生きづらさを感じるすべての人に観て欲しいドラマ『すいか』の話

私が感じる生きづらさの中で、特に原因のひとつと思われることは、たった一ヶ月のなかでも自分の人格がころころ変わっていくことにある。主にその人格は大きく二つに分けられていて、端的に表せば「自信に満ち溢れた自分」と「自分をゴミクズだと思う自分」というのが妥当だと思う。ホルモンバランスが大きく関係していることは自分でも自覚しているけれど、なかなかコントロールするのは難しい。

 

かといって、“二重人格”とは違う気がする。思うに、二重人格とは常に両者が共存できる状態にあると感じていて、これはあくまでもわたしのイメージの話なのだが、わたしの場合は月の満ち欠けのように、満月のように光に照らされた自分がいる一方で、徐々に三日月から新月へ月が陰っていくように、一定のリズムで人格が移り変わっていく...という感じだろうか。*1

 

ワタシは最高にツイている

このブログのなかでは憂鬱な記事が多いため、わたしは常にブルーな人間に見られているかもしれない。自分を客観視することを常に意識しているつもりではあっても、どれだけ意識したところで主観でしかないから、他人の目からどのように見えているのかは気になるところではある。わたしは画面の向こうのあなたの目に、どんな人間に映っているのだろう?

 

特に好調なときは、自分のことが好きだと自信を持って言える。小林聡美さんのエッセイのように「ワタシは最高にツイている」」と思っている。こんなに人に恵まれて、面白いネタが有り余るほどにある人生はなかなかない。もはや、「私は天才だ」とすら思えることだってある。この時期は何をするにも上手くいく傾向が強い。良い波がきたらほぼ確実に乗りこなせる。

 

一方、もう一人の陰の自分が出てくる頃には、自信に満ちた自分はどこかへ行ってしまう。存在意義がわからない。本当は色んなことができるはずなのに、自分は何も出来ない、無能で価値がなく、ゴミクズのような誰にも必要とされない存在だと思い込んでは泣きたくなる。

 

そういうときは、「みんな居ていいんです。」という浅丘ルリ子の台詞を思い出すことにしている。生きていくのに大切なことの3割くらいを、この作品に教えてもらった。大げさかもしれないけれど、本当にそうだ。わたしも過去に死にたいと思いながら生きながらえていた人間で、だからこそ、そういう境目にいる人を救いたいと思っている。それがわたしの使命のひとつだと、本能的に感じている。

 

この作品に出会ってから、わたしの生きづらさは幾分マシになった。だから、生きづらさを感じている人には是非一度この作品に触れることを心からおすすめしたい。私は偏った人間で、人に何かを勧める行為は相手からの相当な尊敬と信頼がないと出来ないと思っているので、安易に人に何かを勧める人が苦手だ。よほどの要求がない限り安易に人に何かを勧めることはしたくない。わたし自身、人に何かを勧められるほど出来た人間ではないが、これだけは心から生きづらさを感じている人みんなに見て欲しい。

 

すいか

突然、ふとどこからともなくすいかの香りがしてくる時がある。あの独特なウリ科の匂いでさえ私にとっては愛おしい。『大好き!五つ子』で、のんちゃんが半分にすっぱり割ったすいかをお玉ですくって食べるのに憧れた。これと言った結婚願望はなかったものの、「夏になったら毎日嫌という程すいかをお腹いっぱい食べられるかも。」という安直な理由から、すいか農家の人とだったら結婚してもいいかな〜と考えていたこともあった。上から目線にもほどがあるが、そのくらい果物のすいかが昔から好物だった。

 

中学に入りたての頃、大塚愛の『さくらんぼ』がとにかく流行っていた。カラオケの履歴には必ずと言っていいほど入っていたし、お店の有線でもTVからも、どこに行っても自然と耳に入ってくる。同級生に好きなタイプを聞くとだいたい「大塚愛」と返ってきたし、私の好きだった男の子もそのうちの一人だった。その大塚愛のデビューシングル『桃ノ花ビラ』が主題歌に使われたのが、ドラマの『すいか』だった。

 

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生きているといろんな人に出会う。感心したり、呆れたり、嫌な思いをしたり、あるときは感動を覚えたりもする。人情なんて捨てたもんじゃないと思うときもあれば、すれ違う人すべてが鬱陶しく感じられてしまう日もある。

このドラマにも、いろんなタイプの人間が出てくる。職業でいえば、大学生、就職浪人、エロ漫画家、信用金庫のOL、大学教授、スナックのママ、専業主婦、広告マン・・・etc。「職業に貴賎はない」ということを示すために、これだけの人が意図的に登場してくるのかもしれない。

 

 

主人公は小林聡美演じる早川基子、34歳。実家暮らしの信用金庫に務めるOLで、基子の同僚であるキョンキョン演じる馬場ちゃんが3億円を横領して逃亡することから物語が始まる。

 

正直このキャストの中でキョンキョンって浮いてない?というのが、観る前の感想だった。鑑賞後、馬場ちゃん役は「小泉今日子」だからこそ務まるのだと思った。何事も卒なくサラッとこなして、いつの間にか会社の金を3億円も横領して、警察に捕まることなく逃亡生活を続けていく馬場ちゃん。絶望と希望の人。

 

基子さんと馬場ちゃん、ベタベタに仲良しというわけではなく、一定の距離感を保ちつつ、でもお互いの本質を理解しているところが理想的な友人関係だなーとわたしは思う。逃亡中に手紙に添えて送られてくる顔はめパネルの写真は本当に最高なので、注目して欲しい。

 

死者と生きる人たち

生きてるってなんだろう、と 何歳になっても考える。わたしはこの数年間で相次いで叔父を二人も突然亡くした。愛する文鳥もそうだ。身近なひとが亡くなることは、自分の生かされている意味をより深く考えるきっかけになる。

 

どの死もあまりにも唐突だった。叔父に至ってはふたりとも、「まだまだ人生これから」という年齢だった。だから私はなおさら、生きていることが馬鹿馬鹿しくなってしまった。必死に毎日時間と労力を犠牲にして、ようやくゆったりした日々を送ろうという矢先に死ぬなんてあまりにも残酷すぎる。同時に、先のことばかり考えるよりも、いまのことを一番大切に生きるべきだと思った。

 

『すいか』のなかでも、死んだ人が帰ってきたり、向こうの世界から迎えにきたりする。

 生きることにそれほど大した意味は本当はないのかもしれない。というか、なくても良いのかもしれない。ただ、自分の意思に反する生き方をすることだけは、わたしは違うと思う。不満や不甲斐なさは生きていればつきものだけど、それを少しでも減らして自分の信念に従った生き方をするべきだと思うのだ。人生は誰かのためのものでなく、自分のものなのだ。

 

わたしが感情移入してしまうのは、一番は主人公の基子さんだけれど、ある部分ではともさかりえが演じている絆さんにも共感する部分が多い。絆さんは、由緒あるお家の生まれにして、自分の夢を叶えるためにエロ漫画家になった。実家を逃げるように出て、シェアハウス「ハピネス三茶」で家賃を滞納しながら漫画を書き続けている。

 

絆さんが基子さんを救うために、ずっと帰っていなかった実家に忍び込むシーンがあって、たまたま帰ってきた父親の後ろ姿をこっそり眺める姿がどうしても自分に重なってしまう。(わたしの場合は、上手く忍び込んだつもりが予定を早めて父親が突然帰ってきて、修羅場になったことがあった。)

 

いろんな人がいて、その分いろんな親や家族がいて、中には人を自分の持ちもののように扱う親もいる。たとえそれが独占欲からくるものだろうが、愛情からくるものだろうが、人に示された人生を生きていくことほど馬鹿馬鹿しくて意味のない生き方はない。

 

独立記念日」 

自分と条件が似ている人と自分を比べてしまいたくなる。同級生が成功して超有名人になったとか、あの人は自分よりもずっと稼いでいるとか、結婚して子供も生まれてあんなに立派なマイホームを手に入れたとか。基子さんがいうように人は数字にこだわりすぎている気がする。そんなのくだらない。

 

「負け組」とか「勝ち組」とか、人生を勝ち負けで決める必要はない。

どれだけお金がなくても、日の目を浴びなくても、その人がその人らしい生き方をすることが大事なのだと思う。わたしは正直、目に見えるものや数字にこだわっていた人間だったけれど、『すいか』を見てからそう思えるようになった。

 

わたし自身、10代の半ばからおよそ10年間、ずっと生きづらさを抱えながら生きてきた。それは単純に自分の意思を無視して、誰かの言うように生きるしかないと絶望して、それに従うしかないのだと思っていたからだった。いまになってやっと、自分らしく生きられていると感じられるのは、自分の意思を尊重するために戦ったからだと思う。自分のために独立戦争をして「独立記念日」を手に入れたからだ。

 

 

生きるのがしんどくなったら、ビールでも第3のビールでもストロングゼロでもいいから、とにかく好きなおつまみやスナック菓子をたくさん並べて、このドラマを見て欲しい。もしかしたら、これからの生き方が変わるかもしれないし、全然変わらないかもしれない。でも、とにかくここで伝えたかったのは、みんな居ていい。

 

ワタシは最高にツイている (幻冬舎文庫)

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*1:新月が陽で満月が陰なのか、厳密なことはわからないのでその点には深く触れないでおく。