クルミのスコーンと幼なじみ

 初めて焼いたあの日から、スコーン作りが日曜日の朝のルーティンになり始めている。

misoshiruko.hatenablog.com

 いままではホットケーキが一番楽だと思っていたけれど、洗い物が案外出るのが難点だった。それに比べて、スコーンは洗い物が圧倒的に少ない。ボウルとゴムベラは使っているけれど、極論ポリ袋に材料をぶち込めばそれすらも要らないかもしれない。

 

この前はチョコフレークを入れて焼いてみた。ほのかに効いた塩気としっとりしたチョコフレークの相性が良い。今朝は、きな粉とホワイトチョコレートの組み合わせで焼いてみよう。そう思ったのもつかの間で、きな粉の不在により計画はあっけなく崩壊した。そういえば、新居に引っ越して荷物を整理していた時、賞味期限切れに気付いて捨ててしまったんだっけ。気を取り直して、キッチンの一角にある「お菓子作り関連コーナー」を覗いてみるとクルミがあった。よし、これでいこう。

f:id:uminekoblues:20200510233716j:plain

彩りはIKEAのペーパーナプキン頼み

クルミは市販で買うと結構お高い。業務用スーパーで売られているお徳用パックはごろごろ入っているし品質が著しく悪いということもないので重宝している。クルミに関しては、まだ質より量だ。 クルミを料理に使うたびに、「ああ、あの頃はただで好きなだけ食べられたのになあ」と幼なじみと過ごした記憶を思い出す。

 

 

* 

 

 

草平くんは一人っ子で、わたしの住んでいた家から徒歩1分のマンションに住んでいた。

f:id:uminekoblues:20200510185923j:plain

Mabel AmberによるPixabayからの画像

国語も算数も苦手で、周りと比べて体が一回り小さかった草平くんは、スポーツも得意ではなかった。リコーダーには指が思うように届かず、みんなに笑われては教室でびーびー泣いていた。鼻が痒い時には、握りこぶしを作った中指と薬指の関節を鼻の穴にぴったりと押し込めて、横にずらして掻くのが赤ちゃんみたいでおかしかった。少し偉そうな喋り方をしていたので、簡単に言えば周りからは少し馬鹿にされていた。

 

 

でもわたしは、小学生ながらに草平くんのことをリスペクトしていた。

草平くんが特に輝くのは休み時間だ。

わたしたちの通っていた小学校は少し変わった立地にあって、敷地内には森や池があった。四年生の頃にやっていた交換ノートがきっかけで「女の子は面倒くさい」と悟ったわたしは、高学年になると女の子集団とは少し距離を置くようになっていた。休み時間に遊ぶ相手は、決まって草平くんだ。森から流れてくる澄んだ水の通り道には綺麗な石のある確率が高く、色のついた石や翡翠をふたりで熱心に探した。草平くんは植物博士で、草花のことなら何でも知っていた。図鑑が丸ごと頭に入っているみたいだった。草平くんが、「この葉っぱは食べられるんだよ」という丸い葉っぱを齧ってみると、わさびの味がした。その辺りのものを食べることは危険だという考えはあったが、草平くんを信頼していたので大丈夫だという確信があった。

 

 

わたしと草平くん、ふたりのポケットにはいつも入っているものがあった。クルミだ。

小学校の森には、何種類かのクルミの木があった。クルミの実は、固い殻に包まれている。固い木箱に誰かが大事にしまったみたいに、頑丈で容易に開けることはできない。コンクリートの硬い床の上に乗せ、大きな石をぶつけてやっと割れるほどだ。命中すると殻がぱっかりと割れて、まるで脳みそのような、いびつな形をした実があらわれる。わたしたちは昼休みになると、グラウンドで遊ぶ在校生たちを横目にせっせと殻を割り、クルミを味わうのが楽しみだった。わたしと草平くんだけが知っている食後のデザートタイムだ。

 

 

そんなクルミには、食べるだけではなく、実はもうひとつの楽しみ方がある。

クルミの殻ははじめマットな状態だが、殻同士を擦り合わせるようにすると徐々に表面には光沢が生まれてくる。わたしたちは好みの形をしたクルミをふたつポケットに入れ、時間を見つけてはせっせと磨きをかけていた。

 

草平くんはオニグルミという少しゴツゴツした品種を気に入っていた。鬼という名のつく通り、表面の凹凸が他の品種に比べて荒々しいからこの名が付いているそうだ。草平くんのオニグルミは、木から落ちたばかりのカサカサした状態からは想像もできないくらいに艶が出て、水を弾くようにつるんと輝いていた。わたしのクルミはそれには到底及ばなかった。結局、家に持ち帰ったクルミは机の引き出しに入れたまま、いつの間にか忘れてしまった。

 

 

 

わたしも草平くんも、小学校に通っている間にそれまで住んでいた仮の住まいから新居に引っ越した。帰り道はバラバラになったが、わたしの通っていたピアノ教室と草平くんの新しい家が程近くにあったので、クラスは別になってもピアノのある曜日は一緒に帰る約束をしていた。草平くんのお家にお邪魔して庭の草木を見せて貰ったり、趣味のお菓子作りのことや色んな植物の話を聞かせて貰った。

  

小学校を卒業して、わたしは新居の最寄りの中学に通うことになった。携帯電話も持っておらず、連絡を取ることは次第になくなってしまった。他の友人を通して、わたしが中学生になってからの様子はなんとなく小学校の同級生に伝わっていたようだが、草平くんとの接点は全くなくなってしまった。

 

しばらくの間、全く接点がなかったものの、わたしたちが大学生の頃は本名での登録を前提としたSNSの全盛期で、単純に「小学校の同級生だから」という理由で繋がった。ただ、特にメッセージのやりとりすることはなかった。プロフィール画像に写った草平くんは、若干の面影を残しつつも、わたしにとっては別人に見えて、記憶の中の草平くんとは上手く繋がらなかった。それでも、ぽつりぽつりと更新されていた投稿には、草花や鳥の写真が写っていた。そして、大学では農学を専攻していることを知った。大人になって見た目は変わってしまっても、中身はきっとあの頃の草平くんのままなのだと分かって嬉しかっただけでなく、誇らしい気分になった。

 

わたしの人生の中で、たとえ不得意なことが多くとも、「熱中できるものがあること」や「ひとつのことを極めること」の素晴らしさを身を以て証明してくれた第一人者はきっと草平くんだと思う。