水戸駅、バーミヤン、駆け込み寺

これは11月11日から、文学フリマに合わせて東京や地元の水戸、その他関東近辺を旅した際の記録です。

https://misoshiruko.hatenablog.com/entry/2023/11/19/文学フリマ、ホッピー通り、常磐線

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水戸駅

11月12日、上野から常磐線の鈍行列車に乗る。通路を挟んで反対のボックス席では、おばあちゃんが自分で握ってきたであろうおにぎりを何故だかこっそりと食べていた。常磐線のボックス席ではいつも誰かしらが何かを飲み食いしている。

土浦で水戸行きに乗り換え、外を眺めたりうとうとしているうちに水戸に着いた。

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高速バスで帰る時は途中で路線バスに乗り換えるため、水戸駅までわざわざ来ないので、この景色を見るのはもう五年ぶりくらいのことになる。不覚にも改札が視界に入った段階でうるっときてしまった。

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改札を出ると、案内板だけでなく、広告も地元の企業や学校ばかりで、あれも知ってるしこれも知っているぞ!と嬉しくなる。どーもくんに至っては納豆のコスプレをしているし。ダサいとか通り越してもうただひたすら愛おしい。いままではこの景色が当たり前すぎて、視点がそこにいくことがなかった。それにしても水戸駅、いつの間にかちょっとお洒落で綺麗な駅になったなあ。

新しい街に住む時、内見でふらっと訪れた時と実際に住んでみてからでは街はまるで違って見えるけれど、離れてみるとさらにその向こう側からの景色が見えるのだなあと思う。 

 

そして、わたしがまだ水戸に住んでいた頃は、友達と遊ぶ時といえばこの改札前で集合するのがお決まりだった。

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同級生らもそこで待ち合わせをするので、お盆や年末年始になるとこのエリアが小さな同窓会のようになった。

いまはもうわたしの知り合いは誰も立っていなくて、わたしたちよりもずっと若い世代が待ち合わせの誰かを待っている。

 
バーミヤン

水戸駅構内の写真をバシバシ撮っていると、そろそろ着くよーと友人から連絡が入る。南口のロータリーに降りると、高校時代の友人Mが車で迎えにきてくれていた。ふたりで息継ぎする間もなく話に夢中になっていると、遅れて友人Aも到着して、国道沿いにある喫茶店へと向かった。三人で会うのはコロナが流行る直前、京都の赤垣屋で飲んだ以来のことになる。

 

目的地の駐車場に着くと、バーミヤンの看板が目に入る。皆その存在に気付き、「バーミヤン行く?」と冗談で笑いながら喫茶店に入店するとまさかの満席。「じゃ、バーミヤン行こ」とさっきの冗談が本当になった。

軽くお茶をするつもりが、バーミヤンに来てメニューを開いたらお腹が空いてきて、それぞれチャーハンと坦々麺、バーミヤンラーメンを注文した。ひとしきり各々の丼に向き合ってから改めてドリンクバーを取りに行き、改めて久しぶりの会話を楽しんだ。

 

AとMとは恋愛の話はまるでしなくて(なんだか小っ恥ずかしくて酔った時にだけぺろっと話す)、後から考えればよく思い出せないようなどうでもいい話をする。最近好きなラジオの話とか、パックのサイズが合わなくてどのパーツを少し破るかとか。ちなみにわたしは口が大きいので口角を引き裂きます。

 

そしてこの日、一番盛り上がったのは好きなせんべいの話だった。発端になったのは、野球好きのMの「大谷翔平に質問できるとしたら何のせんべいが好きか聞きたい」という発言だった。好きなせんべいにはその人の個性が現れるという話で、わたしとAは揃って黒豆せんべい、Mは白くて厚みのある塩せんべいだった(名称不明)。揃って好みが塩ベースだから気が合う、ということなのだろうか。

 

個人的には大谷翔平選手には雪の宿が好きと答えて欲しいところだが、本人に好きなせんべいは何かと聞いたら、爽やかな笑顔で「いや、食べないっすね〜」と答えそうな気がする。

 

駆け込み寺

AMコンビと解散し、今度は高校時代の部活の同期であるCと合流した。Cとは実家が近かったので、部活帰りは一緒に自転車で帰ることが多く、お互いの家の事情もよく知っていた。

 

わたしは今年の夏前に父親と絶縁することを決め、実家には帰れないし帰りたくもないので、この旅程を組んだ時は虚しさを感じながらも水戸駅近くのホテルを予約した。

 

九月の終わり、京都みなみ会館の閉館に間に合うようにCが関西に遊びに来た時、わたしの話を聞いたCは「次帰ってくる時はうちに泊まりなよ」と言ってくれていた。その言葉に甘えて、一度はホテルを予約したものの、キャンセルしてCの家に泊まらせてもらうことになった。聞けば、実家と折り合いの悪い別の友人も茨城に帰る時はCの家に泊まるのだという。まるで駆け込み寺のようだ。

 

Cの家に荷物を置くと、水戸の宮下銀座へ飲みに繰り出した。宮下というのは坂の上に水戸東照宮という神社があるからで、わたし自身も七五三や節分の豆まきに何度も参加した所縁のある神社である。

 

それと同時に、水戸東照宮は高校の部活の同期と一緒に、大学時代に初詣に来るお決まりの神社でもあった。毎年近くの安いホテルを人数分予約して、ひとつの部屋に集まってベッドでゴロゴロしながら年を越し、東照宮へと向かった。お参りをした後は、神社の裏手にある長い階段をグリコをしてぎゃあぎゃあ笑いながら降りた。

 

二十代半ばくらいまでは定期的に集まっていたが、それぞれ結婚したり転勤で引っ越したりと、全員が集まることは誰かの結婚式でもない限りなくなってしまった。

 

宮下銀座の居酒屋でお酒を飲みながら、Cと当時の話を懐かしんだ。今日はふたりしかいないけれど、じっくりお酒を飲みながら話が出来るのも良いなと思う。中にはもう疎遠になったメンバーも何人かいて、もうあの頃には戻れないけど大事な時間だったよねと話した。前日の睡眠不足のせいもあってか、涙腺がゆるくなり、話しながらカウンター席で何度も号泣した。その後、夜の水戸駅を後にして、駆け込み寺へと戻った。