15年来の親友と距離を置こうと思った話

先日、親友Kと数ヶ月に渡って予定を立てていた旅行がやっと決行された。

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結論から言うと、Kが帰ったあとに残った感情は残念ながら、楽しかったよりもうんざりしたという感情が勝っていた。いまは、彼女とは少し距離を置きたいと思っている。旅行には、正直もう行きたくない。次そのような話が出たら、どうにかしてお断りするつもりでいる。 

 

misoshiruko.hatenablog.com

 上の過去記事の通りに、わたしは予定の段階から多々モヤモヤを感じていた。 

ざっくりとそのモヤモヤの原因を分析すると、旅行の話を進めるよりも、気づけば話はKの自分の忙しさアピールでもちきりになっており、私はそれを

  • 大変だね。
  • えらいね。
  • 体壊さないでね。

という主に3つの表現で労わるというのがルーティンになっていたのが正直しんどかった。オミソ・シルコの正直しんどい、だ。加えて、向こうのお休みにはこちらの都合もお構いなし急に電話をかけてきたり、LINEを連投してきたり……。あれ?あたいも結構忙しいんだけどな……?

それでも、「忙しくて余裕がなくなっているのだ。仕方がない。自分にだってそういう時はある。」と気持ちをなだめてなんとかやり過ごした。

 

その旨をはてなブログに投稿したら、諸パイセン方が共感やアドバイスをくださって非常に有り難かった。その節はありがとうございました!うーん、そうだよなー、と噛み砕きつつ、実現する方法を自分なりに模索していた。

 

顔の見えないコミュニケーションツールにはそれぞれ多くの利点があるけど、対面のコミュニケーションよりはやっぱり劣ってしまう。きっとこの気持ちも、本人に会ったら会ったできっと忘れるのだろう、いざ旅行が始まればモヤモヤも嘘のように吹っ飛んできっと楽しめるだろう、と思っていた。というか、純粋に楽しみたかった。

 

 

来訪スケジュールと旅行当時の様子  

K来訪の予定はざっくりとこんな感じだった。

・初日、某テーマパークで待ち合わせ。

   夜までアトラクションやご飯などを楽しむ。

・2日目、アンティーク着物を着て京都散策。

・3日目、ドライブ。パン屋や名物スポット巡り。

 

わたしの住む地域にわざわざKに着てもらう手前、こちらがアテンドする必要があるのは当然だと思っていた。そのため、チケットの手配やレンタル着物の予約、バス・鉄道の案内はわたしがすることになったがその点は全く問題なし。むしろこちらに任せてもらってOKという感じだった。

 

初日は、久しぶりに会えて嬉しい〜!&ようやく旅が始まって楽しい〜!という気持ちで、自然と笑顔が溢れ、実に快調な出だし。会ってみたらやっぱりただの思い過ごしだった!めでたしめでたし!という雰囲気すらあった。年甲斐もなく、揃ってキャラクターの被り物をしてテーマパークをヘトヘトになるまで歩き回った。普段わたしはこの手のテーマパークに自ら進んで遊びに行くタイプではないので(夢の国に行ったのも7年前が最後)、Kと一緒だからこそ楽しめるプランだなーと素直に感じられていた。

 

が、中盤から怪しくなる雲行き……。

少しずつあれ?おかしくね???と思うポイントが増えてくる。

  

Kは常にスマホを片手に、とにかく目の前の景色を記録に残そうとする。自撮り、ムービー、加えてわたしに「このアングルで写真を撮って」とスマホを預け、わたしはKの写真を撮り続ける。まあ、こういう非日常的な所に来ればテンションも上がるよね……としぶしぶ撮影していたが、わたしの撮る写真やムービーに時たまダメ出しが入る。わたしプロカメラマン?あなたモデルさんだっけ……?

わたしのhpはみるみる下がり、内心(はあつかれた… 家に帰りたい…)を連呼したくなるも、遊んでるときに口に出したらいけない言葉No.1じゃん!やめなよ〜!ともう一人の冷静な自分がなだめてくれ、何とか言葉を喉の奥に引っ込めた。

 

二日目もその調子で、とにかくわたしは着物姿のKの写真を撮ることに奔走し、着物返却までのタイムスケジュールを考えながら京都を案内し、(わたしってKを引き立たせるためのアテンドのおばちゃん……?)という気持ちが湧き出てくる。私だって結構可愛いアンティークのお着物着たんですからね。えへん。頭に赤いかんざし刺しちゃってさ。これからあんみつを食べにいく女学生みたいにさ。あんみつは食べられなかったけど、清水で食べたほうじ茶パフェやわらび餅、勇気を出して入った祇園のお蕎麦やさんの親子そばはとても美味しかったなー。美味しい食べ物は世界を救うし間違いない癒し。

  

最終日の朝はゆっくり準備をして、わたしの運転で我が家から1時間くらいの場所へドライブ。Kの好きなベーグルを目指してパン屋を巡ったり、名物スポットを回ったり、晩御飯はKの美味しいお米を食べたいというリクエストで美味しい焼肉を食べに行った。

 

3日間に詰め込んだので慌ただしくはなったが、Kもとても満足して帰っていった。反面、表面上はニコニコしていたわたしだが、内心はずっと真顔だった。これってKを接待するための旅行?こんなにも早く終わらないかなー、と思う旅行は正直初めてだった。

 

対照的な環境とこれまで仲が良かった理由

基本的に、Kには「人の話を聞く」という考えはあまりなく、2人で会ったときに1割でもわたしの話をしたらいい方だった。いままでも、人の話全然聞かないじゃん……とは思いながらも、それでよかった。大人になれば少しは変わるだろうと思っていたのだと思う。ただし今回も、どんなにわたしが話そうとしても、それを遮って自分の話を始めるのだった。せめて人が話を始めたら、最後まで聞くべきじゃないだろうか。話を遮られて嫌な気持ちのしない人などいない。

  

1日目にホテルに泊まった時、ほんの数ヶ月前から出張で都内のビジネスホテルに泊まるようになったというKが「だいたいこの手のホテルは〇〇が付いているよね、エレベーターにカードタッチするなんて当たり前でしょ?」と知ったかぶりしていたのは痛々しかったし、焼肉屋に連れて行ったときに「この前連れて行って貰った1万円くらいする焼肉屋さんにすごい似てる!」と言ってわざわざそのお店を検索しては「見て、このメニューは2万円だったの。」と言われた時も、そんなこと言う必要ある?と思ってしまった。フミコ・フミオ氏風に言えば、非常にキッツー。な局面であった。

 

正直な話、大学時代から全国各地や海外に行って安いゲストハウス・ホステルから5つ星ホテルまで、Kの10倍は色んな所に泊まっているし、会員制で表に看板の出ていない焼肉屋などこの歳になれば連れて行ってもらう機会などあるだろうと思っていたが、そこで張り合うのが馬鹿馬鹿しかった。職場の同僚とならバチバチ張り合いたくなるかもだけど、昔からの親友にそのマウンティング必要かしら?少なくとも、口に出す必要はないんじゃないだろうか。

 

挙げ句の果てに、京都の飲み屋に行けば「シルコのスパークリングワインの量少なくない?私の方が多く注いでくれた!」などと、火に油を注ぐようなことを言われて、ただでさえ酒に強いというのにそれまでの酔いが一気に醒めるのであった。

  

高校を卒業して地元の百貨店で働いている実家住みのK。高校を卒業して都内の大学に進学して就職して今では関西に住む私。高校生になってから一度疎遠になったけれど、18になり、私がもっさい浪人生をしていて、Kが百貨店で働き出した頃の帰り道に再会してから今までこの関係が続いている。正直、いま縁が続いている友人といえば高校時代の友人がデフォルトだった。進学して地元を出たら、中学の友人など過去の同級生でしかない。高校を卒業して地元で働いてる人たちはその中で連むのがお決まり。それでもここまで環境が違うのに仲が続いていたのは、お互いがリスペクトし合うとか、気遣いあうとか、惹かれるものがあったからだったと思う。わたしが基本的にテンションが低めでネガティブ思考なのに対して、Kが超ポジティブ人間でハイテンションなこともバランスが取れていたのかもしれない。

 

Kのように一つの仕事をずっと続けてることも偉いし、簡単にできることではない。でも、この歳に関西に来れてよかった〜と経験値が上がったと言わんばかりに清々しく言っていたのをみて、ポカンとなってしまったし、私から言わせてみれば30手前になって一度も実家を出ていないのはどうなのだろうとすら思えてしまうのだった。わたしも彼女をどこかで見下していたのかもしれない。彼女は自分が最近出世したことを誇りに思っている分、自分の正しさを必要以上に評価しすぎている感じがした。各々が置かれた状況に置いて酸いも甘いも色んな経験をしてきたはずなのに、一貫して自分が正しいと言わんばかりの姿勢がわたしには受け入れられなかった。

 

彼女は同じ売り場で一時期働いていた男の子を引き合いに出して「わたしは昔の彼の方が好きだったな。歳を重ねるごとに変わっちゃたみたい。」という話をしていたが、そっくりそのままわたしはKに対してそう思うのだった。知らない間に、15年という長い付き合いのある親友は強い自己愛と承認欲求の塊になってしまっていた。

  

映画『プラダを着た悪魔』でアン・ハサウェイが演じる主人公のアンディが、彼氏がいるのにも関わらず色男とイチャコラしているのを幼馴染の女友達に見られた際「私の幼馴染はどこに行ったの?あんたはもう昔から知ってるあんたじゃない!」みたいなことをピシャリと言われるシーンがあるんだけど、まさにそのシーンのような気持ちだった。良い服を着て着飾って、良いホテルで表彰されて、良いお店に連れて行って貰ったら、昔のあなたは居なくなってしまったの?周りを見下して自分を上げるような人間になってしまったの?というのが私の正直な感想だった。

 

そして、この数ヶ月モヤモヤした気持ちを抱えていた理由は「長年の親友のことを悪く言うなんて私は最低だ」みたいな気持ちがあったからなんだといま気付いた。親友のことを悪くいう私が嫌なヤツだと思われることが嫌だったのかもしれない。偽善の方がよっぽど嫌なやつだ。

 

関係を続けていく理由が昔からの仲だからっていうことも、もちろんそれも大事なことなんだけど、お互いの環境や心境の変化で人間性って移り行くものなんだと思った。だからお互いに関係性をアップデートしていかないと昔みたいに仲良く、なんて綺麗事みたいなことは言えない。

 

この記事を読んでシルコは冷たい人間だ、人情がない、淡白だと卵白(および卵黄)を投げつけられるかもしれないが、自分の心に嘘をつくのは本当に苦しいことだなと今回のことで改めて思った。諸パイセン方、このような結果になり、アドバイス頂いたのにごめんなさい。私は悲しかったし、何より一緒にいて疲れる存在になっていた。

 

写真:Bhakti KulmalaによるPixabayからの画像