心の休憩場所

今日でゴールデンウィークも終わる。昼間、窓から近所に住む子供達がしゃぼん玉で楽しそうに遊ぶ声が聞こえた。でもそれも今日でおしまいだ。再開する学校が嫌でたまらない子もいるだろう。わたしが中学生の頃にも学校に行くのが憂鬱で仕方のない頃があった。

 

生まれた時から住んでいた小さな借家から、小学二年生のときに新しい家に引っ越した。小学校を卒業するまでは新居のある学区外の地域からバスで通っていた。

親からは「さすがに中学からは家の近くに通ってね」と言われ、家の近所の中学校に入学することになった。その中学は市内でも特に人数が多い学校で、しかも不良が多いことで有名だった。小学校に漂っていた空気は、丸くて優しい感じだったが、中学校のそれは鋭く尖っていた。大量の生徒のなかで知っていたのは、幼稚園が同じだった2人だけだった。入学は他の生徒と同じタイミングだったが、存在は転校生に等しかった。

 

小学生の時は、教室に「おはようー!」と顔を出す瞬間が楽しみで仕方がなかったのに、中学に入った途端、急に知らない人だらけの場所に放り込まれて、自分をまるで異物のように感じてみじめな気持ちになった。

入学してすぐの頃、「あの人誰?」という視線は痛いほどに刺さった。隣のクラスの派手な女の子たちのグループに目を付けられ、前を通る度に人を品定めするような目で見られたり、クスクスと笑われたり、人を貶す時に使う言葉を投げかけられた。

 

とにかく通学路が憂鬱で、足元ばかりを見て歩いていたので、あの頃を思い出そうとしても、丈の長い制服のスカートとダサい真っ白なスニーカーの記憶ばかりしかない。春に苦手意識がずっとあるのは、気圧云々以前に、春独特の陽気を感じるとその頃の憂鬱な気持ちを思い起こすからなのだと思う。

出来ることなら学校を休みたかったが、「学校に行きたくない」と言える空気はわたしの家庭に1ミリもなかったので、嫌でもとにかく行くしかなかった。

 

運良くクラスメイトに恵まれて、朝に待ち合わせをしてから一緒に通学する友達もでき、秋になる頃にはすっかりクラスに馴染んだ。学年が上がり、学級委員や部長などの目立つ役回りを担うようになると、入学当初に嫌な言葉や視線を投げかけてきた隣のクラスの女子たちは、何事もなかったように話しかけてくるので腹立たしかった。言われた方がどんなに憂鬱な気持ちで過ごしていたかなんて、きっと興味もないし想像もしないのだろう。

 

学年が上がるにつれ、悩みの種は学校生活よりも家庭環境のことになり、時々授業を休んで保健室にお世話になることはあったが、病気以外ではほぼ学校を休むことなく中学を卒業することができた。でも、何かがちょっとだけ違っていたら、学校にも家庭にも居場所がなくて、どこに居たらいいのかわからなくなっていたと思う。

 

 

それから時が流れて、教育実習に行ったのは確か5月の半ばとか、ゴールデンウィーク明けの時期だった。わたしが行ったのは母校の高校で、担当のクラスの教壇から見て左後方の席には、身体の大きな男子生徒が座っていた。彼は教育実習期間の前半は来ていたが、後半はほとんど学校に来ていなかった。クラスの中でも目立つタイプの子だったし、教室でも浮いている感じはしなかったが、何かすっきりしないものを抱えている印象があり、ずっと気にかかっていた。

 

実習中、生徒たちに向けて行った最後の授業はロングホームルームで、その日は例の生徒も出席していた。担当教諭には内容は任せると言われていたので、旅先での経験と自分が感じたことをスライドにまとめた。内容はとある国の文化や歴史の話だったが、生徒たちに一番伝えたかったのは、どの場所に行ったとかその土地にどんな歴史があるかとかいう詳細な事実よりも、学校という狭くて小さい世界から飛び出したらこんなにも広い世界があるんだよ、ということだった。もちろんクラス全員に向けて作った授業だが、一番届けたかったのはあの生徒だと思う。どうかもっと広い世界を見れるまでは、学校に来なくてもいいから生きていてねと心の中で思った。

 

十代のうちに住む世界はちっぽけで狭い。何か特別な環境に置かれない限りは、抜け出す方法も分からない上にその手立てもない。中高生だった自分にとって、一番心の休憩場所になっていたのは本のある場所だった。この世界からふっと消えてなくなれたらいいのに…という暗い霧のような気持ちが襲ってきたときも、本のある場所に行くとふっと晴れる感じがした。

 

図書館や図書室では誰も話しかけてこないし、黙っていることが許される。それに、ページをめくれば、会ったことのない人の人生や考え方、行ったことのない景色を知ることができた。紙の束の中には広大な世界が広がっていた。

この空間にある本のうち、自分が読んだ本は何冊あるだろうか。一体何年かかったらここにある本をすべて読み切ることができるのだろう。あと何冊かはこの棚の中に手に取ってみたいと思う本があるかもしれない。そう考えるとこの世からいなくなるのは惜しいのではないか、という気がしてくる。それは大人になってからもそうだった。本は自分のいる世界がいかにちっぽけで、この世には自分の知らない世界がまだまだあることを思い知らせてくれた。

 

連休明けには子供に限らず自殺が増えるという。明日から学校に行きたくないと思っている子供たちに、外に出れば世界がたくさんあることを知ってほしい。いまは抜け出せなくとも、抜け出す道しるべを探してほしいと思う。図書館や図書室は物理的に居場所をくれるだけでなく、心の拠り所も与えてくれる。

わたしは結局教師にはならなかった。教師として何かを教えることや手助けをすることはできないが、「まだあの人の書いた本を読んでいないからこの世界にもう少しだけ留まっていよう」と思って貰える人にいつかなりたいと思う。

 

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