ジンクスとマーガレットの花束

ジンクスと調べると縁起の悪いこと・ものと出てくる。言い換えれば悪いことが起こる予兆のようなもので、わたしにはこれまでいくつかのジンクスがあった。それは防寒ジャケットとノンアルコールビールとマーガレットの花束の三つ。

 

一つ目の防寒ジャケット。これは某メーカーから出ている保温性の高い上着なのだが、一見薄手に見えるし軽量なのに思っている以上に暖かく、さらっと羽織れるので重宝していた。しかし、これを着る時に限って配偶者と口論になったり不穏な空気になったりすることが多く、着るのをためらうようになった。いつからかそのジャケットは一人で外出する際にのみ着用するようになった。

 

ある時、電車の中がものすごい暑い日があった。外が寒い時、外気温に合わせて人々は着込んできているというのに、電車内が暑すぎて汗だくだくになるのはいかがなものか、と毎年思っている。そして、その時わたしは自分がとてつもなくイライラしていることに気が付いた。わたしは体温が高い。平熱が36.6℃とかなので、平熱が低い人にとっては微熱ぐらいあるし、生理前なんかは37℃に平気でなる。

 

それゆえに、人よりも暑さを感じるタイミングが早い。わたしは暑いのが苦手なので、夏も季節としてなくなればいいと思っているし、サウナにも入らない。いくら寒い日であっても暖房をかけながら寝るのはかなり苦行である。この自分の体調の特性を考えていたとき、ようやく気付いた。

防寒ジャケットが悪さをしていわけではなくて、暑さがわたしの機嫌を損ない、口論や不穏な空気を引き起こしていたのではないか?

 

それに気がついてからは、配偶者と過ごす時もそのジャケットを羽織るようになった。少しでも一定以上の暑さを感じたら、なるべく早くその脱ぐ。それを心がけたらこれまでに起きていた嫌な雰囲気が流れることもほとんどなくなった。

 

二つ目はノンアルコールビール。今日はあんまりお酒を飲みたい気分じゃないからアルコールはいいや、とかこの後運転があるから、という日は一杯目にノンアルコールビールを注文していた。

ビールを飲んでいる気分にもなるし、でも運転もできるんだしこりゃあいいやと初めは飲んでいたが、振り返ってみると、ノンアルコールビールを飲んだ日はトイレに篭ったり、身体の調子が悪くなることが多いような気がしていた。勘のいい人はこの時点で察するかもしれない。

 

ある日、今日は運転手だからとノンアルコールビールを注文した。すると、さっきまでは元気だったのに飲み始めてから三十分くらいして急に気持ちが悪くなり、トイレに駆け込むと戻してしまった。これはおかしい。明らかに今日わたしは元気で、体調の悪い兆しなどなく、当たるような食べ物を食べていない。その時初めて、もしかしたらこの飲み物の成分が合わないのでは?という疑問が湧く。

 

それまでノンアルコールビールが何で出来ているか、何があの味を作り出しているかなんか考えたこともなかった。ノンアルコールビールがビールと違うのは、アルコールを生成するビール酵母が入っていないこと、そしてほとんどのノンアルコールビールに「アセスルファムK」という人工甘味料が入っていることだった。

 

人工甘味料_お腹」と検索してみると、わたしと同じようにお腹の調子が悪くなるという人が一定数いることもわかった。アセスルファムKノンアルコールビール以外にも、カロリーオフの飲み物の多くに含まれている。それらを口に含むと、砂糖や果糖ではない独特の舌に突き刺さるような甘味がある。

 

法事の際、運転があるからとおばにノンアルコールビールを渡されるも「あたし飲むとお腹壊しちゃうからノンアルコールビールは飲めないんだよね〜」と断ると、おばたちは驚きながらも、シルコは偽物が飲めないらしいと感心して笑っていた。そう、わたしは本物しか飲めない贅沢な腹なのだ。

 

こうしてみると、ジンクスだと思っていたものには明確な根拠があった。案外、自分が悪いイメージを植え付けているだけで、科学的に説明できることの方が多いのかもしれない。

 

そして、三つ目はマーガレットの花束。わたしは花が好きだ。社会人になってからは、花を買うのが生活の楽しみのひとつでもあった。

 

当時は、上野駅に入っている花屋か、最寄駅から家に帰る途中にある花屋によく立ち寄っていた。わたしは花の中では一番マーガレットが好きなのだが、多くは鉢植えばかりで、花束として売られていることは少ないように思う。

 

ある帰り道に花屋に立ち寄ると、偶然マーガレットの花束が売られていたので意気揚々と買って帰った。枝が長く、ちょうど良い瓶がなかったため、ゴミの日を待っていたハートランドビールの瓶に生けた。当時住んでいた家のキッチンの壁はイエローだったので、シンクのそばに飾ると瓶のグリーンが相まって景色が華やいだ。

 

そんなるんるん気分で過ごしていた最中、伯父の訃報が入った。突然なことで動揺していたわたしは、キッチンに飾ってあったマーガレットの花束を見て、自分が浮かれてこんなものを飾るからだと自分を責めていた。それから、花を飾ること自体がトラウマになり、何年もの間花を買うことはなかった。

 

時が経ち、コロナが蔓延して出掛けられなくなると、花が恋しくなった。その頃、花の定期便というサービスがちらほら始まった頃で、システム自体に興味があったこともあり、利用を始めた。わたしの使っていたサービスでは、2〜3種類のブーケの雰囲気から好きなものを選ぶと、そのイメージのブーケが二週間に一度ポストに投函される仕組みだった。

 

再び花を飾り始めてから、不吉なことが起きることはなかった。ああ、わたしが花を飾ったところで何か悪いことが起きるわけではない。ようやく一つ荷物を下ろせた気がした。花の定期便はめまぐるしいスピードで値上がりし、それに反比例するように品質が下がっていくのを感じたので早々に解約した。

 

それからは駅前の花屋や道の駅で購入しているが(道の駅が結構穴場でいい花が売っている!)、ある日、花屋を覗くと黄色を基調とした花束を見つけた。ガーベラとカーネーション、そしてマーガレットが入っているではないか。

 

マーガレットか。少しだけ躊躇したが、その花束のバランスがとても好みで、すぐに購入した。いざ自宅に持って帰ってみると、キッチンには飾る気になれず、ベッドのサイドテーブルに飾ることにした。

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その数日後、配偶者から電話が入った。日頃から世話になっている人が病院に運ばれたとの連絡だった。

 

話を聞いてみるとかなり深刻な様子で、心筋梗塞脳梗塞かもしれないと言っていた。夫婦でお世話になっている方なのだが、一人暮らしで、近くに身寄りがいないこともあって、その日の予定をキャンセルして入院の世話を手伝うことになった。

 

午前中は一緒に検査に周り、急いで家に寄って入院のための衣類や日用品をバッグに詰め込む。手続きまでには一時間くらいしかない。まさか、五十歳を過ぎた、身内でも恋人でも友人でもない男性(職場では鬼上司として恐れられている)のトランクスを無心でエコバッグに詰め込む日が来るとは思わなかった。

 

緊急で入院するにはこんなに時間に猶予がないのかという現実と、独り住まいのリスクの高さをひしひしと感じるのだった。

 

入院当日の様子を見ていたら、退院するまでには最低でも一ヶ月はかかるのだろうなと思っていたし、もしかすると一人で生活するのは無理なのではないか、と思うほどだった。しかし、その人は驚異的な回復を見せ、一週間ほどで退院した(具体的な診断名は控えるが、脳梗塞心筋梗塞が原因ではなかった)。

 

その人が入院している間、わたしたち夫婦(というか主にわたし)は毎日朝晩最低でも一時間半かけて飼い犬の世話をしており、当時はこれが一ヶ月続くと思っていたので、頭がおかしくなりそうだった。友人との飲み会の時間を押していたときは、TWICEの『YES or YES』を全力で歌うことでなんとか正気を保った。退院してから快気祝いとして飲みに連れて行っていただいた際には、腹いせに…と思い山崎12年のハイボールを2杯も飲んだ(飲んでやった)。

 

これも無事に回復を見せているから書けているわけなので、色々思うことはあるが、当人が元気になってありがたいと思っている。

 

マーガレットと今回の出来事に直接の因果関係があるとは到底思えないので、これこそがまさにジンクスと呼べるのかもしれない。そして、わたしが一番好きな花であるマーガレットの花束を家に飾ることはもう二度とないと思う。

 

写真:同じブーケに入っていたカーネーション。さすがにマーガレットの写真は残せなかった。