明日、遺書を書こうと思う。

ほんの3ヶ月前には、令和2年の年賀状を嫌々ながらも書いていたところだった。当たり前のように毎日が続いていると思っていたのに、蓋を開けてみたら、そこにあったのは想像を絶する日々だった。

 

富士山に登るとき、海外旅行に行くとき、危険な地域に行く際やしばらく家を空けることになるときは、遺書を書くようにしている。正確には遺書とは言えないかもしれない、親しい人に対する手紙だ。

 

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そんなのシリアスに考えすぎだ、大げさだと笑われてもおかしくない。これは自分の中のジンクスなのだ。遺書を書いておけば、死なない。なぜなら遺書を書くと、死が突然身近なものになるからだ。もしも自分が富士山から滑落したら、もしも旅先で破傷風に罹ったら……自分の書いたこの手紙を親しい誰かが開封することになる。その光景を思い浮かべると、不思議と「死ぬ覚悟」ではなく、「生きる覚悟」が生まれるのだ。

 

 

いまテレビやSNSで見る国内のニュースは、フェイクニュースだと思えてしまうほどに馬鹿馬鹿しいものばかりで反吐が出る。これからこの国の行く末を、自分の身近な人々に降りかかってくるであろう災難を想像すると、いっそ早い段階で自分の人生を終わらせてしまおうか。その未来を見たくないという気持ちにさえなっている自分がいる。

 

 

医療従事者である友人のひとりは、勤務先の病院は感染症指定病院ではないそうだが、救命外来にくる呼吸器症状のある患者のトリアージを今週から任されることになっているそうだ。わたしはコテコテの文系だし、医療のことなど全くわからないが、着々と、未曾有の疫病に対応するために、現場の状況が変わっていることはわかる。

 

友人の話とニュースで見聞きする話との乖離があまりにもありすぎて、憤りすら覚える。もしも、その大事な友人に何かがあったら、わたしには正気でいられる自信がない。現場の人間を矢面に立たせて、国民のトップたちは目先の利益のことに目を眩ませ、現実的でない、誰も興味のない話ばかりに力を注いでいる。

 

あと一年後、わたしは生きているだろうか。医療従事者や東京の満員電車で通勤している友人らは、みな生きているだろうか。このブログを大げさだと笑って読み返せているだろうか。未来を想像することがこんなにも怖くて辛いことなんてあるだろうか。未来に希望はあるのだろうか。いまにもめげてしまいそうだ。

 

だからわたしは明日、遺書を書こうと思う。その手紙を誰にも読ませない覚悟をするために。

 

写真:Michal JarmolukによるPixabayからの画像

人間関係の雪解けには日にち薬を

「3年間」に大きな意味合いを感じているのは、わたしだけだろうか。

6年・3年・3年……義務教育が3の倍数で続いていくことから、自然と染み付いたものなのだと思う。3年間で次のステージにあがる、というイメージが強い。「3年は我慢」というのはきっと、昔から染み付いた3の倍数に縛られているというのが大きいのかもしれない。

 

「3年は我慢」には少々の疑問を抱いているが、自分のなかでどうしても避けられない「3年のサイクル」というのは確かにある。平和な年の前には必ず「破壊」の年、しんどさを伴う一年間が来るのだ。これまで築いたものを一旦ぶっ壊す。盛大な解体作業をして、また一から新しいものを構築していくのだ。人生は幸運とトラブルの連続だ。目の前の壁に気づかないふりをして避けてばかりいたら、その分道のりは楽だけれど、きっとその先には進めない。 

 

逃げ出すように去った浅草のマンション

高校時代の友人と暮らしていた浅草のマンションを出てから、今年の春で丸3年が経つ。 

note.com

昨夏、noteにルームメイトと行った隅田川の花火大会の話を書いた。これがおそらくふたりで生活していたときの最後の綺麗な思い出で、それから半年後、わたしは逃げ出すようにルームメイトの元を去って行った。「置いて行った」という表現が一番しっくりくるかもしれない。

 

ルームメイトの周りには、まるでブラックホールのように悲壮感が漂っていて、いまにも負のオーラに吸い込まれてしまいそうだった。わたしはすでに限界だった。限界のなかでも、破壊の年をなんとか乗り越え、ようやく次のスタートを切れる兆しが見え始めていた。そのためには彼女を振り切って、置いていくしかなかったのだ。そのときは、そうするしかなかった。

 

楽しかった日々のことは遥か昔のことにさえ感じられ、自分たちが笑い合っていたことさえも幻のように感じられた。しばらくは、名前も呼びたくなかったし、写真も見たくなかった。いつかはまた話せる日が来るとしても、今はそんなことはどうでもいい。考えたくない。マンションの退去費用の精算も終わった。事務的なラインのやりとりを数往復しただけで、あっけなく終わってしまった。遠く離れた地にきて、もう思い出す必要もなくなってしまった。自分の知らないところで、元気にやっていてくれれば、それでいい。

 

サーモンピンクの訪問着とマシュマロキャッチ

人間関係を修復するためには、いくら押してもダメだ。駆け引きなんぞ、暖簾に腕押しなだけで、ただの労力の無駄でしかないとわたしは思っている。必要なのはきっと、日にち薬だ。

 

「日にち薬」という言葉を関西に来て初めて知った。関東では一度も聞いたことがない。直訳では「時間がお薬」、意訳すると「特効薬はなくて、時間がきっと解決してくれるよ」という意味だ。気持ちの問題、特に人間関係で悩んでいるときに一番効力を発揮してくれるのは、日にち薬だろう。自分たちから働きかけなくとも、自然とそういう機会はやってくる。決して恋愛に限らず、運命とはそういうものだと思う。必要とし合うもの同士は、自然と交差する運命にあるのだと思う。

 

1年前、ルームメイトと再会したのは昨年の初めに行われた共通の友人の結婚式だった。ホテルのロビーで再会したルームメイトは、サーモンピンク色の訪問着に身を包んでいた。色白の肌には柔らかい色が良く似合っていた。休みの日に着物を着て出かけるのが趣味だったルームメイトは、今回も自分で着付けをしてきたそうだ。前に会ったときよりもかなりほっそりしていて、健康的な印象を受けた。

 

再会するきっかけとなった結婚式の主役である新婦は、部活の同期だった。わたしもルームメイトも、結婚式を迎えた友人も、同じ釜の飯を食い、狭い合宿所の六畳間で雑魚寝をし、同じお風呂に浸かり、苦しいトレーニングを乗り越えてきた同期の一員だ。体育会系万歳!とか、そういうことを主張する気はないが、自分の意思で、同じ目的に向かって苦しいことを乗り越えてきた者同士には、離れても見えない絆のようなものが自然と生まれると思っている。

 

披露宴自体は同じ円卓でも、別の同期を挟んで隣だったので、軽く会話をしたり写真を撮ったりするくらいで、最低限のコミュニケーションしかとらなかった。式もお開きになり、ぞろぞろとゲストが会場を出ていく。引き出物の入った大きい紙袋を抱えて歩きながら、「久しぶりだね。元気にしてた?」と声をかけた。会場の入り口には新郎新婦や両家のご両親が並び、ゲストに挨拶をしている。新郎にプチギフトの地ビールを貰い、簡単な会話をしながらも、頭の中は久しぶりにルームメイトと喋ったことでいっぱいだった。とにかく、わたしはものすごく緊張していた。

 

 

2次会に行くため、一旦散り散りになった。部長とマネージャーが2次会の受付を頼まれていたので、ふたりと一緒に、一足お先に会場入りした。頼まれてはいないとはいえ、何もしないで座っているのも気が引けたので、受付の準備を手伝いながら時間を潰した。開場時間になり、続々とゲストがやってくる。新郎新婦は揃って教員、さらに新郎はわたしの中学の先輩ということもあり、教員率の高さや絶妙な知り合い具合が場の雰囲気をぎこちなくさせていた。会も始まり、秀逸な司会進行のおかげで、徐々に会場は盛り上がりを見せていた。

 

わたしは受付の近くの端の席で、遠巻きに会場を眺めながらキティを飲んでいた。内心ハイボールを飲みたい気分でも、こういう機会では一応空気を読むタイプなので、ワインカクテルを選んだ。立食形式のパーティはどうも苦手だ。どうしても、隅でひたすらお酒を飲むのに徹してしまう。部活の同期だけでなく、同級生もちらほらいたので、ビンゴ大会などに参加しつつも、近況報告に花を咲かせていた。数人挟んだ隣にいたルームメイトの様子が気になって視線を移したら、ビンゴそっちのけで、軽食に夢中だった。訪問着を着ているというのに、タコスやポテト、フライドチキンを頬張るルームメイトの姿を見て、思わず笑ってしまった。

 

わたしは美味しいものを美味しそうによく食べる女の子が大好きだ。

そういえば、一緒に暮らしていた頃、天然なルームメイトが鍵を忘れて出勤した日があった。わたしが帰ってきたとき、ふっと気配を感じて後ろを見ると、部屋の前の階段に座り、膝に箱を抱えてピザを食べていたことを思い出してはふふっと思い出し笑いをしてしまう。着物姿で幸せそうにご馳走を頬張る彼女を見たとき、「この子はちゃんと、自分の力であの暗い闇を乗り越えたんだ」ということが直感的に分かった。どんよりとした黒っぽい雰囲気はもうなくなっていた。

 

披露宴会場を出るときとは違って、自然と話しかけることができた。ぎこちなかった会話も、どんどん前のようなテンポを取り戻しつつあった。一緒に住んでいたマンションを引き払ってから2年が経って初めて、あの家を出てからどこに引っ越して、いまどこで働いているのか、どんな生活をしているのか、ということを聞いた。周りを見渡すと、ゲストは皆ほろ酔いで、頰を赤らめており、最初のぎこちない雰囲気とは打って変わって、肩の力を抜いてその場の雰囲気を楽しんでいた。

 

ビンゴ大会が終わり、景品を賭けたチーム対抗戦が始まった。いまはそれほど機敏に動く自信はないが、元スポーツマンだ。勝負事は負けられない。種目はマシュマロキャッチ。投げる人とキャッチする人、2人が必要になる。誰が行く?マシュマロをキャッチする役目は、確実に瞬発力の優れたルームメイトが適役だと思っていた。はて、誰が投げる?きっと息が合っている人がペアになった方がいい。数年間疎遠だったとはいえ、チームの中で一番彼女と関係性が強いのは明らかにわたしだ。気付けば口が勝手に動いていた。「〇〇(ルームメイトの名前)、行くよ!」と言って、前に進み出た。あの頃のように、まだ息が合うのか証明したかったのだ。ルームメイトの口元に照準を合わせて、上空に向けてマシュマロをゆっくりと高めに投げる。綺麗なアーチを描くマシュマロ。わたしのやるべきことはやった。あとはルームメイトのキャッチ力にかかっている……。

 

結果は成功だった。背中を反らせるような体勢で、マシュマロを華麗にキャッチしていた。訪問着姿で、勇ましくガッツポーズをしたルームメイトは輝いて見えた。結局、二回戦では隣チームに連続成功を許してしまい、景品の蟹は逃したが、気持ちは十分、満足だった。

 

南極料理人』と巨大エビフライ

それを最後に、ルームメイトには1年会えていなかったが、年明け、グループラインに嬉しいメッセージが入った。なんと、わたしの家から40分もあれば会いに行ける距離に引っ越して来たという。すぐにメッセージを送り、「引っ越しが落ち着いたら会おうね」と約束をした。

 

2月。今度はわたしの引っ越しが決まった。せっかくすぐ側に引っ越して来たというのに、また逃げるように去ってしまうことになる。まだしばらくは、そのくらいの距離感が必要だということにしよう。新居も決まり、「3月中に会おうよ」とメッセージを送った。家にも案内したい気持ちもあったし、ルームメイトを連れて行きたいお店があったから「せっかくだから遊びにおいで」と誘った。

 

ふたりで暮らしている頃、何度も何度も繰り返し観た映画がある。『南極料理人』だ。

南極料理人

 〜あらすじ〜

海上保安官・西村淳のエッセイが原作。南極観測隊員の料理人として派遣されることになった西村。非日常の環境で、学者、大学院生、医師などの個性的なメンバーが繰り広げるクスッと笑える日常を描くほのぼのコメディ。

Filmarks(https://filmarks.com/movies/32944/spoiler)より

 

わたしもルームメイトも、南極観測隊員たちのわちゃわちゃした雰囲気と個性豊かなメンバーに、高校時代の自分たちを重ねていたのだろうと思う。おにぎりを一心不乱に頬張る姿、待望のラーメンを夢中ですするシーンは、合宿でお腹を空かせた私たちがご飯にありつく景色にとてもよく似ている。たくさんの料理が出てくる中で、ずっとふたりで「食べたいねえ」と話していたのが巨大エビフライだ。作中には、伊勢海老を丸ごと揚げたどデカい海老フライが出てくる。

 

大きな海老フライのあるお店があることは前々から知っていた。お店の前を通り看板を見る度に、いつもルームメイトの顔が浮かんでいたのだった。ご飯屋さんや飲み屋さんでも、そのお店に一緒に行くのにふさわしい人というのはいると思う。巨大海老フライを頬張りに行くのにお伴したい相手は、ルームメイトだった。

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念願の海老フライは残念ながら、伊勢海老ではなかったが、いつかルームメイトと巨大エビフライを食べるという小さな願いが叶った。キャベツが古かったのかちょっと苦くて、ふたりとも綺麗にキャベツのサラダだけ残し、車に戻ってから「あれ、ちょっと苦かったよね。」と言って笑った。

 

その後、お気に入りの浜に連れて行った。初めてこの土地に来たときに、こんなに綺麗な景色があるんだ、と感動した場所だ。3年前は、ルームメイトにまた会うこと、ふたりで楽しくお喋りをして美味しいご飯を食べることは近い将来にはないと思っていた。

 

でもいまわたしは、一時期疎遠になってしまったルームメイトと、この美しい景色を見ながら並んで歩いている。遠くに見える山の雪は解けはじめていた。もうすぐ春が来る。

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写真:著者撮影(Olympus E-M10 Mark IIIを使用)

桃の節句の悲劇

(一部センシティブな内容を含みます。ご注意してお読みください。) 

伯父の死を境に、どうもそんな気分になれずぱったりと辞めてしまったけれど、一時期、お花屋さんに寄って旬の花を買っては、キッチンや洗面台に飾るのにハマっていた。

 

一番好きなお花はマーガレット。決して一輪一輪が大きいわけではないけれど、可憐ながらも存在感があって、自分からエネルギーを発している感じがするから好きだ。カエラちゃんが好きだったのも、理由のひとつとしてもちろんある。時期も限られているため、マーガレットの切り花が売っているのは稀だったけれど、運良く見つけたら喜んで買って帰った。部屋の中にお花があると、ふとした瞬間に視界に入って気分が上がる。それは造花よりも生花の方がはるかにそうだ。水をごくごく吸って、花びらがしゃんとする。生きているエネルギーがひしひしと伝わってくる。 

 

いまではお花のサブスクなんかもあって、月々定額を払っていれば定期的にポストに可愛らしいブーケが届くようになっている。一度登録してみたいなあと一通り調べてはみたものの、家のなかでは小鳥が飛び回っているので、どうしても手は出せそうにない。その代わり、できるだけ生花に見える造花を飾っている。

桃の節句の悲劇

これはわたしがまだお花を飾ることにハマっていた頃の話になるが、花屋さんの店頭には桃の花が並ぶ時期になった。もうすぐ桃の節句、ひな祭りが来る。スーパーの入り口には目立つ場所にひなあられが並んでいる。お正月が終わって、年度末も終わりに差し掛かるこの頃、あと一ヶ月もすれば桜が咲くのだなあと年始の時間の速さを実感する。

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花見のフライングをするように、お花屋さんの桃の花を手に取った。ブーケや一輪挿しよりも、枝を飾るのはより粋に感じられて、心を踊らせながらお会計をしたのを覚えている。桃の花を小脇に抱えていそいそと帰るOL。なんだか絵になると思いませんか。

 

桃の花(枝)は長さがあるので、ハートランドビールの瓶に挿すとちょうどよかった。中身も美味しい上に、外見も花瓶として使えるなんて一石二鳥だ。特に、背の高い花を買ってきたときには重宝していた。最初から、それを狙ってわざわざ瓶ビールを買ってきたところがある。わたしは時として、計算高い女になる。

 

枝の先についているのはまだ蕾ばかりだった。きっと数日経ったら花が咲くはずだ。蕾が花開くのを待ちわびながら、毎日お水を取り替えていた。でも、期待する気持ちとは裏腹に、なかなか花は咲かない。 なんだか様子がおかしいな。嫌な予感は的中した。 

 

 

うにょうにょ

うにょうにょ

 

 

桃の花を生けた花瓶の下の方に何かがうごめいている。いくら待っても蕾が開かなかったのは、きっと「ヤツら」のせいだ。草花に対する知識の乏しかったわたしは、どうせ言っても数匹だろう……と鷹をくくり、ヤツらをチラシを使って外に放すことで一件落着だと思い込んでいたが、それはいたちごっこの始まりだった。

 

明くる日も、そのまた明くる日も、ヤツらの仲間に遭遇する。まだ蕾が咲く様子はない。それでもきっと、せめて一つくらいは花開くだろう。そう願いながら、苦い顔でヤツらをキャッチ&リリースし続けた。 

 

ある朝、わたしは急いでいた。朝シャンして、思いの外時間がかかってしまった。急いで電車に乗らなくては。そんなタイミングにも関わらず、また一味が現れた。玄関前のポーチの縁から放すつもりでいたのに、ドアを開けてすぐの床に落ちてしまった。ああ、でも仕方がない。一刻も早く家を出なくてはならない。ばたばたと支度を終え、いざ鍵を締めて出ようと思った瞬間、再び嫌な予感がした。

 

 

下をみると、ヤツらの一味が息絶えていた。

ああ、やってしまった。鳥肌が止まらない。

きっとバチが当たる。本当にごめん。ごめん……。

 

 

もやもやした気持ちを抱えながら満員電車に乗る。その日は金曜日。一日中予定がぎっしりで、あっという間に時間が過ぎて行った。夕方からは先輩と飲みに行く約束をしていて、その頃は鬱憤が溜まっていたので珍しく先輩とカラオケをオールをする予定だった。朝の出来事など思い出せるほどの暇がなかった。

 

午前3時半、深夜のピークは過ぎた。かといって、始発までまだ1時間ちょっとある。先輩が星野源の『恋』を歌っている。「何度見ても飽きないMVだなあ。衣装のレトロなワンピースが可愛い。」などと思っているうちに眠気が限界になってきた。オールは大学生までで十分だ。慣れないことはしない方がいい。コンタクトが乾いてしんどくなってきたから、とにかく眼鏡をかけよう。前々からオールする予定でいたため、あらかじめ鞄の中にメガネケースを忍ばせていた。

 

さあトイレにコンタクトを外しに行こうと思い、メガネケースに視線を移す。

 

 

ぎゃーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!

 

 

そこには「ヤツら」がいた。颯爽とケースの上を闊歩しているではないか。

まさかの再会に、こんな夜更けと明け方の狭間に大きな悲鳴を上げてしまった。元々キッチンに置いてあった桃の枝は、途中から洗面所に移していた。推測するに、ヤツらは枝を出発して、いつの間にか洗面所に置いてあったメガネケースに忍び込んでいたようだ。家を出て、メトロに乗り、どこぞのカラオケまで辿り着いた。冒険家としてはかなり優秀だ。

 

これがお前のやり方か。あなたとの再会は、わたしの望む運命ではないよ。朝に自分でかけてしまった呪いは確実に効力を発揮していた。始発で家に帰った途端に、桃の花をビニール袋に詰め込んだ。一味の存在を確認することなく、2重にして封をキュッっと縛った。ようやく、この戦いにも終止符が打たれる。

 

それからというもの、三月三日が近く度に桃の花が視界に入っては、この記憶がフラッシュバックしてしまう。薔薇には棘があり、桃の花には「ヤツら」がいる。綺麗な花には罠がある。

 

写真:JACKSON FKによるPixabayからの画像

はてなブログを始めて一年が経った

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はてなからメールが届いた。この前も同じようなメールが来ていたが、「しばらく更新されていませんがブログを書いてはいかがですか?」という、微力ながらも圧力を感じる内容のリマインドだったので、少し心臓に力を入れてからメールを開封した。

 

よかった。今回はおめでたいやつだ。

ブログを開設して丸一年が経った。おめでとう。ありがとう。

こういう粋なメールは嬉しい。

 

正確には、このブログ以前にもはてなブログを書いていたのだけれど、方向性がいまいち見えなくなってしまったのと、可愛がっていた愛鳥が突然亡くなってしまった喪失感が相まって、突然意味のないものに思えて閉じてしまった。リセットしたつもりなので、今年からは2年目。まだまだペーペーだけれど、これまで使ってきたブログサービスの中でおそらく一番相性が良い気がするので、長く続きそうな予感がする。

 

ブログ開設から一年で起きた変化

あまり報告系の内容は書くつもりではないけれど、節目なので今回は例外。

 

このブログ『ぬか漬けは一日にしてならず』を開設してから、何よりもたくさんの人と交流を持てたのが嬉しい。高校生からいままで、幾つかのブログサービスを転々としてきたが、こんなに書き手同士のコミュニケーションが多く持てるのは初めてだったので新鮮だった。はてなスターやブックマークで反応が数値化されるぶん、テンションの振れ幅も大きくはなったが、誰かから反応を貰えるというのは本当に嬉しい事なんだなあと感じる。

 

いつもスターやコメント、ブックマークなどで反応をくださる方、本当にありがとうございます。「昨日もしたし、またコメントするのはしつこいかな」なんて躊躇があったらそのような遠慮は要りません、毎日でもコメントください。本当に、励みになります。

 

自分のペースを保つことについて

毎日更新をされている方、決まった曜日に更新されている方、更新のペースがまちまちな方、など色んなペースで書き綴っているのをお見受けする。ハイペースで更新することには大きなリターンもあるだろうし、その分のリスキーさも感じる。単純にすごいなあと思う一方で、わたしにはきっと続けられない。電車に例えるならば、わたしは各駅停車の鈍行列車だ。強風や信号トラブル、動物の出現であっという間に運転停止してしまう。

 

個人的に、ルールに縛られることに強い不快感を抱く性質があるため、「書きたいときに書いたらええやん」と脳内に寛容な関西人を飼うことにしている。太陽の日差しを浴びながらお酒を飲むような陽気な関西人を。よって、一年間で更新した記事は42記事。一ヶ月換算にすると、たったの3.5記事。思ったよりもかなり少ないゾ……気持ちもう少しハイペースで書いていきたいけれど、「書きたいことがあったときに書く」という自分のペースを乱さず保ちたい。ただこれからは、短くても濃度のあるものを書きたいと思っている。

 

あとは特に強く感じるのが文体の重要性について。

自分のテンションと文体に落差があると、ものすごくストレスになるということがわかった。フランクに喋りたいのに敬語でしゃべらなくちゃいけない場面のようなもどかしさ。本当はそんなテンションじゃないのに無理やりハイを装って書くのは、自分には合っていないのだなあというのを感じた。誰かと対面でコミュニケーションを取るときはめちゃくちゃ明るいが、内面はすんと静まり返っているので、淡々とした文体が一番“しっくり”くる気がした。

 

『ぬか漬けは一日にしてならず 』というアホみたいなブログタイトルは、「続けることに意味がある」と思って名付けた。ローマもぬか漬けも一日では完成しない。もっと深い味わいを目指してぬか床を混ぜ続けるよ。

駄作チョコレートのラストチャンス

 小学生の頃から、お菓子作りには全く興味がなかった。姉は器用に市松模様のアイスボックスクッキーやトリュフ、ブラウニーなど「お菓子作り」と胸を張って言えるようなスイーツをよく作っていたが、一方のわたしはコタツでぬくぬくしながら「よくやるなあ」と思っていた。極度の面倒くさがりである。

 

バターを「溶かす」、生地を「冷やす」、という行程を一つひとつ経るのが、どうもかったるく感じられてしまい、アラサーになった今でもクッキーを焼いたことがない。結構珍しい存在なのではないだろうか。その代わりに、ホットケーキやパウンドケーキみたいに「材料をとにかくボウルに放り込んで、混ぜて、型に流し込み、オーブンにぶち込んだら終わり!」という、シンプルな行程のものならよく作る。あと、ナンとか。これも発酵はほぼなしでフライパンで焼ける、超お手軽レシピに限る。

 

 

それでもたった一度だけ、小学生だったわたしがお菓子作りに挑戦したことがある。

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バレンタインデー。当時、わたしが恋心を抱いていたヒデちゃんに渡すためだ。

 

身の回りの女の子たちのバレンタイン事情は様々で、特に「お母さんの意向」はかなり影響していた。小学生同士のチョコ交換とはいえ、すべての財源をお小遣いから賄うのはかなり無理がある。結果的にお母さんがどれだけ協力的かによって、友チョコにするのか、男の子にもあげるのか、はたまた手作りか、デパートの催事コーナーで良いチョコを買ってくるのか……三者三様なバレンタインデーが繰り広げられていた。

 

チョコレートを貰った男の子側もそうで、お母さん同士の付き合いが深い場合は、自動的にお母さんがお返しを手配する、という構図になっていた。所詮、母親同士の交流じゃん。そういうのを側から見ていたら「親を巻き込むとかめんどくせー。無理無理。」と感じられてしまい、自然とバレンタインからは距離を置いていた。「わたしはそういうの、良いんで。」みたいな雰囲気をなるべく出すようにしていた。

 

 

そんな面倒くさがりなわたしが思い立ってバレンタインに参戦しようと意気込んだのは、それがラストチャンスだと思ったからだ。小学六年生、もういくつ寝ると卒業式。ヒデちゃんを好きになってからはもう丸2年くらい経っていた。元々下の名前で呼び合うほど仲良しでマブダチのような存在だったのに、四年生の時の担任が「異性を下の名前で呼び捨てにするの禁止令」を出してから、なんと呼べばいいか分からなくなって、気軽に話すこともできなくなって、いつの間にか好きになっていた。中学生になってもまだバレンタインデーが来るじゃないか、そう思われるかもしれない。小学三年生の時に新居の完成とともに引っ越し、学区外からバス通学をしていたわたしは、中学校からは最寄りの学校に通うことになっていた。これでもう、お別れなのだ。だから、最後に想いを伝えるべく、苦手なお菓子作りにチャレンジしようと決心した。

 

 

いままでロクにお菓子作りをしたことがない人間にとって、出来ることは「チョコを溶かす」「固める」の二行程しかなかった。姉や母親に相談すればよかったじゃないか。いや、そんなことはできない。「好きな男の子に渡す」という事実はひた隠しにし、あくまでも「友達の女の子に渡す」というスタンスを守り抜きたかった。とにかくわたしは昔から、パーソナルスペースがめちゃくちゃ狭いのだ。誰もプライベートに突っ込んでくれるな。親や兄弟に恋愛相談をするなんて考えられなかった。

 

結果的として、「市販のビスケット2枚で溶かしたチョコを挟む」という、なんの工夫もない駄作が出来上がった。こんなラストチャンスなのに、だ。表面がカラースプレーで装飾されているならまだマシだったが、そんな立派な発想は思い浮かぶはずがないし、そもそもスキルがない。ごまかしを効かせるために、百円ショップで出来るだけ賑やかなラッピングバッグを見つけてきて、なんとか形になった。ふう。

 

 

いざ、ランドセルに忍ばせて学校に駄作チョコレートを持っていく。ヒデちゃんに好意を寄せているというのは周りにもかなりバレバレで、どうやら両想いであることも分かっていた。友達も「わたしがチャンスを作るから!」とかなり協力的だったので計画は万全だった。しかも、本人にも「今日はシルコがヒデちゃんに渡すためのチョコレートを持ってきている」という情報がすでに伝わっていた。やめてよ。

 

 

授業が終わり、本番の放課後がやってきた。ヒデちゃんは、特に用事がないにもかかわらず、わたしからのチョコレート贈呈を待ってくれていた。でも、わたしの方は恥ずかしさがどんどん溢れてきた。どうにも止まらない。止められない。自分が作ってきたチョコレートを好きな人に渡すなんて、それだけで恥ずかしすぎて死にそう。しかも、わたしが作ったのは駄作チョコレートだ。ハート型でもなく、トリュフでもなく、ビスケットにチョコレートを挟んだだけの超駄作。ひねりなし。予選落ち確定。

 

自分のチョコレートが駄作だと思ったら、もう、渡すなんて絶対に考えられない!という気分になってしまった。だから、わたしは、逃げた。とにかく逃げた。放課後には解放された音楽室でかくれんぼをするのが仲の良いメンバーのお決まりだったので、音楽室に逃げ込んだ。そして、ドラムの置いてある防音室で作った駄作チョコレートを食べてしまった。自分で。学校でお菓子を食べるのは禁止だったけど、もしゃもしゃと食べた。ヒデちゃん、ごめん。

 

 

ヒデちゃんは、その時どんな気持ちだったのだろうか。いつの間にか帰ってしまったようだった。「残念そうにしていたかな…」とか無駄に考えを巡らせたりもしたが、そんなこと考える暇があったらもうちょっと気合い入れてチョコレートを作れよ、自分。

 

結局、ヒデちゃんには思いを伝えられぬまま卒業した。「あの時チョコレートを渡していたら」「もっと可愛いチョコレートを作っていたら」、そんなことを考えてももう遅い。中学生になってからもかなり引きずっていて、なかなか好きな人はできなかった。駄作チョコレートが口実でもいい、好きな人にはちゃんと好きって言おう。あと、ヒデちゃん、どうかこのことは記憶の彼方に忘れ去っていて。

 

 

写真:Hans BraxmeierによるPixabayからの画像

そうだ 青春18切符で行こう。

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聞いてもいないのに、良いとか悪いとか、それは合ってるとか間違っているとか、勝手にジャッジしてくる人がいる。何を見てそう思うのか、どうしてあなたが判断するのかさっぱり分からない。審判に強い憧れでもあるのだろうか。限られた情報だけで判断することほど危険なことはない。

 

目的地までの行き方は色々あっていいと思う。東京から京都に行こうと考えた時、電車だけを使うとしても方法はいくつかある。まずは在来線で東京駅や品川駅に向かい、京都行きの新幹線に乗り換える方法。これが一番早く着くだろう。でもそれは、速さを重視している人にとってふさわしい方法であって、お金はないけれど時間はたっぷりある大学生にとっては得策とは言えない。

 

人間には身長・体重・財力・趣味嗜好・食べ物の好き嫌い……いろんな違いがあって当然なのだから、生きていくペースだって人それぞれでいいはずだ。新幹線みたいに目的地までの最速ルートを取りたい人、快速列車をうまく活用しながら時間とお金を程よく節約したい人、時間は持て余すほどあるから青春18切符で出来る限り安く済ませたい人。ご飯は食べたい時に食べれば良いし、食べたくないなら食べなくたって良いし、トイレだって好きなタイミングでいけばいい。

 

全員がスピードを重視して新幹線に乗って目的地に向かう必要なんてない。寄り道したって、終電を逃して野宿したって、なんだっていいのだ。浜松で途中下車してさわやかのハンバーグを食べよう。名古屋で降りて味仙のにんにくチャーハンを食べても良い。そうだ、青春18切符で行こう。

 

写真:HYUNGNAM PARKによるPixabayからの画像

弾丸金沢旅 〜流動的なサードプレイス〜

 金沢旅行記の続きを書きました。前半はこちらから。

misoshiruko.hatenablog.com

* 

 

茶店の窓から射す西日がかなり強くなってきた。日没まであと1時間くらいだろう。

本を読みきったタイミングで店を出る。

 

500円でバスの1日周遊きっぷを買ったけれど、結局まだ1度しか乗っていない。

1回200円だから本当はあと2回は乗りたいところだけど、「1駅分乗るのもなんだかなあ」と思って結局百万石通りのFIRST CABINまで裏道を歩きながら戻る。この日分かったのは、案外金沢はコンパクトにまとまってるということだ。

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宿に預けていたキャリーケースをピックアップし、本日の宿に向かうために金沢駅行きのバスに乗り込む。車内は帰宅時の高校生で混み合っていた。高校生達に紛れてぞろぞろとバスを降り、歩いて宿まで向かった。徒歩3分くらい。

 

1階が居酒屋になっている雑居ビルの3階。エレベーターはないので、階段を登る。荷物の重さ次第では、他の宿をおすすめしたい。

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お洒落な書体でBlue Hourと書かれた脇には青い瓶が並ぶ

わたしは青いものがすきで、服や靴など身の回りのものに青いものを選びがちだ。Blueという文字の並びもなんだか控えめで冷静な感じがして意味もなくすきで、この宿は名前で決めたところが大きい。

 

フロントでチェックインを済ませる。共有スペースが広くすっきりしている。みんなでわいわいというよりも、「個々の好きなように過ごす」ように造られている感じも惹かれたポイントのひとつ。Wi-fiに繋いで作業をするにもぴったり。

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初めは「何故この雑居ビルに?」と思ったけれど、次の景色を見て納得。

なんと、目の前に金沢駅のあの有名な門が見えるじゃありませんか。

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客室。前日のFIRST CABINと比べてしまうと、窮屈さは否めない。でもこれで一泊2,200円なのだから全然あり。今改めて金額を見返して、自分でもびっくりしている。

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ところどころ手作り感が満載で、コストを抑えた部分とそうでない部分が明白だったのが面白かった。ハンガーの部分はもう、重力に負けてしまっているみたい。

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水回りは余計なものがなくて良い感じ。

設備は悪くないけど、お掃除が行き届いていない感じがあったのは少し残念だった。

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この日は一日中歩いて疲れたから、大きなお風呂に入りたい気分だった。調べてみたら金沢駅前のアパホテルに大浴場があるらしい。クーポンを見つけたので、夕飯を済ませたらゆっくりお風呂に浸かって風呂上がりにビールでも飲んでぐっすり寝ようという最高の算段を立てる。3時間で800円、宿代と合わせても3,000円。いいじゃんいいじゃん。かなり出来過ぎた計画だ。夕飯の目星もついたところで、一旦1時間仮眠を取る。押入れの中のような窮屈感がたまらなく最高だ。

 

 

昼寝のあと、軽く身嗜みを整えて、お目当てのおでん屋さん大西茶屋へと向かう。かなり人気なお店らしいので、夕方の開店後にカウンターにサクッと座ってサクッと飲んで、退店したいところではある。すでに座敷はサラリーマンでいっぱいだ。予約席ばかりだったが、かろうじてカウンター席が空いていた。他のお店はリサーチしていなかったので運が良い。サッポロビールが置いてあるお店は結構珍しいので嬉しい。f:id:uminekoblues:20200124175313j:plain
店員のお姉さんに今日のお刺身で一番美味しいものは何かを尋ねていたら、お隣のダンディなおじさんに声をかけられた。話を聞けば、(全国的にみれば)ご近所さんらしいことがわかって意気投合。寝具関係の営業マンだというおじさんには、いままで転勤してきた土地での話を聞いたり、お互いの家族の話をしたりした。県民性の話題になり、私の出身県の特徴を尋ねたら「嫌いな食べ物がパッと出てこない」だと言っていた。なんだそれ。確かに、考えてみたら嫌いな食べ物はあまりないけどさ。

 

遺伝子的にお酒が強い体質でよかった。サッポロの大瓶2本に地酒を6合熱燗で、仲良く飲んだ。普段人に相談をすることはあまりないけれど、旅先で出会った人や居酒屋で隣り合わせた人には気楽になんでも話せてしまうから不思議だ。サードプレイスが大事だとかいつかの記事で言っていたけれど、メンバーが決まりきったコミュニティは退屈で飽きてしまうので、旅先での、この場限りの関係が自分にとってはちょうど良いのかもしれない。

「旅の恥はかき捨て」とはよく言うけれど、潔さがあってすきな言葉だなあと思う。たとえ相手にどう思われようが、どうせ旅の最中の出来事だからどうってことない。人生の長い旅も、そのくらい軽やかに生きていけたら楽なんだろうな。実際はそうもいかないけれど。「父親とは2人で飲みに行けるほどの仲ではない」と話したら、おじさんはおじさんで「娘はお酒に強くないから一緒に飲めない」と言っていて、擬似親子を演じている気分だった。いい意味で、“行きずりの関係”だった。

 

おでん屋を後にし、隣で飲んでいたサラリーマンも道連れに香林坊のカラオケバーに移る。カラオケに来るのは久しぶりだった。たぶん、2年くらい前に高円寺駅前のカラ館に行ったのが最後だ。十八番の『木綿のハンカチチーフ』や、Spotifyのプレイリストからよく聴いている曲を歌った。近くのお姉さんが岡本靖幸を入れていたので嬉しくなって、『だいすき』を歌ったら改めて歌詞の天才さに心臓を撃ち抜かれた。尾崎紀世彦の『また逢う日まで』はかなりウケが良かったのでまた歌おう。近くの飲み屋のママさんらしき人が素敵なハスキーボイスであいみょんを歌っていたのもなんか良かった。そういえば、わたしは最近の曲を全然歌えないな。マスターに経営の話を聞いたのも楽しかった。「金沢に来たら絶対にまた来ます」と固い握手をして店を後にして、すぐお隣にあった老舗のお蕎麦屋さんで締めのざる蕎麦を食べた。金沢駅で、へべれけのダンディおじさんは「またすぐどこかで会うでしょう」と言い、わたしは「そんな気がします。またどこかで会いましょう」と言って、ここでも握手をしてさよならした。

 

あんなに最高な計画を立てたのに、結局、大浴場に行くどころじゃなかった。でも、色んな人に会ってお酒を飲んで歌って楽しい夜だった。どうせ自分の昼寝したシーツだ。メイクだけ落として、そのまま泥のように眠った。

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翌朝、二日酔いで視界がちょっと揺れる。なんだかんだで、やっぱりこのベットはぐっすり寝れた。快適さでいえば圧倒的に1泊目の宿だけれど、熟睡さはこの空間には勝てない。ここに胸高らかに宣言しよう、わたしは純血の庶民である。 

 

 

1軒目の後にお水を一杯飲んでおいたのが効いていて、体調は比較的良好。シャワーを浴びてチェックアウトぎりぎりに荷物を預け、宿を出る。ああ、胃に優しいものが飲みたい。美味しいものに吸い寄せられるように近江町市場に辿り着いた。

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最近で一番良く撮れた気がする一枚

近江町市場の八百屋さんは大根やかぶの種類が豊富な気がする。これだけぎっしり積まれた食材も、夕方にはすっからかんになっているからすごい。以前は気にならなかった気がするが、撮影NGのマークがぶら下がっているお魚屋さんが多かった。 お茶屋さんで、適する温度も淹れ方も全く違う2種類の加賀棒茶を味見させて貰った。美味しい。茎っぽいのが多くて、色が薄い方を買って帰った。語彙力よ。

 

少し場内をふらふらしたあと、「味噌汁、味噌汁が飲みたい。」ともりもり寿しへ。

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金沢に来たら個人的にのどぐろはマストで食べたい。でも“良いお店”に入るほどの予算はない、という時にもりもり寿しはもってこいだ。旅先でチェーン店は邪道かもしれないが、もりもり寿しだけは話が別だ。かなり行列していたけれど15分くらいで入れた。

 

のどぐろ、炙りのどぐろ、白子、がす海老、えんがわ……

本当はカニ汁が食べたかったのに、ケチって海老汁にしてしまったのは後悔している。

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食後の一杯を求め、東出珈琲店へ。ここがこの旅一番の目的地である。

 

カウンターのど真ん中は特等席だった。

棚には瓶に入れられた豆たちが行儀よく並んでおり、一杯ずつ丁寧に段取りよく淹れられたコーヒーがドリッパーからゆっくりと抽出されていくのを眺める。

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後から隣に座ったおじさんに「カメラマンさん?」と声をかけられた。注文を待つ間、おじさんとぽつりぽつり会話をするけれど、昨日のダンディとは違って間の取り方が独特だ。今カメラは趣味でやっているだけだけれど、祖父と伯父が亡くなって撮る人がいなくなったこともあり、なんとなくわたしの番だと感じているところはある。「血筋みたいなものですかね」と話したら、「ああ、血ってあるよね」と急におじさんのテンションが上がったのを感じた。名古屋から蟹を食べに来たというおじさんは車好きらしく、大量のコレクションを見せてくれた。外車ばかりだったので、たぶん只者ではない。そのせいか、お孫さんも車が大好きなんだそうだ。ひとつ飛んで三代目は祖父母の背中を追いかけるものなのかもしれない。


初めて来たお店では大人しくその店一番のおすすめを食べると決めている。

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東出ブレンドと自家製プリン。カップとソーサーの雰囲気は予想していたのと違い、古風でお上品な感じだ。金の縁が美しい。プリンのカラメルはビターで甘すぎず、甘いものが苦手な人間には丁度いい。プリンは人気であっという間に売り切れてしまうらしいのでワタシは最高ツイている、と思った(これは小林聡美さんの著書のタイトルですが)。後からテーブル席に座った人の順番では売り切れてしまっていた。

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窓のガラスの色と照明がどことなくレトロで可愛い

やっぱり、最高にとてもいいお店だった。金沢でコーヒーが飲みたくなったら是非。

 

今日も今日とて食べてばかりだ。

本をもう一冊持ってくるんだった、と思いながら東茶屋街まで散歩をした。

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裏道を縫うように歩く。メンテナンスと思しき人が消雪パイプ(というらしい)の点検をしていて、至るところで水たまりができていた。

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金箔ソフトとか、あんみつとか、そそられるものばかりある。日が暮れて肌寒くなって来て、お茶屋さんへと自然に足が向かっていた。今度はテイクアウトで、本日二回目の加賀棒茶を頂いた。外のベンチで一服していたら、着物を着た大学生くらいのカップルがやって来て、同じようにテイクアウトのお茶をベンチで飲んでいた。「あーっ!」と突然叫んだので様子を伺ったら。買ったばかりのお茶を丸ごと倒してしまったらしい。残念そうな男の子と隣で笑っている女の子の雰囲気がよくて、写真を撮らせてもらった。

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1.5日の金沢旅ももうすぐおしまいだ。

ほとんどの商店がすっかり仕舞い支度済ませた近江町市場で、唯一まだ灯の付いていた八百屋さんでちぢみほうれん草と芽キャベツを買った。横断歩道を渡ったところにある黒門小路で、北陸唯一の蒸留所で作られているというウイスキーウイスキー漬けの梅をお土産に買った。

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希少価値が高いらしく、クラフトハイボールは一本でも結構なお値段で、手が出せたのがこの辺だった。妥協案、みたいな書き方をしてしまったけれど、これがめちゃくちゃに美味しい。梅酒とウイスキーがお好きな方、全力でおすすめします。むしろ一緒に飲みましょう。

 

三郎丸蒸留所、施設見学もやっていて試飲などもできるらしい。最高じゃん。

次の旅の候補が富山に決まりつつある中で、この旅行記を締めたい。

 

 

写真:著者撮影(Olympus E-M10 Mark IIIを使用)

www.wakatsuru.co.jp

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