水戸の名店たちと新幹線

先月水戸に帰省した際の記録、後半です。前半はこちらから。

misoshiruko.hatenablog.com

水戸の名店たち

翌朝、支度を済ませると朝のうちに友人Cの家を出た。帰るまで少し時間があるので、大洗へ墓参りに行ってから帰路に着こうと、水戸行きの電車に乗った。しかし、今日の天気予報は雨。常磐線に乗るとすでに雨が降ってきた。

 

水戸駅で大洗線に乗り換えようと下車するが、駅からお墓までは結構距離があるし、タクシーに乗ったとしても、雨や強風の中お線香を焚くのは難しいしな、などと考えていたら、無理してまで行かなくてもいいかという結論になった。その代わり、空いた時間を使って久しぶりに一人で水戸の街をぶらつくことにした。

 

駅ビルは開店していないので、まずは一息つくために小雨の降る中銀杏坂にあるPro cafeへ。

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このお店は、わたしが高校生〜予備校生の時によく通っていたお店で、図書館で勉強した後に友達とここに来たり、予備校生の時は一人で小論文の課題を読み直しながらウインナーティーを飲むのが贅沢で至福の時間だった。

大学時代には年に何度も帰省していたので、マスターも顔を覚えていてくれて、「なんだか垢抜けたね」と言ってくれたり、よく会話を交わしていたが、帰ってくる頻度が落ちてからは、こちらが「お久しぶりです」と声をかけるのは押し付けがましい感じがして(覚えていなかった時に覚えていますよ感を出させるのもつらいし)、いつからか何も言わずに新規の客として入店するようになった。

この日はアイスのウインナーコーヒーを注文した。

ゴールドの鉄製のストローと店内からの景色

当時は、バイトの学生さんたちがすごくお姉さんに感じられてかっこいいなあと思っていたが、いつの間にか可愛らしいなあと思う年齢になった。

 

Pro cafeを後にし、再び水戸駅に戻ると、Excelの雑貨屋さんで折り畳み傘を買う。一番上の階に入っている本屋には癖で何の理由もなく足を運んでしまう。ぐるっと店内を一周して、北口のバス乗り場へ。

 

水戸の街を散策するにはわたしはバスがぴったりだと思っている。名所が点在しているので歩いて巡るには難しいし、中心部は何気に駐車場が高い。とにかく近くのバス停を見つけてバスに乗り込むのが一番手っ取り早い。ただ、水戸のバスは現金の他にいばっぴという茨城交通独自のICカードしか使えないので、観光に来る人は気をつけて欲しいし、県をあげて早急にどうにかしてくれーと思っている。

 

また、商店街というと、アーケード街のように駅から連続して伸びていることが一般的だと思うが、水戸の街の作りは少し変わっていて、北口から伸びる大きな国道50号を背骨に、水戸駅から大工町の交差点まで、左右の道に入るとそれぞれの町に商店が並んでいる。コンパクトな商店街が何列も並んでいるというイメージだ(夏に行われる水戸黄門祭りでは、この50号線が歩行者天国になり黄門パレードが行われる)。

 

わたしは小学生の頃、泉町・大工町のあたりに住んでいたので、小学校の時の同級生の親御さんたちは、商店街で働いている(お店をやっている)人が本当に多かった。町内会やクラブの集まりでご飯を食べるときは必ず同級生のお店だった。今思うと、旅先でもどこにいてもチェーン店よりも個人商店が気になって足を運んでしまうのは、この時の経験が染み付いているからなのかもしれない。

 

水戸駅北口から大工町バス停までバスに乗ると、団子屋の伊勢屋さんへ。

スーパーホテルが目印(すぐ隣にあります)

今では和菓子・あんこといえば高級なものもたくさんあるが、わたしの原点はここにある。店舗は子供の頃に泉町から今の大工町の場所に移ったが、この外から見えるショーケースの景色はずっと変わっていない気がする。

入店し、念願のあんだんごと豆大福・草大福・すあまをそれぞれ1点ずつ購入。思わぬタイミングであんだんごが手に入り嬉しい(11時前だったのにすでに2パックだった…!)。泉町には銀行や信用金庫が集まっているので、母がこのあたりに用事があるときはこのあんだんごを買って帰ってきてくれた。パックの中には串の刺さっていない団子とあんこがみっちり詰まっていて、それを姉や母とみんなでつついて食べるのが好きだった。

 

伊勢屋を後にすると、歩いて泉町方面へと向かう。小学校にはある時期からバスで通っていたので、いつもこの場所で帰りのバスを待っていた。好きな男の子が習い事に向かう途中に通り過ぎて、目が合ったことを今でも覚えている。バス停から見えるこの建物には三菱UFJ銀行が入っていて、母と通帳を作りに行ったのも懐かしい。

美術館関係の施設に生まれ変わるらしい

京成百貨店の向かい側には水戸市民会館という大きなホールを兼ね備えた文化施設が出来ていた。

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わたしの知らない間に街がどんどん変わっていく。嬉しかったのは、もともとこの場所にあった但馬屋という豆屋さん(角から順に果物屋さん、時計屋さん、豆屋さんと並んでいた)がこの建物の1階で営業していたこと。裏手にあったハンバーグの美味しいれんが屋さんは、道の向かい側に移転していたこと。昔からある商店が今も変わらず大事にされていることがわたしは本当に嬉しい。

 

そのまま水戸駅方面に歩みを進めると、木村屋へ。ここも老舗のパン屋さんである。外観は昔のままだけれど、入り口と内装がリノベーションされてモダンな雰囲気になっている。

わたしが入店してからも、作業着姿の人やおばあちゃんまでひっきりなしにお客さんがやってくる。まるで魔女の宅急便のグーチョキパン店みたいに、街の人に愛されているお店だ。

幼少期、母と中央図書館まで本を借りに行き、この木村屋でパンを買って帰るのが大好きで、平和というのはあの光景のことを言うのだろうと思う。

多分、水戸市民の中では木村屋といえば甘食なのだと思うけれど、わたしが食べるのはいつもシナモンロールと卵サラダパン、ハムチーズサンドだった(ハムチーズは袋の中に入っている)。水戸駅に戻り、ペデストリアンデッキに新しくできた大きな屋根のあるベンチで食べた。いつの間にか袋が紙袋からビニールに変わっていた。

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今回改めて思ったのは、水戸にあるお店はどれもそこに住んでいる人のためにあるということだった。話題作りや見栄えがするものなど、物事をインスタントに消費したい人たちのためのお店は限りなく少ないような気がした。だからこそ、ミーハーな人に持て囃されることはないので、人で溢れる観光地になることはこの先もなさそうだが、それこそが水戸の良さなのではないかとわたしは思う。

 

新幹線

水戸を後にすると、東京駅で帰りの新幹線に乗り換えた。新幹線に一人で乗る時は、必ずD席(通路側の席)を取るようにしている。圧迫感が苦手なので、自分が窓側に乗った時、通路側に大きな荷物を持った人や声をかけずらい雰囲気の人が座った時の心労から逃れるためだ。

 

この日、窓側に乗ったのは可愛らしいおばあちゃんだった。杖をついているが、大学生がよく使っているようなデザインのリュックを背負っていて快活な印象を受ける。そのおばあちゃんがリュックを荷物棚に載せようとしたが高さがあったので、「お手伝いしましょうか」と手をかざすとにっこり笑顔になった。その後二言三言会話を交わすと、しばらくそのままお互い黙って座っていた。

 

その日は台風1号が発生して、不安定な天気だった。窓の外に雨雲がかかるのが見えると、天気の話からぽつりぽつりと会話が始まった。そのおばあちゃんは福島の白河市出身で、兄弟の集まりで久しぶりに地元に帰っていたのだそうだ。兄弟たちと、美空ひばりの『みだれ髪』に出てくる塩屋岬に行ってきたのだと教えてくれた(歌碑があるらしい)。水戸出身だと伝えると、笠間に妹さんが住んでいるらしく、ぐっと距離が縮まった感じがした。

 

その後、9人兄弟であることや、自分は4番目で一番上のお姉さんと末の妹さんは20個歳が離れていること、妹さんと姪っ子が同学年だったことなど色々教えてくれた。コロナの前までは旦那さんと一緒に兄弟会に参加していたが、三年前に亡くなり、今回久しぶりに一人で新幹線に乗ったのだそうだ。会話が途切れると、何の気なしに「子供はいるんでしょ?」と聞かれた。わたしは「いいえ、いないんです」とだけ答えた。いつもなら適当な返しで誤魔化してきたが、それももういいやと思った。

 

30歳になりたての頃、今まで経験したことのないことをしようと占いに行ってみたことがあった。母より少し上くらいの占い師さんに、聞いてもいないのに「子供をどうしてもっと早く産まなかったのか」と言われたので「母親になる自信がなくて」と適当に嘘をついた。「自信なんかなくても産んだら誰だって母になるものよ」と無責任な発言をされて不愉快な気持ちになったことを思い出し、今日もきっと何か後味の悪いことを言われるのだろうと身構えてしまった。

 

正直な話をすれば、わたしは子供なんか産みたくない。欲しかったけれど授かれなかったというわけでもない。自分が親にされて嫌だったことを自分の子供に繰り返してしまう可能性があるのならその連鎖を断ちたいし、こんなに幸せの保証されていない世の中に大事な人を産み落としたくないから産まなかった。それだけだ。

 

でも、わたしの発言のあと、そのおばあちゃんは一言も発さなかった。お互い何も言わずに、窓の外や新幹線内の案内板を眺めていたら、しばらくして、「じゃあ気軽に色んなところに旅に行けるわね」とだけ言ってくれた。些細なことかもしれないが、わたしにはその反応が衝撃的で印象深かった。沈黙は金という言葉を身を持って感じるとともに、親より上の人は皆説教的な話をするだろうと偏見をもっていた自分を恥じた。

 

その後も、おばあちゃんが住んでいるという浜松まで、これまでの兄弟会で訪れた場所や白河の美味しい食べ物の話、次の兄弟会の予定やお孫さんの結婚式のこと、最後には浜松で息子さんが経営しているお店を教えてくれた。浜松が近付くと、わたしは「最後まで気を付けてくださいね」と声をかけ、おばあちゃんは「あなたも最後まで楽しんでね!」と軽快な足取りで出口へと進んで行った。教えてもらったお店には富士山にキャンプに行った帰りにでも今度寄ってみようと思う。

 

新大阪駅に着くと家族が駅まで迎えに来てくれていた。長旅から帰宅すると待ちに待った伊勢屋のあんだんごを一緒につついた。

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