便に乗るはずの方が一向に現れないようでイライラしているのがこちらに伝わってヒヤヒヤ。わたしはすぐさま送迎車にライドオンできる臨戦体制でしたが、到着ロビーの扉の向こうにSが確認できているものの、荷物が一向に出てこない…。お姉さんの圧を感じつつも、結局カウンター前に姿をあらわさなかった同乗予定者のおかげで、なんとかSと合流して送迎車に慌ただしく乗り、旅が始まりました。関東の片田舎で育った私たち、いまでは香川で現地集合するようになったなんて、なんだかちょっぴりしんみりしちゃうなあ。

 

カウンターの強めお姉さんからバトンタッチし、また別の強めお姉さんが颯爽と運転するマイクロバスでレンタカーの営業所に到着。レンタカーに乗り換え、いざ朝うどんへ。

一発目は香川といえばここ、山越えうどん!早めのお昼を食べに来たであろうサラリーマンやバリバリ観光しに来た人など、客層は様々です。

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うどんや天ぷらを購入すると、通路が奥に繋がっていて、棚の上にお出汁などが置いてあります。

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山越えうどんでは、月見(冷)の小とちくわ天を注文(計350円)。あとあと気付いたんですが、山越えの一番のウリは釜玉なんだそうです。山越えうどんに来るのはこれで3度目なのですが、私未だに釜玉を注文していません。だって冷が好きなんだもん……(暑がりだし)。でも、今度こそは釜玉を食べよう!と心に誓います。

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お互いに約4〜5時間の移動を経て、今日初めてのまともな食事ということもあり、ほぼ無言で無心にうどんを啜ります。表面のつるっとした感じと、強いコシのある麺。これぞ口の快楽(あれ?どこかで聞いた事のある台詞)。香川ではないですが、東京の神保町にある丸香といううどんとこの山越えうどんがわたしの中でうどん界のツートップです。

 

朝一のうどんに満足し、20分ほど車を走らせ坂出市へ。山越えうどんとともにどうしても行きたかったお店がこのがもううどん。こちらも地元の方から観光客まで幅広い人で賑わっています。

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山越えうどんと違い、サイズ的にはかなりコンパクトなお店で、サクッとうどんを注文して外のベンチで食べるのががもうスタイル。お店に立ってもう50年!という雰囲気の醸し出されたおかあさんがお会計をしてくれます。香川のうどん屋さんは閉店時間が午後1時や2時など早いところが多く、がもううどんもその一つだったのですが、どうしてもこの一杯が食べたかったので本当に嬉しい!

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うどん小とお揚げさん(計250円)。かけ出汁はあえて少なめで…と言いたいところだけど、適量がわからず、お出汁サーバーから自分でかけた量が少な過ぎた。ちなみに、ネギを載せなかったのもあえてではなく、場所が分からないまま外に出てしまっただけです。

お出汁、もうちょっとかけたほうがよかったかな?とちょっぴり後悔したのもつかの間で、お揚げさんの甘じょっぱいお汁が美味しーーーー!じんわり染みて来るお出汁だけでうどんが食べられるのです。麺はもっちりしてるのに固くなく、でもブツッと切れるわけでもない、同じうどんとは言え山越えうどんとは似ても似つかない、新たな食感に出会いました。

 

この辺りで私たちのうどん欲もようやく収まってきて、ちょっと甘いものが欲しいな〜と思ってきたタイミングでブレイク。同じく坂出市にある、創業200年を超えるところてんの老舗、清水屋さんへ。わたしはきな粉と黒蜜のかかったくずもち風のところてん、友人Sはシンプルなところてんを注文。300円の小皿でも結構ボリューミー。でも、カロリーはほぼゼロなのでありがたくペロッと頂きます。

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ところてんをお店で食べるのは初めての体験。この日は9月下旬といえど、夏のような暑さだったので、涼を取るのにちょうど良かった。すぐお隣に墓地が並んでいるのは行ってみてびっくりでしたが、敷地内に綺麗な池があり、色んな意味で涼しげな場所でした。

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お腹もいっぱいになり満足したところで、仏生山温泉へ。

旅の目的と言えばとにかくその土地の食べ物を食べることに収束してしまいがちなのですが、本日のメインはこれ!と言ってもいいくらいの最高な温泉です。まるで美術館のように洗練されたデザイン。写真を取るのが野暮にすら感じてしまう。

香川に来てここに来ない手はない!というほど、心からおすすめしたいスポットです。

busshozan.com

お湯の温度は熱めなものから低温の炭酸湯まであるので、サーキットのようにぐるぐると浸かるお湯をかえながら、のんびり疲れを癒しながら話すにはカフェよりも丁度いい。話題はもっぱら自分たちの健康の話で、そろそろ検診とかちゃんといかないといけないねーみたいな話ばっかり。あとは脱毛とか高校の同期の話とか……これだけ見るとかなり女子旅っぽい。

 

たっぷりまるまる2時間温泉に浸かり、仏生山温泉を出発し、地元のスーパーでうどん醤油などを購入。高松駅近くの店舗でレンタカーを無事に返却し、今夜のお宿へと向かいます。 

 

本日のお宿はTEN to SEN cocohttps://tentosen.jp)。

TEN to SEN というゲストハウスの姉妹店で、こちらのみ女性専用です(cocoにはスタッフが常にいないため、チェックインは本店までしに行く必要があります)。

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今年オープンしたばかりということで、めちゃめちゃ綺麗でオシャンティーな雰囲気。

6部屋中1部屋はツインルームになっており、私たち2人はそのお部屋に泊まりました。

 

宿について即スーツケースおっ広げ大会が始まったため、ベッド周辺の写真しか撮れていませんが、シンプルで居心地のいい空間。これで1部屋あたり8,000円。

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Booking.com経由で2,000円割引で予約出来たので、1人3,000円です。超安い。ゲストハウスだと通常、5,000円くらい出さないと個室には泊まれないので、かなりお得なのに設備は新しく清潔に保たれていてツルピカ。バスルームや洗面所、トイレなどは共有になりますが、全6部屋ということもあり、かち合うことはほとんどありませんでした。ゲストハウス初心者の方とっても、ハードルが低めでおすすめです。ちなみに、Sはゲストハウスが初めてでしたが、最高じゃん!これで三千円?全然良くない?と感動していたのでよかった。

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ただし、建物の1階が居酒屋さんになっているので、深夜まで人の声が響いていたのだけが難点。でもベットサイドには上質な耳栓があるのでご安心を。

ちなみに、Booking.comで近々宿を予約する方がいたら、このクーポンコード【4E286983】で¥2,000円引きになるのでよければ使ってくださいね(ちゃっかり宣伝)。

 

 

荷物を整理してお酒を飲みに、夜の高松駅周辺へ。

f:id:uminekoblues:20191003220414j:plain宿から高松駅方面へ向かって散策していて特徴的に感じたことは、居酒屋やスナック、ちょっと怪しいお店がごちゃ混ぜに点在していることです。よくある街の構造として、夜のお店ってそれはそれでぎゅっとまとまっていることが多いイメージなのですが、高松駅の近くではひと区画歩けばその辺にちらほらボーイのお兄さんが立っていて、私にとってはちょっと異様な光景でした。

 

高松中央商店街、どうやら総延長は2.7kmと日本最長のアーケードなようです。行き帰りとぐるっと一周する形で商店街を歩きましたが、広い商店街なら寂れている区画があってもおかしくないはずなのにそんなことはなく、全体的に活気のある雰囲気を感じました。8つの商店街からなる高松中央商店街ですが、その中でも丸亀町商店街は平成に入ってから再開発が進めらていて、7街区のうちすでに4街区が事業を完成されているらしいのです。(参考:知っておきたいこれからのアーケード ~高松中央商店街をソト視点で歩く~ | ソトノバ | sotonoba.place

 

私の地元の商店街も一時は寂れてしまいましたが、地場の広告会社が中心となって、広報紙を発行したり、飲み歩きイベントやファーマーズマーケットを開催してめきめきと復活しています。全国各地に多く存在する素敵な商店街も、新たな形で生まれ変わりつつ、後世に存続して行ってくれたらいいなと願っています。

 

この日最後の晩餐は、その商店街の中にある居酒屋さんでご当地料理の骨付鳥やいりこ出汁の効いた香川おでん、香川の郷土料理のしょうゆ豆などをツマミにおビールをたらふく頂きました。

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香川の人は甘じょっぱいものが好きなのかもしれない

 Sとふたりでしっぽりお酒を飲むのも久しぶりだったので、話に花が咲いた夜でした。

(瀬戸内編へと続きます。)

 

写真:著者撮影(Olympus E-M10 Mark IIIを使用)

ちょうどいい誕生日の過ごし方

世の中には大きく分けて二種類の人間がいる。誕生日を盛大に祝って欲しい人間と、そうでない人間だ。

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誕生日、誰しもが一年に一度必ず経験しなければいけないイベント。正確にはイベントと呼ぶほどでもない、ただ “同じ数字が充てがわれた日” が365日後に来るだけだ。

 

中学時代の部活の顧問が「俺は13歳なんだ。4年に一回しか歳をとらないからな。」と言っていたけれど、彼にはちょっと黙っていて欲しい。確かに誕生日自体は来ないかもしれないけど、あんたは確実に歳をとってるのが私には分かるよ。論点がだいぶ逸れるのでこれ以上は考えないことにしよう。

 

 

 

二種類の人間に話を戻すと、わたしは完全に “そうでない” 人間のひとりだ。かといって、誰一人としてわたしの誕生日を思い出すことなくその日が過ぎ去って欲しい…とかいう極端なタイプなわけではない。ただ、なんとなくひっそりと、親しい人の何人かが「あぁそういえば今日って」みたいな軽い感じでおめでとうと言ってくれるくらいが心地が良い。

 

むしろ、律儀に当日にメッセージなど送られると、「facebookの基本情報から調べたのだろうか?」とか変な勘ぐりを入れてしまうから、数日経ったあととかに何となくおめでとうと言われるのが案外嬉しいのかもしれない。有り難いことに、毎年義母からはお祝いメールが届くのだが、それをどうしても重たく感じてしまうのは、この日は絶対にメールを送ろう!という向こうの気持ちにプレッシャーを感じるからなのだろうなと思う。実母に至っては、メールが来るかは年によってまちまちだが、最近は当日にシンプルな一文の短いメールが来る。

 

 

 

この間、テレビに二階堂ふみさんが出ていた。

新しい髪型も相変わらず可愛いな、細い眉毛が似合うな、なんてことを考えていたら、ふみさんはどうやらわたしと誕生日が違いらしく、共演者に「もうすぐ誕生日だけど、どう過ごすの?」と質問されていた。

 

ふみさんは毎年、仲良しのお友達を呼んで誕生日パーティーなるものをやっているらしい。とてもお似合いだし素敵だ。今年もイベントを企画しているらしく、当日の衣装も既に決めているようだ。ピンクのビスチェ。それ以外の情報がないので一体それをどう着こなすのかは不明だが、きっとセンス良く着こなすのだろうなと想像する。イメージ通りに、ふみさんは、紛れもなく前者だった。何よりも本人が盛大に祝われる図が容易に想像できるし、本人がそれを希望しているのだから、オールオッケーである。

 

 

かくいうわたしも、先月の下旬に二十数回目の誕生日を迎えた。着々とアラサーの階段を登ってきている。富士山で言えば、あともう少しで宿に着き、一晩仮眠をして頂上に向かうというところだろうか。ご来光まであともう踏ん張りだ。ただし、誕生日当日は旅の直前ということもあり、荷造りや家の掃除で誕生日を祝っているどころではなかった。

 

 

 

おそらくわたしは、誕生日だけでなく、記念日などのイベントごとに対して、言いようもない苦手意識があるのだろう。誕生日にかこつけて大きな買い物をすることやいつもなら60分コースのタイ古式マッサージを90分コースにすることには何の問題もないのに、“人から何かしてもらう” となるとガラッと話は変わってくる。

 

 

高校生の時、初めてお付き合いした人は記念日にこまめに贈り物をしてくれる人だった。気持ちをくれるのはありがたいが、物を貰う側からすればかなり重たいプレッシャーがあるんだな、とその時感じたのだった。

 

確かに好き同士とはいえ、たった数ヶ月間の関係性の人間にネックレスをあげる気持ちがわたしにはどうしても理解が出来なかった。もっとこう、プレッシャーの感じないものがいい。身につけることはおろか、まともに開封することなく、怖くなってそのネックレスは紙袋ごとコンビニのゴミ箱へ突っ込んできてしまった。ただし、別の機会にその人に貰ったバーバパパのマグカップは可愛いので使うことにした(今でも実家にある)。

 

 

意味合いの強いプレゼントを貰うことと同じくらい苦手なのは、“サプライズ” である。

ご飯を食べに行ったら、突然バースデーソングが流れてきて目の前に花火の刺さったケーキが登場するあのイベント。近くの席の人になんだか申し訳ないし、恥ずかしくてその場を飛び出したくなってしまう。

 

大学時代はこのイベントが頻発する地獄な時期であった。最初は少し嬉しい気もしたが、突然のバースデーソングはわたしには恐怖のBGMに感じられてしまうのだった。「まさか、私じゃないよね。」と思っているうちに、作りもののニコニコした笑顔でわたしのネームの描かれたプレートが運ばれてくるのが見えると、「あぁ、私か。笑顔で喜ばないとな。」という気持ちになってしまう。

 

私の場合、もし誕生日サプライズを敢行されるのであれば、BGMにはゼクシィっぽい雰囲気のある音楽じゃなくて、電気グルーヴのHappy Birthdayを流してもらって、熱燗とホッケの焼き物とかを持ってきてくれたら素直に喜べそうな気がする。

 

こう考えてみると、人の思いをわかりやすい形のあるもの(例えばアクセサリーや名前入りのホールケーキなど)に込められるのがきっと苦手なんだと思う。もっとサラッとフワっとしたものに託してくれたら、受け取る側も気持ちが楽なのにな、と思う。

 

 

 

そんなことを悶々と考えていたら、旅行中に友人のSがスーツケースからラッピングされた無印の大きな紙袋を取り出して「あ、そういえばお誕生日おめでとう。これ、誕生日プレゼント。」と言って渡してくれた。

 

何だかニヤニヤしているな、と感じつつもずっしり重い紙袋を開封してみると、中には想定外のものがぎっしりと詰まっていた。

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無印のカレーシリーズ全種類とナン作りキット。

わたしはこれを見て、なんて最高なんだろうと思った。最適な言葉が見つからない。誕生日だからといって、かしこまった感じもなく、「女友達へのプレゼント_おすすめ」 と検索しても到底出て来ないであろうこのチョイスを友人がしてくれたことに感服してしまった。わざわざこの旅用に新調したという、かなり大きめなスーツケースの場所を1/4くらい取ってしまっていることも可笑しくて愛おしい気持ちになるのだった。

 

 

何事もきっと、自分の身の丈にあっていることが一番ストレスがなく、心地が良いのだと思う。これも一種のサプライズではあったが、意表を突いたプレゼントに感動してしまった。友人Sに感謝の意を表してこの話を締めくくりたい。

 

写真:Free-PhotosによるPixabayからの画像

心がclosed(閉店中)になった話

このところわたしはずっとモヤモヤしている。その原因ははっきりしているのだが、どうにも解決策が見つからずに悶々とする日々が続いている。

 

来月の上旬に、中学時代からの親友Kが遊びに来る予定になっている。せっかく関西に来るので、我が家に遊びに来るだけでなく2人の旅行も兼ねようということで、関西をぐるっと周る計画を立てている。日程が決まったのは7月下旬とか8月の頭くらいで、かなり余裕を持って進んでいるはず……だった。蓋を開けてみれば、現時点で確定しているのは宿だけだ。それもたった1泊分。にも関わらず、宿を取るのに2〜3週間も時間がかかった。

 

わたしが普段旅に出るときは、目的地を決め、ざっくりとした行程とともにエリアを定めつつ、宿を探す。宿が決まれば、エリアと行動時間から換算してその日の旅程をざっくりと立てていく。早ければ2〜3日、長くても一週間あれば大体の予定が決まる。ひとりの旅行は気が楽で本当に良い。

 

一方で今回の旅行は1泊分の宿を決めるだけでも数週間を要している。その原因としては親友がそれほど旅行慣れしていないというのもあるし、土地勘がないというのもある。でも、2〜3週間ってかかりすぎじゃない???!?というのが私の正直な感覚である。旅には決断力が求められているのだ。旅をするとき、数ある候補地のなかから自分のリクエストになるべく近いものを自分の嗅覚で選び取っていく必要がある。

 

その中学からの親友Kと同じく、来週末には高校時代の友人Sが遊びに来る。こちらも同程度のボリュームの旅行を兼ねているが、こちらに関しては1回の打ち合わせ(電話で約1時間)で2泊分の宿、レンタカー、だいたいの当日のルートが決まったのだった。

 

 

この違いはなんだろう〜

 

この違いはなんだろう〜

 

 


春に

 

そもそも、親友という呼び方をわたしはなるべくしたくはない。友人のなかにある序列をわざわざ公にしているみたいでいやなのだ。それなのにKを親友と呼ぶのは、友人と呼ぶには物足りなさすぎるからだ。親友呼びを嫌がるとかの次元じゃなく、Kは親友と呼ぶしかないくらいの存在なのだ。わたしの根底には義理人情の考え方が強くあって、昔からの友人を大切にすることは自分の人生にも繋がっていると思っている(仮に、今世のうちに刺青を入れる機会があるとしたら「義理人情」と彫りたい)。

 

正直、人間関係はばっさり捨てるタイプではある。親しき仲にも礼儀ありというのが体現できない関係は、あっさりとその人の元を立ち去るようにしているので、この5年で疎遠になった関係は結構ある。

 

misoshiruko.hatenablog.com

 

お互いを尊重できない相手と友人を関係を続けることに費やす時間は無駄だと思う。もはや、それは友人関係とは呼べないし。だから正直、Kが親友レベルの人間でなかったら、縁を切るとまではいかなくとも、いまごろ距離を置いていると思うのだが、いかんせんそうもいかない。わたし、どうしたらいいでしょうか?

 

 

親友Kは超ポジティブで、おそらく自己肯定感がかなり強く、LINEでも電話でもとにかく自分の話が先決なのだ。とにかく近況を1から10まで話さないと気が済まない。本心でいえば一文で返したいところだが、LINEでは同じくらいのボリュームで気遣いの言葉、いかに相手を労わる言葉を並べるかがここ最近のルーティンになりつつある。相槌を打つ達人になる修行をしているようだ。「自分の話ばかりする_女」などと検索しては、Kは実は自分に自信がないから自分の話ばかりするのか?はたまたプライドが高すぎるのか?などと考察するのに時間を費やしている。

 

Kは、親友というか、双子の姉(妹)みたいな存在になっているのかもしれない。Kとは家族構成も同じで、父親の性格もそっくりで、お互いの性格もかなり似ているところが多い。その分分かり合えることも多い一方で、実の姉とそばにいれば喧嘩するように、他人だと割り切れるものが割り切れなくなっているのだと、自分では分析している。

 

 

わたしがこのように心の折り合いをつけているなか、先ほど来月の旅行に関する何回目かの打ち合わせの電話をした。わたしは「来週以降は予定が詰まっているし、時期も迫ってきているので、なるべく今回の打ち合わせである程度の予定を組みたい。」とあらかじめ伝えていた。しかし、いざ電話を始めたら、自分の仕事がどれだけ忙しいのかなどという主にKの話をウンウンと聞くことに5割程度の時間を割いた。結局、京都散策のエリアとその際に着物を借りる店舗が確定しただけだった。挙句の果てには、わたしが今回の旅行に関する話をしていたにも関わらず、「次行くときは浴衣で川床行きた〜い!」という一言により遮られ、その話は中断したまま終わった。

 

その瞬間、テラスハウスのエンディングでドアがバタン!と閉まる音が心の奥から聞こえた。

 

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 (親愛なる泉沢さん風にイラストを描いてみました)