姉の推し方

近頃、推しとの距離感が何かと話題になりがちだ。お金を積めば積むほど推しから見返りを受けられる(権利がある)という考えている人が世の中には一定数いるらしい。推し=ホストみたいな感覚で、シャンパンを入れれば入れるほど特別扱いをしてもらえるというのに近いのだろうか。

 

この記事では、姉の推しとの距離感について、妹の視点から勝手に推しはかりたいと思う。

 

遡ること一年くらい前のある日、姉から急にLINEが届いた。「んふんふ」という姉なりの独特な喜びを表現する一文とともに、サングラスをかけた一回りほど上の男性と姉が肩を組んでいる写真が送られてきた。「誰?」とわたしが送ると「ヒダカさん」と返ってきた。あの、ヒダカさんである。

 

そう、姉の推しはBEAT CRUSADERSのボーカルであるヒダカトオルだ。BEAT CRUSADERSとは、1997年から2010年にかけて活動していたバンドで、通称はビークル。素顔を隠すため、モノクロの顔の描かれたお面をつけて活動していた。

 

ヒダカさんといえば、大きめな眼鏡ををかけて口角を上げて大きく笑っているあのお面イメージだったので、これがあの素顔か…!と少し湧いた(わたしもイベントに足を運んだことがあるので、素顔を見ているはずだか全く覚えていなかった)。

 

それよりも何よりわたしが一番驚いたことは、姉がヒダカさんと写真を撮ってもらうのはこの日が人生初だったということだった。なぜなら、姉が高校生の頃からBEAT CRUSADERSの強火ファンだったことをわたしは知っているからだ。

 

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ここでまず、姉の学生時代について振り返りたい。

中学を卒業した姉は、地元の私立高校に通っていた。同時に、GO!GO!7188コピーバンドを同級生と始める。子供部屋では、うさぎの顔の描かれたクッシャンやその他の柔らかい塊をドラムがわりにドラムスティックをバチバチと叩き、時にわたしの睡眠を妨害しながら日々練習に励んでいた。

 

これだけを見ると高校生らしい青春を送っているかのように見えるが、我が家には父親というモンスターがいる。姉は長女なので、否が応でもわたしたちのクレイジーな父親に対して真正面から立ち向かっていかなければならなかった。バンド活動とカラオケに精を出していた姉は、ある日、数学のテストで一桁の点数を取って帰ってきた(成績表はすべて父親に提出しなければならない)。教師である父親は激怒し、姉が使っていたauの黒いマットなガラケーを逆パカし、一瞬で亡き者にした。勢いは止まらず、姉を退学させるといい、退学届まで準備するところまで行った。結局、父の知り合いの先生がそれを止めてくれ、退学はなしになったが、退学届はしばらくわたしの部屋のクローゼットにしまってあった(姉妹喧嘩が激しすぎるのでわたしは隣の空き部屋に移った)。

 

大学受験期に入ると、姉は幼稚園教諭になりたいという夢を父親から色んな理由を並べられて力尽くで潰され、まるで銀色の矯正器具を付けられた歯のように、父が理想とする進学先を目指すことになる。しかし、中学時代から勉強が得意でなかった姉は(そもそも興味がなかったのだと思う)浪人時代を経て、そんなに行きたくないであろう大学へ進むことになる。

 

大学時代は水戸の自宅から早朝に鈍行列車に乗って都内にある大学まで通い、水戸駅前にあるマックで深夜までバイトしていた。わたしはその時高校生だったが、姉の生活サイクルはまるでブラック企業勤めの人間のようで、同じ家に住んでいるというのに、一週間に一度くらいしか姉の顔を見なかった。もう、とにかくめちゃくちゃな生活だったし、メンタルはボロボロだったと思う(煙草もバカスカ吸っていた)。わたしが姉の立場だったらその状況を乗り越えられる気がしない。

 

この妹から見ても悲惨と思える姉の高校・大学時代を支えていたのは完全に音楽であり、BEAT CRUSADERSだったとわたしは断言する。

 

父親に内緒でバンド活動に勤しんでいた姉は、ヒダカさんがやっていたラジオにハガキを送り、バンド名を付けて貰っていた(プロレス選手のアンドレ・ザ・ジャイアントにまつわる名前を命名されていたが、実際にそのバンド名で活動していたのかは定かではない)。

几帳面だった姉は、リリースされたCDをもちろんすべて揃えていた。かつて子供部屋であった姉の部屋を覗くと、本棚には雑誌やBEAT CRUSADERSが取り上げられているフリーペーパーなど、集められるものはすべて集められ、綺麗に陳列されていた。あの白黒のお面も、どこかで印刷をして型紙に貼り付け、輪ゴムをつけるなどして自作していたようだった。

 

姉は激務の大学時代に入っても、授業と通学とバイトの合間を塗ってライブにも頻繁に通っていた。家で遭遇した時の姉は、大体ジーパンにバンドTという出で立ちだった。ブログを書くにあたって本人に探りを入れてみると、未だにチケットの半券も取ってあるらしい(多すぎて一部は捨てたそうだが)。わたしも姉から影響をモロに受け、高校時代には水戸駅のエクセルの上にあったフットサル場で行われた野外イベント(確か『EPopMAKING〜Popとの遭遇〜』のリリースイベントか何か)と水戸芸術館で行われたライブに友人と参加した。リリースイベントは部活の筋トレ日にしれっと帰ったことを先輩にチクられ、部長に後日ブチギレられたが、今となってはそれももはやスパイスである。水戸芸術館のホールで生の『MOON ON THE WATER』を聴いたことは今でも大切に覚えている。

 

わたしはたったの二回しかライブに足を運んでいないが、姉はBEAT CRUSADERSが「散開」する2010年まで、熱狂的に推しを推し続けていた。もはやそれは姉の生活の一部になっていた。祖父母の家へと向かう車の後部座席で、姉がガンガンにBEAT CRUSADERSを聴きながら爆睡していたことがそれを物語っていた(イヤホンからの音漏れがすごい)。姉ちゃん、わたしは大橋トリオくらい優しい音楽じゃないと眠れないよ。

 

BEAT CRUSADERSが解散した後も、姉はヒダカさんが新しく加入したバンドも応援していた。側から見ていたら、この人はヒダカさんに認知されたい人間なんだと思っていた。それが活動の原動力なのだと。この人はきっと写真の一枚や二枚くらい撮って貰っているのだろうなと勝手に思っていた。

 

しかし、蓋を開けてみると、姉がBEAT CRUSADERSを熱狂的に推していた頃からもう15年はとうに経っているというのに、姉は2023年にようやく推しにツーショットを撮って貰ったのだ。姉は常に一定の距離感を保ちながら、推しを推してきたのだ。わたしはその事実に深く感動し、姉を誇りに思った。

 

色んな推し方が合っていいとは思う。それが生き甲斐になっていて、生活を滅ぼさない程度であったらお金も使うだけ使えばいいと思う。でもお金を積んだ分、その人の心が動くわけではない。推しは他人だし、活動は仕事で、笑顔はサービスでしかない。

 

わたしが高校生だった頃、同級生らは某アイドルのCDを大量に購入し、握手会に通い、推しから認知されることにに喜びを感じたり、それを自己アピールにしている人も中にはいた。その人を応援したい気持ちよりも自分が認められることがメインになってない?それ、とも思うし、その余った大量のCDたちはどうなるの?とも思った。そもそも、高校生という子供、未成年にそんなお金の使い方をさせるようなビジネスモデルが構造としてよろしくない。大人は今一度よく考える必要があると思う。

 

姉の推し方の目的は、推しからの認知ではなく、その人の奏でる音楽にリスペクトがあり、経験が自分を生かしているというように見えた。ビタミンやカルシウムのように、必要な栄養を接種しているような感じだったから、側から見ていても清々しい気持ちになれた。わたしはそんな姉の「推し方」を推したい。