大伯母のパスポートと失くした学生証

高2の新学期、毎年例のごとく行われる地獄の自己紹介タイムがあった。ひとりひとり壇上に登って、担任から指定された項目について話さなければならない。自己紹介に盛り込むべき内容のひとつは「将来の夢」だった。自分の将来の夢を、ほとんど顔も名前も知らない新しいクラスメイトに宣言することが一体何になるのだ、とひねくれた私は思いながらも「将来の夢は自由に生きることです」とだけ言った。あれから10年以上経つけれど、未だに自由に生きるとは何なのだろうと考える。たったひとつ最近わかったことは、自由に生きることに孤独は付き物だということだけだった。

 

大伯母のパスポート

今年の盆は地元に帰省しなかった。高校の同級生が何人か「今年は帰ってこないの?」と連絡をくれて、帰りたい気持ちも山々だったけれど、なんとなく気乗りしない気持ちが勝ってしまった。それでも、お盆に近づくと亡くなった祖父や伯父なんかのことをぼーっと思い出していた。ふと、伯父の遺品を整理していたときの光景を思い出した。積み重なった遺品の上に乗った一冊のパスポートだった。それは伯父のものではなくて、祖父の姉、つまり大伯母のものだった。

 

わたしは伯父の部屋のなかでも、日記や手紙などのまとめられた、特にプライベートな部分をたまたま担当していた。なかには、当時気になっている女の子に対する気持ちが綴られている、姪としては少々気恥ずかしい内容のものや、海上自衛隊を辞めるきっかけになったであろう手術をしたことが書いてある日記もあった。手術のことは母も知らなかったらしく、「船酔いするようになったから」という理由で海自を退職したと説明していたようだが、いま考えてみるとジョークのような理由だなと思う。

 

近くの段ボールにはごっそりとエッチなVHSが入っており、一緒に整理をしていた両親に申告するのがはばかられた。霊は性に関するものには弱いとどこかで聞いたことがあるので、仮にこれを書いている途中で伯父の霊が画面を覗き込んでいたら、目を塞いでくれることを願いたい。両親に報告したところで、「こんなにたくさんあるんだから売りに行けばいいじゃない」と母に向けて大真面目に言っている父親を見て、コイツはなんてふざけた野郎なんだろうか、と呆れてしまった。

 

書類の間に埋もれていた封筒には、証明写真の余りが何枚も入っていた。まだ20代くらいであろう、わたしが見たことのない伯父の若い頃の面影が残るものもあった。わたしは母の目を盗んで、その数枚をエプロンのポケットに入れた。それと同じように、わたしが大学生の時に亡くなった大伯母のパスポートを、伯父も大事にとっていたのだった。そのパスポートもポケットに忍ばせようかと思ったが、残された祖母の家には、伯父だけでなく、祖父や大伯母の遺品が捨てられずに残っており、母が遺品整理にあくせくしていたのこともあって憚られた。

 

そのことを急にふと思い出し、もしかすると母が保管しているかもしれない……と、気がついたら連絡していた。普段は半日〜2日してから返信があるのに、数分後に「おばあちゃんが保管しているかもしれないから、探してみるね。」と返信が来ていた。

 

翌日、残念ながらなかったとの返事があり、続けて「ドイツ人のボーイフレンドの写真もありませんでした。」という一文があった。大伯母は女優ならないかとスカウトされるほどの容貌でいて生涯独身を貫いており謎が深い人だったが、ドイツ人の彼氏がいたことになんだか納得してしまった。一体二人は何語で会話していたのだろうか。なおさら、大伯母のパスポートにどんな国のスタンプが押されているのか気になってしまうのだった。

 

どんな人生を歩んだとしても、後世に残るのは親族の脳裏に残るかすかな記憶とたった数枚の写真だけなのかと思ったら、改めて人生の儚さを感じるのだった。数百年を経ても肖像画や写真の残る偉人のすごさを感じるとともに、写りの悪い写真やコンプレックスのある特徴を誇張されて描かれた肖像画に、納得のいっていない偉人もいるのだろう。仮に、後世にたった一枚の写真が残るとするならば、自分史上一番写真写りのいいものであって欲しい。そういえば、私が大学生のときに失くした学生証はどこへ行ったのだろうか。

 

失くした学生証

f:id:uminekoblues:20190828013242j:plain

私の学生証はひどいものだった。書類提出の締め切りギリギリに、受験票に使った証明写真の余りのうち、指定されたサイズに一番近いものを無理くり端を削ぎ落として小さくしたものだったからだ。証明写真というものは「3ヶ月以内に撮影したものを貼ってください」とかいう割りには、2枚や3枚平気で残ってしまうものだ。だからこそ、わたしの手元には若かりし伯父の証明写真があるのだけれど。

 

オリエンテーション時、わたしに学生証を配布した職員は、わたしの顔が枠内にパンパンに入っている顔写真を見て明らかに動揺していたように思う。その後も枠パンパンに私の顔が写った学生証を、ことあるごとに見ず知らずの店員や職員に見せなければいけなかった。その度に、きちんと服を選び、メイクをして写真をとるべきだったと過去を顧みるのだった。証明写真を提出するときのわたしは「たかが学生証だ」と思っていた。しかし、免許を取る前の大学生にとって一番自分の証明になるものはダントツで学生証だった。

 

ある日、同級生から突然連絡が来た。

「今夜、U先生と新宿西口で飲むんだけど来ない?」U先生とは、高校2年生だったときに私たちのクラスを担当していた教育実習生だった。東京の私立中学で養護教諭として働いていることはfacebookを通じて知っていた。たまたまわたしはその頃新宿ミロードでバイトをしていたので、終わったら行くよと途中参加する旨の返信をした。U先生は特にわたしを目にかけてくれていて、実習の最終日には先生が高校生のときに付けていた鉢巻をお守りがわりにくれた。あなたを見ていると当時の私を思い出す、とまで言われていた。男子ウケのいい先生で、その日も集まったのはわたし以外全員男子だった。

 

お酒の強かったわたしは、調子に乗って男勢と一緒に冷酒をぐびぐびと飲んだ。バイト終わりから参加したため、飲み始めて数時間でその飲み会を離れるのが名残惜しくて、終電を見送ってしまった。24時間営業のマックで始発までオールすればいいと思っていたからだ。これはライブ後に電車を乗り過ごしがちな姉の常套手段だった。新宿なら始発も早い。始発に乗って帰るくらいどうってことない、と思っていたが、解散時に同級生から「それはやめなよ」と諭され、急遽U先生の家に泊めてもらうことになった。仕方なくだったはずだが、先生は嫌な顔ひとつせずに連れて帰ってくれたのだった。

 

たぶん、小田急線に乗ったのだろうと思う。どの駅で降りたかはあまり覚えていない。

ただ、改札で同級生に手を振って、パスケースを改札にタッチして、先生の家の最寄り駅までついたことは覚えていた。駅に到着し、改札を出ようとしたら、カバンに入れたはずの定期がない。たいていは酔っ払って焦っているだけで、カバンの奥底に入っている……というのがオチなのに、その時はどこを探してもなかった。まずい、と思い先生に伝えると、べろべろの私に代わって駅員に事情を話してくれ、なんとか改札を出ることができた。

 

到着した先生の部屋は、女性らしい可愛いお部屋だった。それでも、東京で私立校の先生にまでなったのに、この規模の家にしか住めないのか……と少しショックを受けた記憶もある。ベッドを使っていいよと言ってくれたけれど、申し訳ないと何度もお断りして、カーペットの上で寝させてもらった。せっかく久しぶりに再会したと思ったら、こんな形になってしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

翌朝、先生にお礼を言って朝日の眩しい電車に揺られながら自宅に帰り、一眠りしてから先生にお礼と謝罪のメッセージを送った。その日は二日酔いのまま、もう一つのバイト先である東京駅に行った。バイトの休憩時間は電車や警察の落し物センターに問い合わせるうちになくなっていく。定期だけならまだ良かったが、パスケースには学生証も入っていたのだ。わたしの顔が枠パンパンに写っている、あの学生証だ。

 

前にも一度、新宿の東口で友人と〆のラーメンを食べて、友人と肩を組んで上機嫌で歩いているうちにパスケースを失くしていたことがあったが、山手線の落し物センターに問い合わせたらすぐに見つかったのだった。「簡単に見つかるだろう」と高を括っていたら、結局何日経っても見つからなかった。

 

定期券は再発行することでなんとか事なきを得たが、あの学生証の行方が気になって仕方がない。道端の人目につくところに立てかけてあったらどうしよう。想像するだけで恥ずかしくて死にたくなった。通り過ぎる人がその学生証を見て笑うことだろう。まだわたしが大学生のときだったからマシだったものの、いまだったらTwitterに面白画像として投稿されている可能性だってある。手元に戻ってくる見込みも少なく、学生証なしで過ごすのも不安ではあったので仕方なく再発行することにした。

 

学生証の再発行には、手続きにかかる手数料を支払わなければいけないのも厄介だった。まあでも、これであの学生証とはおさらばだ。写りの良い証明写真を持って教務課に向かった。職員に事情を説明すると、すぐに出来ると言われて安心した。ただし、新しい証明写真は必要ないという。イヤな予感がする。どうやら名簿に登録されている写真を使わなければいけないという決まりがあるらしかった。出来立てホヤホヤのまだあたたかさの残る学生証には、枠いっぱいに写ったわたしの顔があった。

 

写真:Wilfried PohnkeによるPixabayからの画像