きゅうりのぬか漬け

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きゅうりのぬか漬けとは、このブログ名になっている食べ物であり、それは祖母の料理の代表作でもあった。

父親の母である祖母は、このブログでも以前書いたように人格的にかなり難ありな人だった。だが、料理の腕前は格別だった。

 

 

元々は女学校の先生をしていて、結婚してからは祖父のやっていた事業を手伝っていたらしい(葬式の時に父が話していた)。その傍らで、調理師の免許を取ったり(おばが同じタイミングで免許を取ったと言っていたのできっと祖母が40前後の頃)、裁縫も得意で自分で洋服を作ったりもしていた。色んなことを満遍なく器用にこなす人だった。

 

毎年、年末年始はその祖父母の家で過ごしていたが、年越しそばには当たり前のように祖母のこしらえた打ちたての蕎麦が出てきた。今思えば、何と贅沢なことだろうと思う。小学生の頃だったか、父と二人で祖父母の家に行った時、祖母と台所でじゃがいもの皮を剥いていると、本当はうどん屋さんになりたかったのだと教えてくれた。祖父と結婚したからその夢は諦めたそうだが、わたしたちには蕎麦だけでなく自慢の手打ちうどんも振る舞ってくれた。

 

親戚が多く集まるときにはお米をたくさん炊いて、大きな寿司桶に入ったご飯を祖母は小さな体で手際よく酢飯にした。祖母の指導を受けながら、わたしも甘辛く煮た油揚げに酢飯を詰める作業をよく手伝った。

 

その他にも、けんちん汁や、朝食に出てくるキャベツと卵の炒め物みたいな、いたってシンプルな料理も、祖母の作る料理はすべてが美味しかった。家庭料理ではあっても、何というか、プライドを感じる味だった。

 

そして、その中でもきゅうりのぬか漬けは絶品だった。これは大げさでなく、今まで食べたどんな漬け物よりも美味しかった。

いつ食べても同じ味で、ムラがなく、酸味がまろやかで美味しい。決して母をディスっているわけではないが、そのぬか床を貰って母がぬか漬けを作ってもどうしても同じ味にはならず、わたしはこれはきっと祖母の日々の努力の賜物なのだろうと考えるようになった。そのぬか漬けは、祖母本人の意図していないところで、物事を辛抱強くコツコツ続けることの重要さを教えてくれた。

 

 

やがて祖母の食への探究心は娘や息子に引き継がれていった。皆舌が肥えていて、親戚が集まると食卓にはそれぞれの担当したご馳走が並ぶ。旨い酒はバンバン売れていき、あっという間に空になる。おば2(父の妹)はただの一般人であることを疑うくらいに料理が上手で、天ぷらは衣が軽くてふわっふわだし、冷蔵庫にあるものでぱぱっと居酒屋のメニューのような一品を作ってくれる。

 

わたしも子供の頃から父親には美味しいものをうんと食べさせて貰った。人格は端的に言ってクソだが、それだけは感謝している。魚は、スーパーではなく那珂湊の魚市場まで買いに行き、ぶりや鮭は丸一本、秋刀魚にいたってはひとケース買って帰る。料理の中でのとっておきのご馳走という立ち位置のすき焼きは、秋冬になるとニ週間に一度くらい食べていたので、部活の友人からは羨ましがられていた。

 

 

こうして子供の頃から食の英才教育を受けてきたわたしは、とにかく美味しいものを見つける天才になった。どの店構えの定食屋が美味しいか、敷居が低いのにクオリティの高い居酒屋を見つける嗅覚があると自負している。難しい横文字のお洒落な料理はあまり作れないが、家庭創作料理であれば人を呼んでもてなす才能もあると思う。人生のネタが溜まったら、いつか小さな飲み屋を経営して人の話を聞きながら料理をふるまいたいという夢もある。

 

それ以外にも、定期的に色んな人から美味しい食べものが届く。おかげさまで痩せる暇がない。美味しい食べ物に恵まれる源流は、祖母の食への探究心にあることは間違いなく、祖母の貪欲さに感謝するばかりである。

 

わたしも誰かに美味しいきゅうりのぬか漬けを食べてもらうために、自分にとってのぬか床をせっせと手入れし続けなければいけない。祖母が亡き今、祖母の面影はぬか漬けという思わぬ形でわたしの人生で生き続けている。