ゴールデンウィーク・ララバイ

ゴールデンウィークがもうすぐ終わる。振り返れば、“ゴールデンウィークらしい”ことはほとんど何もしていない。ただInstagramのストーリーで繰り広げられる充実したゴールデンウィークの過ごし方の報告が眩しくて仕方がない。私の場合、ゴールドというかブロンズでもなく、逆に出来るだけ家に引きこもっていたために退屈な日々を過ごしていた。

 

 

子供の頃は良かった。夏休みのようにたくさん課題が出るわけでもないし、昼寝だって毎日できる。大好きな高速道路を長時間眺めることが出来るし、おばあちゃんおじいちゃんちへ行って、まったり過ごす楽しみがある。

 

でも、大人になってからのゴールデンウィークって鬼畜だ。車を走らせれば渋滞、新幹線にはすし詰め、お目当てのお店は大行列、宿泊費は高騰…… 日々働いて貯めたお金もあっという間に吹っ飛んでいく。自分から不幸になりにいっているようなもんじゃないか。

 

 

 

私のゴールデンウィークの幕開けは正直言って最悪で、結論からいえば警察沙汰だ。

とはいえ何か犯罪に巻き込まれたとか言うわけではなく、意気揚々とお昼を買いに行ったと思えば、帰り際車に乗り込む時に強風が吹き、その反動で全開に開いたドアが隣の車をこすってしまったのだ。がっつり塗料が移ってしまっている。がーん。

誰も見ていなかったけれど、お天道様は見ている。このまま知らんぷりすれば後々きっと自分に返ってくるのだ。お寿司買わなくて良かった…と冷静に安堵しつつ、110番。お巡りさんに一部始終を話し、後々持ち主とやりとりをすることになって解散。あとあと持ち主と連絡を取ったら、全然気にしてないし忙しいから大丈夫です〜という軽い感じで示談は成立した(警察に寄れば、エンジンが稼働していない場合は事故証明が出ずに当事者同士で話し合いをするしかないらしい)。私以前に、相手方には大変申し訳ない出来事であった。

 

 

それから、出掛ければ何かしら不条理なものに巻き込まれる、という教訓を得て(もちろん私の不注意が悪いのだが)家に引きこもることに決めた。犬も歩けば棒に当たる。オミソ・シルコは歩かなければ棒には当たらない。その代わり特段ハッピーな出来事にも遭遇しないけれど。

 

 

結果、とりあえず美味いもんを食べようぜ、ということに帰着した。安パイである。

平成最後の晩餐とやらは寿司に決めた。ほろ酔いのまま天皇陛下お言葉スタンバイ。さようなら平成、こんにちは令和。さよなら三角、またきて四角。

 

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左上の青い皿、友人の結婚式の引出物なんです。センス良いー!

ゴールデンウィーク中、まともに出かけたことといえば、京都の南の方にラーメンを食べに行ったことと、義実家の田植えの手伝いをしに行ったことくらいだろうか。母の日のプレッシャーから逃れるために、早々にネットでポチっておいたプレゼントをたいそう吟味したかのように渡すしたたかさよ。どうやらわたしのことは気に入ってくれているようなので、良しとする。義実家に行くときは心を無にすることが大事である。

 

 

帰り道、自分たちを労わるため、スーパー銭湯に行ってひたすらリフレッシュに勤しむ。ただここでもゴールデンウィークの波を感じずにはいられない。大学生くらいのピチピチな若者が4人くらいでまとまってお湯を移動していく。どうしてもその集団と湯を共にすると色んな雑念が湧き溢れてくるので、行動を読みながら極力人口密度の低い湯を回った。ここでもまた一つ無駄なエネルギーを消費してしまった。

 

 

そして、最近近くのモールにできたイケてるドーナッツ・ショップに寄る。

ちょうど私の前に三世代の親子が並んでいたが、ストライプのラインの入った細身のジャージを身につけた30代くらいの孫がその前に並ぶ母親の背中の贅肉を事あるごとに揉んでいるのが目に入ってしまって、ドーナッツを選ぶどころではなかった。なんとかその光景との戦いを終え、ありつくことが出来たドーナッツがこれだ。


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わたしはカフェイン中毒でまともにコーヒーが飲めない体になってしまったので、緑茶とコーヒー味のドーナッツというチグハグな組み合わせになってしまった。ちなみに、日曜日の朝にとっておきの豆をKalitaのコーヒーミルで挽き、サンジャポを鑑賞しながら飲むというのがわたしのコーヒー・ルーティンである。

 

 

 

そして極め付けのこの豪華な海鮮丼。


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どこの誰が言い始めたのかは知らないけれど、誰でも〇〇な星を持っているものだ。「面倒臭い客に当たりがちな星」とか「全然渋滞に巻き込まれない星」とか。雨女や晴れ男みたいなもの。

 

その点、わたしは「物をよくこぼす星」と「美味しいものが集まってくる星」を持っている。知らんがな。

気付けば定期的に、クッキーやビスケットなどのお菓子、日本酒やワインや梅酒、佃煮の類のものなど人によく物を貰う。最近では、全く違う人物たちから異なるチーズケーキを4回も頂いたり、日本酒の瓶が6本くらいに増えたり(飲みきれないので友人に送った)。そんな星が今回も活躍してくれ、このいくらとネギトロが手に入った。

 

 

ただの負け惜しみ(何に)かもしれないけれど、こういう大型連休は家でまったりするのが正解な気がする。だって、みんなでこぞって出かけるから渋滞が出来るわけだし、トイレに行けない人も渋滞で誘発された事故に巻き込まれてしまう人も出てくるんじゃないか。ゴールデンウィークこそが諸悪の根源な気がしてならない。

 

写真:著者撮影(iPhone6を使用)

 

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ハイスクールララバイ

ハイスクールララバイ

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ブログ・タイム・カプセル

このところ、PCのハードディスクや写真のデータを整理していたら懐かしいものを発掘した。高校時代のユニフォームをきた集合写真や成人式の振袖姿、大雪が降った日にルームメイトと作りに行った大きな雪だるま、学校帰りに寄った喫茶店のクリームソーダ東京国立博物館で行われた『時をかける少女』の野外上映、鷲神社の酉の市。

 

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季節が巡るたびに顔を合わせる友人たちや、中にはもうきっと会うことのない人、もう決して会うことのできない人の姿。

 

見映えがどうとか関係ない、綺麗な思い出もそうじゃない思い出も時が経てば愛おしく思えるもんだなーと思う。

 

 

あるフォルダには見慣れないWebページのリンクが保存してあった。昔やっていたブログだ。これまで10年以上、アカウントをころころ変えながら細々と続けてきた。ある程度続けていると、どうしてもコミュニティみたいなものが出来上がり、その人たちに向けたものを自然と発信せざるを得ない状況が窮屈に感じてしまって、突然そのブログを辞めてしまいたくなる。結果、FC2、AmebaWordPressはてなと引越しを繰り返している。

 

 

今回見つけたのは18から20歳くらいまでやっていたAmebaブログだった。多分これだろうと思ったアドレスとパスワードの組み合わせが違って、もう使っていないアドレスだったので一度ログインを諦めかけた。限定公開の記事が多かったのでどうしても諦めきれず、もう一つ思い当たるものを入れてみたら案外すんなり開いた。

その頃は私がこれまでの人生の中でも一番葛藤していた頃で、読んでいて胸が痛くなった。寝る前の2〜3時間、何日かかけてそのブログを読み終えて思ったのは、「ブログをやっていて良かったな。」ということだった。その当時、ブログの存在に救われていたことを思い出した。生と死、どちらかといえばかなり死に近い方にいた私にとっては「誰かが見てくれている」だけで救いだった。今でもブログを続けているのは、面白い文章を書きたいという欲求もあるけれど、根底には誰かが見てくれていることが延命措置だったからだと思う。

どんなくだらない内容の日記を書いても何かしらコメントをくれる人、ここぞという時だけ長い間考えて書いたであろうコメントを書いてくれる人、普段は特にコメントしないけれど私がどんなことを書いていたか覚えてくれていた人、いまの人間関係と繋がるものがあった。

 

 

人は今と未来を生きるべきで、あまり過去に浸るのは良くない。「思い出だけじゃ生きていけない」と収納上手で有名な主婦さんが言っていた。その通りだと思う。でも少しだけ思い出を抱えて生きていても良いよねと思う。

 

 

 

最近、自分の義理堅い性格のせいで比較的長い付き合いだった人間関係をぶった斬った(極端すぎる表現もよろしくないので、距離を置くことを決めた、に訂正する)。「親しき仲にも礼儀あり」だし、借りは返すし、義理を甘んじる人となあなあに付き合いたくない。それでもなんだか自分が悪い人になったような気がして、モヤモヤが止まらなかった。

 

かつて友人に私がどう見えてるか簡潔に教えてと聞き回っていた時期があり、ある日のブログには「付き合う友達を選ぶ・気が強い・自分が決めたことは他人に何を言われようと変えない」と書いてあって、自分で自分を誇らしく思ってしまった。自分を信じればいいのだと思った。

 

 

たまには昔の自分を振り返るのも悪くない気がする。

でもそこで大事なのは、ブログのURLとパスワードをどこかにちゃんとメモっておくべきことだな。いま読み返したくても、幾つかのブログはURLの痕跡もどこにもない。発掘されないタイムカプセルのように、どんどん朽ち果てて忘れ去って行くのだろうなと思う。

 

写真:筆者撮影(iPhone4Sを使用)

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キューピー3分クッキングのアシスタント私だったら出来ないなって話

突然だけど、私ね、キューピー3分クッキングが好きなんです。菊川怜風に言うと、3分クッキング、だ〜いすき♡(ウインク)。

 


キューピー3分クッキング

 

まずね、この音楽が流れてきたら「あっキューピーだ!」って誰しもが思うのって本当すごくないですか???長年の企業努力とキャッチーな音楽の大切さをひしひしと感じます。ちなみにこのダンス去年覚えたんですけど、間の足を開いて閉じて!の部分がめっちゃ床ドンドンなるのよ。下に誰も住んでなくてよかった〜と思う瞬間。

 

 

平日の昼間の醍醐味って、かつては圧倒的に“いいともが見れること”だったと思うんですよね。あんまり平成が終わる!平成最後の!とかはやかましいから言いたくないんだけど、いいともの終了SMAPの解散って日本国民にとってとても身近な平成の大事件のツートップだと私は思っています。

余談だけど、今日はいつもよりカジュアルな文末に務めている(つもり)。長文になると自然と淡々とした口調になるせいか、かつて青春18切符の余りを対面でお譲りしたとき、それまでのメールのやりとりで「男だと思ってました」って言われたことがある。

 

 

で、話の続きなんだけど、いいともが無くなって、ヒルナンデスが心にぽっかり空いたその穴を若干埋めてはくれたんだけど、なんか物足りないんだよね。考えてみたんだけど、もっと大人にわちゃわちゃして欲しいんだと思うのよ。一部の人を不快にさせてしまうような下衆い笑いじゃなくて、無邪気に笑える感じの雰囲気が好きなのよ。だからもっとヒルナンデスさん、曜日対抗リレーみたいな無邪気な笑いをもっとください。もっと遊んでいる大人を見せてください。スマスマの慎吾ちゃんのコスプレみたいなやつをもっとください。ついでに私に翼をくれたらとっても嬉しいです。

 

 

そう、それでわたしの埋まり切らない穴を埋めてくれたのが『キューピー3分クッキング』だったんですよ。小さい頃はヤクルトレディーが持ってきてくれたジョアを凍らせたやつをゴリゴリ食べるわたしの横で、母が3分クッキングを見ていた記憶がある。その時から数年前まではわたしの中では、まだ「3分クッキング=サクッと作れる料理を紹介する番組」だった。その通りといえばその通りなんだけと。

 

 

 

 

しかし、お肌の曲がり角や身体のガタ(vol.1)を感じてくる25歳の頃、3分クッキングにはそれ以上のものがあるって気がついたのよ。それまでは料理といえばもっぱら≒酒アテを作るだったのが、本格的にちゃんと料理しよっていう意識になった。たまーに見かける程度だとその良さになかなか気付かないんだけど、何事もやっぱり場数と全体像を掴むって大事なことなんだろうね、きっと。

 

 

注意して見てみるとこういう傾向がつかめてくる。

 

・月〜金はお惣菜やご飯もの、主にしょっぱい系

・土曜日だけはデザートやパンなどの甘い系

・先生は4人くらいいてランダム(土曜のスイーツはほぼ固定)

・アシスタントは超ベテランアナの時と若手アナの時がある

・簡単なレシピ(時間が余る場合)はキューピーのドレッシングでサラダを作る

 

 

〜オミソ・シルコ的解説〜

平日はしょっぱい系のおかずやご飯ものがメイン。複数の先生とアシスタントが結構ランダムな組み合わせになるんだけど、その相性が視聴者としてはハラハラする。ミ◯ネ屋みたいに、アシスタントの返答に食い気味で返す先生がいたり、はたまた間が大きすぎてちょっと???って焦る時もあったり。

 

あと、平日だけだと思っていたら、案外土曜日にもやっているんですよね。

おそらく土曜は番外編みたいな感じで、平日とは明らかに区別がなされていて、先生とアシスタントの組み合わせはほぼ同じ。そのアシスタントのベテランアナはやたら「可愛らしいですね〜」を連呼していることを私は知っています。でも、アシスタントのアナウンサーもすごく大変で、材料や工程を説明しながらも、先生と掛け合いしなきゃならんのですよね。そりゃ毎回毎回スイーツ作ってたら、「可愛らしいですね〜」を頻用しちゃう気持ちもわかる。

お休み感を演出するためかスイーツのレシピがメインなんだけど、「休日だし甘いもんでも作るか〜」って気分にさせてくれるからその効果、バツグンだと思います。先日、ベトナムコーヒープリンを作らせて頂きましたぜ、キューピー先輩!

 

(ちなみにこれ。皿のチョイスをちょいミスったので沈没気味。)

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レシピにもかなり幅があって、途中の作業をかなり省いているものと、あっさり終わるものがあり、後者の場合はキューピー製品を使って簡単な一品を作り足すのが鉄則。CM前の予告の時点でサラダが入っている時は、「今日は簡単なレシピやな」って思われている3分クッキングマスター、きっと100万人くらいはいるんじゃないかな。

 

 

 

 

先日、ゴールデンの番組で3分クッキングの裏側に潜入、みたいな特集があって、勿論録画したんですけど、あれは本当にかなり興奮しました。生放送に見えて「擬似生放送」ってスタイルらしいんですよ。あたかも生放送のごとくカットなしでカメラを回して、その間裏方のスタッフさんたちが超バタバタして決められた数分間(8分だったかな)に全ての料理工程を納めてるんですよ。しかも食材を調達する人、カットする人、材料を盛り付ける人、火を加える人、洗う人とか細かに担当が決まっているらしい。超すげー。それ見てちょっと感動してしまった。

 

通しでやっているからこそ、膨大な準備量で撮り直しは避けたいんだろうな〜と思うんだけど、たまに先生がめちゃめちゃ噛んじゃってる時とか、盛り付けを盛大にミスっている時もあります。(Youtubeに卵焼きほぼ焦げてるやん〜って放送事故寸前の回があるので気になる方は是非。)

 

 

そんな視点で見るとほんと、超面白い。最高なエンターテイメントなんですよ。わたしの場合、自分で料理をしているときにも脳内で先生が「ナスは油と相性がいいですからね〜」とかって相槌を入れてくれるんですよ。最高じゃん。

 

 たまに、自分がアシスタントをする妄想もするんだけど、わたしじゃ絶対に務められない自信があるんだよね。だってさ、調味料の説明するときに「コショウ 少々」って笑わないで言う自信ありますか?????わたしにはございません。確実に「コショウ 少々……ブフォッwww」ってなっちゃうもん。だからわたしには3分クッキングのアシスタントはできないね〜って話。オチなんてありません。星野源さんじゃないけど、くだらないの中には愛がある!

 

国産キューピー人形 5cm(50体セット)

 あなた象みたいなあんよしてたのね…         終わり

タイム・トラベル

幼少期、父親の趣味で実家の棚に並んでいたVHSの『タイム・マシン(80万年後の世界へ)』や『猿の惑星』などのタイム・トラベルものをよく鑑賞していた。

 

特に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズはテープが擦り切れるほどに何度も観た。

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その影響かレトロな車に憧れを持つようになり、ワーゲンバスにいつかは乗りたいと思っている。いざという時は西部劇時代にタイム・トラベルしたマーティのように、鉄板を服の中に忍ばせて弾丸を防ぐつもりでいる。そして、誰かにものすごくムカついてクソ〜〜〜!という気持ちが抑えられない時は、脳内でその人がビフのように牛糞まみれになる妄想をしてスカッとするときもある。実家にタイム・トラベルものの作品が多くあったということは、きっと父親も戻りたい過去があったのだろう。老いも若きも、タイムマシンに乗って過去のいつかやまだ見ぬ未来のどこかへ旅をすることは夢の一つだと思う。

 

もしもデロリアンが自宅の倉庫に眠っていたら、いつの時代に飛ぼうか。

  

  

 

もしも過去に戻れるならば、私は小学生に戻りたい。大人になったいまでも、当時好きだった男の子が夢に出てくるのだ。2年生の終わりに転校してきた転勤族のヒデちゃんだ。すぐに意気投合して、私はヒデちゃん、向こうは下の名前で私を呼ぶ仲になった。小学4年生のとき、一年ぶりに同じクラスになった。その時の担任は小学生の自分から見てもちょっと異常で、頭のおかしいおばさんだった。学期末にはまるで懺悔をさせるかのようにプリントに秘密を書かされ、担任が自分で発案したクラスの文集はいつのまにか話自体がなくなり、空き教室のゴミ箱に途中の段階の文集が捨てられていたのを見た時はゾッとした。

 

ある時、その担任が「女の子を下の名前で呼び捨てにするのは辞めましょう。」と“女子の呼び捨て禁止令”を発令した。

 

あくまでも全体に呼びかけている風だったが、当時女の子を呼び捨てにしている男子は他におらず、ヒデちゃんが私を呼び捨てにすることを暗に禁止にしたのだった。それからヒデちゃんは私を何と呼んでいいかわからなくなったのか、名前を呼んでくれなくなった。自然とわたし達の距離はだんだん離れていき、それまでの仲の良さに急に気まずさや恥ずかしさが生まれるようになってしまったのだ。

 

 

そのままクラスが離れてしまい、遠くに行ってしまったヒデちゃんを気付けばわたしは物凄く好きになっていた。土曜日にはお弁当を持ってわざわざ友達と野球の練習を見に行っていたくらいだった。重い。何度も女友達はわたしの背中を押してくれたけれど、バレンタインのチョコレートもずっと待ってくれていたのに結局渡せずに自分で食べてしまったし、遠足の帰りに今日こそ告白しなよ!と友達が場をセッティングしてくれたにも関わらずトイレにこもってしまったし、雑貨屋さんで買った小さいメッセージカードを書いてみたけれど結局渡せなかった。結局、小学校を卒業し、私が新築の実家近くの中学校に入るため、それっきりお別れになってしまった。

 

 

いまだに、卒業アルバムに書いてもらったメッセージを覚えている。声変わりする前のとっても高くて芯のある声も脳内で再生できる。…私、めちゃめちゃ重い女じゃん。いや、言い訳すると、思い出は美化されていく一方なんだよ。ただ、周りからは全然そう見えない割には、私はかなりの恋愛体質なのだ。

 

中学生になってからは、野球を続けていることと、背が伸びて声変わりして低い声になったことしか知らなかった。中学を卒業して、風の噂でヒデちゃんは市内でも一番頭の良い高校に行ったらしいことを知った。中学生のうちは多少気持ちを引きずっていた私も、高校に入って野球部の先輩と付き合うようになり、いつの間にか記憶も薄れていった。

 

 

 

 

成人式は市内の中学校を卒業した新成人が一斉に同じ広場に集まる。わたしはもみ上げと襟足を刈り上げた赤いボブ頭に、母が成人式の時にもきたオレンジ色の振袖に身を包んで参加した。

 

わたしは中学や高校、予備校の同級生と写真を撮るのに夢中で、知り合いを遠くに見つけては広場を駆け回った。帰り際、小学校の同級生に呼び止められ、そこでやっと小学校のことを思い出した。同級生の女の子達と写真を撮り、「シルコちゃんはこの後のタイムカプセル、開けに行かないの?」と言われたけれど、数ヶ月前に小学校から届いていた往復葉書の不参加に丸をつけて返送したのだった。「この後中学校の同窓パーティーがあって、着替えも忙しいからいかないことにしたの。」と嘘をついた。小学校友達とはどんどん連絡をとらなくなっていたので、行ったところで自分だけ浮いてしまうだろうと思ったから行きたくなかったのだ。

 

友達の向こう側に、ヒデちゃんがいるのが見えた。こっちを見ていた。急に恥ずかしくなって、大学生になったであろうヒデちゃんのスーツ姿を見ることも、ろくに挨拶することも出来ずに、歩きなれない草履でペンギンのようにペタペタ音を立てながら、避けるようにその場を去ってしまった。自分で埋めたタイムカプセルを掘り起こすことを放棄した代わりに、ヒデちゃんの思い出を開封してしまった。

 

 

いままで色んな悔しいことや悲しいこと、恥ずかしいことを経験したけれど、今となればどうってことない。限られたタイムマシンの燃料をわざわざ使って、今からその時に戻って過去を修正しようなどとは思わない。けれど、ヒデちゃんのことだけは未だに気がかりなのだ。バッドエンドが分かっていたら、後悔もクソもないのだが、結末を知らないことは大人になっても一抹の希望を捨てることはなかなか難しい。 

 

 

本当は、タイムカプセルのように発掘した、高校生の終わりから二十歳の頃までやっていたブログの話を書こうと思っていたのに、こんなにおセンチな未練タラタラ女のような日記になってしまった。おばあちゃんになって、さんまのからくりテレビのビデオレターのコーナーに万が一出るような機会があったら、その時はこの思い出をお披露目しようと思う。もし、それまでにタイムマシンが開発されたら、思い切って大事な1回を小学生の自分に告白を実行させるために使うだろう。タイムマシンを使いたくなるって、自分の人生でも一番大切な出来事だったことを証明しているみたいだ。

 

 

 

最後に、オミソ・シルコの選ぶタイム・トラベルの名曲を挙げてさようなら。

 

サディスティック・ミカエラ・バンドも最高アハハン〜。

タイム・トラベル

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僕とスターの99日』でスピッツが主題歌としてカバーしたことで初めて知った。とにかく、言葉選びが、鬼・天才である。

本家並びに、スピッツver.も良い。

タイム・トラベル

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ブルースだって高らかに歌ってやろう

わたしの一番好きな色はブルー。

宇多田ヒカルの『BLUE』という曲が好きだ。

BLUE

BLUE

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女の子に生まれたけど、私の一番似合うのはこの色。

 

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その日の気分やラッキーカラー、マイムーブのような短期間の色の好みは変わるけれど、わたしが一番ずっと好きな色は青。

 

 

 

このブログを始める前、ブルースと名のついたブログをやっていた。単純に青が好きなことと、大学時代にブルースの由来を知った時になおさらブルーが好きになったからだ。

 

 

 

Instagramはいつの間にか、写真を投稿するアプリではなく、素敵に見える瞬間だけを切り取るためのアプリになった。

 

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わたしは人のブルーな気持ちを知るのが好きだ。というのは、人間臭さを感じられるから。綺麗な部分しかない人なんてきっといないはずで、みんなもっと人間臭いはずなのに、切り取られたのはキラキラした美しい瞬間ばかりだ。

 

 

ブルースは、人々の憂鬱(ブルー)な気持ちを歌に乗せて、嘆くことから始まった。そして多くの人を魅了し、ロックを生み出したのだ。

ブルーな気持ちだって、高らかに歌っていいのだ。

 

 

 

憂鬱から生まれるエネルギーをわたしはもっと大切にしたいと思っている。そして、ブルーな気分を吐露する人をとても愛おしいと思う。

 

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わたしの好きな作品の中で「悲しい人はどこにいても悲しいんですよね」という台詞がある。

悲しさを無理に明るさや楽しさに変える必要はないのだ。悲しい人は悲しいままでもいいのだと思った。

 

写真:筆者撮影(iPhone6を使用)

 

さらしぼと小さな奇跡の物語

さらしぼ、この名前で呼んでいる人はどのくらいいるだろうか。

 

さらっとしぼったオレンジ。自動販売機でしか売っていなかった、あの飲み物だ。一時期廃盤になり、結局リニューアルしてボトルタイプになって帰ってきたさらしぼ。これはさらしぼと私の小さな奇跡の物語である。

ダイドードリンコ さらっとしぼったオレンジ 490g×24本 

 

さらしぼ、何故こんなにも馴れ馴れしく呼ぶのかって?

何故なら、「さらっとしぼったオレンジ」はわたしの青春の飲み物だからだ。

 

わたしの通っていた高校は、県内でも1〜2位を争うような高倍率で、自分が受験した年は過去最高の倍率だった。自分の受験番号を見つけたときは、嬉しすぎて、合格発表を見る人がはけてから、しばらくしてまた写真を撮りに行ったくらい。わたしたちは選ばれしハッピーボーイズ&ガールズ。さあ、最高のハイスクールデイズの始まりだ。

 

 

進学校でスポーツも盛ん、男女比も程よく、まさにカルピスのCMのような光景が至るところで繰り広げられているような最高な母校だったが、ただ一つ欠点があった。

他の高校と比べ、圧倒的に駅が遠い。駅と駅の中間ぐらいの距離にあり、近くに牛舎や広い田んぼがあるような、市内でもかなり田舎よりのところにあった。バスの本数も1時間に多くて4本あるくらいだし(そもそもバス代が鬼のように高い)、99パーセントの生徒が自転車通学をせざるを得ないという鬼畜な立地にあったのだ。

 

 

駅が近い高校が羨ましかったのは、帰り道に寄り道がしやすいところだった。遠くから電車で通っている生徒も多く、二つの駅のうち自分の家により近い方を選ぶため、学校を出た瞬間に友人とバイバイしなくてはならない。自然に〇〇駅組、〇〇駅組、という派閥争いのような単語が使われるようになっていった。

 

 

部活加入率も高く、平日はほとんど駅に遊びに行くなんてことはできない。大きなバイパスが通っているだけで、すぐ近くに気の利いたファミレスなどなく、私たちの憩いの場となっていたのが、校舎からほど近くに数台並んでいた自動販売機だった。

各有名メーカーの自販機が数台ずつ並び、中にはアイスの自動販売機もあった。「今日は練習頑張ったし、寄ってく?」という、サラリーマンが仕事終わりに立ち飲み屋でいっぱい引っ掛けるごとくその自販機コーナーに行って、コカコーラのベンチに座りながら、下校する同級生を見たり、格好いい先輩の話をしたりして話に花を咲かせていた。

 

 

そのとき、圧倒的な人気を集めていたのがあのさらしぼだった。

500㎖のロング缶にも関わらず、他のメーカーの自販機よりも確か20〜30円くらい安かった。それが当時のお金のない貧乏な高校生たちには本当に有り難かったのだ。そして、部活を終えた自分たちにとって、あの果汁100%ではない、あくまでも “さらっと” しぼられたオレンジの感じが、喉に絡みつくわけでもなく絶妙に丁度良かったのだった。

 

だからこそ、私たちはさらっと絞ったオレンジに異常な愛着があり、さらしぼという愛称でその頃から慣れ親しんでいたのだ。

 

 

 

 

それから時はたち、上京して6年くらいがたった頃、私は東京ドーム近くのとある居酒屋で先輩と飲んでいた。2人で担当していた大きな仕事がようやく終わり、打ち上げをしていたのだった。2階建の店舗のそれほど広くない1階の小さなテーブル席に向かい合わせで座り、隣のテーブルには30代後半くらいのサラリーマン2人が同じく向かい合わせで楽しそうに飲んでいた。

 

先輩も私もかなりいける口で、互いにお酒はハイペースで進み、アルコール分解の早い私は早々にトイレに立った。お手洗いから戻ると、先輩が隣のサラリーマンと楽しそうに会話をしている。私は面倒なことにならないといいな〜と思いながら、どちらかと言えばネガティブな気持ちで席に戻る。

 

 

席に着き、そのサラリーマン達に軽く会釈をした方がいい雰囲気になっていたので、「どうも〜」みたいな軽い挨拶をした。案の定、向こうから「2人はどういう関係なの〜?」という質問がくる。正直、あーめんどくせーと思ってしまった。申し訳ない。軽くサラッと飲んで帰ろうという気分だったので、計画が破綻しそうなことに私は落胆しかけていた。

 

 

適当に2人の間柄を説明し、今度は彼氏の話題になった。いよいよなんか面倒な流れになってきちゃったな〜と思い、先輩と苦笑いしながら適当に流そうと思っていたら、向こうがそれを察したのか「ごめんごめん。僕たち結婚してるし、ナンパしようとかそういうんじゃないから大丈夫だよ〜!」と気を遣ってくれた。

それをきっかけに、こちらからも色々話を聞いてみると、そのサラリーマンたちも同僚で、その日は揃って午後休を取り、東京ドームに巨人戦を応援しにきたらしい。その日は残念ながら負けてしまったので、反省会という名のもとにこうして飲んでいるんだと話してくれた。

 

 

追加のお酒やおつまみを奢ってくれ、さらに話は盛り上がっていった。お互いの仕事の話になり、私たちが後輩の愚痴や、終わったばかりの大きなイベントの話をする一方で、サラリーマンは私たちに唐突にこういう質問を投げかけてきた。

 

 

「自販機の飲み物の中で一番好きなものって何?」

 

 

先輩が先に口を開き、「特にこれってものはないかな〜」と悩むなか、いい感じて酔っ払っていた私は、この想いを伝える時が来たか!と相当大きな声で興奮気味に「さらしぼ!!!!!」と答えたのだった。もう一つ、POPメロンソーダとも迷ったけれど、一番はダントツでさらしぼだった。

 

その答えを聞いたサラリーマン2人は、おおお〜〜〜〜!という歓声と共に大拍手をした。意味がわからない。でもなんか酔っ払ってるし、いえーいという感じで喜ぶわたし。そしてポカーンとする先輩。

 

 

なんとその2人のサラリーマンは、さらしぼのメーカー、ダイドードリンコの社員さんだったのだ。そこにはハッピーOLズ&サラリーマンズがいた。これは奇跡だ、九死に一生レベルの大きな奇跡ではないけれど、四つ葉のクローバーを見つけたような小さな奇跡だった。みんなが興奮していた。

 

 

片方のサラリーマンに「東北出身?」と聞かれた。正確には関東出身なのだが、ほとんど正解である。よくよく聞いてみれば、ダイドーの自販機は東北などの田舎を中心に置いているらしい。確かに、メーカーによっては東京ではほとんど見たことのない《チェリオ》の自販機を関西に来てからは頻繁に見かける。自販機の分布に地域差がそれほどあるとはその時に初めて知った。

この記事を書いたことを機に、東北のためのサイダーなるものが開発されていることも知った。東北の、東北による、東北のためのサイダー。炭酸の消費量多いランキングなんてあるんだね。へ〜、である。(ニュースリリース|企業情報|ダイドードリンコ

 

 

あまりにも、その2人はさらしぼと答えたことに感動していて、わたしは先輩を含め3人に対して《さらしぼは私(たち)にとって高校時代の青春の飲み物であり、どれだけの思い入れがあるのか、今でも飲み会の帰りにどうしても飲みたくなるので家の近くのどこにダイドーの自販機があるかをちゃんと認識していること、たまたまさらしぼを見かけると大体飲みきれないくせに買ってしまうこと(特に夏)》を熱弁した。そして知る衝撃の事実、社員さん達は「さらしぼ」とは呼ばず、「さらオレ」と呼ぶのだそうだ。覚えておこう。でもわたしは頑なに愛称を変えるつもりはない。

 

そして、宴もたけなわ、会計を終えてお店を出た。2人のサラリーマンは、明日の朝礼でこの話をするよ!と行って嬉しそうに去っていった。

 

 

 

 

この出来事から数年が経ち、昨年のさらしぼが販売中止するという衝撃的なニュースにより、高校の同級生界隈は明らかに動揺していた。別れが突然くるというのはこういうことを言うのだろうか。わたしはひとり、このサラリーマン2人のことを思い出すのだった。そして、突如舞い込んで来た復活のニュース!朝日新聞に取り上げあげられるなんて、さらしぼの影響力恐るべし。

www.asahi.com

 

さらには生まれ変わったさらしぼ、開発の背景を読んでみるとまさにわたしが熱弁していたあの話ではないか。もちろん、多くの声が寄せられているはずで私はそのうちのたった1人に過ぎないのだが、ひとりひとりの強い気持ちが束になれば、状況は一変するのだと教えて貰った気がするし、改めてこんなにもたくさんの人にさらしぼが愛されていたことを知り胸が熱くなるのだった。

 

●開発背景

1996年に発売した「さらっとしぼったオレンジ」は、昨年、販売を終了しておりましたが、SNSを中心に製造終了を惜しむ声や再販売を希望される声を多数お寄せいただきました。

お寄せいただいた声を分析したところ、味わいへの高い評価に加えて、「懐かしい」「青春の味」「高校の部活帰りに飲んでいた」などのコメントが30~40代を中心に多く寄せられており、現代の嗜好を考慮した商品であれば、学生時代にご愛飲いただいた方も含めてこれまで以上に多くの方に楽しんでいただける可能性があると当社では考えております。

そこで今回、再栓可能で持ち運びにも便利なボトル缶タイプの容器を採用し、ご好評いただいた味わいをベースにオレンジ感をアップさせた「さらっとしぼったオレンジ」を開発。学生から大人まで幅広いお客様に楽しんでいただきたいという思いを込めて、約1年ぶりに発売いたします。

ニュースリリース|企業情報|ダイドードリンコ より)

 

ただ一つ、形状がボトルタイプになって復活したのは、『木綿のハンカチーフ』のように、幼馴染が東京に染まって派手になって帰って来た…みたいな、ちょっと切ない気持ちになるのはわたしだけだろうか。恋人よ君を忘れて変わってゆく僕を許して〜。

わたしはロング缶だった頃の君を決して忘れはしない。

 

 

木綿のハンカチーフ

木綿のハンカチーフ

  • 太田 裕美
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

ボーイズ&ガールズ

ボーイズ&ガールズ

  • provided courtesy of iTunes

 

 

いちごのショートケーキ

先日、前々から気になっていた四条大宮のフルーツパーラーとやらに行ってみようと思い立った。だが、気付けば閉店の時間を過ぎていたので、その代替案として京都のねじりまんぽからほど近くにある老舗洋菓子店へ寄った。わたしはそのお店に漂う “古き良き洋菓子店”感 がとても好きだ。とっておきの時はそのお店でケーキを買うことにしている。

アメトーークの〇〇芸人風に言えば、わたしは老舗大好き芸人だ。和菓子といえば虎屋だし、神保町の純喫茶 ラドリオなんかもう毎日でも通いたいし、結婚式だって地元の老舗料亭でしめやかにやったのだ。老舗って、単純に長い歴史がある=信頼感にも繋がるし、店員さんの良い意味で着飾っていない自然体なところが一番惹かれるポイントなのかもしれない。昔から長いこと変わらず着ているであろうユニフォームやエプロンがまたたまらないのである。さぼうる2の店員さんがポマードで髪を固めてる感じとか。

 

 

そう、それで今回は勇気を出していちごのショートケーキに手を伸ばしてみた。

THE・ショートケーキ。ショートケーキを食べるのは、確か去年の誕生日ぶりだと思う。でも、自分からいちごのショートケーキを選んだのは実に何年ぶりのことだろうか。

 

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突然だが、ここでわたしの高校時代にタイムリープしよう。

わたしが高校生だった頃はちょうど前略プロフィールの全盛期で、もちろん私も自分のプロフを持っていた。前略プロフィールに加え、リアルタイム (いまでいうTwitterのような今現在の気持ちを呟くページ)と自作ポエムだけを載せるページを作り、リンクに貼っていた。ゲストブックにたまに寄せられるポエムへの感想ににやにやしながら返信を書いていた。ただの茶化しだったのかもしれないが、反応してくれることが嬉しかった。

 

もちろんスマホなどなく、使っていたのはガラケーだった。当時付き合っていた野球部の先輩から届くメールの着信だけ、ライトがレインボーに点滅するように設定していた。暗闇で携帯がレインボーに光るとき、ワクワクしたあの瞬間。いまだってあのきゅーっとなる気持ちを思い出せるよ。エモい。エモすぎて苦しくて震えるね。

そんでもって、いまでこそタコスや餃子、カップケーキなど、携帯で使える絵文字のバリエーションは増えたけれど、わたしがまだティーンエイジャーの頃にはその数はもっと少なかった。

 

 

高校に入学すると同時に、わたしは陸上部に入ることになる。同期(女)はマネージャーを入れて10人。いまでは友人を越えて家族のような存在だ。面と向かって悪口も言える。たまに、本当にムカついてちょっと距離を置く時期もあるけれど、気付いたらまた会いたくなるから不思議だ。そのうちの2人は悲しきに疎遠になったが、まあ人生にはそういうこともある。

 

入部からしばらくして、マネージャー(アニメ/漫画オタク)が手馴れた手つきで部活用のホームページを作ってくれた。プロフィールのページには、それぞれの前略プロフに飛べるようリンクが貼ってある。各々絵文字がアイコンとして当てはめられており、他のメンバーが口紅や犬、猫、チューリップ、太陽などが充てがわれるなか、わたしに振り当てられたのはいちごのショートケーキだった。みんなの入部当初のイメージで決められたものだった。

 

 

 

わたしは下の名前がとある有名な漫画の女の子のキャラクターと同じなので、小学校に入ると自然とそのキャラクターの名前 シルコちゃん(仮) と呼ばれるようになった。身バレに繋がると怖いので、ここはオブラートに包ませていただく。

小さい頃はセーラームーンが大好きだったし、スカートしか履かなかった。幼稚園でおもらしした時にミッキーみたいな黄色い短いズボンを履かされたことは、かなり屈辱的だったのでよく覚えている。スケッチブックに女の子の絵を描くときは、必ずハイヒールやレースアップシューズを履かせていたし、キャラクターと同じその可愛いあだ名で呼ばれることを純粋に喜んでいた。母親がロシア人のような顔立ちをしているおかげか小さい頃のわたしは本当にお人形さんのようで、低学年のときには高学年の先輩たちがぞろぞろわたしを見にくるくらいにチヤホヤされ、「可愛い」と言われ慣れていた。

 

 

しかし、高学年になってくると「男子に負けたくない」欲が急激にどくどく溢れてくる。学級討論会でもテストでも、50メートル走だって、ライバルは男子だった。気付けば「可愛い」より「格好いい」女の子になりたいと思うようになった。中学では、とにかく何でもいいから強くなりたい!という安直な理由から柔道部に入った。武道を身につけていたら男子には舐められないだろう、と。わたしの予想は的中した。全校集会で何度か賞状を壇上で貰うことにより、さらに圧を強めることができた。一応黒帯も持っているし、170cmくらいの男の人だったら一本背負いで投げられる自信がある。 乱取りで後輩の頭が頰に直撃し、大きな青あざを作ったときも、勲章を作ったような誇らしげな気持ちで同級生にそのあざを見せまくった。わたしは着々と「強くて格好いい女」になってきたつもりだった。

 

  

でも、高校に入って、わたしに充てがわれたのはショートケーキのアイコンだった。

まだまだだった。強くて格好いい女にショートケーキがあてがわれる訳がない。いちごの乗ったケーキなんぞ、可愛い女の子の代名詞みたいなもんじゃないか。わたしは、フリフリなレースも、音符マークやいちご柄も、ピンク色だって好きじゃない。

 

わたしにとっていちごのショートケーキは、いつしか自分のコンプレックスを表すアイコンになってしまったのだ。だから、超意識的にショートケーキを避けてきた。単純に辛党なので、甘ったるいクリームの乗ったケーキを食べる機会自体が減ってしまったが、ケーキを食べる必要があるときは、ショートケーキじゃない上にほとんど何も乗っていないチーズケーキやシンプルなロールケーキをわざと選ぶようにしていた。

 

 

 

初対面でのイメージと実際に仲良くなってからのギャップが激しいことは、あるときからわたしのコンプレックスになった。タレ目で背が低いせいか、どうしても相手に柔らかい印象を与えてしまう。第一印象で「フワフワしている」と形容されることが多いのが不満だった。部活の同期の男子には「オミソさんってでかい虫と遊んでるイメージだよね。一緒にブランコに乗ったりしてそう。」と言われた。そもそも、でかい虫ってなんやねん。彼の言いたいのは不思議な国のアリスとか、多分そういうことなんだろうけど、説明が雑すぎるわ。残念ながら、そういうメルヘンな雰囲気を醸し出していたのだろうと思う。

 

 

大学生になり、自分の好きな髪型・青文字系のファッションをすると、美容師かアパレルの店員さんみたいとよく言われるようになった。

二十歳の頃、東京近郊の大学生10人くらいと一緒に東南アジアへ2週間旅をした。事前に高田馬場で1度顔合わせをしただけであとは現地集合、ほとんどが初対面だった。旅行が終わり、facebookのグループページで他己分析をし合う。めちゃめちゃ意識の高い大学生がやるやつだ。いまでは自分が本当にそんなに意識高い高〜い大学生だったとは信じがたい。恐ろしい。これぞ黒歴史。旅行中にそれほど深く関わらなかったメンバーには、やっぱり「フワフワしてる」イメージだと言われ、大層がっかりした。けれど、旅行中に話をする機会の多かったある先輩は「全然フワフワしてない。はっきりとした自分の主張を持ってる子。」と形容してくれた。唯一の救いだった。

 

 

 

それから、赤毛のボブもベリーショートにばっさり切り、色を黒く染め、着回しが効くようファストファッションの店でズボンを複数買い足し、ワンピースやスカートの類の服を一切着なくなった。友人が「花見の合コンの頭数が足りないから参加して〜」と懇願してきたときは、私を合コン用の女として扱わないでくれ、というか寧ろ可愛い女の子を求めてる男性陣に申し訳ないから〜と思った。

 

それは自分にとって、人生のうちに何度か経験せねばならないアイデンティティの危機だった。いま思い出してもあのときは自分らしく生きられない、しんどい時期だったし、自分自身かなり迷走していた。その危機は1年以上続いた。

 

 

ある時、よく話すようになったゼミの同期から「オミソちゃんって、いっつも堂々としてて格好いいよね。前から羨ましいなって尊敬してた。」と突然言われた。びっくりした。わたし、ちゃんと自分のこうありたいイメージと周りからの印象、一致していたんだとハッとした。そして、ちゃんと見てくれている人は「自分がこうありたい」と思う印象をきちんと持ってくれていることに気付いた。教育実習で母校に行ったとき、高校生の頃からずっとお世話になっていた保健室の先生にも、「あんた貫禄ありすぎて、一人だけベテラン教員みたいだったよ。」と笑って言われた。それがわたしは何だかすごく嬉しかった。

 

 

たとえ、第一印象が本来の自分とイコールじゃなくても、わかる人にはわかってもらえるという事実が存在すれば何も問題がなかったのだ。そしていつからか、ずっとショートを保っていた髪型も、自然と長くなり、大学を卒業する頃にはロングになっていた。

 

 

わたしがいちごのショートケーキを故意的に避ける理由はもうなくなった。

ショーケースにたくさん並んだケーキを眺めたら、いちごのショートケーキが一番輝いて見えた。久しぶりに自分で選んで買ったショートケーキは、いちごが甘酸っぱくてとても美味しかった。

 

写真:筆者撮影(iPhone6