クルミのスコーンと幼なじみ

 初めて焼いたあの日から、スコーン作りが日曜日の朝のルーティンになり始めている。

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 いままではホットケーキが一番楽だと思っていたけれど、洗い物が案外出るのが難点だった。それに比べて、スコーンは洗い物が圧倒的に少ない。ボウルとゴムベラは使っているけれど、極論ポリ袋に材料をぶち込めばそれすらも要らないかもしれない。

 

この前はチョコフレークを入れて焼いてみた。ほのかに効いた塩気としっとりしたチョコフレークの相性が良い。今朝は、きな粉とホワイトチョコレートの組み合わせで焼いてみよう。そう思ったのもつかの間で、きな粉の不在により計画はあっけなく崩壊した。そういえば、新居に引っ越して荷物を整理していた時、賞味期限切れに気付いて捨ててしまったんだっけ。気を取り直して、キッチンの一角にある「お菓子作り関連コーナー」を覗いてみるとクルミがあった。よし、これでいこう。

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彩りはIKEAのペーパーナプキン頼み

クルミは市販で買うと結構お高い。業務用スーパーで売られているお徳用パックはごろごろ入っているし品質が著しく悪いということもないので重宝している。クルミに関しては、まだ質より量だ。 クルミを料理に使うたびに、「ああ、あの頃はただで好きなだけ食べられたのになあ」と幼なじみと過ごした記憶を思い出す。

 

 

* 

 

 

草平くんは一人っ子で、わたしの住んでいた家から徒歩1分のマンションに住んでいた。

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国語も算数も苦手で、周りと比べて体が一回り小さかった草平くんは、スポーツも得意ではなかった。リコーダーには指が思うように届かず、みんなに笑われては教室でびーびー泣いていた。鼻が痒い時には、握りこぶしを作った中指と薬指の関節を鼻の穴にぴったりと押し込めて、横にずらして掻くのが赤ちゃんみたいでおかしかった。少し偉そうな喋り方をしていたので、簡単に言えば周りからは少し馬鹿にされていた。

 

 

でもわたしは、小学生ながらに草平くんのことをリスペクトしていた。

草平くんが特に輝くのは休み時間だ。

わたしたちの通っていた小学校は少し変わった立地にあって、敷地内には森や池があった。四年生の頃にやっていた交換ノートがきっかけで「女の子は面倒くさい」と悟ったわたしは、高学年になると女の子集団とは少し距離を置くようになっていた。休み時間に遊ぶ相手は、決まって草平くんだ。森から流れてくる澄んだ水の通り道には綺麗な石のある確率が高く、色のついた石や翡翠をふたりで熱心に探した。草平くんは植物博士で、草花のことなら何でも知っていた。図鑑が丸ごと頭に入っているみたいだった。草平くんが、「この葉っぱは食べられるんだよ」という丸い葉っぱを齧ってみると、わさびの味がした。その辺りのものを食べることは危険だという考えはあったが、草平くんを信頼していたので大丈夫だという確信があった。

 

 

わたしと草平くん、ふたりのポケットにはいつも入っているものがあった。クルミだ。

小学校の森には、何種類かのクルミの木があった。クルミの実は、固い殻に包まれている。固い木箱に誰かが大事にしまったみたいに、頑丈で容易に開けることはできない。コンクリートの硬い床の上に乗せ、大きな石をぶつけてやっと割れるほどだ。命中すると殻がぱっかりと割れて、まるで脳みそのような、いびつな形をした実があらわれる。わたしたちは昼休みになると、グラウンドで遊ぶ在校生たちを横目にせっせと殻を割り、クルミを味わうのが楽しみだった。わたしと草平くんだけが知っている食後のデザートタイムだ。

 

 

そんなクルミには、食べるだけではなく、実はもうひとつの楽しみ方がある。

クルミの殻ははじめマットな状態だが、殻同士を擦り合わせるようにすると徐々に表面には光沢が生まれてくる。わたしたちは好みの形をしたクルミをふたつポケットに入れ、時間を見つけてはせっせと磨きをかけていた。

 

草平くんはオニグルミという少しゴツゴツした品種を気に入っていた。鬼という名のつく通り、表面の凹凸が他の品種に比べて荒々しいからこの名が付いているそうだ。草平くんのオニグルミは、木から落ちたばかりのカサカサした状態からは想像もできないくらいに艶が出て、水を弾くようにつるんと輝いていた。わたしのクルミはそれには到底及ばなかった。結局、家に持ち帰ったクルミは机の引き出しに入れたまま、いつの間にか忘れてしまった。

 

 

 

わたしも草平くんも、小学校に通っている間にそれまで住んでいた仮の住まいから新居に引っ越した。帰り道はバラバラになったが、わたしの通っていたピアノ教室と草平くんの新しい家が程近くにあったので、クラスは別になってもピアノのある曜日は一緒に帰る約束をしていた。草平くんのお家にお邪魔して庭の草木を見せて貰ったり、趣味のお菓子作りのことや色んな植物の話を聞かせて貰った。

  

小学校を卒業して、わたしは新居の最寄りの中学に通うことになった。携帯電話も持っておらず、連絡を取ることは次第になくなってしまった。他の友人を通して、わたしが中学生になってからの様子はなんとなく小学校の同級生に伝わっていたようだが、草平くんとの接点は全くなくなってしまった。

 

しばらくの間、全く接点がなかったものの、わたしたちが大学生の頃は本名での登録を前提としたSNSの全盛期で、単純に「小学校の同級生だから」という理由で繋がった。ただ、特にメッセージのやりとりすることはなかった。プロフィール画像に写った草平くんは、若干の面影を残しつつも、わたしにとっては別人に見えて、記憶の中の草平くんとは上手く繋がらなかった。それでも、ぽつりぽつりと更新されていた投稿には、草花や鳥の写真が写っていた。そして、大学では農学を専攻していることを知った。大人になって見た目は変わってしまっても、中身はきっとあの頃の草平くんのままなのだと分かって嬉しかっただけでなく、誇らしい気分になった。

 

わたしの人生の中で、たとえ不得意なことが多くとも、「熱中できるものがあること」や「ひとつのことを極めること」の素晴らしさを身を以て証明してくれた第一人者はきっと草平くんだと思う。

 

 

【写真】

・1枚目:著者撮影(iPhone6を使用)

・2枚目:Mabel AmberによるPixabayからの画像

 

SUUMOタウンに寄稿しました(出身地・茨城県水戸市について)

なんと、この度、SUUMOタウンに寄稿させていただきました!

suumo.jp

 

わたしが住んでいた街として、愛する故郷の「水戸」について書きました。

思わぬところで出身地を明かすことになりましたが、過去の記事で北関東納豆などのワードを出しているのでもう隠す必要もないかなと思い、今まで住んだ街の中でも特別に思い入れの強い水戸について語る運びとなりました。おそらく、水戸はおろか、茨城県に多くの人は一度も足を運んだことがないはずで、足を運ばぬまま一生を終えていく人の方が圧倒的に多いと思います。残念ながら。でも、この記事をきっかけに水戸に対するイメージが、180°とは言わずとも、少しでも変わってくれたら嬉しいです。

 

 

本来であれば、改めて撮影のために帰省したいと考えていましたが、新型コロナの感染拡大もあり、断念せざるを得なく、過去に撮影した写真を使用させていただいています。大学時代に撮影したものが多く、iPhone4Sで撮影しているものもあります(古い!)。

データを見返すと、いろんな水戸の姿が写っていて、本当にわたしはこの街がすきなんだなあ、と改めて実感。街それぞれに似合う景色があると思うのですが(例えば夜景や日差しの強い夏の日など)、水戸はすっきりと晴れた秋空や茜色の夕日が似合う心地の良い街です。

 

 

また、記事でも言及していますが、水戸駅の北口には多くの商店街があり、新型コロナの影響をもろに受けるだろうと考えています。次に帰省ができる日、一体どんな故郷の景色が待ち受けているんだろうと考えると、すごく怖いし、想像するだけで悲しくなってしまいます。

 

わたしは個人でやられている食堂や飲み屋さん、パン屋さんや和菓子屋さんなどが本当に好きで、旅に出る度に各地のお店を探索するのが趣味ですが、「なぜそのようなお店が好きか」というと、お店には店主の人生が詰まっているからです。看板や暖簾、店内の家具やメニュー、器、味付、料理の盛り付けから接客まで、店主がそれまでの人生で経験してきたものすべてが詰まっているから、ひとつのエッセイを読み終えたような気分になるんです。だからこそ、一つでも多くの個人経営のお店が存続してくれていることを心から願います。

 

 

余談になりますが、ひどく疲労困憊しているときにはてな編集部よりご連絡を頂き、電車の中でひっそりと涙しました(マスクを着けていたけれど、向かいのサラリーマンに怪訝な顔をされた)。ただ、喜んだのも束の間で、「わたしが書いていいのか?」「力不足ではないか?」と、プレッシャーの方がはるかに大きく、吐き気と戦う毎日でしたが、やっとお披露目できる日がきて本当に嬉しいです。是非、一人でも多くの人に読んで欲しい!

 

 

最後に、ご担当いただいたはてな編集部の野地さま、SUUMOタウンの寄稿者へ推薦してくださった方、この記事に関わったみなさま、本当にどうもありがとうございました。

 

今回の記事を書くきっかけになったこちらの記事も、是非お読み頂ければ幸いです。

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SとMの話

最近、自分はどんな立ち振る舞いをすれば良いのかわからなくなってきた。

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都内で医療従事者として働いている友人Mに連絡をした。Mとはお正月やお盆に呑む間柄の、一言で言えば “マブ” だ。Mはダイビングが趣味でよく彼氏とその辺の海に潜っているらしい。高校時代の修学旅行では、広島のホテルが同室で、特に語り合うなど修学旅行「らしい」ことをせずにふたりともベッドに入り、「ねえ、うちら修学旅行なのにこのまま寝ていいの?」と言って、だらだらと一回トランプをして満足して寝た覚えがある。

 

Mの病院でも、今週くらいからコロナ患者を受け入れることになったらしい。大きい病院はもういっぱいなのだそうだ。Mは受け入れチームのメンバーではないらしいが、その分のしわ寄せがひどいと嘆いていた。チームが違うとはいえ、もし院内感染が起きたら?と考えると辛くなって、ポテチを貪りながらレモンサワーを5杯くらい飲んでしまった。

  

 

いまこの国で起きていることはめちゃくちゃなことばかりで、内心すごく怒っている。もっと勉強していたら、もっと専門知識があったら、この訳の分からない状況を少しでも変えることができていたか?自分の無力さに苛立ちさえ覚えてくる。

 

特に、このところ気が滅入る要因になっているのはSNSでの立ち振る舞いについて。

現状を嘆いたり怒ったりすると、あからさまにフォロワー数は減るし、だからといって自分の意見を押し殺すのも難しいので悩みどころだ。ツイッターは、見たくもないものが意図せずに目に入ってきてしまうから、ぽんぽんと思いつきで怒りに任せて発言すると他人にストレスを与えやすいんだろうなと思う。でも、そもそもこんな状況で、しかも友人が危険に晒されていて正気ではいられないよ。

 

ブログは読みたいものを自分から探しに行くものだと思うから、こちらに気持ちをぶつける方がまだ誰かにも自分にもストレスを溜めさせずに済むのかな、なんて考えたりしている。「ああ、こういうのは興味ないや」と感じたら、そっと閉じてくれたらいいと思う。コロナが収束したあとの世界では、人間関係もガラッと変わっている気がしてならない。

 

 

昨日、埼玉の医療機関に勤めている友人Sにせめてもの気持ちで小包を送った。出来ることならばドカンとマスク工場を作って彼女の働く病院に供給したいくらいだけれど、残念ながらわたしにはそんな財力も権限もない。とにかく疲れているだろうと思い、バスソルトのセットなどを包んだ。ゆっくりお風呂に浸かって、少しでもよく眠ってくれたらいいな。

 

Sとは、一年に何度も美味しいものを贈り合う仲だ。毎年、義実家で夏にブルーベリーを大量に摘ませて貰うので、Sにはたくさんの自家製ジャムを送りつけている。昨年は、誕生日に無印のカレーを大量に貰った。香川旅行中、スーツケースからどかんと大きな紙袋を出すので笑ってしまった。次はSが行きたいと言っていたさざなみ海道にも行きたいし、尾道にも行きたい。

 

余談だけど、現実逃避のために3年前に義弟からもらったGTA5をやっている。手紙の断片は集め終わったので、いまは潜水艦で海底に潜って放射性物質拾いをしている。バーチャル上だとしても、シュノーケリングは癒される。水の音が心地よい。リアルな海は怖くてあまり近付けないのだけれど、少しだけMの気持ちがわかる。

 

 

写真:christal marshallによるPixabayからの画像  

 

スコーンと爆発する民

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今日は生まれて初めてスコーンを焼いた。

「雑さが命」というフレーズがあまりにも魅力的で、迷わずにそのレシピを選んだ。ズボラなわたしにぴったりだ。

 

バターを入れる順番を間違えたし、卵も半分でいいのに中途半端に残ると面倒だからと全部ぶち込んだりしたけれど、何とかそれっぽく焼けたので結果オーライ。ちなみに卵液を表面に塗ることを知らなかったため、新しい卵を割ったので意味がなかった。全体像をつかむことの重要性をスコーン作りで再確認したのだった。

 

 

話は飛ぶけれど、自分にもしものことがあった時のための事務的な書類などを作り、一通り準備しておきたいものが揃ってきた。虎屋のカレンダーが届いた時の、虎の絵が書いてある大きな封筒にまとめて入れ、赤字で重要とだけ書いた。あとは、仮に入院したときのために、3日分くらいの荷物をスーツケースにまとめておこうと思っている。

 

 

エネルギーを使ったというのもしんどさの一つにあるけれど、最近のTwitterをみるとかなりしんどくなる。今日、2020年4月12日は特にしんどかった気がする。民が爆発していた。色々呟きたい気持ちも山々だけど、難しいことを言うのはわたしの役目ではないし、わたし如きがぶつくさ言ったところでなにかが変わるとは思えないので、食べもののことや読んだ本のことを呟くようにしている。(ただ、特に発言はしないけれど、政治観は一応、自分のなかにこれだというものがあるので、意見箱にメッセージを送るようなことはしている。)

 

 

Twitterでは触れない分、ブログだけは弱音を吐ける場所として確保しておきたい。文句を言う場所…というよりは、息を吸う場所として。

 

 

さっき、情熱大陸でウイルスの研究者の方が出ていたけれど、年単位の長期戦になると言っていた。6月に一度収束するけれど、冬にはまた流行ると。色んな情報のなかから正しい情報を汲み取ろうとするのは、昨今の情報の洪水のなかだとかなり難しいけれど、とにかく根拠を調べて比べてみるしかない。

 

 

そういえば、民って字で思い出したけど、奥田民生さんがいつかのライブグッズで民民ってタオルを作っていたの、あれ、ものすごくセンス良いよなあ。

緊急事態宣言の前夜

夕飯には仕込んでおいたにんにくと生姜たっぷりの唐揚げに大根おろしと天翔の柚子ポン酢を合わせて食べた。身体が薬味を欲している。

 

明日にも、緊急事態宣言が出るらしい。 

本当は昨夜のうちに買い出しをしておきたかったのだけれど、近隣の小さなスーパーにしか行くことができなかったので、車を20分ほど走らせて深夜まで空いている大型のスーパーへ行く。

目の前に広がる光景に驚く。スーパー内はすでにプチパニックの起きた後だった。棚はスカスカだ。特に、パスタや乾麺はほぼ空、それに関西人の命であろうお好み焼き粉は見事にすっからかんだった。中力粉は下の棚になぜかたくさん積まれたままだったのでカゴに入れた。

 

 

予想以上の景色にショックを受けてしまい、こういうとき何を買ったら良いのかわからなくなって、英語表記でバターがたっぷり入っていそうなチョコチップクッキーやチョコクリームに無駄に手を伸ばす。さすがにチョコクリームは不要不急の買い物なので控えたが、チョコチップクッキーはカゴに入ったままだ。

 

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冷凍食品コーナーでは初老の夫婦がせっせと冷凍のお好み焼きをカゴへと運んでいた。関西人のお手本ともいうべきだ。冷凍庫がお好み焼きでいっぱいになってしまうが、他の冷凍食品はいいのだろうか…と勝手に気になってしまった。趣味嗜好も冷凍庫の中身も人それぞれで良いんだよね。

 

 

 

レジの店員さんはかなり混乱しているようだった。次から次へとやってくる客と商品のたくさん詰まったカゴに余裕はないはずなのに、わたしの前に並んでいたおじさんとは笑顔で談笑していた。ウェーブヘアーのポニーテールにパキッとした赤リップがやけに似合っていて印象的だった。有り難いのと同時に、なんだか申し訳ない気分にすらなる。

 

 

結局、切り干し大根や鯖缶、ハムなどを購入した。粉の洗濯洗剤も買っておいた。カートを押して車に戻りながら、胸のあたりが少しザワザワしてきてしまった。周りにいる人間が全員ひとつのテーマに左右されて行動することの不気味さ、見えないものに襲われる恐怖を実感してしまい苦しくなってきた。

 

 

近くの薬局にも足を運んでみると、店内は全く品薄の様子はなく、外に陳列されていたトイレットペーパーやティッシュなどの紙類が減っているだけだった。パスタや乾麺も十分に在庫があった。さっきの大型スーパーでは購買意欲を焦らされるような感覚があったが、異常な雰囲気だったんだな…ということがわかり少し落ち着いた。

 

 

明日からどうなるのだろうか。遠い先のことを考えるのではなくて、ほんのすぐ先の未来を考えて生きていたら良いのかな、なんてことをぼーっと自宅までの間に考えていた。言葉になりきれていないもやっとした溜め息ばかりが出てくる。なんだかなあ。

 

 

単純に気持ち的な疲労で身体を壊してしまいそうなので、43℃の熱めの湯船に浸かった。ああ、また早く広い露天風呂に入りたい。そのときは、出来ればお茶風呂か、りんごやみかんのたくさん浮いたお風呂に入りたい。

 

 

明日もほどほどに生きよう。一日一日が目まぐるしくて付いて行けていないけれど、ひとつひとつ状況を飲み込んでいこうと思う。

 

写真:Alexas_FotosによるPixabayからの画像

明日、遺書を書こうと思う。

ほんの3ヶ月前には、令和2年の年賀状を嫌々ながらも書いていたところだった。当たり前のように毎日が続いていると思っていたのに、蓋を開けてみたら、そこにあったのは想像を絶する日々だった。

 

富士山に登るとき、海外旅行に行くとき、危険な地域に行く際やしばらく家を空けることになるときは、遺書を書くようにしている。正確には遺書とは言えないかもしれない、親しい人に対する手紙だ。

 

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そんなのシリアスに考えすぎだ、大げさだと笑われてもおかしくない。これは自分の中のジンクスなのだ。遺書を書いておけば、死なない。なぜなら遺書を書くと、死が突然身近なものになるからだ。もしも自分が富士山から滑落したら、もしも旅先で破傷風に罹ったら……自分の書いたこの手紙を親しい誰かが開封することになる。その光景を思い浮かべると、不思議と「死ぬ覚悟」ではなく、「生きる覚悟」が生まれるのだ。

 

 

いまテレビやSNSで見る国内のニュースは、フェイクニュースだと思えてしまうほどに馬鹿馬鹿しいものばかりで反吐が出る。これからこの国の行く末を、自分の身近な人々に降りかかってくるであろう災難を想像すると、いっそ早い段階で自分の人生を終わらせてしまおうか。その未来を見たくないという気持ちにさえなっている自分がいる。

 

 

医療従事者である友人のひとりは、勤務先の病院は感染症指定病院ではないそうだが、救命外来にくる呼吸器症状のある患者のトリアージを今週から任されることになっているそうだ。わたしはコテコテの文系だし、医療のことなど全くわからないが、着々と、未曾有の疫病に対応するために、現場の状況が変わっていることはわかる。

 

友人の話とニュースで見聞きする話との乖離があまりにもありすぎて、憤りすら覚える。もしも、その大事な友人に何かがあったら、わたしには正気でいられる自信がない。現場の人間を矢面に立たせて、国民のトップたちは目先の利益のことに目を眩ませ、現実的でない、誰も興味のない話ばかりに力を注いでいる。

 

あと一年後、わたしは生きているだろうか。医療従事者や東京の満員電車で通勤している友人らは、みな生きているだろうか。このブログを大げさだと笑って読み返せているだろうか。未来を想像することがこんなにも怖くて辛いことなんてあるだろうか。未来に希望はあるのだろうか。いまにもめげてしまいそうだ。

 

だからわたしは明日、遺書を書こうと思う。その手紙を誰にも読ませない覚悟をするために。

 

写真:Michal JarmolukによるPixabayからの画像

人間関係の雪解けには日にち薬を

「3年間」に大きな意味合いを感じているのは、わたしだけだろうか。

6年・3年・3年……義務教育が3の倍数で続いていくことから、自然と染み付いたものなのだと思う。3年間で次のステージにあがる、というイメージが強い。「3年は我慢」というのはきっと、昔から染み付いた3の倍数に縛られているというのが大きいのかもしれない。

 

「3年は我慢」には少々の疑問を抱いているが、自分のなかでどうしても避けられない「3年のサイクル」というのは確かにある。平和な年の前には必ず「破壊」の年、しんどさを伴う一年間が来るのだ。これまで築いたものを一旦ぶっ壊す。盛大な解体作業をして、また一から新しいものを構築していくのだ。人生は幸運とトラブルの連続だ。目の前の壁に気づかないふりをして避けてばかりいたら、その分道のりは楽だけれど、きっとその先には進めない。 

 

逃げ出すように去った浅草のマンション

高校時代の友人と暮らしていた浅草のマンションを出てから、今年の春で丸3年が経つ。 

note.com

昨夏、noteにルームメイトと行った隅田川の花火大会の話を書いた。これがおそらくふたりで生活していたときの最後の綺麗な思い出で、それから半年後、わたしは逃げ出すようにルームメイトの元を去って行った。「置いて行った」という表現が一番しっくりくるかもしれない。

 

ルームメイトの周りには、まるでブラックホールのように悲壮感が漂っていて、いまにも負のオーラに吸い込まれてしまいそうだった。わたしはすでに限界だった。限界のなかでも、破壊の年をなんとか乗り越え、ようやく次のスタートを切れる兆しが見え始めていた。そのためには彼女を振り切って、置いていくしかなかったのだ。そのときは、そうするしかなかった。

 

楽しかった日々のことは遥か昔のことにさえ感じられ、自分たちが笑い合っていたことさえも幻のように感じられた。しばらくは、名前も呼びたくなかったし、写真も見たくなかった。いつかはまた話せる日が来るとしても、今はそんなことはどうでもいい。考えたくない。マンションの退去費用の精算も終わった。事務的なラインのやりとりを数往復しただけで、あっけなく終わってしまった。遠く離れた地にきて、もう思い出す必要もなくなってしまった。自分の知らないところで、元気にやっていてくれれば、それでいい。

 

サーモンピンクの訪問着とマシュマロキャッチ

人間関係を修復するためには、いくら押してもダメだ。駆け引きなんぞ、暖簾に腕押しなだけで、ただの労力の無駄でしかないとわたしは思っている。必要なのはきっと、日にち薬だ。

 

「日にち薬」という言葉を関西に来て初めて知った。関東では一度も聞いたことがない。直訳では「時間がお薬」、意訳すると「特効薬はなくて、時間がきっと解決してくれるよ」という意味だ。気持ちの問題、特に人間関係で悩んでいるときに一番効力を発揮してくれるのは、日にち薬だろう。自分たちから働きかけなくとも、自然とそういう機会はやってくる。決して恋愛に限らず、運命とはそういうものだと思う。必要とし合うもの同士は、自然と交差する運命にあるのだと思う。

 

1年前、ルームメイトと再会したのは昨年の初めに行われた共通の友人の結婚式だった。ホテルのロビーで再会したルームメイトは、サーモンピンク色の訪問着に身を包んでいた。色白の肌には柔らかい色が良く似合っていた。休みの日に着物を着て出かけるのが趣味だったルームメイトは、今回も自分で着付けをしてきたそうだ。前に会ったときよりもかなりほっそりしていて、健康的な印象を受けた。

 

再会するきっかけとなった結婚式の主役である新婦は、部活の同期だった。わたしもルームメイトも、結婚式を迎えた友人も、同じ釜の飯を食い、狭い合宿所の六畳間で雑魚寝をし、同じお風呂に浸かり、苦しいトレーニングを乗り越えてきた同期の一員だ。体育会系万歳!とか、そういうことを主張する気はないが、自分の意思で、同じ目的に向かって苦しいことを乗り越えてきた者同士には、離れても見えない絆のようなものが自然と生まれると思っている。

 

披露宴自体は同じ円卓でも、別の同期を挟んで隣だったので、軽く会話をしたり写真を撮ったりするくらいで、最低限のコミュニケーションしかとらなかった。式もお開きになり、ぞろぞろとゲストが会場を出ていく。引き出物の入った大きい紙袋を抱えて歩きながら、「久しぶりだね。元気にしてた?」と声をかけた。会場の入り口には新郎新婦や両家のご両親が並び、ゲストに挨拶をしている。新郎にプチギフトの地ビールを貰い、簡単な会話をしながらも、頭の中は久しぶりにルームメイトと喋ったことでいっぱいだった。とにかく、わたしはものすごく緊張していた。

 

 

2次会に行くため、一旦散り散りになった。部長とマネージャーが2次会の受付を頼まれていたので、ふたりと一緒に、一足お先に会場入りした。頼まれてはいないとはいえ、何もしないで座っているのも気が引けたので、受付の準備を手伝いながら時間を潰した。開場時間になり、続々とゲストがやってくる。新郎新婦は揃って教員、さらに新郎はわたしの中学の先輩ということもあり、教員率の高さや絶妙な知り合い具合が場の雰囲気をぎこちなくさせていた。会も始まり、秀逸な司会進行のおかげで、徐々に会場は盛り上がりを見せていた。

 

わたしは受付の近くの端の席で、遠巻きに会場を眺めながらキティを飲んでいた。内心ハイボールを飲みたい気分でも、こういう機会では一応空気を読むタイプなので、ワインカクテルを選んだ。立食形式のパーティはどうも苦手だ。どうしても、隅でひたすらお酒を飲むのに徹してしまう。部活の同期だけでなく、同級生もちらほらいたので、ビンゴ大会などに参加しつつも、近況報告に花を咲かせていた。数人挟んだ隣にいたルームメイトの様子が気になって視線を移したら、ビンゴそっちのけで、軽食に夢中だった。訪問着を着ているというのに、タコスやポテト、フライドチキンを頬張るルームメイトの姿を見て、思わず笑ってしまった。

 

わたしは美味しいものを美味しそうによく食べる女の子が大好きだ。

そういえば、一緒に暮らしていた頃、天然なルームメイトが鍵を忘れて出勤した日があった。わたしが帰ってきたとき、ふっと気配を感じて後ろを見ると、部屋の前の階段に座り、膝に箱を抱えてピザを食べていたことを思い出してはふふっと思い出し笑いをしてしまう。着物姿で幸せそうにご馳走を頬張る彼女を見たとき、「この子はちゃんと、自分の力であの暗い闇を乗り越えたんだ」ということが直感的に分かった。どんよりとした黒っぽい雰囲気はもうなくなっていた。

 

披露宴会場を出るときとは違って、自然と話しかけることができた。ぎこちなかった会話も、どんどん前のようなテンポを取り戻しつつあった。一緒に住んでいたマンションを引き払ってから2年が経って初めて、あの家を出てからどこに引っ越して、いまどこで働いているのか、どんな生活をしているのか、ということを聞いた。周りを見渡すと、ゲストは皆ほろ酔いで、頰を赤らめており、最初のぎこちない雰囲気とは打って変わって、肩の力を抜いてその場の雰囲気を楽しんでいた。

 

ビンゴ大会が終わり、景品を賭けたチーム対抗戦が始まった。いまはそれほど機敏に動く自信はないが、元スポーツマンだ。勝負事は負けられない。種目はマシュマロキャッチ。投げる人とキャッチする人、2人が必要になる。誰が行く?マシュマロをキャッチする役目は、確実に瞬発力の優れたルームメイトが適役だと思っていた。はて、誰が投げる?きっと息が合っている人がペアになった方がいい。数年間疎遠だったとはいえ、チームの中で一番彼女と関係性が強いのは明らかにわたしだ。気付けば口が勝手に動いていた。「〇〇(ルームメイトの名前)、行くよ!」と言って、前に進み出た。あの頃のように、まだ息が合うのか証明したかったのだ。ルームメイトの口元に照準を合わせて、上空に向けてマシュマロをゆっくりと高めに投げる。綺麗なアーチを描くマシュマロ。わたしのやるべきことはやった。あとはルームメイトのキャッチ力にかかっている……。

 

結果は成功だった。背中を反らせるような体勢で、マシュマロを華麗にキャッチしていた。訪問着姿で、勇ましくガッツポーズをしたルームメイトは輝いて見えた。結局、二回戦では隣チームに連続成功を許してしまい、景品の蟹は逃したが、気持ちは十分、満足だった。

 

南極料理人』と巨大エビフライ

それを最後に、ルームメイトには1年会えていなかったが、年明け、グループラインに嬉しいメッセージが入った。なんと、わたしの家から40分もあれば会いに行ける距離に引っ越して来たという。すぐにメッセージを送り、「引っ越しが落ち着いたら会おうね」と約束をした。

 

2月。今度はわたしの引っ越しが決まった。せっかくすぐ側に引っ越して来たというのに、また逃げるように去ってしまうことになる。まだしばらくは、そのくらいの距離感が必要だということにしよう。新居も決まり、「3月中に会おうよ」とメッセージを送った。家にも案内したい気持ちもあったし、ルームメイトを連れて行きたいお店があったから「せっかくだから遊びにおいで」と誘った。

 

ふたりで暮らしている頃、何度も何度も繰り返し観た映画がある。『南極料理人』だ。

南極料理人

 〜あらすじ〜

海上保安官・西村淳のエッセイが原作。南極観測隊員の料理人として派遣されることになった西村。非日常の環境で、学者、大学院生、医師などの個性的なメンバーが繰り広げるクスッと笑える日常を描くほのぼのコメディ。

Filmarks(https://filmarks.com/movies/32944/spoiler)より

 

わたしもルームメイトも、南極観測隊員たちのわちゃわちゃした雰囲気と個性豊かなメンバーに、高校時代の自分たちを重ねていたのだろうと思う。おにぎりを一心不乱に頬張る姿、待望のラーメンを夢中ですするシーンは、合宿でお腹を空かせた私たちがご飯にありつく景色にとてもよく似ている。たくさんの料理が出てくる中で、ずっとふたりで「食べたいねえ」と話していたのが巨大エビフライだ。作中には、伊勢海老を丸ごと揚げたどデカい海老フライが出てくる。

 

大きな海老フライのあるお店があることは前々から知っていた。お店の前を通り看板を見る度に、いつもルームメイトの顔が浮かんでいたのだった。ご飯屋さんや飲み屋さんでも、そのお店に一緒に行くのにふさわしい人というのはいると思う。巨大海老フライを頬張りに行くのにお伴したい相手は、ルームメイトだった。

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念願の海老フライは残念ながら、伊勢海老ではなかったが、いつかルームメイトと巨大エビフライを食べるという小さな願いが叶った。キャベツが古かったのかちょっと苦くて、ふたりとも綺麗にキャベツのサラダだけ残し、車に戻ってから「あれ、ちょっと苦かったよね。」と言って笑った。

 

その後、お気に入りの浜に連れて行った。初めてこの土地に来たときに、こんなに綺麗な景色があるんだ、と感動した場所だ。3年前は、ルームメイトにまた会うこと、ふたりで楽しくお喋りをして美味しいご飯を食べることは近い将来にはないと思っていた。

 

でもいまわたしは、一時期疎遠になってしまったルームメイトと、この美しい景色を見ながら並んで歩いている。遠くに見える山の雪は解けはじめていた。もうすぐ春が来る。

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写真:著者撮影(Olympus E-M10 Mark IIIを使用)