ちょうどいい誕生日の過ごし方

世の中には大きく分けて二種類の人間がいる。誕生日を盛大に祝って欲しい人間と、そうでない人間だ。

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誕生日、誰しもが一年に一度必ず経験しなければいけないイベント。正確にはイベントと呼ぶほどでもない、ただ “同じ数字が充てがわれた日” が365日後に来るだけだ。

 

中学時代の部活の顧問が「俺は13歳なんだ。4年に一回しか歳をとらないからな。」と言っていたけれど、彼にはちょっと黙っていて欲しい。確かに誕生日自体は来ないかもしれないけど、あんたは確実に歳をとってるのが私には分かるよ。論点がだいぶ逸れるのでこれ以上は考えないことにしよう。

 

 

 

二種類の人間に話を戻すと、わたしは完全に “そうでない” 人間のひとりだ。かといって、誰一人としてわたしの誕生日を思い出すことなくその日が過ぎ去って欲しい…とかいう極端なタイプなわけではない。ただ、なんとなくひっそりと、親しい人の何人かが「あぁそういえば今日って」みたいな軽い感じでおめでとうと言ってくれるくらいが心地が良い。

 

むしろ、律儀に当日にメッセージなど送られると、「facebookの基本情報から調べたのだろうか?」とか変な勘ぐりを入れてしまうから、数日経ったあととかに何となくおめでとうと言われるのが案外嬉しいのかもしれない。有り難いことに、毎年義母からはお祝いメールが届くのだが、それをどうしても重たく感じてしまうのは、この日は絶対にメールを送ろう!という向こうの気持ちにプレッシャーを感じるからなのだろうなと思う。実母に至っては、メールが来るかは年によってまちまちだが、最近は当日にシンプルな一文の短いメールが来る。

 

 

 

この間、テレビに二階堂ふみさんが出ていた。

新しい髪型も相変わらず可愛いな、細い眉毛が似合うな、なんてことを考えていたら、ふみさんはどうやらわたしと誕生日が違いらしく、共演者に「もうすぐ誕生日だけど、どう過ごすの?」と質問されていた。

 

ふみさんは毎年、仲良しのお友達を呼んで誕生日パーティーなるものをやっているらしい。とてもお似合いだし素敵だ。今年もイベントを企画しているらしく、当日の衣装も既に決めているようだ。ピンクのビスチェ。それ以外の情報がないので一体それをどう着こなすのかは不明だが、きっとセンス良く着こなすのだろうなと想像する。イメージ通りに、ふみさんは、紛れもなく前者だった。何よりも本人が盛大に祝われる図が容易に想像できるし、本人がそれを希望しているのだから、オールオッケーである。

 

 

かくいうわたしも、先月の下旬に二十数回目の誕生日を迎えた。着々とアラサーの階段を登ってきている。富士山で言えば、あともう少しで宿に着き、一晩仮眠をして頂上に向かうというところだろうか。ご来光まであともう踏ん張りだ。ただし、誕生日当日は旅の直前ということもあり、荷造りや家の掃除で誕生日を祝っているどころではなかった。

 

 

 

おそらくわたしは、誕生日だけでなく、記念日などのイベントごとに対して、言いようもない苦手意識があるのだろう。誕生日にかこつけて大きな買い物をすることやいつもなら60分コースのタイ古式マッサージを90分コースにすることには何の問題もないのに、“人から何かしてもらう” となるとガラッと話は変わってくる。

 

 

高校生の時、初めてお付き合いした人は記念日にこまめに贈り物をしてくれる人だった。気持ちをくれるのはありがたいが、物を貰う側からすればかなり重たいプレッシャーがあるんだな、とその時感じたのだった。

 

確かに好き同士とはいえ、たった数ヶ月間の関係性の人間にネックレスをあげる気持ちがわたしにはどうしても理解が出来なかった。もっとこう、プレッシャーの感じないものがいい。身につけることはおろか、まともに開封することなく、怖くなってそのネックレスは紙袋ごとコンビニのゴミ箱へ突っ込んできてしまった。ただし、別の機会にその人に貰ったバーバパパのマグカップは可愛いので使うことにした(今でも実家にある)。

 

 

意味合いの強いプレゼントを貰うことと同じくらい苦手なのは、“サプライズ” である。

ご飯を食べに行ったら、突然バースデーソングが流れてきて目の前に花火の刺さったケーキが登場するあのイベント。近くの席の人になんだか申し訳ないし、恥ずかしくてその場を飛び出したくなってしまう。

 

大学時代はこのイベントが頻発する地獄な時期であった。最初は少し嬉しい気もしたが、突然のバースデーソングはわたしには恐怖のBGMに感じられてしまうのだった。「まさか、私じゃないよね。」と思っているうちに、作りもののニコニコした笑顔でわたしのネームの描かれたプレートが運ばれてくるのが見えると、「あぁ、私か。笑顔で喜ばないとな。」という気持ちになってしまう。

 

私の場合、もし誕生日サプライズを敢行されるのであれば、BGMにはゼクシィっぽい雰囲気のある音楽じゃなくて、電気グルーヴのHappy Birthdayを流してもらって、熱燗とホッケの焼き物とかを持ってきてくれたら素直に喜べそうな気がする。

 

こう考えてみると、人の思いをわかりやすい形のあるもの(例えばアクセサリーや名前入りのホールケーキなど)に込められるのがきっと苦手なんだと思う。もっとサラッとフワっとしたものに託してくれたら、受け取る側も気持ちが楽なのにな、と思う。

 

 

 

そんなことを悶々と考えていたら、旅行中に友人のSがスーツケースからラッピングされた無印の大きな紙袋を取り出して「あ、そういえばお誕生日おめでとう。これ、誕生日プレゼント。」と言って渡してくれた。

 

何だかニヤニヤしているな、と感じつつもずっしり重い紙袋を開封してみると、中には想定外のものがぎっしりと詰まっていた。

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無印のカレーシリーズ全種類とナン作りキット。

わたしはこれを見て、なんて最高なんだろうと思った。最適な言葉が見つからない。誕生日だからといって、かしこまった感じもなく、「女友達へのプレゼント_おすすめ」 と検索しても到底出て来ないであろうこのチョイスを友人がしてくれたことに感服してしまった。わざわざこの旅用に新調したという、かなり大きめなスーツケースの場所を1/4くらい取ってしまっていることも可笑しくて愛おしい気持ちになるのだった。

 

 

何事もきっと、自分の身の丈にあっていることが一番ストレスがなく、心地が良いのだと思う。これも一種のサプライズではあったが、意表を突いたプレゼントに感動してしまった。友人Sに感謝の意を表してこの話を締めくくりたい。

 

写真:Free-PhotosによるPixabayからの画像