湯気

3日ほど前から胸の痛みがまた始まった。もう大丈夫だと油断していたら、急に首根っこを掴まれて引き戻されるような感覚。急激な気圧の変化のせいだと思いたい。

 

歳を重ね、多方面の知識をちまちま得ることによって、子供の頃の記憶の答え合わせが突然発生することがある。それは、想像していたよりも鶴岡八幡宮の舞殿がコンパクトであったこともそうだし、親にされた言動や行動が虐待やそれに近いものだとわかったこともそうだ。

 

これまでは、このブログでは頭のおかしい血縁者についてなるべく面白おかしく書いてきた。人様にはやはりネガティブなものを見せるべきではないと思っていたから。ため息は煙たがられる。ポジティブな言動がもてはやされ、自分の機嫌は自分で取りましょうと誰かが今日も笑顔で言う。

 

祖母は人格に問題のある人だった。わたしの母のことをずっと盗人扱いして、皿がなくなった時はお前が盗んだのだろう、通帳のありかを忘れた時もお前が盗んだのだろうと母に宛てて直筆の手紙を書いてきた(実際には皿も通帳もちゃんと祖母の家にあった)。親戚中が揃っている場でも遠回しに母だけを貶すような発言を度々笑いながらしていた。

 

そして、祖母の息子、わたしの父親も狂った人間だった。だったと書いたが残念ながらまだ存命だ。子供の頃、何が父親の逆鱗に触れるのか分からず、怯えるように毎日を過ごした。帰りが遅くなった夜、例えそれが同じ時間だとしても、機嫌のいい日は怒らず、機嫌の悪い日は窓が割れるくらい大声で怒鳴られた。高校の部活の打ち上げにはいつも最後まで参加できなくて、同期や憧れの先輩方とプリクラに映れたことがない。子供の頃から貯めていたお年玉はいつの間にか受験代に姿を変えていた。

 

すべてを環境や遺伝のせいにしてはいけない。努力でいかようにも人生は好転できる。実際にそうしてきた人だって何人もいる。でも、実際に親子代々、子育ては受け継がれていき、遺伝子の配列はそう大きくは変わらない。わたしも、決していつの間にか祖母や父親のようになっているのではないか。

 

『かしましめし』という作品に「辛さを先延ばししただけかもしれないな」という台詞があった。その一言を聞いた日からずっと胸に刺さっている。日にち薬がいつかこの傷も過去のものにしてくれるのではないかと願っているけれど、時が経ってもこの苦しみは薄れるどころか、長いこと湯に浸けた茶葉のように濃くなるだけかもしれない。

 

わたしは血と肉の塊になりたくないし、地縛霊にだってなりたくない。できることならば霧のようにふわっと消えてしまいたい。でもそんな方法は残念ながらない。熱い湯で入れたかりがね茶を見てわたしは湯気を羨ましく思う。