15年来の親友と距離を置こうと思った話

先日、親友Kと数ヶ月に渡って予定を立てていた旅行がやっと決行された。

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結論から言うと、Kが帰ったあとに残った感情は残念ながら、楽しかったよりもうんざりしたという感情が勝っていた。いまは、彼女とは少し距離を置きたいと思っている。旅行には、正直もう行きたくない。次そのような話が出たら、どうにかしてお断りするつもりでいる。 

 

misoshiruko.hatenablog.com

 上の過去記事の通りに、わたしは予定の段階から多々モヤモヤを感じていた。 

ざっくりとそのモヤモヤの原因を分析すると、旅行の話を進めるよりも、気づけば話はKの自分の忙しさアピールでもちきりになっており、私はそれを

  • 大変だね。
  • えらいね。
  • 体壊さないでね。

という主に3つの表現で労わるというのがルーティンになっていたのが正直しんどかった。オミソ・シルコの正直しんどい、だ。加えて、向こうのお休みにはこちらの都合もお構いなし急に電話をかけてきたり、LINEを連投してきたり……。あれ?あたいも結構忙しいんだけどな……?

それでも、「忙しくて余裕がなくなっているのだ。仕方がない。自分にだってそういう時はある。」と気持ちをなだめてなんとかやり過ごした。

 

その旨をはてなブログに投稿したら、諸パイセン方が共感やアドバイスをくださって非常に有り難かった。その節はありがとうございました!うーん、そうだよなー、と噛み砕きつつ、実現する方法を自分なりに模索していた。

 

顔の見えないコミュニケーションツールにはそれぞれ多くの利点があるけど、対面のコミュニケーションよりはやっぱり劣ってしまう。きっとこの気持ちも、本人に会ったら会ったできっと忘れるのだろう、いざ旅行が始まればモヤモヤも嘘のように吹っ飛んできっと楽しめるだろう、と思っていた。というか、純粋に楽しみたかった。

 

 

来訪スケジュールと旅行当時の様子  

K来訪の予定はざっくりとこんな感じだった。

・初日、某テーマパークで待ち合わせ。

   夜までアトラクションやご飯などを楽しむ。

・2日目、アンティーク着物を着て京都散策。

・3日目、ドライブ。パン屋や名物スポット巡り。

 

わたしの住む地域にわざわざKに着てもらう手前、こちらがアテンドする必要があるのは当然だと思っていた。そのため、チケットの手配やレンタル着物の予約、バス・鉄道の案内はわたしがすることになったがその点は全く問題なし。むしろこちらに任せてもらってOKという感じだった。

 

初日は、久しぶりに会えて嬉しい〜!&ようやく旅が始まって楽しい〜!という気持ちで、自然と笑顔が溢れ、実に快調な出だし。会ってみたらやっぱりただの思い過ごしだった!めでたしめでたし!という雰囲気すらあった。年甲斐もなく、揃ってキャラクターの被り物をしてテーマパークをヘトヘトになるまで歩き回った。普段わたしはこの手のテーマパークに自ら進んで遊びに行くタイプではないので(夢の国に行ったのも7年前が最後)、Kと一緒だからこそ楽しめるプランだなーと素直に感じられていた。

 

が、中盤から怪しくなる雲行き……。

少しずつあれ?おかしくね???と思うポイントが増えてくる。

  

Kは常にスマホを片手に、とにかく目の前の景色を記録に残そうとする。自撮り、ムービー、加えてわたしに「このアングルで写真を撮って」とスマホを預け、わたしはKの写真を撮り続ける。まあ、こういう非日常的な所に来ればテンションも上がるよね……としぶしぶ撮影していたが、わたしの撮る写真やムービーに時たまダメ出しが入る。わたしプロカメラマン?あなたモデルさんだっけ……?

わたしのhpはみるみる下がり、内心(はあつかれた… 家に帰りたい…)を連呼したくなるも、遊んでるときに口に出したらいけない言葉No.1じゃん!やめなよ〜!ともう一人の冷静な自分がなだめてくれ、何とか言葉を喉の奥に引っ込めた。

 

二日目もその調子で、とにかくわたしは着物姿のKの写真を撮ることに奔走し、着物返却までのタイムスケジュールを考えながら京都を案内し、(わたしってKを引き立たせるためのアテンドのおばちゃん……?)という気持ちが湧き出てくる。私だって結構可愛いアンティークのお着物着たんですからね。えへん。頭に赤いかんざし刺しちゃってさ。これからあんみつを食べにいく女学生みたいにさ。あんみつは食べられなかったけど、清水で食べたほうじ茶パフェやわらび餅、勇気を出して入った祇園のお蕎麦やさんの親子そばはとても美味しかったなー。美味しい食べ物は世界を救うし間違いない癒し。

  

最終日の朝はゆっくり準備をして、わたしの運転で我が家から1時間くらいの場所へドライブ。Kの好きなベーグルを目指してパン屋を巡ったり、名物スポットを回ったり、晩御飯はKの美味しいお米を食べたいというリクエストで美味しい焼肉を食べに行った。

 

3日間に詰め込んだので慌ただしくはなったが、Kもとても満足して帰っていった。反面、表面上はニコニコしていたわたしだが、内心はずっと真顔だった。これってKを接待するための旅行?こんなにも早く終わらないかなー、と思う旅行は正直初めてだった。

 

対照的な環境とこれまで仲が良かった理由

基本的に、Kには「人の話を聞く」という考えはあまりなく、2人で会ったときに1割でもわたしの話をしたらいい方だった。いままでも、人の話全然聞かないじゃん……とは思いながらも、それでよかった。大人になれば少しは変わるだろうと思っていたのだと思う。ただし今回も、どんなにわたしが話そうとしても、それを遮って自分の話を始めるのだった。せめて人が話を始めたら、最後まで聞くべきじゃないだろうか。話を遮られて嫌な気持ちのしない人などいない。

  

1日目にホテルに泊まった時、ほんの数ヶ月前から出張で都内のビジネスホテルに泊まるようになったというKが「だいたいこの手のホテルは〇〇が付いているよね、エレベーターにカードタッチするなんて当たり前でしょ?」と知ったかぶりしていたのは痛々しかったし、焼肉屋に連れて行ったときに「この前連れて行って貰った1万円くらいする焼肉屋さんにすごい似てる!」と言ってわざわざそのお店を検索しては「見て、このメニューは2万円だったの。」と言われた時も、そんなこと言う必要ある?と思ってしまった。フミコ・フミオ氏風に言えば、非常にキッツー。な局面であった。

 

正直な話、大学時代から全国各地や海外に行って安いゲストハウス・ホステルから5つ星ホテルまで、Kの10倍は色んな所に泊まっているし、会員制で表に看板の出ていない焼肉屋などこの歳になれば連れて行ってもらう機会などあるだろうと思っていたが、そこで張り合うのが馬鹿馬鹿しかった。職場の同僚とならバチバチ張り合いたくなるかもだけど、昔からの親友にそのマウンティング必要かしら?少なくとも、口に出す必要はないんじゃないだろうか。

 

挙げ句の果てに、京都の飲み屋に行けば「シルコのスパークリングワインの量少なくない?私の方が多く注いでくれた!」などと、火に油を注ぐようなことを言われて、ただでさえ酒に強いというのにそれまでの酔いが一気に醒めるのであった。

  

高校を卒業して地元の百貨店で働いている実家住みのK。高校を卒業して都内の大学に進学して就職して今では関西に住む私。高校生になってから一度疎遠になったけれど、18になり、私がもっさい浪人生をしていて、Kが百貨店で働き出した頃の帰り道に再会してから今までこの関係が続いている。正直、いま縁が続いている友人といえば高校時代の友人がデフォルトだった。進学して地元を出たら、中学の友人など過去の同級生でしかない。高校を卒業して地元で働いてる人たちはその中で連むのがお決まり。それでもここまで環境が違うのに仲が続いていたのは、お互いがリスペクトし合うとか、気遣いあうとか、惹かれるものがあったからだったと思う。わたしが基本的にテンションが低めでネガティブ思考なのに対して、Kが超ポジティブ人間でハイテンションなこともバランスが取れていたのかもしれない。

 

Kのように一つの仕事をずっと続けてることも偉いし、簡単にできることではない。でも、この歳に関西に来れてよかった〜と経験値が上がったと言わんばかりに清々しく言っていたのをみて、ポカンとなってしまったし、私から言わせてみれば30手前になって一度も実家を出ていないのはどうなのだろうとすら思えてしまうのだった。わたしも彼女をどこかで見下していたのかもしれない。彼女は自分が最近出世したことを誇りに思っている分、自分の正しさを必要以上に評価しすぎている感じがした。各々が置かれた状況に置いて酸いも甘いも色んな経験をしてきたはずなのに、一貫して自分が正しいと言わんばかりの姿勢がわたしには受け入れられなかった。

 

彼女は同じ売り場で一時期働いていた男の子を引き合いに出して「わたしは昔の彼の方が好きだったな。歳を重ねるごとに変わっちゃたみたい。」という話をしていたが、そっくりそのままわたしはKに対してそう思うのだった。知らない間に、15年という長い付き合いのある親友は強い自己愛と承認欲求の塊になってしまっていた。

  

映画『プラダを着た悪魔』でアン・ハサウェイが演じる主人公のアンディが、彼氏がいるのにも関わらず色男とイチャコラしているのを幼馴染の女友達に見られた際「私の幼馴染はどこに行ったの?あんたはもう昔から知ってるあんたじゃない!」みたいなことをピシャリと言われるシーンがあるんだけど、まさにそのシーンのような気持ちだった。良い服を着て着飾って、良いホテルで表彰されて、良いお店に連れて行って貰ったら、昔のあなたは居なくなってしまったの?周りを見下して自分を上げるような人間になってしまったの?というのが私の正直な感想だった。

 

そして、この数ヶ月モヤモヤした気持ちを抱えていた理由は「長年の親友のことを悪く言うなんて私は最低だ」みたいな気持ちがあったからなんだといま気付いた。親友のことを悪くいう私が嫌なヤツだと思われることが嫌だったのかもしれない。偽善の方がよっぽど嫌なやつだ。

 

関係を続けていく理由が昔からの仲だからっていうことも、もちろんそれも大事なことなんだけど、お互いの環境や心境の変化で人間性って移り行くものなんだと思った。だからお互いに関係性をアップデートしていかないと昔みたいに仲良く、なんて綺麗事みたいなことは言えない。

 

この記事を読んでシルコは冷たい人間だ、人情がない、淡白だと卵白(および卵黄)を投げつけられるかもしれないが、自分の心に嘘をつくのは本当に苦しいことだなと今回のことで改めて思った。諸パイセン方、このような結果になり、アドバイス頂いたのにごめんなさい。私は悲しかったし、何より一緒にいて疲れる存在になっていた。

 

写真:Bhakti KulmalaによるPixabayからの画像

シルコ旅行記 〜讃岐うどんと仏生山温泉編〜

いつもの作風?とは打って変わりますが、今回からは番外編。ガリバー旅行記ならぬシルコ旅行記をお送りして参ります。

 

今回旅を共にするのは友人S。

Sは高校時代からの友人かつ部活の同期で、毎年9月下旬に行われる某音楽フェスに合わせて我が家に遊びにくるのが恒例になっています。前回、私の住んでいるところはほとんど案内し尽くしたし、今回はついでに旅行に行っちゃおうという作戦です。地元から神戸空港へいい感じの便が乗り入れていたので、実家に帰るついでにそこから神戸に飛んでくればいいじゃん!という話から旅の計画は始まります。

 

神戸空港経由で遊びに行きやすい場所・・・瀬戸内

そのまま香川でうどん食べたら最高じゃん?

という安直な考えから目的地を設定したものの、神戸で待ち合わせをするととにかくタイムロスが多い。のんびりしたいけれど、せっかくの貴重な夏休みを1時間足りとも無駄にするわけにはいきません。そのため、まる1週間程度時間を取り、お互いのプランを持ち込み、プレゼン大会を開催しました。電話で所要時間1時間の打ち合わせ。満場一致(2人だけど)で目出度くシルコ案が採用されました。題して、夏休みだョ!高松空港で現地集合!

 

当日

友人Sは東京近郊に住んでいるため、在来線を乗り継いで羽田空港から高松空港へ。一方のわたしは、在来線で神戸舞子駅まで行き、高速バスに乗り換え、さらに高松市内から高松空港へのリムジンバスへと乗り換えます。

 

7時半頃、ようやく舞子駅へ到着。

JR神戸線神戸駅から先に行くのは初めてだったのですが、須磨駅あたりからぱーーーーーっと景色が開けて、綺麗な海が見え、内心は(写真、撮りたい!)という気持ちでいっぱいでしたが、周りのサラリーマンを見ていたらそんなこと私には出来ませんでした。

 

舞子駅から10分弱歩いて行くと、バスターミナルのふもとに到着。地図が結構複雑で、無事にたどり着けるかな……と心配していていましたが、モーマンタイ。随所にわかりやすい案内表示がありました。駅まで着いてしまえばこっちのものなので必要ないと思いますが、心配性な人間にとってはこのまとめが分かりやすい&あると安心です(高速舞子(こうそくまいこ):バス停マップ)。

 

エスカレーターを登った先には、待合スペースが。自販機や綺麗めなお手洗い、ベンチなどが並んでいます。ここ、ビルでいえば10階?くらいの高さにあるので、景色がめちゃめちゃ良いのです。ガラス越しだけどやっと海が撮れた!

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さらに上へと上がると、バスターミナルがあります。

高速舞子バス停から明石海峡大橋は目と鼻の先です。※安全な場所から撮りました

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そして、あまりにもターミナルが混雑していたので行き先は確認できなかったのですが、おそらく淡路島行き?のバスが通勤客でめちゃめちゃ混んでいました。神戸に住んで、淡路島に働きに行くってありなんだなあ。淡路島には今年の2月に初めて行ったのですが、住みたいくらいに素敵な場所でした。むしろ淡路島に住んで、神戸に通勤するっていうのもありなんだろうな。

 

高松行きの高速バスの乗車率は30%程度で、2席を独占する感じで座ることが出来たので、ここでしばらく仮眠を取ります。あっという間に高松市内に到着し、県庁通りバス停で下車。下車したバス停は高松駅方面なので、横断歩道を渡って向かいのバス停で高松空港行きのリムジンバスに乗り換えます。そして、11時前、無事に高松空港へ到着!

 

ちゃちゃっと歯磨きやお化粧直しを済ませ、Sの到着を待つ間にあらかじめ予約していたレンタカーのカウンターで送迎をお願いします。レンタカー屋の強めなお姉さんが次々と呼び出しをしてくれるのですが、私たちと同じ便に乗るはずの方が一向に現れないようでイライラしているのがこちらに伝わってヒヤヒヤ。わたしはすぐさま送迎車にライドオンできる臨戦体制でしたが、到着ロビーの扉の向こうにSが確認できているものの、荷物が一向に出てこない…。お姉さんの圧を感じつつも、結局カウンター前に姿をあらわさなかった同乗予定者のおかげで、なんとかSと合流して送迎車に慌ただしく乗り、旅が始まりました。関東の片田舎で育った私たち、いまでは香川で現地集合するようになったなんて、なんだかちょっぴりしんみりしちゃうなあ。

 

カウンターの強めお姉さんからバトンタッチし、また別の強めお姉さんが颯爽と運転するマイクロバスでレンタカーの営業所に到着。レンタカーに乗り換え、いざ朝うどんへ。

一発目は香川といえばここ、山越えうどん!早めのお昼を食べに来たであろうサラリーマンやバリバリ観光しに来た人など、客層は様々です。

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うどんや天ぷらを購入すると、通路が奥に繋がっていて、棚の上にお出汁などが置いてあります。

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山越えうどんでは、月見(冷)の小とちくわ天を注文(計350円)。あとあと気付いたんですが、山越えの一番のウリは釜玉なんだそうです。山越えうどんに来るのはこれで3度目なのですが、私未だに釜玉を注文していません。だって冷が好きなんだもん……(暑がりだし)。でも、今度こそは釜玉を食べよう!と心に誓います。

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お互いに約4〜5時間の移動を経て、今日初めてのまともな食事ということもあり、ほぼ無言で無心にうどんを啜ります。表面のつるっとした感じと、強いコシのある麺。これぞ口の快楽(あれ?どこかで聞いた事のある台詞)。香川ではないですが、東京の神保町にある丸香といううどんとこの山越えうどんがわたしの中でうどん界のツートップです。

 

朝一のうどんに満足し、20分ほど車を走らせ坂出市へ。山越えうどんとともにどうしても行きたかったお店がこのがもううどん。こちらも地元の方から観光客まで幅広い人で賑わっています。

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山越えうどんと違い、サイズ的にはかなりコンパクトなお店で、サクッとうどんを注文して外のベンチで食べるのががもうスタイル。お店に立ってもう50年!という雰囲気の醸し出されたおかあさんがお会計をしてくれます。香川のうどん屋さんは閉店時間が午後1時や2時など早いところが多く、がもううどんもその一つだったのですが、どうしてもこの一杯が食べたかったので本当に嬉しい!

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うどん小とお揚げさん(計250円)。かけ出汁はあえて少なめで…と言いたいところだけど、適量がわからず、お出汁サーバーから自分でかけた量が少な過ぎた。ちなみに、ネギを載せなかったのもあえてではなく、場所が分からないまま外に出てしまっただけです。

お出汁、もうちょっとかけたほうがよかったかな?とちょっぴり後悔したのもつかの間で、お揚げさんの甘じょっぱいお汁が美味しーーーー!じんわり染みて来るお出汁だけでうどんが食べられるのです。麺はもっちりしてるのに固くなく、でもブツッと切れるわけでもない、同じうどんとは言え山越えうどんとは似ても似つかない、新たな食感に出会いました。

 

この辺りで私たちのうどん欲もようやく収まってきて、ちょっと甘いものが欲しいな〜と思ってきたタイミングでブレイク。同じく坂出市にある、創業200年を超えるところてんの老舗、清水屋さんへ。わたしはきな粉と黒蜜のかかったくずもち風のところてん、友人Sはシンプルなところてんを注文。300円の小皿でも結構ボリューミー。でも、カロリーはほぼゼロなのでありがたくペロッと頂きます。

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ところてんをお店で食べるのは初めての体験。この日は9月下旬といえど、夏のような暑さだったので、涼を取るのにちょうど良かった。すぐお隣に墓地が並んでいるのは行ってみてびっくりでしたが、敷地内に綺麗な池があり、色んな意味で涼しげな場所でした。

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お腹もいっぱいになり満足したところで、仏生山温泉へ。

旅の目的と言えばとにかくその土地の食べ物を食べることに収束してしまいがちなのですが、本日のメインはこれ!と言ってもいいくらいの最高な温泉です。まるで美術館のように洗練されたデザイン。写真を取るのが野暮にすら感じてしまう。

香川に来てここに来ない手はない!というほど、心からおすすめしたいスポットです。

busshozan.com

お湯の温度は熱めなものから低温の炭酸湯まであるので、サーキットのようにぐるぐると浸かるお湯をかえながら、のんびり疲れを癒しながら話すにはカフェよりも丁度いい。話題はもっぱら自分たちの健康の話で、そろそろ検診とかちゃんといかないといけないねーみたいな話ばっかり。あとは脱毛とか高校の同期の話とか……これだけ見るとかなり女子旅っぽい。

 

たっぷりまるまる2時間温泉に浸かり、仏生山温泉を出発し、地元のスーパーでうどん醤油などを購入。高松駅近くの店舗でレンタカーを無事に返却し、今夜のお宿へと向かいます。 

 

本日のお宿はTEN to SEN cocohttps://tentosen.jp)。

TEN to SEN というゲストハウスの姉妹店で、こちらのみ女性専用です(cocoにはスタッフが常にいないため、チェックインは本店までしに行く必要があります)。

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今年オープンしたばかりということで、めちゃめちゃ綺麗でオシャンティーな雰囲気。

6部屋中1部屋はツインルームになっており、私たち2人はそのお部屋に泊まりました。

 

宿について即スーツケースおっ広げ大会が始まったため、ベッド周辺の写真しか撮れていませんが、シンプルで居心地のいい空間。これで1部屋あたり8,000円。

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Booking.com経由で2,000円割引で予約出来たので、1人3,000円です。超安い。ゲストハウスだと通常、5,000円くらい出さないと個室には泊まれないので、かなりお得なのに設備は新しく清潔に保たれていてツルピカ。バスルームや洗面所、トイレなどは共有になりますが、全6部屋ということもあり、かち合うことはほとんどありませんでした。ゲストハウス初心者の方とっても、ハードルが低めでおすすめです。ちなみに、Sはゲストハウスが初めてでしたが、最高じゃん!これで三千円?全然良くない?と感動していたのでよかった。

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ただし、建物の1階が居酒屋さんになっているので、深夜まで人の声が響いていたのだけが難点。でもベットサイドには上質な耳栓があるのでご安心を。

ちなみに、Booking.comで近々宿を予約する方がいたら、このクーポンコード【4E286983】で¥2,000円引きになるのでよければ使ってくださいね(ちゃっかり宣伝)。

 

 

荷物を整理してお酒を飲みに、夜の高松駅周辺へ。

f:id:uminekoblues:20191003220414j:plain宿から高松駅方面へ向かって散策していて特徴的に感じたことは、居酒屋やスナック、ちょっと怪しいお店がごちゃ混ぜに点在していることです。よくある街の構造として、夜のお店ってそれはそれでぎゅっとまとまっていることが多いイメージなのですが、高松駅の近くではひと区画歩けばその辺にちらほらボーイのお兄さんが立っていて、私にとってはちょっと異様な光景でした。

 

高松中央商店街、どうやら総延長は2.7kmと日本最長のアーケードなようです。行き帰りとぐるっと一周する形で商店街を歩きましたが、広い商店街なら寂れている区画があってもおかしくないはずなのにそんなことはなく、全体的に活気のある雰囲気を感じました。8つの商店街からなる高松中央商店街ですが、その中でも丸亀町商店街は平成に入ってから再開発が進めらていて、7街区のうちすでに4街区が事業を完成されているらしいのです。(参考:知っておきたいこれからのアーケード ~高松中央商店街をソト視点で歩く~ | ソトノバ | sotonoba.place

 

私の地元の商店街も一時は寂れてしまいましたが、地場の広告会社が中心となって、広報紙を発行したり、飲み歩きイベントやファーマーズマーケットを開催してめきめきと復活しています。全国各地に多く存在する素敵な商店街も、新たな形で生まれ変わりつつ、後世に存続して行ってくれたらいいなと願っています。

 

この日最後の晩餐は、その商店街の中にある居酒屋さんでご当地料理の骨付鳥やいりこ出汁の効いた香川おでん、香川の郷土料理のしょうゆ豆などをツマミにおビールをたらふく頂きました。

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香川の人は甘じょっぱいものが好きなのかもしれない

 Sとふたりでしっぽりお酒を飲むのも久しぶりだったので、話に花が咲いた夜でした。

(瀬戸内編へと続きます。)

 

写真:著者撮影(Olympus E-M10 Mark IIIを使用)

ちょうどいい誕生日の過ごし方

世の中には大きく分けて二種類の人間がいる。誕生日を盛大に祝って欲しい人間と、そうでない人間だ。

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誕生日、誰しもが一年に一度必ず経験しなければいけないイベント。正確にはイベントと呼ぶほどでもない、ただ “同じ数字が充てがわれた日” が365日後に来るだけだ。

 

中学時代の部活の顧問が「俺は13歳なんだ。4年に一回しか歳をとらないからな。」と言っていたけれど、彼にはちょっと黙っていて欲しい。確かに誕生日自体は来ないかもしれないけど、あんたは確実に歳をとってるのが私には分かるよ。論点がだいぶ逸れるのでこれ以上は考えないことにしよう。

 

 

 

二種類の人間に話を戻すと、わたしは完全に “そうでない” 人間のひとりだ。かといって、誰一人としてわたしの誕生日を思い出すことなくその日が過ぎ去って欲しい…とかいう極端なタイプなわけではない。ただ、なんとなくひっそりと、親しい人の何人かが「あぁそういえば今日って」みたいな軽い感じでおめでとうと言ってくれるくらいが心地が良い。

 

むしろ、律儀に当日にメッセージなど送られると、「facebookの基本情報から調べたのだろうか?」とか変な勘ぐりを入れてしまうから、数日経ったあととかに何となくおめでとうと言われるのが案外嬉しいのかもしれない。有り難いことに、毎年義母からはお祝いメールが届くのだが、それをどうしても重たく感じてしまうのは、この日は絶対にメールを送ろう!という向こうの気持ちにプレッシャーを感じるからなのだろうなと思う。実母に至っては、メールが来るかは年によってまちまちだが、最近は当日にシンプルな一文の短いメールが来る。

 

 

 

この間、テレビに二階堂ふみさんが出ていた。

新しい髪型も相変わらず可愛いな、細い眉毛が似合うな、なんてことを考えていたら、ふみさんはどうやらわたしと誕生日が違いらしく、共演者に「もうすぐ誕生日だけど、どう過ごすの?」と質問されていた。

 

ふみさんは毎年、仲良しのお友達を呼んで誕生日パーティーなるものをやっているらしい。とてもお似合いだし素敵だ。今年もイベントを企画しているらしく、当日の衣装も既に決めているようだ。ピンクのビスチェ。それ以外の情報がないので一体それをどう着こなすのかは不明だが、きっとセンス良く着こなすのだろうなと想像する。イメージ通りに、ふみさんは、紛れもなく前者だった。何よりも本人が盛大に祝われる図が容易に想像できるし、本人がそれを希望しているのだから、オールオッケーである。

 

 

かくいうわたしも、先月の下旬に二十数回目の誕生日を迎えた。着々とアラサーの階段を登ってきている。富士山で言えば、あともう少しで宿に着き、一晩仮眠をして頂上に向かうというところだろうか。ご来光まであともう踏ん張りだ。ただし、誕生日当日は旅の直前ということもあり、荷造りや家の掃除で誕生日を祝っているどころではなかった。

 

 

 

おそらくわたしは、誕生日だけでなく、記念日などのイベントごとに対して、言いようもない苦手意識があるのだろう。誕生日にかこつけて大きな買い物をすることやいつもなら60分コースのタイ古式マッサージを90分コースにすることには何の問題もないのに、“人から何かしてもらう” となるとガラッと話は変わってくる。

 

 

高校生の時、初めてお付き合いした人は記念日にこまめに贈り物をしてくれる人だった。気持ちをくれるのはありがたいが、物を貰う側からすればかなり重たいプレッシャーがあるんだな、とその時感じたのだった。

 

確かに好き同士とはいえ、たった数ヶ月間の関係性の人間にネックレスをあげる気持ちがわたしにはどうしても理解が出来なかった。もっとこう、プレッシャーの感じないものがいい。身につけることはおろか、まともに開封することなく、怖くなってそのネックレスは紙袋ごとコンビニのゴミ箱へ突っ込んできてしまった。ただし、別の機会にその人に貰ったバーバパパのマグカップは可愛いので使うことにした(今でも実家にある)。

 

 

意味合いの強いプレゼントを貰うことと同じくらい苦手なのは、“サプライズ” である。

ご飯を食べに行ったら、突然バースデーソングが流れてきて目の前に花火の刺さったケーキが登場するあのイベント。近くの席の人になんだか申し訳ないし、恥ずかしくてその場を飛び出したくなってしまう。

 

大学時代はこのイベントが頻発する地獄な時期であった。最初は少し嬉しい気もしたが、突然のバースデーソングはわたしには恐怖のBGMに感じられてしまうのだった。「まさか、私じゃないよね。」と思っているうちに、作りもののニコニコした笑顔でわたしのネームの描かれたプレートが運ばれてくるのが見えると、「あぁ、私か。笑顔で喜ばないとな。」という気持ちになってしまう。

 

私の場合、もし誕生日サプライズを敢行されるのであれば、BGMにはゼクシィっぽい雰囲気のある音楽じゃなくて、電気グルーヴのHappy Birthdayを流してもらって、熱燗とホッケの焼き物とかを持ってきてくれたら素直に喜べそうな気がする。

 

こう考えてみると、人の思いをわかりやすい形のあるもの(例えばアクセサリーや名前入りのホールケーキなど)に込められるのがきっと苦手なんだと思う。もっとサラッとフワっとしたものに託してくれたら、受け取る側も気持ちが楽なのにな、と思う。

 

 

 

そんなことを悶々と考えていたら、旅行中に友人のSがスーツケースからラッピングされた無印の大きな紙袋を取り出して「あ、そういえばお誕生日おめでとう。これ、誕生日プレゼント。」と言って渡してくれた。

 

何だかニヤニヤしているな、と感じつつもずっしり重い紙袋を開封してみると、中には想定外のものがぎっしりと詰まっていた。

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無印のカレーシリーズ全種類とナン作りキット。

わたしはこれを見て、なんて最高なんだろうと思った。最適な言葉が見つからない。誕生日だからといって、かしこまった感じもなく、「女友達へのプレゼント_おすすめ」 と検索しても到底出て来ないであろうこのチョイスを友人がしてくれたことに感服してしまった。わざわざこの旅用に新調したという、かなり大きめなスーツケースの場所を1/4くらい取ってしまっていることも可笑しくて愛おしい気持ちになるのだった。

 

 

何事もきっと、自分の身の丈にあっていることが一番ストレスがなく、心地が良いのだと思う。これも一種のサプライズではあったが、意表を突いたプレゼントに感動してしまった。友人Sに感謝の意を表してこの話を締めくくりたい。

 

写真:Free-PhotosによるPixabayからの画像

心がclosed(閉店中)になった話

このところわたしはずっとモヤモヤしている。その原因ははっきりしているのだが、どうにも解決策が見つからずに悶々とする日々が続いている。

 

来月の上旬に、中学時代からの親友Kが遊びに来る予定になっている。せっかく関西に来るので、我が家に遊びに来るだけでなく2人の旅行も兼ねようということで、関西をぐるっと周る計画を立てている。日程が決まったのは7月下旬とか8月の頭くらいで、かなり余裕を持って進んでいるはず……だった。蓋を開けてみれば、現時点で確定しているのは宿だけだ。それもたった1泊分。にも関わらず、宿を取るのに2〜3週間も時間がかかった。

 

わたしが普段旅に出るときは、目的地を決め、ざっくりとした行程とともにエリアを定めつつ、宿を探す。宿が決まれば、エリアと行動時間から換算してその日の旅程をざっくりと立てていく。早ければ2〜3日、長くても一週間あれば大体の予定が決まる。ひとりの旅行は気が楽で本当に良い。

 

一方で今回の旅行は1泊分の宿を決めるだけでも数週間を要している。その原因としては親友がそれほど旅行慣れしていないというのもあるし、土地勘がないというのもある。でも、2〜3週間ってかかりすぎじゃない???!?というのが私の正直な感覚である。旅には決断力が求められているのだ。旅をするとき、数ある候補地のなかから自分のリクエストになるべく近いものを自分の嗅覚で選び取っていく必要がある。

 

その中学からの親友Kと同じく、来週末には高校時代の友人Sが遊びに来る。こちらも同程度のボリュームの旅行を兼ねているが、こちらに関しては1回の打ち合わせ(電話で約1時間)で2泊分の宿、レンタカー、だいたいの当日のルートが決まったのだった。

 

 

この違いはなんだろう〜

 

この違いはなんだろう〜

 

 


春に

 

そもそも、親友という呼び方をわたしはなるべくしたくはない。友人のなかにある序列をわざわざ公にしているみたいでいやなのだ。それなのにKを親友と呼ぶのは、友人と呼ぶには物足りなさすぎるからだ。親友呼びを嫌がるとかの次元じゃなく、Kは親友と呼ぶしかないくらいの存在なのだ。わたしの根底には義理人情の考え方が強くあって、昔からの友人を大切にすることは自分の人生にも繋がっていると思っている(仮に、今世のうちに刺青を入れる機会があるとしたら「義理人情」と彫りたい)。

 

正直、人間関係はばっさり捨てるタイプではある。親しき仲にも礼儀ありというのが体現できない関係は、あっさりとその人の元を立ち去るようにしているので、この5年で疎遠になった関係は結構ある。

 

misoshiruko.hatenablog.com

 

お互いを尊重できない相手と友人を関係を続けることに費やす時間は無駄だと思う。もはや、それは友人関係とは呼べないし。だから正直、Kが親友レベルの人間でなかったら、縁を切るとまではいかなくとも、いまごろ距離を置いていると思うのだが、いかんせんそうもいかない。わたし、どうしたらいいでしょうか?

 

 

親友Kは超ポジティブで、おそらく自己肯定感がかなり強く、LINEでも電話でもとにかく自分の話が先決なのだ。とにかく近況を1から10まで話さないと気が済まない。本心でいえば一文で返したいところだが、LINEでは同じくらいのボリュームで気遣いの言葉、いかに相手を労わる言葉を並べるかがここ最近のルーティンになりつつある。相槌を打つ達人になる修行をしているようだ。「自分の話ばかりする_女」などと検索しては、Kは実は自分に自信がないから自分の話ばかりするのか?はたまたプライドが高すぎるのか?などと考察するのに時間を費やしている。

 

Kは、親友というか、双子の姉(妹)みたいな存在になっているのかもしれない。Kとは家族構成も同じで、父親の性格もそっくりで、お互いの性格もかなり似ているところが多い。その分分かり合えることも多い一方で、実の姉とそばにいれば喧嘩するように、他人だと割り切れるものが割り切れなくなっているのだと、自分では分析している。

 

 

わたしがこのように心の折り合いをつけているなか、先ほど来月の旅行に関する何回目かの打ち合わせの電話をした。わたしは「来週以降は予定が詰まっているし、時期も迫ってきているので、なるべく今回の打ち合わせである程度の予定を組みたい。」とあらかじめ伝えていた。しかし、いざ電話を始めたら、自分の仕事がどれだけ忙しいのかなどという主にKの話をウンウンと聞くことに5割程度の時間を割いた。結局、京都散策のエリアとその際に着物を借りる店舗が確定しただけだった。挙句の果てには、わたしが今回の旅行に関する話をしていたにも関わらず、「次行くときは浴衣で川床行きた〜い!」という一言により遮られ、その話は中断したまま終わった。

 

その瞬間、テラスハウスのエンディングでドアがバタン!と閉まる音が心の奥から聞こえた。

 

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 (親愛なる泉沢さん風にイラストを描いてみました)

大伯母のパスポートと失くした学生証

高2の新学期、毎年例のごとく行われる地獄の自己紹介タイムがあった。ひとりひとり壇上に登って、担任から指定された項目について話さなければならない。自己紹介に盛り込むべき内容のひとつは「将来の夢」だった。自分の将来の夢を、ほとんど顔も名前も知らない新しいクラスメイトに宣言することが一体何になるのだ、とひねくれた私は思いながらも「将来の夢は自由に生きることです」とだけ言った。あれから10年以上経つけれど、未だに自由に生きるとは何なのだろうと考える。たったひとつ最近わかったことは、自由に生きることに孤独は付き物だということだけだった。

 

大伯母のパスポート

今年の盆は地元に帰省しなかった。高校の同級生が何人か「今年は帰ってこないの?」と連絡をくれて、帰りたい気持ちも山々だったけれど、なんとなく気乗りしない気持ちが勝ってしまった。それでも、お盆に近づくと亡くなった祖父や伯父なんかのことをぼーっと思い出していた。ふと、伯父の遺品を整理していたときの光景を思い出した。積み重なった遺品の上に乗った一冊のパスポートだった。それは伯父のものではなくて、祖父の姉、つまり大伯母のものだった。

 

わたしは伯父の部屋のなかでも、日記や手紙などのまとめられた、特にプライベートな部分をたまたま担当していた。なかには、当時気になっている女の子に対する気持ちが綴られている、姪としては少々気恥ずかしい内容のものや、海上自衛隊を辞めるきっかけになったであろう手術をしたことが書いてある日記もあった。手術のことは母も知らなかったらしく、「船酔いするようになったから」という理由で海自を退職したと説明していたようだが、いま考えてみるとジョークのような理由だなと思う。

 

近くの段ボールにはごっそりとエッチなVHSが入っており、一緒に整理をしていた両親に申告するのがはばかられた。霊は性に関するものには弱いとどこかで聞いたことがあるので、仮にこれを書いている途中で伯父の霊が画面を覗き込んでいたら、目を塞いでくれることを願いたい。両親に報告したところで、「こんなにたくさんあるんだから売りに行けばいいじゃない」と母に向けて大真面目に言っている父親を見て、コイツはなんてふざけた野郎なんだろうか、と呆れてしまった。

 

書類の間に埋もれていた封筒には、証明写真の余りが何枚も入っていた。まだ20代くらいであろう、わたしが見たことのない伯父の若い頃の面影が残るものもあった。わたしは母の目を盗んで、その数枚をエプロンのポケットに入れた。それと同じように、わたしが大学生の時に亡くなった大伯母のパスポートを、伯父も大事にとっていたのだった。そのパスポートもポケットに忍ばせようかと思ったが、残された祖母の家には、伯父だけでなく、祖父や大伯母の遺品が捨てられずに残っており、母が遺品整理にあくせくしていたのこともあって憚られた。

 

そのことを急にふと思い出し、もしかすると母が保管しているかもしれない……と、気がついたら連絡していた。普段は半日〜2日してから返信があるのに、数分後に「おばあちゃんが保管しているかもしれないから、探してみるね。」と返信が来ていた。

 

翌日、残念ながらなかったとの返事があり、続けて「ドイツ人のボーイフレンドの写真もありませんでした。」という一文があった。大伯母は女優ならないかとスカウトされるほどの容貌でいて生涯独身を貫いており謎が深い人だったが、ドイツ人の彼氏がいたことになんだか納得してしまった。一体二人は何語で会話していたのだろうか。なおさら、大伯母のパスポートにどんな国のスタンプが押されているのか気になってしまうのだった。

 

どんな人生を歩んだとしても、後世に残るのは親族の脳裏に残るかすかな記憶とたった数枚の写真だけなのかと思ったら、改めて人生の儚さを感じるのだった。数百年を経ても肖像画や写真の残る偉人のすごさを感じるとともに、写りの悪い写真やコンプレックスのある特徴を誇張されて描かれた肖像画に、納得のいっていない偉人もいるのだろう。仮に、後世にたった一枚の写真が残るとするならば、自分史上一番写真写りのいいものであって欲しい。そういえば、私が大学生のときに失くした学生証はどこへ行ったのだろうか。

 

失くした学生証

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私の学生証はひどいものだった。書類提出の締め切りギリギリに、受験票に使った証明写真の余りのうち、指定されたサイズに一番近いものを無理くり端を削ぎ落として小さくしたものだったからだ。証明写真というものは「3ヶ月以内に撮影したものを貼ってください」とかいう割りには、2枚や3枚平気で残ってしまうものだ。だからこそ、わたしの手元には若かりし伯父の証明写真があるのだけれど。

 

オリエンテーション時、わたしに学生証を配布した職員は、わたしの顔が枠内にパンパンに入っている顔写真を見て明らかに動揺していたように思う。その後も枠パンパンに私の顔が写った学生証を、ことあるごとに見ず知らずの店員や職員に見せなければいけなかった。その度に、きちんと服を選び、メイクをして写真をとるべきだったと過去を顧みるのだった。証明写真を提出するときのわたしは「たかが学生証だ」と思っていた。しかし、免許を取る前の大学生にとって一番自分の証明になるものはダントツで学生証だった。

 

ある日、同級生から突然連絡が来た。

「今夜、U先生と新宿西口で飲むんだけど来ない?」U先生とは、高校2年生だったときに私たちのクラスを担当していた教育実習生だった。東京の私立中学で養護教諭として働いていることはfacebookを通じて知っていた。たまたまわたしはその頃新宿ミロードでバイトをしていたので、終わったら行くよと途中参加する旨の返信をした。U先生は特にわたしを目にかけてくれていて、実習の最終日には先生が高校生のときに付けていた鉢巻をお守りがわりにくれた。あなたを見ていると当時の私を思い出す、とまで言われていた。男子ウケのいい先生で、その日も集まったのはわたし以外全員男子だった。

 

お酒の強かったわたしは、調子に乗って男勢と一緒に冷酒をぐびぐびと飲んだ。バイト終わりから参加したため、飲み始めて数時間でその飲み会を離れるのが名残惜しくて、終電を見送ってしまった。24時間営業のマックで始発までオールすればいいと思っていたからだ。これはライブ後に電車を乗り過ごしがちな姉の常套手段だった。新宿なら始発も早い。始発に乗って帰るくらいどうってことない、と思っていたが、解散時に同級生から「それはやめなよ」と諭され、急遽U先生の家に泊めてもらうことになった。仕方なくだったはずだが、先生は嫌な顔ひとつせずに連れて帰ってくれたのだった。

 

たぶん、小田急線に乗ったのだろうと思う。どの駅で降りたかはあまり覚えていない。

ただ、改札で同級生に手を振って、パスケースを改札にタッチして、先生の家の最寄り駅までついたことは覚えていた。駅に到着し、改札を出ようとしたら、カバンに入れたはずの定期がない。たいていは酔っ払って焦っているだけで、カバンの奥底に入っている……というのがオチなのに、その時はどこを探してもなかった。まずい、と思い先生に伝えると、べろべろの私に代わって駅員に事情を話してくれ、なんとか改札を出ることができた。

 

到着した先生の部屋は、女性らしい可愛いお部屋だった。それでも、東京で私立校の先生にまでなったのに、この規模の家にしか住めないのか……と少しショックを受けた記憶もある。ベッドを使っていいよと言ってくれたけれど、申し訳ないと何度もお断りして、カーペットの上で寝させてもらった。せっかく久しぶりに再会したと思ったら、こんな形になってしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

翌朝、先生にお礼を言って朝日の眩しい電車に揺られながら自宅に帰り、一眠りしてから先生にお礼と謝罪のメッセージを送った。その日は二日酔いのまま、もう一つのバイト先である東京駅に行った。バイトの休憩時間は電車や警察の落し物センターに問い合わせるうちになくなっていく。定期だけならまだ良かったが、パスケースには学生証も入っていたのだ。わたしの顔が枠パンパンに写っている、あの学生証だ。

 

前にも一度、新宿の東口で友人と〆のラーメンを食べて、友人と肩を組んで上機嫌で歩いているうちにパスケースを失くしていたことがあったが、山手線の落し物センターに問い合わせたらすぐに見つかったのだった。「簡単に見つかるだろう」と高を括っていたら、結局何日経っても見つからなかった。

 

定期券は再発行することでなんとか事なきを得たが、あの学生証の行方が気になって仕方がない。道端の人目につくところに立てかけてあったらどうしよう。想像するだけで恥ずかしくて死にたくなった。通り過ぎる人がその学生証を見て笑うことだろう。まだわたしが大学生のときだったからマシだったものの、いまだったらTwitterに面白画像として投稿されている可能性だってある。手元に戻ってくる見込みも少なく、学生証なしで過ごすのも不安ではあったので仕方なく再発行することにした。

 

学生証の再発行には、手続きにかかる手数料を支払わなければいけないのも厄介だった。まあでも、これであの学生証とはおさらばだ。写りの良い証明写真を持って教務課に向かった。職員に事情を説明すると、すぐに出来ると言われて安心した。ただし、新しい証明写真は必要ないという。イヤな予感がする。どうやら名簿に登録されている写真を使わなければいけないという決まりがあるらしかった。出来立てホヤホヤのまだあたたかさの残る学生証には、枠いっぱいに写ったわたしの顔があった。

 

写真:Wilfried PohnkeによるPixabayからの画像

兄はどこにも居ない

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わたしにはひとりの姉がいる。いつぞやの記事でお披露目した、アホだけど愛すべき姉だ。言い換えれば姉妹しかいない。だから、男兄弟、特に兄が欲しかった。結局ないものねだりで、男兄弟しかいなければ姉が欲しかったと言っているのが目に見えるようだけれど。中学生の時に隣町のシネコンまで観に行った『涙そうそう』で、長澤まさみが兄の妻夫木聡のことを「にーにー」と呼ぶのに強い憧れを持った。

 

 

女きょうだいだけしか居ないはずなのに、実家に住んでいた頃は姉と殴り合いの喧嘩をよくしては身体中にあざを作っていた。元々は二人で使っていた子供部屋のドアに、喧嘩で大きな穴を開けてしまって、これ以上二人を同じ部屋にすべきでないという親の判断で、わたしだけ隣の空いていた部屋に移ることになった。姉がわたしの倍以上の大きさの部屋を独り占めしていたことや、一緒に買ったはずのMDコンポが向こうの部屋にあったことは、未だに納得がいっていない。とにかく、私たち姉妹は、お互いに男兄弟と育ったかのごとく強く育った。

 

 

でも現実に兄はいない。弟だっていない。

たまに、架空の自分の兄を想像してみる。ガタイが良くて、筋肉隆々で、総合格闘技やプロレスをやっているかもしれない。はたまた、チタンでできた細いフレームの眼鏡をかけるような、真面目で、研究職に就くような寡黙な兄かもしれない。どんな雰囲気であろうとも、おそらく私たち姉妹のことを可愛がってくれるだろう。もしかしたら、姉とは喧嘩が絶えないかもしれないが、きっと末っ子のわたしのことは存分に溺愛してくれるだろうなと妄想を膨らませる。

 

 

兄がいたら、父とはきっと激しい大喧嘩をするのだろう。そのときは、殴り合いになって私たち姉妹や母はいたく心配をするはずだ。いつも言いたい放題の父は、兄がいたら少しは縮こまるのかもしれない。いままでしてきたような激しい兄弟喧嘩を、わたしたち姉妹はすることはないかもしれない。兄は、高校を卒業したら、きっと実家を飛び出して、手堅く国公立の大学に進学するだろう。そんな兄を頼って私たち姉妹も実家を出るのが容易に想像できる。

 

 

世の中には色んな家庭環境があるが、子供がいる・いない、産まれた子供が男か・女かでかなりの環境が変わってくると思う。わたしに兄がいたとしたら、全然違う人生になっていたんだろう。ありもしなかった人生を想像してみる。夢を見るのはタダだ。

 

 

ここ数年間、わたしの家族の中ではごたごたが続いている。最後に家族全員が揃ってちゃんとご飯を食べたり、出掛けたりしたのはいつだろうか。いつも誰かしらが欠けている。もしかすると、最後は伯父の葬儀の時だった可能性すらある。わたしは新幹線で葬儀の行われる横浜まで駆けつけ、駅前のホテルに到着した家族と合流して、遅いお昼を食べに、駐車場の広い近くの寿司チェーン店へ向かった。こんなにも楽しくない、気まずい回転寿司が他にあるのだろうか……というくらいに雰囲気の悪い食事だった。姉と父の関係が最悪な状況で、寿司を注文するための会話をするのもままならない。合流する直前に喫茶店でサンドウィッチを食べていたわたしは、タッチパネルを抱えて、3人分の注文を取りまとめ、注文し、寿司の到着をアナウンスする役を率先して行っていた。

 

 

それもきっと、兄がいたら起こる可能性の低かったことばかりだ。父は、誰かにどうにかして家を継いでもらいたい、何としてでも名前を残したいという思いが強い。この世には、望んでも思い通りにならないことはいくらでもあるのに。自分以外の誰かの意思を曲げようとすることだけは認められてはいけないと思う。愛すべきアホな姉は、父の持ち掛けたお見合いの話を一刀両断して、南国生まれののほほんとした彼氏との結婚をなんとしてでも認めてもらおうと数年間奮闘している。わたしも含め、うちの家族はみんな頑固だから拮抗するのは仕方のないことだと思うが、それにしてもひどい状況だ。

 

 

どうしてこんなにも強く跡取りを欲している家に神様は姉妹を授けてくれたのだろうか。人間は平等だとか神様は乗り越えられる試練しか与えないというのはただのまやかしだよな、とつくづく思う。乗り越えられる試練しか与えないのならば、ブラック企業の劣悪な労働環境を苦に自殺することなどないだろう。かと言って、兄がいたらそれで全部解決、というわけでないことも分かっている。兄がいたとして、結婚する・しないは自由だし、男性のパートナーを持つことも、性転換をしたいと思う可能性だって大いにある。そしてその意思は、否定されることなく認められるべきだと思う。

 

 

いま、こんな記事をつらつらと書いていたら、JBLのスピーカーから『東京ららばい』が流れてきた。

 

夢がない明日がない人生はもどれない

東京ララバイ あなたもついてない

だからお互いないものねだりの子守唄

 

なんだか今の気分にぴったりの歌詞だ。どんなに望んだって変えられないものは変えられない。どこにも兄はいない。わたしはただ家族揃ってご飯が食べたいだけなのに。

 

写真:R OによるPixabayからの画像 

東京ららばい

東京ららばい

  • 中原 理恵
  • 謡曲
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

 

鯖缶、姉、ポラロイドカメラ

先週末から39℃の高熱でダウンして、一週間の半分を布団の上で過ごしてしまった。病院に行ったら今流行りの手足口病だと診断された。どうやら先日のプールで貰ってきてしまったらしい。お医者さんには喉に斑点ができていると言われた。診断を聞いていたかのように、翌日から手や足に赤い斑点が増えていった。Twitterでみていたやつだ。懸垂をした後に水ぶくれがたくさんできて痛くなるような感覚が数日続いた。

 

寝込んでから2日目か3日目に夫がせっせとキッチンに立って何かを作っていた。この前の飲み会で美味しかったとやたら感動していた鯖の炊き込みご飯を作ってくれたらしい。ただ、私は喉が腫れてポカリスエットを飲み込むだけで精一杯だったので、炊き込みご飯など食べられるはずがなく、一口だけ食べてご馳走さまをした。手足口病には特効薬がなく、喉の痛みや解熱剤などの薬は貰ったものの、なかなか喉の痛みが治まらない。湿疹ができては薬で抑え、気がつけばまた痛みは元に戻り、いたちごっこだった。

 

生理が途中から被ったのもあって、発症から5日ほど経ってやっと動けるようになった。夫に任せきりだったキッチンは荒れ果てている。心なしか生ゴミの香りが強い気がした。確かに夏はゴミが傷みやすい時期だが、こんなにもコバエが出るものだろうか?と疑問に思っていた。床に落ちていた小さな袋の中をみたら、鯖の炊き込みご飯に使ったであろう鯖の水煮缶がそのまま入れられていた。水でゆすいだ後もない、そのままの状態で。見つけて即、発狂した。虎になりそうだ。どうしたら鯖缶を洗わずに床に放置することになるのだ。しかもこのクソ暑い夏に。溜まったタスクを片付けたら、私が倒れた時用のマニュアルを作ろうと心に決めた。そうでもしないと家がゴミ箱になる。

 

アホな姉ちゃん

姉からめんどくさいLINEがきた。ざっくりいうと「3週間後くらいにそっちに行くから遊ばない?むしろキャンプしない?」という内容だった。もう6年くらい付き合っている彼氏と同棲している姉、最近知り合いから車を譲って貰って二人でよくドライブに行っているらしい。私たち夫婦と違い、姉たち二人は良くも悪くものほほんとしている。こちらの都合などおかまいなしで振り回されるのはいつものことだ。

 

私たち夫婦の間で、私の姉のことを“アホな姉ちゃん”と呼んでいることは、本人には口が裂けても言えない。家族とはどうしてこんなにも勝手なのか、といつも思う。姉だって、父親に振り回されて家族の自分勝手さには嫌という程飽きているはずなのに、妹のことを振り回している。時代は繰り返されるのだ。

 

私の家族はみんな変わっている。父親と母親が変わっていれば、そりゃ娘たちもちょっと変な子になったってそれは仕方のないことだよな。この記事に私の家族のクレイジーさが詰まっている。気になる方はどうぞ。人それぞれいろんな闇があるよね。

 

misoshiruko.hatenablog.com

 

ポラロイドカメラ

今朝、昔好きだった人の夢を見て起きた。

 

二つ年上の先輩で、私が二十歳の頃に出会った。透き通った目をしていて、人をあまり寄せ付けないけれど、誰がどう見ても格好いいと思うような不思議な魅力のある人だった。その先輩ともう一人の先輩が人を募って、集められた15人くらいの都内の大学生と一緒に2週間くらいカンボジアを旅した。帰国してから、そのメンバーを交えて遊んだり、二人でも出かけたりした。ある日の夜は、完璧のように見えるその人の、過去の傷のような出来事を話してくれ、特別な人間になったような気分だった。

 

二人とも写真を撮るのが好きで、ある時は中目黒の小さなギャラリーに写真展をみに行った。渋谷へ向かう歩道橋の上で、「二人でひとつポラロイドカメラを買って一緒に写真を撮りに行こうよ」と言われた。私は苦学生だったので、ノリでポラロイドカメラを買うなんてできなかった。俺が〇万円出すから…と言ってくれたけれど、笑ってはぐらかしてしまった。

 

いま思えば、あの時カメラを買っていたら、二人でいろんなところに写真を撮りに行けたんだよな。その後も何度かお誘いしてくれたけれど、予定の前日に結膜炎になってしまい、コンタクトが付けられないのが嫌でドタキャンしてしまったり、何かと予定が被ったりして、3度お断りしてしまったらその後もうお誘いされることはなくなった。大学を卒業してから、集まる機会も少なくなり、私も集まりに参加しなくなり、会う機会はぱったりなくなってしまった。会社を起こして忙しいというのを人づてに聞いた。

 

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ある日、幼稚園から付き合いのある友人と一緒に青山のファーマーズマーケットへ行った。人混みの中で、突然誰かと目が合った。吸い寄せられるようにその方向を見てみたら、その人が居た。ちゃんと話したのは3年ぶりとかだったと思う。わたしは半年後に結婚する予定で、関西に引っ越すほんの数ヶ月前だった。ずっとその人のことが気がかりで、でももうこの先しばらく会うこともないだろうと思って居た矢先の出来事だったので本当にびっくりした。少し切なかったけどホッとしたのは、先輩に久しぶりに会っても、ときめいた気持ちがもう生まれなかったことだった。

 

去年その先輩も結婚したらしい。ポラロイドカメラを買おうと言われたあの日の出来事をいま思いだすと、なんてロマンチックなんだろうと思う。願わなかったからこそ永遠に綺麗な思い出のままで、わたしはきっとまたその美しい記憶の続きを夢に見て起きるのだろう。

 

写真:著者撮影(iPhone6を使用)