みんなで10連休取る必要もないし、みんなで笑顔でいる必要なんてない。

今年の5月1日、皇太子様が天皇に即位されるにあたって、今年限りゴールデンウィークが10連休になる。土日休みの人にとっては正直ありがた迷惑なことだと思う。高速道路は渋滞し、航空券は値上がり、家族旅行ともなれば宿泊料はさらに馬鹿にならない。誰もが全員が一斉に休む必要があるのか?と感じているはずだし、それが非効率的であることは間違いない。

 

ヨーロッパ(特にフランス)の人は1年間頑張って働いて、約1ヶ月の長期休暇をとってバカンスを楽しむらしい。それが「人が生きていくのに大切なこと」という認識が存在しているからこそ成り立つことだし、誰もがバカンスを享受するために交代で休むからこそ可能になっている。それに比べて、一斉にゴールデンウィークに誰もが10連休をとるなんてどれだけ効率の悪いことだろう。

 

 

日本人特有の気質のようなものかもしれないのだけれど「みんなで一緒に」と集団を意識しすぎているような気がしてならない。

 

私が違和感を感じるのは、送別の時や誰かの結婚・出産のタイミングで色紙を送ったり、一定のお金を集めて贈り物をするという行為。学校や職場、どんな集団に属していても、だいたいそのイベントはどこからともなく発生して、暗黙の了解のように従わなければいけない。でも一体、それによって心から喜んでいる人ってどれだけいるんだろうか?もらう側は素直に喜ぶ人もいるだろうし、こんなもの貰ってもと困る人もいるだろう。でも、あげる側の本心の第一位は、「だるい」だと思う。

 

だるいと思ってはいても、それに賛同しないという選択肢は、ほぼない。賛同しない=非国民のような扱いを受けてしまうから。いじめみたいなもんだよなこれ。これが誰しも平等に行われているのかと思ったら、案外発案者の好き嫌いでやる・やらないが変わってしまうところが納得いかない。

 

 

「みんな」の意識は幸せや不幸の強要にまで発展していく。人生など、浮き沈みがあって当然のものだと思う。それに、「〇〇だから幸せ」なんて方程式は99%ない。お金持ちだから幸せな訳ではないし、結婚したから幸せでもない、両親がいたって不幸な子供だっている。

 

これだけの人間がいれば、幸せの絶頂を感じる人間と人生のどん底を同じ瞬間に経験する人間が同じ集団の中にいたって何ら不思議なことではない。けれど、仕事や家庭がしんどいときに周りが幸せだと許せない人がいて、どんなに辛いことがあってそんな気分になれない人にも結婚したてのハッピーオーラを共有しようとしてくる人がいる。

 

 

他人のことなど、理解できるはずがないとわたしは思っている。

何かを議論するとき、一口に同じ事柄だと言っても、文脈や背景を知らないでは議論の余地がない。人が他人の事情に軽々しく口を出す権利などないと思う。みんなで贈り物をプレゼントするという行為も、したい人としたくない人の感情の凸凹を丸め込んで、同じ感情にまとめようとするから気持ちが悪いんだと思う。

 

 

無期限活動休止中のN’夙川BOYSのメンバーである、リンダdadaさんとマーヤLOVEさんが発足したユニット リンダ&マーヤの『人生はLo-Fiだ』の一曲を贈りたい。


リンダ & マーヤ LIVE 5『人生はLo-Fiだ』Rinda&Marya

 

みんなで笑顔でいる必要なんてないのさ、その一言が最高だ。幸せな人は笑ってれば良いし、悲しい人は泣いてたっていいと思う。