絆と夢の話

絆という言葉が昔からキライだ。そしてそれは体育祭やチャリティーイベントでよくテーマになる。キライな気持ちを分解すると、絆自体は何も悪くない。きっとそれ自体は綺麗なもののはずだ。わたしが本当にキライなのは「強要される絆」だ。綺麗な絆は、ひとつの共同作業を行うとか互いに何かを共有したことで、自然と生まれるものだと思う。

 

大学生の頃、ゲストハウスにハマった。国籍も年齢も職業もバラバラで、普段生活していたらただすれ違うだけの人達に会えるのが新鮮だった。刑務官として働いている韓国人、住み込みで働くピアノの上手なフランス人、陸上自衛隊で車の整備をしているお兄さん、ペットロスがきっかけで旅をはじめたおばちゃん。色んな人に会った。

ゲストハウスと一口に言っても、宿により雰囲気は大きく異なっていて、一番に「人と人との間をどれだけ取りもつか」という明確な違いがあった。キッチンや洗面所、食器、あるものは適当に使って〜あとは適当に過ごして〜という放任主義なところもあれば、お鍋を作るから何時にみんなで食べましょう!これからみんなでトランプするんですけどやりませんか?とお誘いしてくるようなところもあった。積極的に間を取りもたれるのが苦手なので、後者のような誘いはいつも断った。だって別に、同じ日に同じ宿に泊まったからといって、仲良くする必要はないし、友達になる義理もないからだ。興味がある人にだけ近づきたいし、誰だっていいわけではない。

この間、珍しくLINEの通知が忙しく鳴った。ゲストハウスで仲良くなった人達と唯一作ったグループLINEだった。そのゲストハウスは京都にあり、オーナーさんの代わりに一応住み込みのスタッフが数名いたが、チェックインの手続きを除いてほとんど宿にいなかった。門限はなく、外鍵のオートロックのナンバーを控えるだけで好きに出入りでき、最低限のマナーを守れば居間でごろごろしたり、漫画を読んだりお酒を飲んだりするのも全部自由だった。階段は急だし、畳は腐っているのかミシミシいっていて、自分の居場所は二段ベッドの上か下のスペースだけだったが、その解放的な雰囲気が気に入って何度か泊りに行った。

大学を卒業したあとの最後の春休み、1泊分その宿を予約して京都へ遊びに行った。他の宿泊者らは皆ひとりで来ていて、年齢は10代から50代と幅広かったが、不思議と意気投合して毎晩遅くまでお酒を飲んで話したり一緒に銭湯へ行ったりした。居心地がよくて、気付いたら予約を延長して3連泊もしていた。最後に会ったのはその翌年だったか、九州で介護士をしているお兄さんが東京に遊びに来るというので、東京在住の人間が集まってお台場の海沿いでハイネケンを飲んで、飛行機や電車、自転車など各々の交通手段で帰路についた。

その後も不定期にグループLINEは更新され、誰かが旅に出るとこんなところに行ったよと送り合う連絡網のような存在になった。今回の会話は前回からおよそ3年ぶりだ。皆いつの間にか結婚したり、子どもが産まれたり、世界を旅したり、入れ歯デビューしたりと少しずつ変化していた。またコロナが終わったらどこかで元気に会おうね〜とラフな約束をして会話は終わった。

彼らとの間にあるものは絆と呼べるとわたしは思っている。でもこの果てしなくゆるい絆がこれまで続いていることは、強制力がなかったことが一番大きい要因だと思う。

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「コロナ禍で分断された人々の間の絆を取り戻すために」東京オリンピックを開催するとあると代表者が言っていた。国民はお金だけ搾り取られて、参加すらしていないししたくもないのではという気持ちにさせられる。むしろこれこそが、強制される絆そのものだと思う。6月の初旬に市からワクチン接種券が届いていたが、いよいよ予約開始が近づいてきたと思った矢先、予約開始日の2日前になって予約が休止された。国民のワクチン接種は進んでいない・全国各地でさらに感染が拡大しているのに明日にはオリンピックが開催されるなんて信じられない。ただの悪夢であって欲しい。

 

夢は見る人によって違う。他人がどんな夢を見ているのか見てみたいとたまに思う。見る人によってどんなに違うのか興味がある。人によって、色がついているとか付いていないとか多少の違いはあれど、空中から急に地面に落下する夢はかなりの人がみたことがあると聞くので不思議だ。夢占いは50%信じている(悪い結果はほとんど信じない)が、たいていの夢の内容ははその時のコンディションに左右されることが多いから、相関性があることは事実なのだろう。

 

わたしの夢はカラーだ。メンタルが不調なときは決まっていつもトイレの夢を見る。それは水浸しだったり、市民プールのトイレのような、じめっとして入るのが一瞬はばかられるようなものだったり、スーパー銭湯のようなオープンで人がたくさんいる場所だったりする。現実的にトイレが近い・尿意をもよおしているというわけではない。ただトイレを探している。起きたときにああなんか疲れたなという気分になる。幼少期、熱が出たときは決まって、カラフルで2個ずつ個包装されている四角いキューブ型の飴(キュービィロップというらしい)が巨大化&重量化して身体にのしかかってくるという夢を見た。

 

ブルボン キュービィロップ 112g×10個

 

逆に多幸感に溢れる夢で言えば、何度も繰り返し見ていたのは小学生の時に好きだった男の子の話だ。わたしは中学の入学とともに引っ越し先の中学に転入したため、それ以降の彼の姿を知らない。小学生当時の姿で出てくることもあれば、想像の中の大学生になった姿や今の自分と同年代になった姿などいろんな年代で現れた。睡眠時間の長さに関係なく、目覚めたときはいつも幸せで心地よい気分だった。しかしどういうわけか、ある時からパタンと登場しなくなった。先日観たある韓国ドラマに、初恋の女の子を忘れられず30歳になったいまでも彼女を探しているという人の話が出てきた。彼は友人(おそらく精神科医かカウンセラー)に「あなたが彼女のことを忘れられないのは、まだ好きなのではなくて未完の物語だからではないか」と言われていた。わたしの中で彼の物語は完結したのかもしれない。

 

目を覆いたくなる現実ばかりだからこそ、頭に浮かんでくる友人や家族には、どうか悪夢ではなく後者のような希望のある夢を見ていて欲しい。