ファイブミニ

ファイブミニ。それは憧れの飲み物だった。

子供の頃、家の近所にふたつの百貨店が道路を挟んで向かう合うように建っていた。

片方は百貨店といっても庶民的な雰囲気で、1階にはマクドナルドが入っていた(県内初店舗らしい)。家から一番近く、母と食料品を買いに行くのはもっぱらこちらだった。マクドナルドには幼稚園の帰りにお友達や母らとハッピーセットをよく食べに行ったし、小学校の友達が持っていたポーダブルのCDプレーヤーから初めてイヤホンを通して音楽を聴いたのはここだった。8月初旬に行われる夏祭りでは、正面入り口前の敷地に特設コーナーが設けられ、駄菓子やキラキラ光るライトなど、子供たち向けのおもちゃが売られていた。毎年わたしはここでココアシガレットを買ってもらい、タバコを吸う姿を真似して食べた。

 

向かい側にあったもうひとつの百貨店は、THE デパートという雰囲気が強く、子供ながらにも敷居が少し高く感じられた。同時に、買い物に行く頻度は低かった。地下の食品街には暖色の照明が使われていて薄暗く、いつも通っていた百貨店の、蛍光灯の眩しい食品街よりも特別なものに感じられた。駐車場の関係で裏の入り口から入ることが多かったが、地上と地下街とをつなぐ階段を下っていくと、地下街の自動ドアの手前に小さなくぼみがあって、自動販売機が2台か3台並んでいた。買い物に疲れたら飲み物を飲んで小休憩できるスペースだ。夜道の電話ボックスのように、薄暗いところにある自動販売機の光は自然と目を引きつける力があった。

 

その自販機には普段から馴染みのある飲み物の他に、ファイブミニJAVA TEAというふたつの珍しい飲み物が売られていた。あの不思議な飲み物を飲んでみたい……薄暗い階段を下る度にわたしの視線は自動販売機の1点に釘付けになった。しかし、百貨店とはいえ飲み物は食品コーナーにも売っているし、親におねだりしたとしても自動販売機の飲み物をわざわざ買って貰うことは難しかった。わたしにとってはたかが百円ちょっとの飲み物が、ショーウィンドウに並べられた艶のあるヒールの靴のように、簡単には手の届かない、憧れの存在だった。

 

JAVA TEAは、決して頻繁ではなかったが飲む機会はちらほらあった。記憶がおぼろげだが、スーパーで買うよりも、小学校のスポーツ大会や地域の集まりのような場所で配られることが多かったような気がする。自販機に並んでいたのはペットボトルだったが、缶の方が飲んだ記憶が多いように思う。JAVA TEAは確かにいつも飲んでいるお茶と比べて、香りが強く感じられたし、赤茶色とクリーム色のシンプルなパッケージは洗練された雰囲気を感じさせた。でも単にお茶と言ってしまえばお茶だった。

 

じゃあ一体、JAVA TEAのペットボトルに比べても極端に細長い瓶に入っている液体は一体なんなんだ…?オレンジジュースにしては色がかなり薄いし、ヤクルトの1.5本分くらいしか入っていない。それなのにどうしてこんなに高いんだろう?より一層ファイブミニへの興味は増した。

 

初めて飲んだときの感動は特別なものがあった(ねだりにねだって買って貰ったのだと思う)。しゅわしゅわした微炭酸とほんのり薫る甘い香り。細い飲み口からさらさらっと喉に流れ込む。一度封をぱかっと開けてしまったら一気に飲み切らないといけないのもなんだかかっこいい!と思った。

 

わたしが中学生になる少し前のことだったと思う。マクドナルドがあった百貨店は、百貨店事業から撤退することになり、更地になった。その跡地には、向かい側に建っていたTHE デパートな百貨店が新築移転してリニューアルオープンすることになり(いまでは県外から視察が来るほどの立派な百貨店になった)、わたしが唯一ファイブミニに出会える場所はなくなってしまった。

 

思い出す機会が減ったことで、ファイブミニに対する憧れの気持ちは段々と薄れていった。高校生なって自由に使えるお金が増えても、コンビニで買うのはお腹がたぷたぷになるリプトンの紙パックや部活用のスポーツドリンクだったし、自販機で買うものといえばセブンティーンアイスかさらっとしぼったオレンジの二強だった。大学生になると居酒屋やカフェに足を運ぶようになり、飲み物の選択肢が急激に増えて、いっそうファイブミニからは遠のいた。

 

社会人になって毎月一定額のお金を貰うようになると、忙しさや金銭的な余裕もあいまって薬局やコンビニで昼食や飲み物を買う機会が自動的に増える。学生時代に感じたことのない身体的な疲労を感じると、レジの近くに売っている栄養ドリンクがやたらと視界に入るようになった。そして、憧れだった念願のファイブミニを、安易に手に取るようになった。あの時自販機のアクリル板越しにあったファイブミニには、もう遮るものがなくなっていた。その頃には内容成分が何か、どうしてこの内容量にしてこの値段がするのか、疑問は解消されていた。

 

20代も半ばを超えてくると、何でもかんでも考えずに物を買っていた頃と比べて、何にどのくらいのお金を使うのか考えるようになった。結婚して食品の消費ペースが2倍になると、コスパを考えて長期保存ができるもの、特に飲料は箱買いがメインになった。いま毎月必ず定期購入している飲料はカインズの12種のブレンド茶とコカコーラの160ml缶の二種類だ。カインズのお茶は美味しい&安い上にノンカフェインなのが嬉しい。小さい缶のコーラはアルコールは摂りたくないけど瞬間的に喉越しの爽快感を得てスカッとしたい時に重宝している。

 

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自慢ではないがわたしは高校生の頃から腸内環境があまりよろしくない。足も手も、人間ホッカイロと呼んでいいくらいいつだってぽかぽかなのに、何故だかお腹だけは冷えやすい。おかげ様でギリギリ10代のうちに滑り込み痔デビューを果たし、もうすでに10年選手のセミプロだ。父方のじいちゃんも母方のじいちゃんももうこの世にはいないが、わたしのそばには痔ちゃんがいる。

 

先日、トイレに行くと鮮やかな血が水面を染めた。ひさしぶりに来たか。痔ちゃんはコンスタントに顔を出すよりは、およそ3年に1度、親戚の集まりくらいの頻度で顔を出す。いままでとは違い、全く痛みがないのに違和感を感じて消化器内科を受診した。触診をした段階で「心配しなくて大丈夫ですよ。ただの痔です」とにこやかに医師は言った。以前ポリープを切除したことがあったので、医師の勧めで一応内視鏡検査もすることになった。大腸は綺麗なピンク色でつるっつる。ポリープがその後新たにできた様子はなく、やはり正真正銘の痔だった。検査が終わってからは、前よりも一層、食物繊維を意識して取るようになった。快便が続いたりしているとつい意識するのを忘れてしまうのだ。 

 

ああ、そうか。ファイブミニを箱買いしたらいいのか。そう思いネットを開くと検索結果が出た。50本入り4,745円。ほぼ五千円。ごせんえん……?頭の中には樋口一葉の描かれた紙切れが風に飛ばされていく映像が映し出される。…高い、高いな高いよな……?あめんぼあかいなあいうえお?30本入りより先に50本入りを見たのがいけなかったかもしれない。しかも最初に見たのはファイブミニプラスというさらにアップグレードされたタイプのものだ。お茶もコーラも1本でちまちま買うよりも箱買いした方があ〜得した!という気持ちになれるのに、ファイブミニだと逆に感じるのは何故だろうか。思考停止状態から復帰すると、(いやでも毎日梅干し食べるようにしてるし、ゴボウサラダだって食べてるし、朝ごはんにはヨーグルトやバナナを摂るようにしてるもん……)と誰に向けるでもない謎の強がりを続ける自分がいた。

ファイブミニ、それはこれからもわたしの憧れの飲み物であり続けそうだ。