体調とスキンケア

3月の前半は気圧の変化に文字通り振り回される毎日だった。ウワーまた後戻りするのかーと一瞬悲観してしまったが、周りを見渡すとどうやらこの時期はみなしんどい様子で、わたしだけの問題ではないと思うと少しホッとした。毎年この季節が来るのに何年経っても慣れない。今年気付いたことといえば、この冬と春が混ざり合うような季節に、春を好むものとそうでないものがはっきり分かれるように思った。わたしは完全に後者で、春の陽気を感じるだけで気が重くなる。冬の寒気が戻ってくるだけで身も心も驚くほどに軽くなるので気候と体調は密接に関わっているのだなと思う。

 

自分自身の精神的な体調の波を見極めることは難しい。特に自分が不調の渦中にいるときは。持ち堪えてきた今になってようやく俯瞰して見れるが、調子が悪かったときはとにかく皿洗いと掃除が出来なかった。昨年の10月前後がピークで、皿を洗っている間に一瞬意識が飛ぶ瞬間があり(集中力が切れる?)、多い時は週一くらいのペースで皿やコップを割っていた。おかげさまで整理をせずとも食器棚が少しすっきりした。不要なものばかりなら良かったのだけれど、なかにはお気に入りだったレトロな足付きグラスもあり、そんなに特別なものでさえ割ってしまうくらい自分は皿洗いひとつも上手くできないのだなとショックも受けた(自己否定も強くなっていた)。

 

掃除もそうで、「物が散らかっている」という事実が頭で分かっていても、それらをあるべき場所に戻すという作業がどうしてもできなかった(そもそも身体が動かない)。ソファには洗濯物が溜まり、自室にも物が重ねられていき、窮屈な空間が広がっていった。「物が散乱していると脳疲労につながるから片付けた方が良い」と言われても、片付けられる状態だったら片付けられるし、片付ける気力がないならどうしようもないよなと正直思う。いくら片付けの方法を指南されたところで、実行に移す気力が不足しているのなら何もしようがない。それをこの数ヶ月で実感させられた。

 

ありがたいことに、体調はこの二ヶ月くらいでかなり回復を見せていて、皿洗いも掃除もひどい時に比べると作業効率が三倍くらいになった(ほとんど元に戻りつつある)。

そして、皿洗いや掃除以外にも、自分がスキンケアを念入りにやっていることに気付いた。

 

調子が悪くなるとお肌のケアは疎かになる。精神的にボロボロになったら、ぶっちゃけ肌のコンディションなんてクッソどうでも良い。スキンケアは、人に見せるものというよりも長期的に肌の状態を良く保つためのものだと思うので、先のことを考える余裕がなければないほどどうでも良くなると考えれば辻褄が合う。特にメイク落としは顕著で、余裕があるときにはクレンジングオイルで時間をかけて落としていたのに、拭き取り化粧水に頼りがちになる。

調子がいい時は化粧水や乳液など他にもパックをしたりアイクリームを塗ったりしていたものが、オールインワンジェルをぐりぐり塗るだけでもう良いや、となる。

 

しかし、最近またお肌への関心が高まってきた。この前、新しいアイクリームを買って、朝晩とせっせと目尻の皺と下瞼に塗りこんでいる。祖母の葬式の際、母親の化粧をしてあげたのだが、目元のメイクがよれるなーと思っていたが、それを自分の顔で実感してくると少しへこむ。美魔女になるつもりはないけどエイジングとは戦っていく所存。それに、朝メイクをする前にパックも仕込むようになった。下地ののりが全然違って、今日も一日良い気分で過ごせそうな気がする。これらはきっとメンタルの回復している現れなのだと思う。

 

これからも生きていくからにはきっと色んなことが起きるのだろう。その度に体調の波に振り回されることになるかもしれない。皿洗いや掃除だけでなく、スキンケアが疎かになってきたら、肌よりも自分自身を労ることに集中して、これからも自分という人間と上手く付き合っていきたいと思っている。