夫婦別姓を求める声が前よりもずっと強くなってきた気がする。
わたしももちろん賛成だし、そもそも反対する理由が見当たらない。別姓にしなくてもいいし、苗字を変えたくない人はそのままでもいい。女性にとっても男性にとっても自分の苗字への選択肢がもっと増えればいいなと思っている。
実際のところ、自分が役所に入籍の手続きを済ませた後、苗字の変更に伴う手続きをこなすにはかなりの時間がかかった。警察署やカード会社、郵便局、奨学金......etc。思い出せばキリがない。書類を整えたり、実際にどこかに赴いたり、場合によっては手数料が必要だったり、手間もお金も存分にかかる。
ここまで読むと、夫婦別姓大賛成!どうして結婚したら夫の苗字に変えなきゃいけないんだ!おかしいだろう!!!というのが結論に思えるが、わたしの場合はちょっと違う。
よくある苗字に埋もれたい
不覚にも相川七瀬の夢見る少女じゃいられないのような語呂になった。
わたしの旧姓は客観的に見てもかなり珍しい苗字だと言える。
苗字ランキングなるものに検索をかけてみると、18,000位台だし、日本全国に同じ苗字の人は300人もいないらしい。自分の出身県にどのくらいいるのか見てみると、たったの10人だ。その半数ってほぼわたしの血縁じゃん?という結果。生まれてこのかた、いとこや親戚以外に同じ苗字の人と出会った経験が全くない。
漢字も複雑で、テストを受ける度に「この苗字を漢字で書く時間もったいないわ〜」と小学生の頃からずっと思っていた。引越しを機に見知らぬ土地の中学校に入学したときは、名前の呼び方が全くわからないという理由でなかなか声をかけてもらえなかった。高校生からのあだ名は、必然的に“苗字の呼び捨て”になった(キャラ的に下の名前呼びやちゃん付けが似合わないという声も一部あり)。
嫌という程、もはや嫌を通り越して、読み方を間違われることや漢字を間違われることは日常茶飯事だった。おいおいちゃんとしてくれよと思ってしまうが、役所の人にさえ名前を間違えられることもあった。ただ一つ良かったのは、一つ一つを変換しなければ出てこないわたしの苗字を間違えずにメールや手紙で書いてくれる人は信用できるというバロメーターを得たことだ。これは余談だが、名前を覚えるのはコミュニケーションの第一歩である。その部分から間違うような人とはまともな信頼関係など築けるはずがないと思っているので、人の名前を間違えることには人一倍敏感かもしれない。
名前を打てば一発で個人情報が特定される
苗字だけでなく、さらにわたしを悩ませるのは、下の名前も変わっているということだ。親世代くらいの年代であったら、また少し違ったかもしれない。今は違う。読み方だけでいえばその辺にもごろごろいるような名前でも、どこから取ってきたんだという漢字を当てられたがために、フルネームを漢字で検索窓に打ち込めば一発で自分の個人情報がザーッと出てくる。
わたしがもし、研究者であったり、芸能人や著名人であったりするならば、旧姓を名乗ることで〇〇さんといえばあの人!というメリットもあったかもしれないが、残念ながらそういうこともない。
特にわたしが嫌なのは、学生時代の部活の記録が出てくることだ。しかも、その競技をまだ始めたての、記録がかなり悪いやつだ。ヒットするならせめて自己ベストを表示させて欲しい。
かといって、別にわたしは自分の旧姓が大嫌いだったという訳でもなく、苗字=あだ名=自分の代名詞だった訳で、人間の名前というよりはキャラクターとして確立している部分があった。20代になり、いずれ結婚をするようなことがあれば、その愛称ともおさらばなのか…と複雑な気持ちでいた。
超メジャーな苗字を名乗れる快適さ
そんなことを考えていたら、ひょんなことから結婚することになった。
夫は日本国内でもトップ争いをするような超メジャーな苗字だ。元からの知り合いにも3人はいる。会社や飲食店の名称の一部として使われているのも見かける。誤解を生みかねないので強調したいのだが、人間性に惹かれたのが結婚した一番の理由である。ただ、私にとっては棚から牡丹餅、その辺の体育館に収まりきるくらいの人数しかいない苗字から、いきなり苗字の大手に参入することができたのだ。
これもある意味人生で得たネタのひとつだと思って、しめしめと思ったのが正直なところである。案の定、結婚してすぐに同級生と集まって飲んだ場では、わたしの新しい苗字が普通すぎてウケるという話題でその場がドッと沸いた。色んな意味でありがとう夫よ。
夫婦別姓が認められるべき権利だというのはもっともなことだけれど、キラキラネームのように自分の本名に囚われてずっと生きていかねばならない辛さのようなものも存在している。過去といまは繋がってはいるけれど、名前が変わって、わたしに関しては新しい自分として新たな人生が始められたような気がしている。ただ長いものに巻かれるのは好きではないけれど、苗字に関してはマジョリティに埋もれるのも悪くはないかなと思う。
写真:Csaba NagyによるPixabayからの画像