色々

色々とは便利な言葉で、お茶を濁したい時、抜群に効果を発揮してくれる。話せば長くなるけれどあなたに踏み込まれるにはトゥーマッチなので……という思いの数々を「い・ろ・い・ろ」の四文字に詰め込んで、これまで幾度となく笑顔でやり過ごしてきた。そしてこれからも、それは事あるごとに活用、時に乱用されていくのだろう。

 

この一年の間に色々には詰め込みきれないくらいに色んなことがあった。小学生のときによく使っていたクーピーには到底色が収まりきらない。筆を取るのにあまりにも時間がかかってしまった。

 

ああ面倒くさい。投げ出したい。逃げ出したい。脳内を埋め尽くすのは口に出すのもいやになる願望ばかりだ。

 

元気だった祖母は感染症が蔓延し始めるのと同じ頃に手術入院することになり、面会できないために認知症は進み、脚力が衰えて寝たきりになってしまった。一方の早く衰えて欲しいはずの父親は、毎朝近所の公園を一万歩歩くほどにぴんぴんしていて、再雇用された職をついに退職し、自ら退職記念パーティーを主催するウキウキぶりだ。わたしたち夫婦の説得もむなしく、姉はドラマー彼氏とついに結婚。「その男と結婚するならば祖母の葬式にも呼ばない」と父から脅しに近い手紙が届いてもう説得するのを諦めたそうだ。退職記念パーティーという摩訶不思議で最高に憂鬱なイベントのために帰省したとき、姉の話題は父親の前で禁句になっていることを父がかねてより通っていたライブバーの店主に聞いた。

 

また一方では、夫の祖父が具合を悪くして急に亡くなり、義母は文字通り大慌て。遺産がらみの姉妹喧嘩に巻き込まれそうになり、甲高い声&早口での鬼電と一方的な鬼メールの数々をよこしてくる。まじでいい加減にしてくれ。激昂寸前になんとか思いとどまった。人生ゲームだったらたぶん一回休みを4回くらい貰えそうなくらい色んなことがあった。ルーレットを回す気力もない。

 

 

家族……め・ん・ど・い。全部この四文字に集約される。二十歳。三十路。この歳になったら全部すっきりするなんてことがない。縁を切るか、はたまたどちらかがこの世から去るまではこの面倒から逃れられないようだ。お互いが歳を取り、脳が退化して、さらに事が面倒になるのは残念ながら明白な事実である。

 

不安を解消する方法について、よく先のことは考えてもたいていのことは起きないから大丈夫!という励ましの言葉があるけれど、自分が想像できることはたいてい起こり得る気がするのだが、考えすぎなのだろうか。

 

ただでさえ運転が荒く、実家に帰省する度に車が変わったり代車に乗っていたりする父親が、免許返納に拒否して一悶着することや返納以前に重大な事故を起こすこと。退職とともに新車のSUVと田舎で乗るための軽バンを購入していたので、まだまだ現役で運転する気満々だ。

 

義母は結婚した当初、わたしの夫である長男とは昔から馬が合わないために「あなたたちはお墓を守ってくれるだけでいいから〜」と言っていたのに、愛想良く振る舞っているのをいいのことに自分たちの老後の世話を焼かせようとしている。わたしのことを神様・仏様・シルコさまと崇めている。都合良すぎ。

 

もうなんか全部投げ出したい。ねっちょねちょのスライムを、父と義母ふたりの顔にべっとりと投げつけて走って逃げたい。ピンポンダッシュならぬスライムダッシュ。厄介な人間ほど生命力に満ち溢れ、長生きしてぴんぴんしているのはきっと気のせいではない。

 

 

姉を見ていて思う。やっと呪縛から解き放たれ、自由の身になった姉は実に伸び伸びとしているように見える。数十年と一番近くで心も胃も(姉はベビースモーカーだった)荒野のように荒れ果てていく姉の姿を見ていたので、このくらいの自由は許されていいはずだ。でも母から祖母の入院や父の手術にあたって保証人が必要だからと連絡が入っているときに、姉から「家の近くにいたよー!見てー!」と野原ひろしのドヤ顔スタンプとともにたぬきの画像が送られてくると結構胸にくるものがあるよお姉ちゃん。

 

 

ああああああとかハァァァァァァとか言葉にならない深いため息でやり過ごしてきたこの一年だけど、そろそろ傷も癒えてきたことなので筆をとった。傷もイエティ。『すいか』に「パンプキンパンクと3回言えたらまだ酔ってない証拠。仕事をしても大丈夫。」という台詞があるけれど、傷がイエティなんてふざけたことがぽんぽん思いつくうちは、まだまだ色々あっても大丈夫。