桃の節句の悲劇

(一部センシティブな内容を含みます。ご注意してお読みください。) 

伯父の死を境に、どうもそんな気分になれずぱったりと辞めてしまったけれど、一時期、お花屋さんに寄って旬の花を買っては、キッチンや洗面台に飾るのにハマっていた。

 

一番好きなお花はマーガレット。決して一輪一輪が大きいわけではないけれど、可憐ながらも存在感があって、自分からエネルギーを発している感じがするから好きだ。カエラちゃんが好きだったのも、理由のひとつとしてもちろんある。時期も限られているため、マーガレットの切り花が売っているのは稀だったけれど、運良く見つけたら喜んで買って帰った。部屋の中にお花があると、ふとした瞬間に視界に入って気分が上がる。それは造花よりも生花の方がはるかにそうだ。水をごくごく吸って、花びらがしゃんとする。生きているエネルギーがひしひしと伝わってくる。 

 

いまではお花のサブスクなんかもあって、月々定額を払っていれば定期的にポストに可愛らしいブーケが届くようになっている。一度登録してみたいなあと一通り調べてはみたものの、家のなかでは小鳥が飛び回っているので、どうしても手は出せそうにない。その代わり、できるだけ生花に見える造花を飾っている。

桃の節句の悲劇

これはわたしがまだお花を飾ることにハマっていた頃の話になるが、花屋さんの店頭には桃の花が並ぶ時期になった。もうすぐ桃の節句、ひな祭りが来る。スーパーの入り口には目立つ場所にひなあられが並んでいる。お正月が終わって、年度末も終わりに差し掛かるこの頃、あと一ヶ月もすれば桜が咲くのだなあと年始の時間の速さを実感する。

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花見のフライングをするように、お花屋さんの桃の花を手に取った。ブーケや一輪挿しよりも、枝を飾るのはより粋に感じられて、心を踊らせながらお会計をしたのを覚えている。桃の花を小脇に抱えていそいそと帰るOL。なんだか絵になると思いませんか。

 

桃の花(枝)は長さがあるので、ハートランドビールの瓶に挿すとちょうどよかった。中身も美味しい上に、外見も花瓶として使えるなんて一石二鳥だ。特に、背の高い花を買ってきたときには重宝していた。最初から、それを狙ってわざわざ瓶ビールを買ってきたところがある。わたしは時として、計算高い女になる。

 

枝の先についているのはまだ蕾ばかりだった。きっと数日経ったら花が咲くはずだ。蕾が花開くのを待ちわびながら、毎日お水を取り替えていた。でも、期待する気持ちとは裏腹に、なかなか花は咲かない。 なんだか様子がおかしいな。嫌な予感は的中した。 

 

 

うにょうにょ

うにょうにょ

 

 

桃の花を生けた花瓶の下の方に何かがうごめいている。いくら待っても蕾が開かなかったのは、きっと「ヤツら」のせいだ。草花に対する知識の乏しかったわたしは、どうせ言っても数匹だろう……と鷹をくくり、ヤツらをチラシを使って外に放すことで一件落着だと思い込んでいたが、それはいたちごっこの始まりだった。

 

明くる日も、そのまた明くる日も、ヤツらの仲間に遭遇する。まだ蕾が咲く様子はない。それでもきっと、せめて一つくらいは花開くだろう。そう願いながら、苦い顔でヤツらをキャッチ&リリースし続けた。 

 

ある朝、わたしは急いでいた。朝シャンして、思いの外時間がかかってしまった。急いで電車に乗らなくては。そんなタイミングにも関わらず、また一味が現れた。玄関前のポーチの縁から放すつもりでいたのに、ドアを開けてすぐの床に落ちてしまった。ああ、でも仕方がない。一刻も早く家を出なくてはならない。ばたばたと支度を終え、いざ鍵を締めて出ようと思った瞬間、再び嫌な予感がした。

 

 

下をみると、ヤツらの一味が息絶えていた。

ああ、やってしまった。鳥肌が止まらない。

きっとバチが当たる。本当にごめん。ごめん……。

 

 

もやもやした気持ちを抱えながら満員電車に乗る。その日は金曜日。一日中予定がぎっしりで、あっという間に時間が過ぎて行った。夕方からは先輩と飲みに行く約束をしていて、その頃は鬱憤が溜まっていたので珍しく先輩とカラオケをオールをする予定だった。朝の出来事など思い出せるほどの暇がなかった。

 

午前3時半、深夜のピークは過ぎた。かといって、始発までまだ1時間ちょっとある。先輩が星野源の『恋』を歌っている。「何度見ても飽きないMVだなあ。衣装のレトロなワンピースが可愛い。」などと思っているうちに眠気が限界になってきた。オールは大学生までで十分だ。慣れないことはしない方がいい。コンタクトが乾いてしんどくなってきたから、とにかく眼鏡をかけよう。前々からオールする予定でいたため、あらかじめ鞄の中にメガネケースを忍ばせていた。

 

さあトイレにコンタクトを外しに行こうと思い、メガネケースに視線を移す。

 

 

ぎゃーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!

 

 

そこには「ヤツら」がいた。颯爽とケースの上を闊歩しているではないか。

まさかの再会に、こんな夜更けと明け方の狭間に大きな悲鳴を上げてしまった。元々キッチンに置いてあった桃の枝は、途中から洗面所に移していた。推測するに、ヤツらは枝を出発して、いつの間にか洗面所に置いてあったメガネケースに忍び込んでいたようだ。家を出て、メトロに乗り、どこぞのカラオケまで辿り着いた。冒険家としてはかなり優秀だ。

 

これがお前のやり方か。あなたとの再会は、わたしの望む運命ではないよ。朝に自分でかけてしまった呪いは確実に効力を発揮していた。始発で家に帰った途端に、桃の花をビニール袋に詰め込んだ。一味の存在を確認することなく、2重にして封をキュッっと縛った。ようやく、この戦いにも終止符が打たれる。

 

それからというもの、三月三日が近く度に桃の花が視界に入っては、この記憶がフラッシュバックしてしまう。薔薇には棘があり、桃の花には「ヤツら」がいる。綺麗な花には罠がある。

 

写真:JACKSON FKによるPixabayからの画像