『団地のふたり』とふたりのおばあちゃんの話

NHK BSでやっている『団地のふたり』というドラマにハマっている。幼馴染のふたりが一度は出たものの、紆余曲折あって子供の頃住んでいた団地に戻ってきて生活しているというお話。主役は小泉今日子さんと小林聡美さんで、ドラマの『すいか』が好きなわたしにとっては、馬場ちゃんと早川が再会した世界線…!と、そのキャスティングだけで始まる前からワクワクが止まらなかった。

 

団地のふたり』は現在進行中だが、今まで見た話の中で第3話の春日部くんの話が一番印象に残っている。のえち(小泉今日子)となっちゃん小林聡美)は、小中学校の同級生である春日部くんがお母さんと一緒に団地に戻ってきているという噂を聞きつける。そしてある朝、のえちとなっちゃんは偶然春日部くんに再会する。春日部くんのお母さんは認知症が進んでいて、団地に帰りたいと繰り返し言うことものだから、春日部くんとふたりで戻ってきたのだった。

 

春日部くんのお母さんの記憶は団地に住んでいた頃で止まっていて、春日部くんやのえち・なっちゃんのことを小学生だと思い込んでいた。のえちとなっちゃんは複雑な気持ちになりながらも、団地内に住む佐久間のおばちゃんに相談をする。ある日、のえちとなっちゃんはおばちゃんや団地の住人を連れて、フリマで落札した一冊の本を携えて春日部くんの家に遊びに行く。

 

お土産に持ってきたのは(おそらく)なっちゃんお手製のお重に入ったお弁当と、佐久間のおばあちゃんがお気に入りのキンパ。佐久間のおばちゃんとのえちのお母さんがPTAの話や団地の夏祭りの話など、昔話に花を咲かせる隣で、にこにこと話を聞いている春日部くんのお母さん。

 

なっちゃんが持ってきた昭和歌謡名曲集を開くと、「懐かしいわね〜」と佐久間のおばちゃんとのえちのお母さんは、石原裕次郎の映画をこっそり見に行った話をする。『銀座の恋の物語』をワンフレーズごとに歌い始めると、次のフレーズで春日部くんのお母さんも歌い出す。その姿は生き生きとしていて、春日部くんも、その場にいるみんながびっくりする。最後には、のえちとなっちゃんも歌に参加し、その場が大合唱になる。

 

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何度も見返していても必ずこのシーンで泣いてしまう。春日部くんのお母さんが歌を覚えていたこともそうだし、世代を超えてひとつの曲をみんなで歌うということに涙がじんわり滲んでくる。

 

このシーンが胸に来るのにはもうひとつ理由があって、わたしもこれと似た場面に遭遇したことがあるからだ。大学生の時、教員免許取得の要件である「介護等体験」として、介護施設へ5日間実習に行ってきた時のことだった。

 

わたしは実家から自転車で15分ほどの場所にある社会福祉施設に行った。担当になったのは、入居者全員がおばあちゃんのセクションで、10人が入居していた。初日は何を話して良いかわからず、入居者さんとコミュニケーションをとることにかなり苦戦した。

 

入居者さんの要介護度はさまざまで、つきっきりで介助しなくてはならない人もいれば、しっかりした足取りをしていて、一見(なんでこの方は入居しているんだろう…?)と思えるような人もいた。Aさんは、年齢が他の入所者さんと比べて圧倒的に若く(70前後に見えた)、テキパキと職員さんの手伝いをしていたが、かなり認知症が進んでいるようだった。実習二日目、Aさんは若い頃に水戸駅の近くで食堂をやっていた話を楽しそうに何度も話してくれた。わたしはほんの数日しかいないので、毎回初めて聞いたふりをすることができるが、毎日何度も繰り返し同じ話をされる人は相当しんどいだろうなと思う。それと同時に、認知症はすべてを忘れてしまう病気ではなく、その人にとって大切な記憶だけを残していくことを知ったのだった。

 

Aさんとのやりとりがきっかけで、入居者さんと今の話で繋がることは難しくても、昔の話を聞いてみようと意識すると、格段に口数が増えていった。

 

次の日、わたしは家から小学校で使っていた童謡の本を持って行った。入居者さんが集まるテーブルで、「この曲知っていますか?」と冒頭を歌ってみると、みんなが時を戻したように歌うではないか。三日目ともなると、入居者さん同士でも人間関係に色々あって、決して全員が仲良く暮らしているわけではないことがわかったが、その場にいる入居者さん全員が楽しそうにひとつの歌を歌っていて、職員の方々も少し驚いているようだった。

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春子さん

ここからはまた別の話になるが、もう一人、書き残しておきたいおばあちゃんとの出会いがある。

二年前に死んだ母方の祖母の四十九日に、わたしは地元に帰らずに関西にいた。祖母や母のためだけを思えば参加したかったが、父親に会うのが億劫で(他の弔事と合わせて年に3回も顔を合わせていた)、自分のために欠席にしたのだった。

 

その日、わたしは罪悪感を抱きながらも、夫と夫の職場の後輩と三人で京都の宇治に食事に行っていた。そこは職場の後輩が子供の頃から行きつけのお店で、わたしたちも紹介されてから大変気に入って、ワンシーズンに1回は訪れている店だった。お酒を嗜み、デザートのジェラートまで平らげてご機嫌な帰り道、夫の後輩が運転してくれている車の後部座席から真っ暗な住宅街を眺めていると、一人のおばあちゃんが歩道を歩いているのが見えた。

 

何となく違和感を感じ、注視してみると、外は肌寒いというのに薄手のパジャマ姿でとぼとぼと歩いていた。夫と「あれどう思う?」「あれは声かけた方が良いやつだと思う」と会話を交わすと、わたしは車から降ろしてもらい、おばあちゃんに声をかけた。いざ声をかけようと思うと第一声に迷ったが、「どちらへ行かれるんですか?」というようなことを聞いたと思う。

 

最初は、知らない人から声をかけられて嫌がっているように見えたが、街灯のないさらに真っ暗な道へ進もうとしていたので、躊躇している暇はないと、より強く引き留めた。明るい大きな歩道のある道に逸れ、石段に二人で腰をかけることに成功した。おばあちゃんの足元はサンダルで、お風呂上がりなのか、手には箱に入った化粧水を握りしめていた。

 

そのおばあちゃんは、春子さんという名前だった。京都の別の地域の出身で、結婚して宇治に引っ越してきたらしい。今自分が住んでいる家はもうどこだかわからないようだった。家に帰ったらみんなが待っている、子供たちが遊びに来ているとしきりに繰り返していた。家がどこだかわからないのにまた歩き出そうとするので、「一緒に月でも見ましょう」とデートのお誘いのような台詞が口からさらっと出た。その日は満月の綺麗な夜だった。

 

わたしが春子さんと話している間、夫に警察を呼んでもらっていたので、程なくしてパトカーがやってきた。警官が尋問のように春子さんにあれこれ質問していて胸が痛かった。帰り際、春子さんはもうわたしのことを子供か孫だと勘違いしていて、「もう帰るの?」と言われたので、「そうなの、今日はもう帰らないといけないの。でもまた遊びに来るね!」と笑顔で嘘をついてその場を離れた。

 

あの日の夜、もしあのまま引き止めずに春子さんが夜の町を歩き続けていたらどうなっていただろう?肌寒い夜、長い間暗い町を歩き続けていたのかもしれない。あの日の命が無事に続いたなら、わたしは法事に行かずにここにいて良かったんだよね?と天国にいるおばあちゃんに向けて問いかけた。