生理がしんどい 〜タブーな生理の話をあえてしちゃう〜

生理がしんどい。

生理二日目の昨日は、生気が失われて横たわっているしかなかった。こんなにしんどいのに、生理休暇とか実際に取れてる人ってどれくらいいるんだろう?という疑問が浮かぶ。わたしは前の仕事では1度も生理休暇を取得したことがない。ズル休みか?と思われそうだし、《生理休暇》って名称そのままなのが「わたしはいま生理です!!!!!」と主張しているようで余計に取りづらい。そもそも、生理についての認識が浸透してなさすぎるんじゃ〜〜〜〜!という憤りを、匿名性を良いことにこのブログでぶつけていきたい。 

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生理休暇の画像は流石のいらすとやにもなかった

人生は辛い、そして生理も辛い

まず大前提として、わたしは女だけど「女の人と男の人どちらの方が偉い」とか私は思っていない。結論は、どちらも偉い。みんな生きてるだけで偉いと思っている。

男の人と女の人を比べても仕方がないと思う。突き詰めれば性差という体の作りの問題があるわけで、性質の違うものを比べること自体がナンセンスな気がする。

 

男の人でも女の人でもバリバリに働く人は偉いし、パートナーに代わって子育てや家事を頑張る主婦や主夫の皆さんも偉いと思うし、みんな何かしら不条理なことや無慈悲なものと戦っているのだから、みんなすごいと思う。 

 

その前提の上でも、人生で起きる出来事のなかで “生理” は結構辛い、不条理で無慈悲なものだと思う。そして、女の人だけがそのしんどさを被る運命にあり、コントロールが効かないものである。(*だからって女の人の方がしんどいんだぞと言いたいわけではないことをここで再度主張しておく。)

 

タブーとされる生理の話 

なぜか生理の話は、世間ではタブーとされている。

そりゃ昔に比べたら、多少は変わってきているかもしれないけど。

 

先日、結婚式の2次会でクラッチバックの中に忍び込ませておいたナプキンを床に落としてしまったときは顔面蒼白になった。めちゃめちゃコンパクトで外見が一見ナプキンにも見えなくもない(というかそう願いたい)から、どうか気付かないでくれと念じながら物凄い速さでバックに仕舞い込む、という出来事があった。凄い速さで夏は過ぎたが、ベイベ〜ららららららら〜♪

 

でもよくよく考えてみれば、それはその辺を歩いている女子大生や通勤電車で隣に座ったOLさんかもしれない、今も誰かが生理の真っ最中なのだ。テラスハウスでYOUさんの言っていた(女が)3人いれば誰かは生理」ってめっちゃ名言だと思ったよ、わたしも。

 

生理は、個人差はあれど約月に1回のペースでやってきて、小学生くらいから更年期に閉経するまで、トータルすると約半世紀くらいのお付き合いになる。もはや大親友を超えて伴侶レベル。でも、たぶん生理のことは10年後も20年後も、関係を解消したあとでも、好きにはなれないと思う。

 

小学5年生くらいだっただろうか、女子だけが教室に残されて、保健室の先生から生理についての授業を受けた記憶がある。教室のドアや窓から覗けないように暗幕をされて、秘密の集会を行うような、プラネタリウムでも観るような雰囲気で、その当時はワクワクしたのを覚えている。授業の終わりには、生理についての薄い冊子とナプキンの2枚くらい入った小さい袋を貰って、大人の階段を一歩登ったような気持ちになっていた。

 

しかし、女子だけが残されて男子は別室に移動される必要は本当にあったのだろうか?

確かに、その当時は他人事かもしれないけれど、いつかできる(かもしれない)彼女や配偶者、家族にも関係していることなのに?

 

いま思えば、その頃から生理は「女の子のみが知るべきことで、男の子は深く知ってはいけないもの」というタブーな存在として扱われている。ナプキンは男の人には見せてはいけないものだし、生理の話をすること自体が穢れたもののように扱われている気がする。 

   

生理はただ血が流れるだけじゃない

ナプキンのCMでは青いサラサラな液体がさら〜っと流れて、「これだけ着ければ安心快適〜♪」と若い綺麗なモデルさんがにこにこして無駄に白いタイトスカートやパンツを履いているけれど、そんなのただのイメージに過ぎない。

まず、経血なんてあんなにさらさらじゃないし、もっとドス黒い鬼の血みたいな感じだ(鬼の血なんか見たことないけど)。流すならブルダックポックンミョンの辛いタレを代わりに流すべきだと思う。ちょっと前に、韓国のナプキンのCMがすごく赤裸々でサイコーだネ!というのをネットニュースか何かで見かけたけど、それだってどのくらいの人が興味を持って見たんだろう。

 

 

中学生くらいになると「女は生理になるとイライラする」と男子がからかって言いはじめるけれど、イライラするどころじゃない。そもそも、生理になる前にすでにイライラは始まっている。PMS月経前症候群というやつだ。高校生の時に初めて『500日のサマー』を観たとき、主人公の妹役のクロエ・グレース・モレッツの台詞でその言葉を知った。しかもイライラだけならまだしも、生理の一週間前ともなれば「不安な気持ちになる、気分が沈む、集中できない」とか様々な精神的ストレスが発生するし、まだ経血が出始めていなくとも、胸が張ったり頭が痛くなったり肩が凝ったりニキビができたり、身体的にも不快な症状が数多く出てくる。わたしの個人的な症状でいえば、身体的な症状よりも精神的な症状の方がひどく、人に会うのが億劫になるし、将来や全てのことが憂鬱になり、意味もなく泣きたくなってしまう。

 

 

結局、一ヶ月に一度のペースで生理が来るとしても、《生理が始まる前の約一週間》と《生理が始まってからの約一週間》はしんどいのだ。つまり一ヶ月のうち、身体と心が安定している期間は約半月くらいしかないと言っても過言じゃないんだから、イライラするどころか、街中で発狂してもいいくらいなんじゃないかと思う。それを表に出さずに黙って平穏に生きているだけで、めちゃめちゃ褒め称えられてもいいくらいだ。それこそ『500日のサマー』の主人公 サマーみたいに公園でpenis!と大声で叫んで発散しても良いくらいに。

 

旅行の道中にて親友と生理事情について語る

2ヶ月ほど前、地元で行われる友人の結婚式に合わせて中学からの親友と那須旅行に行ったのだが、道中に生理の話でめちゃくちゃに盛り上がった。何の脈絡もなしにその話題をぶっ込んだ…というわけではなく、一番の目的が温泉にゆっくり浸かることだったので、生理が旅程に被るかどうかは超重要な問題だったのだ。

 

本来であれば、友人の結婚式・那須旅行共にだだ被りだったはずが、わたしの体はかなり空気を読んでくれ、超短期集中型で終了し、結婚式当日は生理3日目にもかかわらずほんの一滴しか経血が出なかった。よって親友との温泉旅行も万全な状態で臨むことができた(旅行が結婚式の前だったら完全にアウトだった)。

 

そして、親友の運転する車の中でお互いの生理事情についてぶっちゃけ大会の始まり。生理周期が何日くらいで、何日くらい続くのか。どういう症状がでるのか…etc。女同士でも普段ここまで深く突っ込んだ話はしない。

 

生理用品については、30年弱生きてきて二人共タンポンは怖くて使ったことがなかった。極力使わなくて済むなら使いたくない。なぜなら抜けなくなったら怖いから。親友も同意見だった。親友はフラダンスを趣味でやっていて、生徒さんの半分以上がタンポンを使っているらしい。衣装や運動量の関係でタンポンの方が圧倒的に楽だからだそうだ。親友の話で初めて知ったのだけど、中には月経カップというシリコン製のカップを使っている人も数名いるとか。特に欧米では主流らしいのだが、わたしはその話を聞いて膣にカップを入れ込むなんて〜!と悲鳴をあげてしまった。

 

家には念のため買って使わずにとってあるタンポンがあるから、 「今度うちに遊びに来たときは、水をかけたらどのくらい膨らんで吸収するのか実験してみよう」と親友と中学生男子のような約束をした。

 

わたしが使ってよかった生理用品

ここからはわたしが実際に使ってことのある生理用品について。どちらも心からお勧めできる。

 

1.低容量ピル

2年前までピルを病院で処方して貰って飲んでいたが、その時は生理周期が固定され、症状も比較的軽くなり、必ず決まった時に生理がきて終わるので、精神安定上とても役に立っていた。正直なところ、ピルは避妊のためだけじゃなくて、子宮内膜炎の予防にもなると自分で処方を受けるまではわたしも知らなかった。

 

一方では、ピルを飲むことには同性でもいまだに《ヤリマン》みたいに “性に奔放な” イメージを持つ人も案外少なくない。レイプだって、ぶっちゃけ日本に住んでいてもいつ自分の身に起こるかわからない。ピルを飲むことは、自分を守る術のひとつにもなる。緊急避妊用のアフターピルを1度飲んだことがあるけれど、あまりにも副作用が強すぎて、何度も戻してしまった。比較的副作用の少ない低容量ピルを飲むようになったのはそれがきっかけでもある。そして、アフターピルは急な出費としてはあまりにも高い。未成年や学生が手に入れるにはかなり難易度が高い気がする。

 

2.オムツ型ナプキン 

半年くらい前にTwitterでオムツ型ナプキンが最高だという漫画を拝見した(ビクトリアブラディーヌ (@darekamoratte) | Twitterさんのもの。

 

自分の結婚式に生理がかぶる可能性が出てきたとき、調べまくっていたら辿り着いたのだ。結局ストレスで生理が1ヶ月以上遅れたので、当日はお世話にならなくて済んだ。

 

こちらに関しては、わたしも正直買うまでは抵抗があった。薬局など対人で買うには少し勇気がいるけれど、ネットで買い物ができるのは良い時代だなとこういう時改めて思う。一度履いてみたら、あまりにも快適すぎて本当にびっくりした。夜中に経血が漏れて、朝起きたらシーツにシミが付いている…ということほど絶望するものはない。その絶望からようやく解放される日がきた!(これまでは、汚れても良いタオルを尻尾のようにズボンに入れ込んでいた。)

さすがにボリューミーなので、持ち歩きには向いていないけれど、衛生的な問題がクリアできたら日中でも使いたいレベル。パンツと一体化してるからナプキンをつけたときの嫌なゴワゴワ感が全然ないし、ズレる心配もない。

 

最後に

めちゃめちゃ長くなってしまったが、生理と一口に言っても血が出るだけでなくて、裏側には色んな苦労が隠されているのだ。みんながもっと生理について話しやすい社会になったら、もっと生きやすくなる人が増えるだろうな〜と思う。身近な将来に、セクハラとしてじゃなく、「生理なら無理せずに休んで良いよ」と周りが言いやすい環境が少しでも増えて、生理休暇ももっと取りやすい社会になっていたら嬉しい。

 

 

平成ジャンプとアナログジャンプ

決まりましたね新元号。令和。REIWA。

元号が変わるくらいでそんなに騒がなくても…と令酷な態度をとっていた私ですが、国民が必死に号外を血眼で奪い合う姿を見ていたら、あぁでも自分が生きているうちにあと経験するとしても1回とかそのくらいなのかぁ。という想いが湧き上がってきて、とてもプレシャスな感じがしてきたよね。

 

 

私は平成生まれの人間なので、正直昭和から平成への移り変わり事情はよく分からない。今回は異例の生前退位になったわけで、それまでは国民が天皇崩御にあたり喪に服す暗い雰囲気だったと言うから、平成の天皇陛下・皇后様は本当に素晴らしい。クソコラや年号大喜利、そして号外のメルカリへの大量出品、きっと生前退位でなければこんなことバチがあたってしまう(とはいえメルカリ出品はどうかと思いますが)。

 

 

話はちょっと変わるけれど、アナログ放送が終了しデジタル放送へ移行するとき、わたしは大学生の真っ只中だった。大学生にとって一度しか味わえない経験は大好物中の大好物である。ワールドカップやオリンピック、渋谷に集合してとりあえずお酒を飲めばいいと思っている。いまでは元号が変わるというビッグイベントにも冷ややかな視線を送っている自分も、かつてはそのうちの一人だった。キラキラしてるものサイコー。色合いがごちゃごちゃすぎてよく分からん古着サイコー。とりあえずお酒サイコー!わっしょい!という時期も一応(ごくわずかではあったけれど)あったのだ。

 

 

そして、アナログ放送が終了するその一度しか味わえない節目のため、高校時代の仲良しメンバー(6/7が東京進出していた)でわざわざ集合し、代々木公園でしこたまお酒を飲み、当時向ヶ丘遊園にあった友人宅(ロフト付き約7畳)へ上がり込み、皆で川の字になって雑魚寝をした。川の字というか字の如く川川。寝返りを打つ余裕などない。

 

 

終了のタイミングは翌日の昼間だったような気がする。やっとこの瞬間がくる!私たちはこの名目の元に集まってきたのだ。寝返りも打てない掛け布団もない状態で一晩を明かし、やっとこの瞬間に立ち会える。みんなで固唾を吞んでテレビを見守った。カウントダウンしながら、終了のタイミングで画面が砂嵐になることを全員が期待していた。

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3、2、1。ジャンプ!!!!!!!!!!!!!!

 

 

画面が切り替わる。砂嵐!!!

…………………………じゃない。あれ……?

 

 

青い案内表示だった。アナログからデジタルに移行するにあたって、問い合わせ用の電話番号などが書いてある。いま調べてみたら、砂嵐になるまでに数時間のタイムラグがあったらしい。砂嵐を期待していた私たちは中途半端な結果に拍子抜けし、「まじかよ。」という絶妙な気持ちになった。まあ楽しかったしおっけー!という感じで、そのままみんなで牛丼でも食べに行ったような気がする。

 

 

たぶん、今私たちが絶賛大学生だったとしたら、平成から令和になる瞬間だとかこつけて集まっているのだと思う。私たちが高校に入学した年に初任だった担任も、ようやく昨年度で他校へ赴任することになった。仲良しメンバーもそれぞれ、転職したり、役職が付いたり、筋トレが趣味になったと思ったらボディビルの大会に出だしたとか、みんな色々だ。時が経ったいまでも、元旦は地元に帰省しているメンバーで、駅前で唯一元旦から空いているチェーン店の居酒屋でベロベロになるまで飲む。社会人になりたての頃は、正月のために下ろした2万円を綺麗に使い切っていた。

 

 

みんなこれから結婚したり、転勤したり、どんどん元旦に集まれる人数も減っていって、なかなか集まれなくなってしまうんだろうなとしんみりしてしまうけれど(現にわたしは西日本に引っ越したので元旦は参加が難しくなってしまった)、あの時みんなでジャンプしたことをきっとまた思い出すよ。

おんなのるつぼと私の大学時代の友人

群 ようこさんの作品で『おんなのるつぼ』というエッセイがある。

題名の通り、色んなタイプの女の人が考察されている一冊。

 

おんなのるつぼ (新潮文庫)

 

その中に、「自分が一番」という一節がある。とある花屋のオーナーのお話だ。

簡単に要約すると、なんでもかんでもこちらの話に「そうじゃなくて」と否定の言葉から入るから、どうも後味が悪い。なんでこうもおんなの人って自分のことばかり大事にして人を否定するんだろう、という話。なんでも否定から入るのは、結局は自分が一番、自分が基準だからなのだ。読みながら、「うんうん。」と思わず頷いてしまう。どうしてこうも、返答が「でも〜」から始まる女なの人って多いんだろうか。

 

 

 

私は、特に高校生の頃から“同級生の女の子”という存在が苦手だった。

そもそも、わたしはお弁当の時間が本当に嫌いで嫌いで仕方がなかった。というのはまず、母の作ってくれるお弁当が全然可愛くなかったからだ。母の作ってくれたおかずは、たとえ自分で詰めたところで全然可愛くならない。色合いが地味だからだ。それを見られるのが思春期の私はすごく嫌だった。それに加えて、なぜクラスメイトと集まって食べなければならないのかわからなかった。毎日毎日わざわざ集まって話す話題もないし、むしろみんなで仲良くなる必要なんてない。男子が自分の席でお弁当を食べるのは普通なのに、女子がそうするのが許されない雰囲気が嫌いだった。

 

ある日、母がおいなりさんをタッパーいっぱいに詰め込んだお弁当を学校へ持っていった。全然可愛くない、全面茶色の弁当。たまたま、その時近くにいたクラスメイトの女がその弁当箱の茶色い中身を見て「かわいい〜」と言った。どこがかわいいじゃボケ。ふざけんな。その日を境に、教室で弁当を食べる行為が阿呆らしくなった。

 

昼休みが始まった途端にリュックを背負って教室を飛び出し、保健室に行って先生とだべりながら食べるか、部室へ駆け込み一人で弁当をかっ喰らい、野球部のグラセンを見ながらぼーっとしたり、部室にある漫画を読んだり、昼寝をするか、の主に二択で教室でお弁当を食べることは特別なことがない限りなくなった。

 

 

 

中学校ではそれほど感じてはいなかったけれど、高校に入ってから、お弁当の時間以前に大多数の “女の集団” が私にとっては受け付けられない存在になっていた。“みんなで”とか“グループ”とか、大なり小なり集団を形成しようとするところに違和感があった。現に、クラスが一緒になったからって、仲良くなれる子なんてほとんどいなかった。一人で何かをやることに何の抵抗もないタイプだったし、私の中では部活の存在が大きく、同期が家族のような存在だったので、私にはそれほどクラスに仲の良い友達は必要ではなかった。

 

 

現に、わたしは友達が少ない。というか、友達と認定している人が少ないだけかもしれない。

自分の中で友達を認定することは、小麦粉をふるいにかける感覚にとても似ている。雑多に混合している集合体のなかから、純なものを厳選していく作業。特に、大学を卒業して《大人》になってからは、そのふるいにかける作業が頻繁に、そして網目はさらに細かくなってきている実感がある。大人になってまで、人に合わせたり、違和感を感じながら人付き合いを続けるなんて馬鹿馬鹿しい。全てはそういう考えからだ。

 

 

 

先日、大学時代にとても仲の良かった友人のうちの一人で、大学を卒業してからも頻繁に飲みに行く友人と距離を置こうと思う出来事があった。

数年勤めた旅行会社を辞め、大学在学中から念願だった広告業界に転職する彼女。2月にこんなメッセージがきた。「次の仕事が始まる前、しばらく休みの期間があるから、3月の終わりに遊びに行くね。」私は早めに言ってくれたら全然予定は合わせられるし、だいたい予定が固まったら教えてねと返信した。また決まったら連絡する!というメッセージを最後に、私は友人からの連絡を待っていた。

 

3月初旬、来ない。

何やかんや忙しいんだろうな、そのうち来るだろう。

 

3月中旬、来ない。

そして下旬、待てど暮らせど連絡がこない。

 

 

連絡するねと言われていた手前、こちらから催促するのはなんだか腑に落ちないため、気持ちをぐっとこらえて連絡を待つ。

 

3月も残り5日くらいになった頃、1通のエアメールが届く。例の友人からだ。内容はこうだった。

「海外旅行が思いの外長引いちゃって、遊びにいけなくてごめんね〜。ヨーロッパ最高!オペラ座めっちゃ綺麗だからおすすめしとく!4月から仕事頑張ります。じゃ!」

 

完全にわたしの主観的な要約なので、悪意満載なことは言うまでもない。それにしても、あまりにも簡単に事を済ませようとしてないか??!?沸き上がってくる怒りの気持ちを抑えて、冷静に私が厳しいだけなのか?と客観的に考えてみるも、やっぱりおかしい。落ち着いて一日考えた結果出た答えは、Instagramでヨーロッパ旅行最高!転職するし飲みのお誘い待ってま〜す!なんて投稿をする暇があったら、詫びのメッセージ一通ぐらいよこせよ。だった。

 

 

私の中で何かが爆発した。どこの火山だろうか。桜島か?はたまたハワイのキラウエア火山が噴火したのだろうか?どんどんマグマが溢れ出してくる。

今思えば、彼女に対していままでも違和感を感じる瞬間は幾度となくあった。噴火の予兆は既に何度かあったのだ。時間の問題だったのかもしれない。例えば、待ち合わせを明らかに自分の家の近くに設定してくること(間を取ろう、という発想がない)、自分の男友達の話をして写真まで見せてくるくせに、わたしの仲のいい友人の写真はわざわざ見せなくていいよと言ってきたこと。わたしは浪人しているので、彼女の一つ上なのだが、大学の同期であるのだから対等に付き合うべきだと思っている。でも彼女からは“年下の甘え”のようなものをひしひしと感じていた。

 

 

本当は何の連絡もなしにしばらく距離を置こうと思っていた。けれど、わざわざ海外からエアメールを送ってくれたという善意だけはちゃんと受け止めようと思った。

結局、「エアメールありがとう。ヨーロッパ旅行楽しめて良かったね。そして無事に帰って来れて何よりです。だたし、今回の対応については非常に残念です。詫びのメッセージ1通でもよこすべきでは?筋が通っていないと思います。親しくても礼儀は必要だよ。」という旨のメッセージを送った。返事はわたしが送ったよりも5分の1くらいの短いのもので、少しふてくされたような感じだった。すごく残念だった。誠意を感じるような謝罪の一言でもあれば、今後の関係はずっと変わっていたような気がする。わたしは、その後なんの返信もしなかった。

 

 

彼女は、おんなのるつぼの中の「自分が一番」女だったのだ。

人の話を聞こうとしない姿勢は、はたから見て結構キツいものだ。自分の話をしたい気持ちもわかる。でも自分の話ばかりされるとこちらは困る。人付き合いには気遣いってもんが大事なんじゃなかろうか。

 

最後に彼女に会ったのは、わたしが高校の同級生(部活の同期)の結婚式に参加した直後だったので、あまりにも彼女の身勝手さが顕著になってしまっていたのもタイミングが悪かったなと思う。結婚式やその二次会で、色んな友人や知り合いと話す機会があったが、素敵だなと思った人は自分の話をする以上に人の話を聞いている印象があった。そしてそういう人たちは大抵、既婚者か彼氏/彼女持ちだった。気遣いのできる人ってやっぱり魅力的だよねと同期に車で送って貰う時に話していた。

 

 

自分が一体どんな“おんな”なのか考えてみると、私は礼儀とか義理人情にはうるさい女だ。筋が通ってないことが許せない。

多分、彼女とは1年は会わないと思う。連絡がきても、お断りをするつもりでいる。過去の親しさとこれからその付き合いを続けるかどうかは関係がない。お互いが敬意を払えない関係などそれにかける時間もお金も無駄だと思う。このまま疎遠になるかもしれないし、またどこかで繋がりが復活するかもしれないし、それは未来にお任せするしかない。「人のふり見て我がふり直せ」。この教訓を身を以て得た出来事だった。 

 

Amazon prime video『東京女子図鑑』が東京で働くOLに響きすぎる

一週間ほど前にamazon primeに登録した。

正確にいえばまだお試し期間ではあるのだけれど。

 

私はNetflixにも入会しているのだが、prime videoへの乗り換えを考えている。というのも、毎週月曜日の夜の楽しみだったテラスハウスが終わってしまったからだ。

…と思ったが、いま調べてみたら新シリーズの視聴が2019年5月から始まるらしい。もう2ヶ月もないじゃん!という驚きと嬉しさ。やったー。でも結果prime videoの本登録は少し遠のいてしまった。……という私のオンデマンド環境についての報告は置いておいて。prime video限定のめちゃめちゃに面白い作品を見つけてしまった。

 

『東京女子図鑑』

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タイトルの通り、東京の色んな女の子が図鑑のようにたくさん出てくるストーリー。ファッションブランドのバリキャリOLや読者モデル、お花屋さんの店主、ただ街中をすれ違うだけの女の子・・・etc。水川あさみさん演じる主人公が23歳で秋田から上京して40歳になるまでの、彼女を取り巻く環境や人間模様が描かれている。元々は東京カレンダーの連載コラムが始まりだったようだ。

 

上京したら、東京をコンプリートする人生ゲームの始まり。さあ彼女は果たして全てのアイテムをコンプリートすることができるのか。

 

初公開日が2016年12月らしいので、既に丸2年は経っているのだが、1話観終わったところで「何で今まで観なかったんだ。面白すぎる。というより、primeへの登録のきっかけを作ってくれたテラスハウス終了サンキュー!!!」という気分になった。主人公が水川あさみさんなので、とてもフラットな気持ちで観ていられる。個人的な見解ですが、水川あさみさん、女ウケ抜群って感じがするので(勿論男性にもおモテになるとは思いますが)幅広い女性層に受けそうな気がする。共感ポイントがありすぎて感情移入が止まらない〜!

 

田舎出身者の憧れの街 “東京”

水川あさみ演じる主人公の “綾” は秋田出身で、東京に強い憧れを持って上京する。

私も北関東のとある田舎出身なので、東京に対する憧れの気持ちが痛いほどわかる。牛糞の香りの漂うなか、小さい虫にばちばち当たられながら自転車で通学した高校時代。春に校内に張り出される先輩達の進学先を見つめながら、みんなが卒業したら東京に行くんだという強い気持ちを持つ。

 

そして、実際に高校を卒業したほとんどの同級生は地元を出ていった。地方の国立大学に進学する同級生もいれば、その大多数は東京(近郊)の大学に進学するために上京する。一方で、中には受験が不本意に終わり、地元の私大に止む無く進学する友人もいる。わたしは一年無駄足を踏んだが、なんとか地元からは脱却し、夢の東京へ進出した田舎者のひとりだ。

 

現役時代に東京にある滑り止めに受かってはいたものの、もう一年頑張ろうと決めたとき、地元大学に進む友人たちの「なんであんたは東京の大学に受かっているのに浪人までするわけ?」っていう無言の圧力がすごくしんどかった。 

 

地元の大学を卒業してそのまま地元で就職した友人たちの中には、いまでも東京への憧れを捨てきれない友人もいる。仮に夢に敗れたとしても、現職に復帰できるほどのある程度の経験を積みつつ、東京進出を目論んでいる子もいる。

 

 

果たして東京はどれほど意義のある街なのだろうか

でも結局、東京にどれだけの意義があるのか。上京してから私もずっと考えていた。

東京はキラキラした街だ。栄えている街なんぞ、正直日本の中にだって他にもある。仙台や福岡、大阪や京都。有名ブランドの路面店や大きな百貨店だってあるし、お洒落なカフェや美容室だってきっとある。なのに東京だけは別格だ。地方出身者が挙って東京を目指してやってくる。

 

東京には、お洒落な街が密集し、最先端のファッションや食べ物が集まってくる。

それに引き換え、家賃は高いし、物価も高い。どこに行くにも電車賃がかかる。ある意味、東京をコンプリートするのは無人島のサバイバルで生き延びて行くよりも難しいゲームかもしれない。

 

『東京女子図鑑』が面白いポイントは、年齢が上がる毎に住む街も変わっていき、それに応じた人間関係が繰り広げられるところにもある。三軒茶屋、恵比寿、銀座、豊洲代々木上原・・・。東京23区の小さい土地の中に様々なタイプの街がぎゅっと凝縮されている、というのは日本の中でも東京にしかない魅力だと思う。

  

“東京の街”といえば、『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』もめちゃくちゃに最高な作品だ。地方出身者にとって、東京の街といえば吉祥寺下北沢とか超王道の街しか浮かんでこない。だからみんなとりあえず、王道タウンに住もうと一度は思って家賃の高さに絶望する。

 

吉祥寺だけが住みたい街ですか? DVD BOX

 

それが、上京して2〜3年もすると東京には案外色んな街があることに気が付いてくる。秋葉原錦糸町、蔵前や経堂、雑司が谷などなど。 その中には自分にしっくりくる街があるのかもしれない。私は上京してから3回ほど引越しをしたが、一番自分にしっくりきたと思ったのは奥浅草だった。いまでも、高円寺に住んでいる友人と遊ぶと「中央線沿いに一度は住んでみたかったなあ」と、東京の数ある街に対する未練もちょっとはある。

 

みんなは本心ではこんなことを考えている

登場人物が、周りの人間に対して自然に振る舞っているシーン、一人がくるっとこちらに振り返り本心を語ってくれるのがこの作品の見どころのひとつだと思う。 

 

アパレルブランドで働くOLさん達、一見バリバリアパレルで働いていますって雰囲気の子は「私たちみたいなタイプは案外、在庫管理とか総務とか地味なところで働いていて、外見が地味な女がバリバリ働いているんですよ。」と言う。恵比寿のジュエル・ロブションでの誕生日デートのために、見栄を張って29万円のドレスを買う綾が支払い回数をリボ払いでと伝えたあと、何事もなかったようにカードを受け取る店員さんは「リボ払いの利息ってどれだけかかるか知ってます?見栄を貼るためにする出費にしては高すぎると思いますけど?」と鼻で笑う。

 

みんな言っていることはかなり辛辣だ。けれどこれが現実。出身地やお金や若さには価値があり、みんなの内心は思っているよりよっぽど厳しいのだ。

 

東京コンプリートゲームと男たち

東京を舞台にした人生ゲームが進み、それを取り巻く環境が変わっていくと同時に、交際相手も変わっていく。は東京コンプリートゲームの女代表で、男という存在(≒結婚)が切っても切れない関係にある。東京にある様々な街のように、東京には数多くのタイプの男が生息している。

 

 

わたしが思う、綾の一つ目の望ましいゴールは、上京して初めて付き合った阿部力が演じる “直樹” との結婚だったと思う。最終話で再会したとき、内心「よっしゃー!綾さん頑張ったね。このための東京コンリートゲームだったんだね。お疲れさま。」と綾を労う気持ちでいっぱいだったが、現実はそんなに甘くないらしい。まだまだ自分は若いからと胡座をかいて目の前の現実を蹴飛ばして輝かしい未来を掴みに行ってから、後からそれが絶好のチャンスだったことに気が付く。人生はなんと残酷なことだろう。

 

直樹に物足りなさを感じて別れた綾、その後も迷走しながら4人の男を転々として行くが、あまりにもその男性陣のメリットとデメリットの差が大きすぎて辛辣な気分になってくる。「30を過ぎたら、一見魅力的に見える男性にもどんなデメリットがあるか、立ち止まって考えねばならない」という注意喚起をされているみたい。

 

 

一度は腹をくくって結婚という選択肢を取るものの、夫と別居婚状態の最中、同僚の派遣社員の女の子に寝取られて離婚を突きつけられるという残酷な結末に。東京で生きて行くのってこんなにハードなのか。綾さんの人生、あまりにも障害があり過ぎて、どんなハードル走だよと思ってしまう。 

 

 

ほとんどの男性陣が批判的に描かれているなかで、合コンで出会ってゆくゆく綾と付き合った隆之の友人 “涼” は素直な人間でとても好感が持てた。勿論いい人には描かれていないけれど、多くの人が建前で自分を取り繕っているなかで、綺麗事を言わないところが逆に魅力的に見えた。特に、5話あたりの綾とラーメンを食べるシーンで、「たかが千円のためにご馳走様なんて言いたくないだろ」とわざわざ綾の分を奢らなかったところが、完全に嫌味で言っているのはわかるのだけどいい奴だなと思った。

 

男の人に奢って貰って当たり前、むしろ女にお金を少しでも出させるなんて…という描写が中にはあったけれど、その考えは私はちょっと気持ちが悪いと思う。勿論、好感を持っている人にそうして貰ったらありがたいと思うけれど、同僚や友達になんて奢って貰おうという気分には私はなったことはない。

 

最終回で涼とは再会し、結局良い友達で関係は続いていくのだけど、東京を出ていく涼が綾に「おまえにはまだ東京はキラキラして見えてるか?」と問うシーンに、「東京が意義のある街かどうか」の答えが詰まっていると思う。 

 

東京コンプリートゲームのゴール

私も東京でOLとして働いた過去を持つ身として、綾のように東京で強く生きていくバリキャリ女子の人生にはいまだに憧れている。『プラダを着た悪魔』の世界のような、ハイブランドとハイヒールを身に付けたコツコツ族。

 

でも、全てのアイテムを手に入れるには、人生の旬な季節は短すぎるというか、その後の運命を決める瞬間があまりにも数年に凝縮されすぎている気がする。

 

結局は、東京の《ブランド品やお洒落なカフェ、金曜日の夜の恵比寿での待ち合わせやジュエル・ロブションでの記念日デート》のようなキラキラしたものたちは、そのカードを全てコンプリートするには必要なバッググラウンドがあり、それを手にする人はごく限られた人だけだということだ。

 

そして、東京をコンプリートするだけが幸せではないし、幸せの形はひとつではない。

理想の住処は港区の高層マンションではなく、築20年のフルリノベーションの中古マンションかもしれない。

 

 

最後に、ドラマの内容もさることながら、エンディングテーマの『東京完成(トウキョウコンプリート)』が逸品だと思う。歌詞に是非注目して聴いてほしい。

 


東京完成 (東京女子圖鑑 片尾曲)

東京滞在に使ったホステルがとても良かった件について

2月上旬、東京近郊で行われた友人の結婚式に合わせて数日間関東に滞在していた。

東京へ行くときはもっぱら姉(と姉の彼氏)の家にお世話になるのだが、今回は平日のど真ん中ということもあって申し訳ない気持ちもあり、ホステルを予約することになった。

 

去年からは馬喰町・馬喰横山のゲストハウス・ホステルに私はどハマりしていた。なんといっても東京駅からのアクセスが良い。なんせ馬喰町はJR総武線快速で東京駅から4分(運賃片道140円)という好立地。東京駅で空いているコインロッカーを探し回り、スーツケースを預けることに時間とお金をかけるならば、朝一でレセプションに荷物を預けてしまう方がよっぽど良い。

というわけで、IRORI HOSTEL and KITCHENや最近ではもっぱらトレインホステル 北斗星を利用することが多かったのだが、今回の宿泊日程で女性専用ドミトリーが既に埋まっており(混合ドミトリーは少し不安なのでいつも女性専用ドミトリーを使用している)、それじゃあ今回は志向を変えて新しいゲストハウスを探そうじゃないかと思い立った。

 

好立地なIMANO TOKYO GINZA HOSTEL

そこで見つけたのが、“IMANO TOKYO GINZA HOSTEL”

名前にGINZAが入っている通り、所在地は銀座の目と鼻の先。最寄駅は以下の通り。

有楽町線新富町」駅:2番出口2分、1番エレベータ出口6分
浅草線「宝町」駅:A1出口6分
JR京葉線「八丁堀」駅:A3出口7分

 出典:IMANO TOKYO GINZA HOSTEL hpより

それに加えて、 徒歩10分程度で日比谷線「築地」駅もあるという好立地。

 

 

宿泊の当日、17時すぎに上野に待ち合わせを予定しており、かなりカツカツなタイムスケジュールだったにも関わらず、山手線で有楽町を乗り過ごすという凡ミスをやらかす。予定より15分ほど遅れて新富町駅を下車し、チェックインへと向かう。通常のホテルやゲストハウスは15:00〜チェックインのところが多いが、こちらは16:00〜チェックインのため(その分チェックアウトは〜11:00なので有難い)、夕方に予定を入れるとバッタバタになるので注意が必要。

 

23時までチェックインはOKということですが、ベッドメイキングを済ませて粗方あとは寝るだけの状態にしておきたいところ。止むを得ず都合により、時には夜中にチェックインするのは仕方ないけれど、できるだけ他の宿泊者の方のためにも、音を立てるのは最小限で済ませたい。 

 

 

レセプションで受付を済ませ(素泊まり一泊分¥3,000+貸しバスタオル¥200)、いざお部屋へ!

フロアごとではなく、フロアにあるお部屋ごとにルームキーが備えられていて、レセプションで貰った番号を入力するスタイル。安心。また、外に出ると自動的に鍵がかかります。

 

私のお部屋は女性専用ドミトリーで3つの2段ベッドが備えられている6人部屋。

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右側にハンガーをかけられるスペースがあり、足元にスーツケースが置けます。(奥にも小さなロッカースペースがあり、ショート丈の上着であればそちらにも掛けられます。※ただし、扉はなく鍵はかけられません。)

 

 

私の今回のお部屋は804。2段ベッドの下段です。室内もスタイリッシュで格好良い。

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枕元にはこんな感じて小さな棚がついていて、化粧ポーチやアクセサリーなどをおくスペースがあり、コンセントも付いているので携帯やバッテリーの充電ができます。

 

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翌朝のメイク前に撮った写真

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しかも、コンセント用の他に、直でUSBケーブルが挿せるので便利ですね。スマホの充電用のヘッド部分とか、失くしたりしがちですしね。充電器具の類は、盗難に遭いやすいので、しばらく部屋を不在にするときは外して各フロアのエレベーター横に備えられている貴重品ロッカーに入れておくのが無難かな。

 

上野のラムチョップ 

そして夕方、上野で大学時代のバイト先の社員さんと再会し、ラムチョップを喰らう。

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平日ながら、18時を過ぎるとぞろぞろとお客さんが。週末は予約した方が良さそうです。ラムチョップ、塩とタレがあったんだけど、思いの外塩が臭みもなく抜群に美味しかった。次は塩5本くらい食べたい。 

 

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カウンター席の目の前で焼いてくれるのも良い。

その夜は続けて大学時代の友人と吉祥寺のハモニカ横丁→高円寺で飲み、ホステルに着いたのは24時過ぎ。IMANO TOKYO GINZA HOSTEL、なんと言っても門限がないのが有難い。チェックインを済ませていれば、外のインターフォンを押すとスタッフが鍵を開けてくれます。

 

水回りは要チェックポイント 

結局、その日はサクッと寝る支度をして就寝。ゲストハウスだけでなく、それなりにお値段のするホテルにも泊まることは(一応)あるのですが、貧乏性なのか二段ベッドの下の段が一番ぐっすり寝られる。ビジネスホテルは寝る空間がだだっ広いのが苦手で、よく眠れないことがほとんどなのだが、ゲストハウス・ホステルでは百発百中くらいの勢いで爆睡できる。おそらく、カーテンのしきりと程よい空間の狭さが安心感を生み出しているのでしょう。まるで秘密基地。

 

翌朝はチェックアウトギリギリまで寝ているつもりが、気が付いたら7時半頃にはスッキリ目が覚めたので、ゆっくりシャワーを浴びる。

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各フロアに洗面台・トイレ・シャワールームがあるので、すっぴんでエレベーターに乗る必要がないのも嬉しいポイント。水回りも清潔感があって、掃除も行き届いており、とっても綺麗。洗面やシャワーが限られているゲストハウスは、利用者がひっきりなしで、水浸しや髪の毛が散乱しまくっているところもたまにあるので、フロア毎に備えられている方がその確率も減るのかも。

 

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スーツケースを抱え、フロントに降りる前に2Fにあるラウンジにも行ってみた。ノマドワーカー的な外国人がPCをカタカタ。私は素泊まりプランでしたが、別料金で朝食も食べられるようです。

 

早々にチェックアウトを済ませ、上野のフェルメール展に行くため日比谷線 築地駅へ。

 

 

駅までの途中に道路の廃墟のようなものを見つけて思わず写真を撮る。こういう使われなくなってしまった側道とか、グッとくるものがあります。

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 そして、上野の森美術館へ念願のファルメール展へ。

 

当日券でしたが朝一の回だったため、それほどの混雑もなくスムーズに入館。とはいえ館内はものすごい人集りでしたが、ゆっくり時間をかけて楽しみました。フェルメールに限らず絵画の数々が素敵だったことはもちろんのこと、石原さとみさんの音声ガイドが本当に最高だった。館内スタッフの制服の青いワンピースも、とっても可愛かった。

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 東京に住んでない人も、東京に住んでいる人にも、また泊まりたくなるような良いホステルでした。次回の東京滞在もおそらく利用させて頂きます。

 

写真:筆者撮影(iPhone6

imano.jp

みんなで10連休取る必要もないし、みんなで笑顔でいる必要なんてない。

今年の5月1日、皇太子様が天皇に即位されるにあたって、今年限りゴールデンウィークが10連休になる。土日休みの人にとっては正直ありがた迷惑なことだと思う。高速道路は渋滞し、航空券は値上がり、家族旅行ともなれば宿泊料はさらに馬鹿にならない。誰もが全員が一斉に休む必要があるのか?と感じているはずだし、それが非効率的であることは間違いない。

 

ヨーロッパ(特にフランス)の人は1年間頑張って働いて、約1ヶ月の長期休暇をとってバカンスを楽しむらしい。それが「人が生きていくのに大切なこと」という認識が存在しているからこそ成り立つことだし、誰もがバカンスを享受するために交代で休むからこそ可能になっている。それに比べて、一斉にゴールデンウィークに誰もが10連休をとるなんてどれだけ効率の悪いことだろう。

 

 

日本人特有の気質のようなものかもしれないのだけれど「みんなで一緒に」と集団を意識しすぎているような気がしてならない。

 

私が違和感を感じるのは、送別の時や誰かの結婚・出産のタイミングで色紙を送ったり、一定のお金を集めて贈り物をするという行為。学校や職場、どんな集団に属していても、だいたいそのイベントはどこからともなく発生して、暗黙の了解のように従わなければいけない。でも一体、それによって心から喜んでいる人ってどれだけいるんだろうか?もらう側は素直に喜ぶ人もいるだろうし、こんなもの貰ってもと困る人もいるだろう。でも、あげる側の本心の第一位は、「だるい」だと思う。

 

だるいと思ってはいても、それに賛同しないという選択肢は、ほぼない。賛同しない=非国民のような扱いを受けてしまうから。いじめみたいなもんだよなこれ。これが誰しも平等に行われているのかと思ったら、案外発案者の好き嫌いでやる・やらないが変わってしまうところが納得いかない。

 

 

「みんな」の意識は幸せや不幸の強要にまで発展していく。人生など、浮き沈みがあって当然のものだと思う。それに、「〇〇だから幸せ」なんて方程式は99%ない。お金持ちだから幸せな訳ではないし、結婚したから幸せでもない、両親がいたって不幸な子供だっている。

 

これだけの人間がいれば、幸せの絶頂を感じる人間と人生のどん底を同じ瞬間に経験する人間が同じ集団の中にいたって何ら不思議なことではない。けれど、仕事や家庭がしんどいときに周りが幸せだと許せない人がいて、どんなに辛いことがあってそんな気分になれない人にも結婚したてのハッピーオーラを共有しようとしてくる人がいる。

 

 

他人のことなど、理解できるはずがないとわたしは思っている。

何かを議論するとき、一口に同じ事柄だと言っても、文脈や背景を知らないでは議論の余地がない。人が他人の事情に軽々しく口を出す権利などないと思う。みんなで贈り物をプレゼントするという行為も、したい人としたくない人の感情の凸凹を丸め込んで、同じ感情にまとめようとするから気持ちが悪いんだと思う。

 

 

無期限活動休止中のN’夙川BOYSのメンバーである、リンダdadaさんとマーヤLOVEさんが発足したユニット リンダ&マーヤの『人生はLo-Fiだ』の一曲を贈りたい。


リンダ & マーヤ LIVE 5『人生はLo-Fiだ』Rinda&Marya

 

みんなで笑顔でいる必要なんてないのさ、その一言が最高だ。幸せな人は笑ってれば良いし、悲しい人は泣いてたっていいと思う。

 

 

 

 

 

ポジティブの暴力に頬を殴られた話

テラスハウス OPENING NEW DOORS』で、ゲスの極み乙女DADARAYのベースの休日課長のことを川谷絵音さんが「課長はプライベートが充実していないほど良いベースを弾く。プライベートの不調好調が全部ベースに返ってくる。」と話していた。

 

私はその点、胸の内に煮えたぎる思いがフツフツと湧いてくると、自然と書く文章が長くなってくる。好調なときは、1行で収まるような中身のないトゥイートが多い。例えば、のどぐろの炙り食べたい。とか。

そんなこんなで、煮えたぎる想いが140字のトゥイートでは収まりきらないのっぴきならない理由があったので、はてなブログとやらを始めんとす。

 

 

 

 

 

さて、本題に入るとしよう。

 

これまで自分の中には「ポジティブは善、ネガティブは悪である。」という命題が漠然とあった。真偽を確かめるまでもなく、そういうものだと思っていた。

かく言う私はド・ネガティブ。ネガティブの極み乙女だ。

 

 

いきなり時間軸がズレるが、先日中学時代からの親友と那須旅行をした。

地元から1時間半くらいかけて、親友の愛車に乗ってドライブをしながら、他愛の無いことから深い話までいろんなジャンルのことを話した。

 

 

親友とは、服装のジャンルも違えば音楽の趣味(親友はケツメイシKREVAが好きだけど、わたしはtofubeatsとかミツメが好きだ)も違うし、正直共通の趣味はないのかもしれない。私たちを繋げたものといえば、中学時代にBUMP OF CHICKEの『車輪の唄』がとても好きで一緒に歌っていたことくらいだろう。それが不思議と性格にあっては、頑固でこだわりが強いところも、筋が通っていないと気にくわないところも、まるで自分を見ているかのようにそっくりなのだ。

 

 

唯一まるっきり違うのは、私が超ネガティブなのに対して親友は超ポジティブなところだ。 彼女からはハッピーオーラが漂っていて、それを他の人にもよく言われると言っていた。一方の私は、社交的ではあるけれども冷静なタイプで、よほどテンションが上がらない限りは声のトーンも低い。

私は彼女のポジティブさがとても好きで、それは彼女の長所でもあると思っている。彼女は私のネガティブで考えすぎてしまうところも私の良さだと言って褒めてくれる。お互いがお互いの長所も短所も認め合っている、とても理想的な友人関係であることは間違いないという前提がそもそも存在している。

 

 

旅行から帰ってきてしばらく、楽しかった旅行の余韻を語り合う長いLINEを交換し合っていた。お互いの仕事のことや(義理の)家族に関するストレスの話も交えながら。

 

やりとりの中で、急に、違和感を感じるタイミングがあった。

それは「あなたの考えすぎてしまうところも良いところではあるけれど、こうやってポジティブになったら良いよ」とアドバイスが始まったところだった。私はこういう方法でポジティブシンキングを保っているから、是非実践してみて。と彼女は言う。

 

私にとってそれは=「あなたも一歩ずつ私を見習ってポジティブになった方が良い。」と聞こえて仕方がなかった。親友とはかれこれ15年くらいの付き合いになるが、こんなに後に引くような言葉はなかったかもしれない。

 

 

 

ポジティブシンキングが良いことは私だって分かっている。そして、それがネガティブシンキングよりも良いものであると私は別段疑うこともなかった。でも、その命題が成立するには条件が付くのではないか、と思った。

 

 「ポジティブは善である。※ただし、それを人に強要しない限り。

 

 親友がポジティブシンキングであることを誰も否定ができないし、むしろ賞賛されることだろう。でも人にそれを強要することは、ただのポジティブの暴力でしかないのではないだろうか。

 

性格はその人が人生に於いて、数十年に渡って積み重ねてきた集大成だと思う。それはある時本人の意思に反して、出自などの身の回りの環境によって変わってしまうものでさえある。数十年の間染みついてきたものをたった一言で変えようなんてあまりにも身勝手じゃないかと私はその時思ってしまった。

 

わざわざ反論しようという気にはならず、その言葉を受け入れるわけでもなく、「自分の頭では分かっていても性格を帰るのって難しいよね。」というさらっとした返事を送ってから、何となくモヤモヤした気持ちでいたのは今まで書いたことのせいだった。

 

 

 

 

 

話は変わるが、競泳の有名な女子高校生が白血病と診断された、とニュースでやっていた。

 

ワイドショーはそのニュースで持ちきりで、本人のいないところで、それに対して意見した人々の声が読み上げられ、別室にいる白血病経験者の芸能人と中継が繋がっている。

 

前向きな意見、ポジティブな体験談はそれだけ見れば正しいことだ。

どんなに良い治療法があれど、完治した経験者がいれど、それは彼女以外の周りの出来事でしかない。本人がそれを望んで欲したものであれば有意義なものだと言えるけれど、本人が自分から欲しない限りは、ポジティブなアドバイスは与える側のただのエゴではないのだろうか。ポジティブなアドバイスをすることによって自己肯定感を高めているようにしか、どうしても私には見えなかった。