レモンの輪切り

アイスのサクレを食べた。レモンの輪切りが丸ごと一枚入ったサクサクした食感の氷菓。もう何年も口にしていなかったのに、急に食べたくなったのはSNSでサクレをオンザロック方式でアイスティーに溶かして食べると美味しいという投稿を見たからだった。

 

食べものの記憶というのは不思議だ。その料理の美味しさよりも、どこで誰とどんな雰囲気で食べたかの方がより鮮明に記憶として残っている。

 

サクレのレモンの輪切りを見て思い出したのは、地元の千波湖の湖畔にある好文茶屋というお茶屋さんで食べたサクレのことだった。当時住んでいた家から千波湖はほど近く、よく父親とサイクリングに行って白鳥や黒鳥、あひる、カモなど水鳥を見に行った。千波湖の西側には水戸光圀公像があり、その目と鼻の先に好文茶屋があった。みたらし団子を食べる時が多かったが、その日は冷凍ケースからサクレを選んで外にあったお茶屋さんらしい赤い長椅子で食べた。

 

氷の部分は甘酸っぱくて美味しくても、幼いわたしにとってレモンの輪切りは苦すぎた。だから毎回父親に食べてもらっていた。もう何年も忘れていたのに、レモンの輪切り、夏の日差し、茶屋から見える枝垂れ桜を写した映像が鮮明に思い出された。

 

そのことを思い出さないために、これまで長い間サクレを食べずに避けて通っていたような気がする。父親には祖母の四十九日法要に行って以来、もう5年近くあっていない。父親のことを思い出すと心臓ががたがたと震えて、細胞がばらばらになっていく感じがした。時間が経って、少し前からは大丈夫になった。物理的にも精神的にも距離が取れたからだと思う。

 

今日の朝、飲み会の予定を追加しようとカレンダーを見ていたら、その日がちょうど父親の誕生日だったことに気付いた。知らぬ間に後期高齢者と呼ばれる年齢になっていた。

 

レモンの輪切りを食べてくれた優しい父。あの父はまだ今もどこかにいるのではないかと思ってしまう時がある。生きているうちにまたどこかで会えたらいいのに。レモンの輪切りはまだわたしには苦かった。

豆ごはん

GOAT最新号の「わたしの偏食」エッセイを読んでいたらわたしも書きたくなった。わたしの偏食アイテムは豆ごはんだ。

 

最寄り駅のすぐ近くに、ひっそりと佇んでいる小さな居酒屋さんがある。居酒屋さんというよりも小料理屋さんと呼ぶべきかもしれない。自分の父親くらいの年齢の方がひとりで切り盛りされているお店で、その料理に魅了され、新メニューができるといてもたってもいられず、月に一度は通っている。

 

そのお店のメニューは和食がメインで、ビールと日本酒に合う料理が多い。店主は定年近くまで仕事を勤められてから(後で知ったが元同業者だった)、お寿司の学校に通い、知り合いのお店で修行したのちにそのお店をオープンされたとのことで、何歳になっても一から勉強するという心意気にまず感銘を受けた。

 

ひとつひとつの料理がこだわって作られていて、特に、夏野菜の南蛮漬けというメニューだと、素材同士の色移りを避けるために、7つのタッパーに分けてお出汁に漬けていると聞いて驚いた。店主は「家でもできますよ」とまるで大したことないという顔で言うのだが、「いやいや、そもそも家にタッパーが7つもないんですよ」と言うと隣のお客さんが笑ってくれた。

 

その店でわたしが一番虜になっているのは締めのメニューとして最後に並んでいる豆ごはんだ。粒の揃ったえんどう豆は、炊かれているのに鮮やかな緑色をしていて、ひとつも形が潰れておらず、程よい塩加減とお米の甘さがたまらない。豆料理は好き嫌いが分かれると思うが、わたしは母譲りの大の豆好きで(母はよく豆入りのミネストローネを作ってくれた)、この豆ごはんがわたしの中で大ヒットした。

 

初めはもちろん、一通り飲んだ後に締めとして汁物と一緒にいただいていたのだが、そのうち、帰り際に「持って帰りますか?」と店主から声をかけてくれるようになった。そのお店は決まった曜日限定でオープンしているので、余りが出るよりも持ち帰った方が店側としても有難いのだろう。お互いウィンウィンである。最初小さなタッパーに入れてもらっていたのが、次に返却にいくとさらに倍の大きさのタッパーに詰めてくれるようになり、いつの間にか豆ごはん定期便が始まっていた。

 

一度には美味しく食べきれないので、小分けにして冷凍しておく。解凍するときに少量のお水を足して温めるとまた美味しく食べられる。豚汁や具沢山のお味噌汁を自分でこしらえると、あっという間にご馳走が出来上がる。この豆ごはんをメンタルが落ちている時や生理中など、体調が思わしくないときに食べるとみるみる気持ちが満たされて穏やかになっていく。いつからか、豆ごはんはお守りのような存在になっていた。

高松・直島一人旅 〜地中美術館〜

5月下旬に行った高松・直島一人旅二日目について写真中心でまとめました。一日目はこちらから。

misoshiruko.hatenablog.com

朝起きて、優雅にホテルの大浴場で朝風呂に入って支度をする。高松駅前のロッカーに荷物を預けようとしたところ、PiTaPaは使えない&手持ちの現金では足りないというハプニングに見舞われ、慌ててATMにお金を下ろしに行く。フェリーに乗る前に朝ごはんを調達しておくつもりが、空腹のままバタバタと駆け込むようにしてフェリーターミナルに着いた。

もう出航の準備が始まってしまっているのでは……と焦りを抱えながらチケット売り場へ向かう。わたしが到着したのはフェリー出航の30分位前だったのだが、鼻息の荒いわたしとは裏腹に、待合所にはのんびりとした空気が流れていた。チケットも無事に購入でき、思いの外時間が余る。この日も温かい飲み物でお腹の安寧を願う。

出港前のフェリーターミナルの景色

土曜日ということもあり、待合室は人でごった返していた。欧米人観光客が目立ったが、韓国語を話している方が多いのが印象的だった。高松空港は韓国への直行便が運行しているらしい。韓国の済州島にはいつか行ってみたいなと思っているのだが、もしかしたら直島の雰囲気は済州島と似ている部分が多いのかなと思った。

船から見た高松港

乗船したのは高松港と直島の宮浦港を50分で繋ぐフェリー。景色を楽しんでいる間にあっという間についてしまった。

フェリーから見た直島 宮浦港

乗船したフェリー:なおしま

宮浦港に着くと、草間彌生さんの『赤かぼちゃ』が出迎えてくれる。すでに撮影を楽しむ人が集まっていた。

下船すると、TVC直島レンタルさんへ予約していた自転車をピックアップしに行く。わたしは身長が低いので、大人用で一番小型の自転車を予約した。コンパクトで可愛い。そして、この日が記念すべき電動自転車デビューとなった。

本日の相棒

腹が減っては旅行はできぬということで、まずは島に唯一あるコンビニで朝食を買う。サンドイッチとメロンパン、コーヒーを前カゴに入れると、景色のいい場所を求めて海岸線を進み出した。少し坂を登ったあたりにここでどうぞ召し上がれと言わんばかりの絶好な公園を発見。幸先がいい。

フェリーに乗る前に済ませられなかったけれど、結果的にこんなに素敵な景色を眺めながら朝ごはんを食べることができた。地中美術館の入館時間まではしばらく時間があるので、ゆっくり過ごす。朝食を食べていると、宮浦港からは新たに赤いダイヤ柄の塗装が施された岡山行きのフェリーが出航して行った。

プライベートビーチのようなブルーグリーンの海を堪能したあと、島の海岸線を東回りに進んでいく。急な坂道が続くので、電動自転車の恩恵に存分に預かる。前回来た時はママチャリを借りたのだが(しかも土砂降りだった!)、あれは若さでカバーできたのだなあと実感した。多分、いまママチャリでこの島を走ったら、坂を登りながら泣いていると思う。

 

12時すぎに地中美術館に到着。館内で撮影できるのは入り口からショップまでのエリアで、それ以降は撮影禁止。カメラをしまい、五感を研ぎ澄ませて展示を回る。

名前の通り、建物の半分が地下に埋まるようにして建設されているという地中美術館。打ちっぱなしの無機質な建物が印象的だった。光の入り方や幾何学的な窓や造りに、地元にある水戸芸術館と親和性を感じてなんだか懐かしい気持ちになる。

ミュージアムショップを抜け、三角形の建物をぐるぐると下がったり上がったりして進んでいくと、念願のモネの展示室に着く。ようやくまた『睡蓮』を見ることができた。一度目は人の多い時間帯だったので、地中カフェでコーヒーを飲んで一息ついてからもう一度行ってみたら、ちょうど人の少ない時間帯で、自分の視界に『睡蓮』の絵を全面に収めることができた。タレルの『オープン・スカイ』は、自然と人工が掛け合わされた新しい静寂を感じた。

地中の庭

地中カフェのテラスから見た景色

あの壁一面に広がる大きなキャンバスに描かれた絵を見た後、このブログを書いていると、言葉を尽くすよりも1枚でも写真を残した方が伝わるものがあるのではないかという気持ちになる。目から得る情報の強さを感じた。

せっかく直島に来たので、さらに自転車を走らせて、『南瓜』も見に行った。この展示物は2021年8月の台風で被害にあったが、翌年の2022年の10月に復元制作ののち再展示されている。いまだに、撮影の人気スポットであり続けているようで、絶え間なく写真撮影待ちの人が列を成していた。

その後、海水浴場の近くの木陰のベンチで涼を取りながらしばし休憩。この日は5月下旬というのに日差しが強く、熱中症になりそうなくらい体力が持っていかれる。昼食をまだ済ませていなかったので、遠回りして宮浦港方面へと戻る。この時点ですでに走行距離は8km近い。

 

疲れた時に食べたいものは決まっている。坂道の上にある直島町総合福祉センターに入っている、なごみという食堂へと向かう。

施設内には子どもの声が響いていて、プール帰りと思しき姿の小学生がちらほら見受けられた。島で育つってどんな感じなんだろうな。直島は離島ではあるけれど、高松にも岡山にも1時間かからずに行けるから、自分が想像しているよりも案外都会的で暮らしやすいのかもしれないな、と考えたりした。

食券機でビーフカレーを注文。この時代に、コーヒー付きで850円はありがたい。日差しをたっぷり浴びて、程よい疲労感の溜まった体にカレーが染みる。食堂内には神々しい西日が差していた。

帰りのフェリーの時間が近づいてきた。自転車を返却して、宮浦港のベンチで外を眺めながら待った。この頃になると、もう早く家に帰りたくなってくる。あんなにどこかに行きたいと思っていたのに、今ではもう帰りたいと思っている。旅はいま自分が本当はどこに居たいのか、改めて再認識させてくれる。

高松行きの帰りのフェリーは全員乗り切れるのかと思うほどの人がいて、ほとんど満席だった。幻のような世界から、現実の世界へと少しずつ戻っていく。高松港に着くと、少し曇っていて、寂しい空が広がっていた。このままわたしは夜のフェリーで自分の住む関西へと帰った。

高松・直島一人旅 〜船旅と仏生山温泉〜

5月中旬、忙しさと精神的な余裕のなさから、「一人でどこか遠くに行きたい」という願望が溢れ出し、どこへ行こうか旅の計画を練り始めた。3月に一度、香川県の直島にある地中美術館と徳島の大塚美術館のふたつの美術館めぐりを計画していたのだが、地中美術館の予約が取れずに頓挫していたことを思い出した。

 

もう一度モネの『睡蓮』を見たい。あの真っ白で静かな空間の中で、他に何も視界に入れずに睡蓮だけを収めたい。とにかく外せないのは、日中の船旅を楽しむことと地中美術館を訪れること。大塚美術館まで旅程に入れるとこのふたつがクリアできないため、今回は高松で一泊してフェリーで往復して帰る旅程にした。

 

朝7時すぎにJR三ノ宮駅へ到着し、三宮バスターミナルへ。6番バス乗り場から神戸三宮フェリーターミナルへの連絡バスへと乗り換えた。昨年の春、友人と小豆島に行った時と工程は変わらないため、気持ちに余裕ができて有難い。

バスに揺られて10分ほどで神戸三宮フェリーターミナルに到着。高松行きのフェリーの出港時刻が掲示されている。ここでフェリーに乗船してしまったら、今いる世界にはもう後戻りできないんだ、という小さな焦りが余計にわくわくさせてくれる。

朝はまだ肌寒く、お腹が心配なので待合室でホットの抹茶ラテを飲みながら搭乗時刻を待つ。カップで出てくるタイプの自販機は何故だかテンションが上がって見つけると高確率で購入してしまう。この日は金曜日で、家族連れや大学のゼミらしき集団、老後を楽しんでいるであろうお姉さま方など、様々な人々が乗船していた。

乗船時間になると、QRコードのチケットを機械にかざし、タラップへと進んでいく。

丸窓から見た神戸港

フェリーは定刻通りに神戸港を出港した。絶好の旅日和で、デッキの上では乗客らが写真撮影を楽しんでいる。デッキの端の方では、指導教官と思しきワイシャツにスラックス姿の男性がファインダーを覗いていた。その後ろ姿が、ありし日の祖父の面影に似ていてうるっと来てしまった。祖父はいつも白のワイシャツにグレーのスラックスを着ていて、首にはいつもカメラをかけていた。小学生の時に亡くなった祖父の面影に船上で出会うなんて想像もしていなかった。わたしも負けじと自分のカメラに向き合い、神戸の街と海の写真を撮った。

今回は一人旅。心細さと引き換えに、すべての時間を自分の思うままに使うことができる。しばらくはデッキのベンチで風を感じながら本を読んで過ごした。港を離れると途端に風が強くなってきた。船内に戻り、ひとまず売店をうろついてみる。ペンの試し書きコーナーにはジャンボフェリーのテーマソングの英訳が書いてあった。

しばらく窓の外を眺めながら過ごしていると、明石海峡大橋くぐりのアナウンスが入る。今が狙い目だと思い、食堂に朝食を食べにいく。先に席を確保すると、卓上のさぬきレモンうどんのポップに心惹かれる。本当は冷やしうどんが食べたかったが、腸内環境が不安定なため、温かいうどんを注文した。これが大当たり。皮のまま食べられるというレモンスライスをあったかいお出汁に浸して食べるのが絶品だった。

イートインスペースから見た明石海峡大橋

船内のイートインスペースはこんな感じになっている(下船前に人がいないところを撮影)。飲食用の椅子は揺れにも耐えられるよう床に固定されている。

小豆島で体感の7割ほどの乗客が下船して、高松まではゆったりとボックス席に座って過ごすことができた。思いの外乗船時間が長く、持ってきた本も読み終わってしまって、物思いに耽ったり、ただ外を眺めてみたり、何もしない時間を楽しんだ。高松港に近づいてきてデッキに出てみると、風が柔らかくて、穏やかな景色が広がっていた。

海といえば太平洋、特に地元の大洗海岸のイメージが強いわたしにとって、瀬戸内海のこの滑らかでゆったりとした水面は海のイメージを180°変えてくれた。船での移動は、決して速くはないけれど、その分心の余白みたいなものが生まれる。

新船あおいの真っ白な船体と空の青色のコントラストが美しい

高松港に到着。ジャンボフェリーの発着する高松港は高松駅から少し離れているので、大きな建物がなく、本当に高松に来たんだよね?と少し不安になる。

高松駅行きの送迎バスに乗り込み、10分ほどで高松駅に到着。

手荷物預かり所で荷物を預けると、吸い込まれるように駅ビルに入った。無印とか知っているお店があると安心してつい入ってしまう。見慣れない服屋さんで服を物色していると、店員さんが声をかけてくれる。「旅行者なんです」と伝えると、「どこに行かれるんですか?」と聞いてくれた。「今日は移動がメインでこれから仏生山温泉に行きます」と言うと、その店員さんはなんと仏生山のご出身だった。お昼はまだ食べていなかったので、駅前で食べられるおすすめのうどん屋さんを教えてもらった。もり家さんといううどん屋さんで、「本店が高松空港の近くにあるんですけど、最近支店ができて駅前でも食べられるようになったんですよ!」と話してくれた。また帰る前に寄りますねと伝えて高松シンボルタワーへと向かった。

閉店まで1時間を切る頃に伺ったので列が少ないが普段は大行列らしい

洋服屋の店員さんがおすすめしてくださったかき揚げおろしうどんのハーフサイズを注文(レギュラーサイズだと丼と同じくらいのかき揚げが載っている!)。

このうどんもかき揚げも本っっっっっ当に!美味しかった!うどんはつるつるでコシがあって、かき揚げはサクサクだし、かき揚げは小エビと呼んでいいのかわからないくらいの大きなエビがたくさん入っていて香ばしい。この感じならレギュラーサイズのかき揚げもぺろっと食べれると思う。特に旅先では、その土地の個人店に訪れるようにしていて、駅前のテナントの飲食店に入ることはほとんどないだが、今回ばかりは店員のお姉さんのおすすめを素直に聞いてよかった。今度車で来た際は本店にも足を運びたい。

高松は駅前にふらっと座れるベンチがたくさんあって良かった

その後、1階のお土産コーナー四角ショップ88にてお土産を購入し、しばしアイスコーヒーを飲んで休憩。そのまま服屋さんに戻って、しっかり試着もさせてもらって2着購入。読み終わった本やお土産と一緒にゆうパックで自宅に郵送した。予約しているビジネスホテルへと向かう。

ホテルにチェックインして荷物を置くと、トートバッグにバスタオルを突っ込んで再び外に出る。ことでん琴平線の高松築港駅へと向かうと、窓口で「ことでんおんせん乗車入浴券」を購入。なんと、こちらはうちわ型企画きっぷで、うちわで電車に乗ることができる(!)乗車券と仏生山温泉の入浴券、うちわがセットになっているという大変お得な切符なのである。はじめ、チケットの意図をよく理解しておらず、「この?切符で?電車に乗れるんですか?」とあたふたしていたのだが、駅員さんの目が「わたしの言葉を信じてあの電車に早く乗りなさい」と物語っているように見えたので大人しく改札を通る。停車していた電車に飛び乗り、仏生山方面へ。

うちわ型切符 乗車日をスタンプで押してくれます

仏生山駅で下車すると、仏生山温泉までは徒歩約10分。真っ直ぐに進んでいく。

もうそろそろかなあと思っている頃に出てきた看板

そしてようやく18時前に仏生山温泉に着いた。夏が近づいて日も伸びたのでまだまだ明るい。

仏生山温泉は一番好きな温浴施設と言っても過言ではないくらい、この温泉に入るために何度も香川に訪れている。どのくらい好きかというと、くつろぎスペースにあるテーブルと同じものを工房の方にお願いして作ってもらったくらい。

うちわ型切符は仏生山温泉の入り口で温泉マークのスタンプを押してもらって完成。スタンプラリーをしているみたいでそれも嬉しい。通路兼くつろぎスペースには温泉のオリジナルグッズや古書が並んでいる。

 

平日の夜ということもあってか、時間が遅くなるにつれて人が少なくなり、露天風呂は貸切状態の時間もあった。ここのぬる湯の炭酸泉がこの上なく最高で、温かい内湯や露天風呂で体の芯を温めてからこの炭酸泉に入るのぎ至福でもう言葉にできない。わたしはサウナに入らないので「整う」という感覚がいまいち分からないのだが、多分それに近いと思う。

 

お風呂を出たらもう外は真っ暗。自販機でお風呂上がりの瓶のコーヒー牛乳を買った。

いつもは家族や友人など誰かと来ていた場所にひとりで来ると不思議な気分になるけれど、一人だってどこへでも行けるんだということを思い出させてくれる。一人旅は癒しでもあり、勇気の貯金だなと思った。

後ろ髪を引かれながら、仏生山温泉を後にし、夜のことでんに揺られて再び高松築港駅へと戻る。

牛丼でも食べて帰ろうかなと思ったけれど、たくさん歩いて疲れたので、もう人と対面する気力もなく、コンビニで軽食を購入してホテルで食べた。

水漏れと銭湯

いつからか公衆浴場が苦手になった。何人も皆、病原菌を運んでいて、人様の衛生観念は信用できないと伝染病の蔓延で実感したからかもしれない。せめて、「入浴前の方はこちらから」「入浴後の方はこちらへ」と経路が一方通行になって入る前と後の人が区別されたらいいのに、と思う。

 

ところが、ひょんなことから銭湯に入らざるを得ない状況になった。階下に原因不明の水漏れが起きていることが判明したからだ。ある時、お風呂のお湯を流した際に滝のような水の流れる音がキッチンのあたりから聞こえた。水漏れがあったと言われた当日の出来事だったので、おそらくそれが原因だろうと目星を付け、業者さんが調査に来るまではお風呂を使うのを控えることになり、銭湯に行くことになった。

 

久しぶりに行ったのは、番台のある昔ながらの銭湯。洗面器に赤と青のレバーを上手く調節してちょうどいい塩梅のお湯を溜め、ざぶんと頭から被る。ジェットバス、薬湯、露天風呂と気の向くままにお風呂に浸かる。入浴後のわたしは思っていた以上に多幸感に溢れていた。その日は強い雨が降っていて、人気が少なかったのも幸いだった。

 

十年くらい前は銭湯が大好きだった。きっかけは、大学一年生の頃、宮城県石巻市にあった鶴湯という銭湯に入ったことだったと思う。ボランティアに行き、お風呂に入れるのは三日に一度とかの頻度だったため、それはありがたい存在だった。それまで、地元に銭湯という銭湯はなく(あるのはスーパー銭湯など大型の入浴施設ばかりだった)、銭湯は身近な存在ではなかったため、ある意味カルチャーショックでもあった。人との距離が近く、心も温まる気がした。

 

それからというもの、旅先では宿の近くの銭湯に行くのも楽しみのひとつになった。ゲストハウスで仲良くなった人たちと夜の京都を歩きながら一緒に入りに行ったり、ドキドキしながら初めての銭湯にひとりで入ってみたり、家族とドライブのついでに入りに行ったりと、銭湯によって脱衣所も浴室も雰囲気もどれひとつとして同じものがないことが面白かった。

 

特に印象に残っているのは、北千住にあった大黒湯。上京して初めて住んだ家はシェアハウスで、湯船を貯めてはいけないのが決まりだった。時々、大きな湯船が恋しくなって、電車に揺られて銭湯に行った。シェアハウスの最寄駅から一番大きなハブ駅が北千住駅で、10分ほど歩いたところにあったのが大黒湯だった。天井が高く、格天井と呼ばれる、格子状に組まれた天井の間にひとつひとつ絵が描かれていて、空の狭い東京でも、空を見上げる楽しみがあった。

 

浅草で友人とルームシェアをしていた時によくふたりで自転車で通った曙湯は、大学を卒業したてで慣れない社会人生活を支えてくれた。海上自衛官として一時期働いていた、今は亡き伯父の痕跡を辿って舞鶴に行った時に見つけた若の湯は、こぢんまりしているものの、しっくりくる感じがあってその後もドライブついでに入りに行った。

 

お風呂が使えなくなったのは災難だったが(水漏れの原因は結局不明だった。何より一番災難なのは階下の方)、これがきっかけでまた銭湯に入る楽しみができたと思えば結果オーライだ。

ベランダと花火

子どもの頃は毎年、ゴールデンウィークに父方の祖父母の家に遊びに行っていた。山奥にあって、水と緑が綺麗な小さな村で、こどもの日が近くなると川には大きな鯉のぼりがたくさん泳いでいた。東京からさほど遠くはないのに、異世界にワープしてしまったくらいに自然が濃く残るその村がわたしは大好きだった。

 

小学生の頃は祖父母の家に遊びにいくのは恒例でも、中学生、高校生と年齢が上がっていくと、部活や友人関係など、外部との繋がりが増えていき、祖父母の家からはどんどん遠のいていく。わたしは孫の中ではちょうど真ん中くらいの位置にいて、上の従兄弟たちが中高生になってからぱったりと遊びに来なくなり、祖父母が悲しんでいる様子を見ていたたまれない気持ちになっていた。

 

わたしには、変に使命感を持ちがちなところがある。例えば、クラスの学級委員のように、誰かがやらなくてはいけないことがあると(さらに手を挙げる人がいなければいないほど)、選ばれるのを待つより自分から手を挙げてしまう。高校の音楽クラスで伴奏を決める際、ピアノの腕に自信はなかったが、ピアノ経験者は各クラスに満遍なく分散されているはずだし、結局数名でじゃんけんや話し合いをして決めるくらいなら自分がやるか、と名乗り出た。変わらない状況をただ見ているだけになる方がずっといやだった。

 

中高生になって孫たちが祖父母の家から遠のいていくことは、“正しく”成長している証でもあると今では思えるのだが、当時は祖父母に悲しみを味わせたくない、わたしがこの流れを変えてみせる、とまた変な使命感を持った。いくら父親と一緒に車に乗るのが嫌でも、ゴールデンウイークには頑なに祖父母の住む村に通い続けた。

 

高校で入っていた陸上部では、新入生が先輩らの前で自己紹介をするというイベントが例年ゴールデンウイークにあった。一年生の時、その行事に欠席したおかげで、先輩らに馴染むには少し時間がかかった(こういうのは出ておくべきなんだなと学んだ)。この頃からもう協調性のなさが滲み出ている。わたしは単独行動ばかり得意で、人と足並みを揃えるのが苦手だ。

 

わたしが高校一年生の頃、祖父は咽頭癌を患い、手術をして声帯を失った。街の大きな病院に長らく入院していて、思春期の真っ只中だったが、父と母とお見舞いに行った(道中に彼氏とメールしていたのを覚えている)。手術を終えた祖父はもう自分では声が出せなかった。その代わり、手元にはホワイトボードを持っていた。そろそろ帰ろうかと思った頃、最後に祖父がこっちを見るようにと手招きしたので見つめていると、マーカーで何かを書いた。次の瞬間、こちらにくるりと裏返したホワイトボードには「ありがとう」と書いてあった。その時、高校を卒業するまで、ゴールデンウィークには祖父母に会いに来ることを決めた。

 

高三の5月、母と祖母の関係は悪化していて、姉も大学生になり忙しくしていたので、父親とふたりで村へ行った。こどもの日の前後に、村では毎年大きなお祭りが行われ、外からたくさんの人が来る。昔はそれに合わせて親戚らもたくさん集まって一緒にお酒を飲んだり、お祭りを楽しんだりしていたが、その連休中に祖父母の家を訪れていたのはわたしと父だけだった。

 

祖母とふたりで台所に立ち、一緒に料理をした。祖母は栄養士の免許を持っており、料理が上手で、遊びに行くと色んな料理の作り方や仕込みの方法などを教えてくれた。その日は、けんちん汁を作った記憶がある。なぜおじいちゃんと結婚をしたのか、おじいちゃんの仕事を手伝うために諦めたけれど、本当はうどん屋さんをやりたかった話などを教えてくれた。

 

夜、父の調達してきたお刺身や祖母の作ったご馳走を食べ終えると、祭りのクライマックスの花火のために二階のベランダに出た。祖母が上がってくると、無言で少し離れたところに置いてある、逆さにしたビール瓶のケースに座った。階段の明かりがまた灯る。祖父だ。足の悪い祖父だったが、時間をかけて二階まで登ってきたようだった。誰も何も喋らなかったが、三人でベランダから村に上がる花火を見た。その時みた花火が今まで見たどの花火よりも一番美しかった。ベランダで本を読んでいて、そんなことを思い出した。

アイスコーヒーと中之島バラ園

昨夜、配偶者と喧嘩をしてしまい、深夜1時半まで話をしていた。疲れた。今日は昼頃まで眠った。窓からの冷気だけではもう耐えられないくらい、太陽が優勢になっている。季節の境目は曖昧だが、アイスコーヒーが飲みたくなった瞬間にもう夏は始まっているのかもしれない。あいにく、今はコーヒー豆もボトルコーヒーもポーションもない。絶対に、今日は美味しいアイスコーヒーを飲みに行くぞと心に決める。

 

一眼のバッテーリとSDカードを確認し、身支度を整えて家を出る。強い気持ちを保ちたい気分だったので、OSAJIの赤リップを塗って、ゴールドのアクセサリーをジャラジャラとつけた。家を出たのは14時過ぎだったが、まだ5月だというのに外はもう夏本番のような暑さ。お盆の頃には一体何℃を叩き出しているのだろうか。

 

駅に着き、冷房の効いた少し肌寒い車内で純喫茶を調べる。今日は中之島のバラ園に行く予定なので、北浜駅を中心に、マップで「純喫茶」と検索し、しらみ潰しに自分のインスピレーションに合うお店を探していく。日曜日のため定休日のお店も多いが、なんとか目星を付けて南森町で下車。

 

改札を出たあと、手持ちの現金がないことに気付く。手数料が惜しいと思いつつも、コンビニでお金を下ろして目的地へと向かう。本来は違う純喫茶を目的地に設定していたのだが、道中で目に入った「豆香」さんに惹かれてしまう。最初の目的地にも一旦寄ってみたが、豆香さんにやはり後ろ髪引かれ、道を戻っていざ入店。

ひとりだと伝えると奥のカウンター席に通された。ゆるいカーブを描くカウンター。棚には様々な絵柄の上品なカップとソーサーが規則的に並べられ、コーヒー豆だけでなく、たくさんの銘柄の紅茶が並んでいる。

 

アイスコーヒーとコーヒーゼリーを注文。程なくすると、寡黙なマスターが無言で差し出してくれた。

すっきりとしたアイスコーヒー。コーヒーゼリーは硬すぎず柔らかすぎず、程よい固さ。アイスが乗っているのが嬉しい。店内を見渡してみると、奥の冷蔵庫にはたくさんのコーヒーゼリーが冷やされていた。わたしが入店してからも、ちらほら注文しているお客さんがいた。平松洋子さんの『夜中にジャムを煮る』を読みながらアイスコーヒーを堪能していると、メニューにアイスコーヒーではなく「アイスドコーヒー」というものがあるのに気付く。調べてみたところ、ホットのコーヒーを冷却したものらしい。普段から飲んでいるアイスコーヒーはアイス用に抽出されたもので味が違うようなので、今度はぜひ注文してみようと思う。

豆香さんを後にすると、徒歩で中之島へと向かう。天神橋では、三者三様の日傘をさしたお姉さま3人組が目の前を歩いていた。どうやらわたしと同じくバラ園に向かっているらしい。中之島に続く階段を降ると、白い小型犬と戯れている方がいたのだが、そのお姉さんに対してお姉さま3人組は「緑に映えてていいわねえ」と何の躊躇もなく声をかけていて、その潔さというか図々しさを羨ましく思った。芝生では、レジャーシートやテントを広げて森林浴を楽しむ人たちがいた。木漏れ日の美しい並木道を抜けると、ようやくバラ園に着いた。人が、多い。

天神橋から中之島に繋がる階段からの景色

老若男女、赤ちゃん、ワンちゃんと様々な人や動物が思い思いにバラを楽しんでいた。写真を撮ると、背景にビルや高速道路が映り込むのが中之島ならでは。

時計のフレームにも薔薇のレリーフが

ピンク色のソフトクリームを食べる人たちを見かけたので、気になってお店に向かってみるも長い行列で断念。どうやらバラ味のソフトクリームみたいで、どんな味がするのか気になる。日差しと人混みにやられたので、少し川沿いで涼んだあと、大阪市中央公会堂方面に向かう。人もまばらでベンチも多かったので、コンビニでアイスコーヒーでも買うか、と淀屋橋を歩いていると、ビッグイシューの販売員さんを見つけたのでバックナンバーを購入。ジェーン・スーさん表紙の号はいまだに売れているらしく、さっきも2部売れて売り切れとのこと。恐るべしジェーン・スーさん。

 

無事にアイスコーヒーをゲットして再び中之島に戻り、先ほど購入したビッグイシューを川沿いのベンチに座って読んだ。ビルの立ち並ぶ都会で、川の音を聞きながら木々の下で本を読むのは何と贅沢なことだろうと思う。東京に住んでいた頃、自転車で上野公園に向かい、公園内のベンチで本を読んでいたことを懐かしく思い出した。

販売員さんが直筆のお手紙も渡してくださった。ペン字の講座もやっているらしく達筆。

涼しくなってきたので、日没前のバラ園に再び写真を撮りに戻る。さっきよりも人が増えていたように感じる。バラと一緒に撮影するためなのか、シフォンやレースの綺麗なお洋服を身に纏った女の子たちが目立った。数年前だったら、また別の感情を抱いていたかもしれないが、今はその光景がとてもまぶしく、微笑ましい気持ちにさえなっていて、小さな老婆心が芽生えているのを感じる。そんな初夏の日曜日。