弾丸金沢旅 〜金沢城とハントンライス、懐かしの喫茶店〜

弾丸で金沢に行ってきた。計3度目の訪問。

今回はかなり強気で、滞在日数は1.5日、予算は宿泊費と食費諸々込みでトータル1.5万円。

 

到着は深夜だったため、FIRST CABINで一泊。

ここが本当に最高で、もっとゆっくりしていたかった。

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チェックアウトのタイミングで、500円の1日フリー乗車券を購入し、キャリーケースを預ける。金沢城公園は宿のすぐそばなので、歩いて行ってみることにした。

庭園をひとりで散歩するとは、少し大人になった気分だ。

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雪が積もったらもっと綺麗なんだろうな

金沢城は数あるお城の中でも多種多様な石垣が見られることで有名なのだそうだ。分からないなりにも「これは一つ一つの石のサイズが大きいなあ」とか「おっ、ここはキュッと目が詰まっている感じがするぞ」などと自分なりに解釈しながら石垣を眺める。物事には色んな見方があることを学ぶ。

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せっかくなので、城内を見学。この日は絶好の旅日和で、空が澄み渡っていた。

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金沢城は度々、落雷や火災で焼失しており、平成のうちに新しく復元されたのが、この菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓らしい。チケットに映っている両端の高い部分が物見櫓の役割をしていて、内側から上ってみると、外から見るよりもかなり高くから見渡せることがわかる。遠くの家までちゃんと見えているからすごい。

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この後、三の丸広場のベンチに座って、人々が写真を撮る様子を眺めながらひたすらぼーっとしていた。風が冷たくて体は冷えてきたし、お腹は空いてきた。お昼は何を食べようか。

そういえば、行ってみたいお店があった。石川門から金沢城を出て、バスで香林坊まで向かう。少しくたびれたのでわざと遠回りして、外の景色を眺めながら小休憩。

 

僕が旅に出る理由 

「僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって」とくるりは歌うけれど、わたしにとっての旅に出る理由は大きく分けて三つある。

 

ひとつめは安宿。

ビジネスホテルの慣れない広さが落ち着かず、眠れないことが多いが、ゲストハウスの小さなベッドルームは不思議と安心して熟睡できる。上のグレードに一度慣れてしまうと下げるのはキツいはずなので、心と体が持つうちは一泊3千円前後の安宿探しを楽しみたい。限られた条件のなかで何ができるのかを考えるのが楽しい。今回も「泊まりたい宿」を優先して予定を組んだ。

 

ふたつめは、地域に根ざしたお店を見つけること。

定食屋さんや純喫茶、銭湯や八百屋、パン屋。その土地土地の文化や雰囲気を感じられる気がする。ピカピカの新しいお店もすきだけれど、少し看板が汚れているくらいが丁度いい。

 

みっつめに、路地裏を歩くこと。

近道を探すのも、遠回りをするのも楽しい。裏道に入った途端に、オープンワールドゲームの主人公になってマップを広げていく感覚になる。鮮やかな寒椿の花が民家の庭先に咲いているのを見つけたり、雰囲気の良さげな居酒屋さんに出会ったりする。

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グリルオーツカは裏路地をずんずん進んだところにある。初見殺しである。

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金沢のB級グルメと言えばハントンライス。グリルオーツカは、国道8号沿いにあるキッチンユキと並んで有名なお店だ。ちょうど12時頃で、お昼休みのサラリーマンの姿が多い。

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カウンターの奥の席では、常連さんらしき人が『徹子の部屋』を見ながら定食を食べている。

 他のメニューに目移りしそうになるのをグッとこらえて、ハントンライスを注文。

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ケチャップライスのオムライスの上にまぐろのフライとエビフライが乗り、ケチャップとタルタルソースがかけられている。ぐぬぬ。美味しい……。普通サイズは量が多いとあったので女性向けの小にしたのだけれど、メニューに書いてある「クリームスープ」がどうしても気になる。「さすがにスープまでは食べ過ぎかな」「いや、ハントンライスは小なんだからスープも食べていいよね」という脳内会議を経て、追加注文。注文を取ってくれた店員さんが、小声で「正解。」と言ったのをわたしは聞き逃さなかったぞ。

クリームスープは大正解だった。カロリーオーバーとかランチに1,500円は高いかなとか、そういうのは一旦置いておいて、これを食べない手はない。大げさのように聞こえるかもしれないけれど、いままで食べたスープの中で一番美味しい。

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わたしがスープに夢中になっている間に、いつの間にか常連さんはお会計を済ませて席を立っていた。お昼のピークを過ぎた店内には、オーナーさんがカレンダーにマジックで予定を書き込む音やスタッフが談笑する声が響いていて居心地がよかった。

 

少しでもカロリーを消費するべく、徒歩で石川四高記念博物館や21世紀美術館を巡る。

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21世紀美術館の屋外では、右手にあるヘモグロビンのような椅子に座ったおじさんおばさんグループが、コールアンドレスポンス形式で演歌を歌っていて、微笑ましい気持ちになった。

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西日が強くなって来た。

香林坊に戻り、せせらぎ通り沿いにある懐かしのお店、WEST COASTへと向かう。

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金沢はお洒落な街だなあと思う。わたしの地元では考えられないくらい、雰囲気の良いお店がたくさんある。初めて金沢に来たときは、教習所で同室だった高校生と一緒だった。2週間の同居生活で姉妹のような関係になり、勢いで開催されたプチ卒業旅行だった。このお店が懐かしいのは、同期のメンバーに金沢出身の美大生がおり、この喫茶店で再会したからだ。

(免許合宿の話はここからどうぞ。Googleからの流入が地味に断トツで多いこの記事。)

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ウインナーコーヒーを注文。

コーヒーが手元に届いてから、程なくするとクリームが溶けてマグカップにふわっと広がって、薔薇の花びらのように開く仕組みになっている。芸術だ。

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幾つになってもカラースプレーは嬉しい

店内にはレコードやCDがたくさん置いてあって、オーナーのこだわりが感じられる。

フレディ・ジャクソンの『Nice “N” Slow』やナット・キング・コールの『Fly Me To The Moon』などが流れていた。もちろん、Shazam先輩で調べた。贅沢な時間だなあと思いつつ、フミコ・フミオさんの著書『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』を読むなどして過ごした。

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疲れたので荷物をピックアップして、今晩の宿で夕寝でもしよう。 続きはまた。

 

【参考】

北鉄バス1日フリー乗車券(http://www.hokutetsu.co.jp/tourism-bus/oneday

金沢城公園hp(http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/index.html

 

写真:著者撮影(Olympus E-M10 Mark IIIを使用)

 

 

金沢で泊まったFIRST CABINが最高だった話

年末、ひょんなことから弾丸で金沢へ行くことになり、慌てて宿を予約した。

FIRST CABIN 金沢百万石通店(https://first-cabin.jp/hotels/30)。先日、車で梅小路公園の近くを走っていた際に路地裏で見かけて、「あー。これ飛行機みたいなやつか。前にテレビで特集されてたの見たなあ。機会があったら泊まりたいなー。」などと思っていたら、すぐにその機会がやってきた。

 

なんやかんやで着いたのは深夜。暖冬とはいえさすが北陸、冬の寒さは厳しい。

チェックインが深夜4時(28:00)までなのは非常にありがたかった。かなり大きめのビルが丸ごとFIRST CABINになっている。総客室数は175室とかなりの収容数。

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入り口。スタイリッシュでカッコ良さげである。

扉に反射しているけれど、向かいにはファミマがあるので深夜の買い物にも困らない。

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エレベーターで2Fへ上がり、フロントでチェックインする。

現地決済で3,350円の支払い。金沢でも2019年の4月から宿泊税が導入されているので、この中には200円の宿泊税(宿泊料2万円以上の場合は500円)が含まれている。今回はファーストクラスキャビンに泊まりたかったのでこの値段だが、ビジネスクラスのお部屋だったらトータル2,700円弱で泊まれるのでめちゃくちゃに安い。

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カードキーを受け取り、いざ客室へ。

女性専用フロアの6F。客室のクラス毎に区画が分けられており、それぞれの区画の入り口にカードキーをかざすシステム。セキュリティ面もバッチリである。

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表示が機内っぽくていちいちテンションが上がる

簡易宿所となるため鍵はかけられないが、部屋はアコーディオンカーテンで仕切られており、扉の磁力が強いので、だいぶ安心感はある。※この磁力、かなり強いため、開けるときも結構力が要るだけでなく、閉めるときはバチン!と閉まるのでご注意を。

 

特筆すべきなのは足元のスペースの広さ。

2泊分程度の大きさのキャリーケースを置いてもこの余裕。

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ファーストクラスとビジネスクラスの違いは、主に「このスペースがあるかないか」なのだけれど、カプセルタイプのお部屋は着替えに困るというのがネックなため、足元のスペースがゆったりしているのはありがたい。もはやカプセルというより、個室である。

  

そして、気になるベッド。一言で表すと、スタイリッシュ。

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シンプルイズベスト、という言葉が似合う。

テーブルの置いてあるスペースとベッドを含めると、全体が真四角のキューブ状になっている感じ。正直、収納さえあれば、生活スペースはこれで十分な気がしてしまう。

 

ベッド下には銭湯仕様のロッカーが付いているので、荷物はここにしまえる。

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好きで泊まっておきながらも、盗難などは怖いので、移動中・就寝中はキャリーケースの中身はこちらにほぼ収納した。

 

部屋の仕切り側にはテレビが付いており、ベッドに横になりながら見れる素敵仕様。

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背後に見えるのが磁気強めなアコーディオンカーテン

各フロアには、共有のお手洗いと洗面所があり、これがまた綺麗。ゲストハウスの共有バス・トイレは当たり外れが大きいけれど、清潔感ばっちりで文句なし。

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各席にドライヤー、アイロンなど、一通りのアメニティが揃っていて(しかも女優ライト?がある)、かなり至れり尽くせりな環境になっている。

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そして一番の極め付けは大浴場。DAIYOKUJYO!

大浴場のある地下一階へと向かう専用エレベーターに乗り換え、到着すると暖簾を発見。銭湯好きにはこういう雰囲気はたまらなく嬉しい。

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深夜で人がいなかったとはいえ、さすがに浴室内の写真は自粛。ですが、とにかくこの大浴場が素晴らしかった。ビジネスホテルに泊まって部屋の小さなお風呂に入るより、この大浴場があれば寝るスペースだけで充分では……。24時まではサウナにも入ることができる。

 

 

ただ一点だけ、不可思議なことがあった。

わたしが大浴場に着いたとき、脱衣所に洋服の詰まった籠が置いてあった(ブラがはみ出ていた)。わたしは「あー、なんだー。貸切じゃないんだー。」と残念に思いながら、浴室に入ったのだが、そこには誰も居ない。サウナも24時以降は使えなくなっているし、シャワーブースにも特に誰も居ない。大浴場もすっからかんで、その空間にいるのはわたしただ一人。

なんか不気味だな〜と思いながらも、オーガニックっぽい雰囲気の香りの良いシャンプーやボディーソープに満足して、のんびり大浴場に浸かっていた。結局誰も入ってくることもなく、脱衣所に戻っても誰も居ない。荷物は置いたままで、不思議だな〜と思いながら髪を乾かして居たら、急におかっぱの背の低い女性が入ってきて悲鳴をあげそうになった。

よく見たら、その方はチェックインの時に対応してくれたスタッフの女の子で、夜間の清掃の時間だったらしく、せっせとモップがけをしたり、ゴミを集めたりしていた。あれは一体誰の荷物だったんでしょうか……。

 

 

 

大浴場で温まったはずが、若干ヒンヤリした気持ちを味わいながら就寝したのは午前3時。

 ベットのマットレスは固くてかなり寝心地が良かった。アコーディオンカーテンは上部が15cmくらい空いているので、近くの人のいびきや扉の開閉音は若干気になったので耳栓はあっても良いかも…という気はする(女性専用ブースでもいびきは結構ある)。

 

ただ、極め付けはこのお値段でも朝食が食べられるということ。ビュッフェ!というほどのメニューはなかったけれど、コーヒーと数種類のパン、スープ(この日はミネストローネだった)が並んでいて、朝ごはんにはこのくらいで充分かな、というメニュー。

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カップがちゃんと温められていたのは感動

朝ごはんを食べるスペースはお洒落な本屋さんの様なディスプレイになっていた。

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クロワッサンを焦がす

この日は一日金沢をぐるっと回る予定だったので、フロントに荷物を預けて10時に出発。旅の記録については後日更新します。

 

この値段でこのクオリティ、なにより大浴場が気に入ってしまい、来月の遠征予定もFIRST CABINを予約してしまった。都内にも10店舗あるので、終電逃した際などかなりおすすめの宿です。

 (追記)うっかり立地に触れるのを忘れてしまったので補足。近江町市場と香林坊(繁華街)のちょうど中間に位置していて、金沢城なんかも歩いてすぐに行けちゃいます!

 

【参考】

金沢市宿泊hp:

https://www4.city.kanazawa.lg.jp/13060/syukuhaku/syukuhakutop.html

 

写真:著者撮影(Olympus E-M10 Mark III・iPhone6を使用)

舞鶴、伯父が働いていた街。

舞鶴。京都の北の端にある、日本海に面した海の街。

直接的な関わりはないが、関東で生まれ育ったわたしにも所縁のある街だ。

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わたしの伯父は、およそ4年前に突然死んだ。

仕事帰りに母親から滅多にこないEメールが入っていたので開封したら、そこには伯父が亡くなったこと、通夜と告別式の時間などが淡々と記されていた。

 

故人の話をすることには賛否両論ある。以前は有名人の訃報に反応してお悔やみを述べる人の気持ちがわからなかったが、いつからか、お悔みを述べることも弔いの一種だと思うようになった。だって、亡くなってしまったら誰がその人の話をするのだろう。芸能人や著名人、織田信長徳川家康などの戦国武将は多くの人の話題にこれからものぼるだろう。それでも、毎日粛々と生きてきた庶民には友人や親族以外に思い出を語る人がいない。そこに確かにその人の人生があったことが、いつの間にか過ぎ去っては消えていく。

 

伯父の話を語る人間はもうかなり数少ない。大伯母も祖父もそうだ。外人のボーイフレンドが居て女優にもスカウトされたが、両親や兄の息子の面倒を見るために働き詰めで未婚を貫き、わたしたち家族との同居も断り、生前献体を申し込んでいた大伯母。姉とわたしにピアノを買ってくれたのは大伯母だ。小学生の時に亡くなった祖父はカメラマンだった。部屋が傾くほどに大量に保存されていたアルバムは、限られたものを遺して知らずのうちに処分されていた。祖父の撮った写真が地元の小学校や寺院に飾られていることは、わたしの誇りだ。ふたりの共通点である「自分の利益よりも人のことを優先する生き方」は自分の指針でもある。

 

伯父の死を、必要以上に美化するつもりはないが、遺したものが年老いた祖母と幾らかの借金、段ボールいっぱいに詰まったAVなのはあまりにも報われない。人の記憶から忘れ去られた時、その人にとって「本当の死」が訪れるという。でも、まだ伯父には記憶の中では死んでほしくない。だから、伯父が生きていた証をわたしが残すことにした。

 

家族写真と一通の茶封筒

突然の訃報のあと、初めて伯父の生活していた部屋に入った。生涯独身だった伯父は、祖父が死んでしまってからは二階建ての小さな借家に祖母と二人暮らしだった。部屋の片隅には、わたしと姉がまだ小さい頃に祖父母や大伯母、伯父、両親と私たち姉妹で行くのが恒例だった焼肉屋の前で撮影した記念写真が画鋲で無造作に貼られていた。わたしたち姉妹の手には、お子様ランチのおまけなのだろう、シャボン玉が握られている。

 

祖母と伯父の住む家は実家からほど近くにあり、月に一度、市場へ魚を買いに行くと、帰り道にお刺身を届けに行くのが恒例だった。伯父はいつも、夏は白のタンクトップ姿、冬は青いチェックの半纏を羽織って、奥の離れから「いらっしゃい」と笑顔で出てきた。毎週末、だいたい笑点のやっている頃には必ず伯父が家に来て、記事のスクラップを日課としていた父に渡すための新聞や、スーパーで買って来てくれた旬の果物を届けてくれた。臨時収入があったのだろうか、一年に数回は、ごっそりと箱いっぱいに詰まった色とりどりのケーキを届けてくれることもあった。わたしと姉は、まるで娘のように可愛がって貰った。勤め先の就業規則では、忌引休暇は2親等までだと定められており、伯父の葬儀のためには有給を取るしかなかったのがもどかしかった。

 

 

伯父はかつて海上自衛隊の隊員で、最後に赴任していたのが舞鶴駐屯地だった。

でもわたしは、海軍だった頃の伯父のことを知らない。パソコンデスクの上に置いてあったガラスのフレームの中の写真には、大きな護衛船を背に制服姿で爽やかに佇む若かりし伯父の姿が映っていた。いま伯父が海上自衛隊だった痕跡を感じられるのは、この写真と、遺影の隣に置いてある海軍の白い帽子だけだ。わたしが物心つく頃には、伯父はとっくに自衛隊を辞めており、IT関連の会社に勤めては、頻繁に転職を繰り返していた。会社に改善点をまとめて提出しては揉めていたらしく、組織の中では厄介な人間扱いされていたのだろう。祖母から伯父が転職した話を聞く度に、母は決まって「だからおじちゃんは自衛隊に居ればよかったのに」と言うのだった。伯父は、海上自衛隊を辞めた理由を「船酔いをするようになっちゃったんだ」と笑って話していた。

  

 住人が祖母だけになった借家は解約され、祖母は実家に住まうことになった。人手が足りないので、わたしも週末に度々帰省しては遺品整理を手伝った。小さな借家のなかには、伯父の遺品に加えて、10年以上も前に亡くなった祖父、伯父が最後の世話をしていた大伯母の遺品も残っており、骨の折れる作業が続いた。伯父の部屋の本棚には専門書が並び、物置にもたくさんの参考書やノートがあり、勉強熱心だったことが伺えた。

 

 

 伯父の部屋をいよいよ空っぽにするぞと意気込んだ日、押入れの中から特に大事にしていたであろうものたち、証明写真や書類、手紙や日記の端切れなどが出てきた。

 

おもわず身震いしてしまったことは、ルーズリーフに殴り書きされた日記に「交通事故には気をつけること!」と大きく書いてあったことだった。伯父は交通事故で亡くなったのだ。かなり大規模な事故だったために、マスコミが取材を申し込んできたり、ネット上にはスレッドが立てられ、当人の名前も顔も知らない、全く関係のない人間たちが好き勝手に書き込みをして盛り上がっていた。「腸が煮えくり返る」とはこういうことを言うのかと思った。下手に身内だと名乗ることもできずに、反論も出来ないのが余計に腹立たしかった。テレビやネットで流れてくる災害や事件・事故のニュースは他人事のように思えてしまうけれど、いつ自分や家族が当事者になってもおかしくないことを教えてもらった。不幸中の幸いか、体に大きな損傷はなかったが、顔にできた内出血を隠すために、わたしの成人式の化粧よりもはるかに厚塗りになっていた伯父は妙に小綺麗で、半纏やタンクトップを着て現れた頃の面影が薄れていたのが悲しかった。

 

 

なかには茶封筒もあった。祖父の遺品整理のときに見つけて、取っておいたのかもしれない。それは伯父が自分の父親(祖父)にあてた手紙で、手術をしたこと、それがきっかけで海軍を辞することになったこと、母親(祖母)のことが気がかりで地元に帰る決意をしたことなどが書いてあった。隣で作業をしていた母に手紙を渡すと、「そんなの聞いてない」と涙ぐみながら小さく怒っていた。伯父が海軍を辞めたのには、船酔いよりももっと抜き差しならない理由があったのだ。県内でも一番優秀な高校に進学し、海軍に入隊して順調にキャリアを築き上げた伯父は、ある時期まではまさに順風満帆な人生だったはずだ。自分の意思に反して、それが一瞬で壊れていく可能性はおおいにあるのだと思う。

 

両親は葬式の費用が賄えるか心配していたけれど、伯父の葬儀には思っていたよりも多くの人が参列していた。近々開催する同窓会のために、幹事として数週間前に打ち合わせをしていたのも大きかったのかもしれない。高校時代、頭が良く、スリムで美形だった伯父にはかなりのファンがいたらしく、当時のファンだったという謎の女の人の姿もあり、母は怪訝そうな顔をしていた。訃報の連絡から終始冷静で、淡々と手続きを進めていた母が、喪主の挨拶になった途端に言葉を詰まらせて泣き崩れてしまったこと、親族席の先頭で車海老のように肩を丸めて座る祖母の後ろ姿は、これから何年経っても忘れられないし、忘れてはいけない光景だと思う。

 

伯父の痕跡を模索する旅

 舞鶴を訪れるのはこれで二度目になる。一度目は、夕方に思い立ってドライブに来た。日が沈んだあとで、街並みを自分の目に収めることができなかった。舞鶴港に停泊中の日本海フェリーを眺め、お寿司が食べたくなったけれど時間的に地元の寿司屋がことごとく開いていなかったので、スシローで回る寿司を食べて銭湯に寄って帰った。

 

今回は、昼に福井県の小浜港で海鮮丼を食べ、16時頃に舞鶴に着いた。

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海軍基地と舞鶴市役所の間に位置する舞鶴赤れんがパークに行く。1号棟から5号棟はそれぞれ、イベントホールや博物館になっていたり、記念館やお土産ショップとして活用されていた。1枚目の写真は、3号棟のまいづる智恵蔵のなかにあった国鉄舞鶴線ジオラマだ。棟の脇には石碑が建っていて、旧海軍が当時その倉庫をどのような用途に使っていたのかがわかる。17時を前にして舞鶴港に沿いに出てみたら、ちょうど奥の護衛船に明かりが灯ったのが見えた。右手の目前に停泊していた艦船の甲板には数名の隊員が立ち並び、舞鶴港にはラッパの音が響き渡っていた。

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 商店街のアーケードと喫茶店、寿司屋、銭湯

舞鶴港から西に15分ほど車を走らせると西舞鶴に着く。そこには、西舞鶴駅から北西に伸びるマナイ商店街がある。伯父が隊員の時、この辺りでも遊んだのだろうか。寂れてしまったアーケードの中でぽつんと光る看板に吸い寄せられるようにして、喫茶モナミに入った。

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メルヘンな外観

夫と変わりばんこで運転していたとはいえ、かなり疲労が溜まってきていた。

いつもコーヒーはブラックで飲むと決めているが、この日は疲労のせいか珍しく体が甘さを欲していて、ミルクもお砂糖も入れたほんのり甘いコーヒーを飲んだ。コーヒーカップとソーサーがシンプルなのがまた良い。

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店主に「店内の写真をお撮りしても良いですか?」と尋ねたら、聞きなれない関東弁のトーンに戸惑われたのか、何度か聞き返されたのちに、ほころんだ顔で「こんなところで良ければ……」と言ってくださった。主張が激しくなく、ひっそりと佇んでいるこのお店の雰囲気が滲み出ている気がした。

 

木目の整った壁紙にシックなブラウンのソファ、落ち着いた雰囲気の中にも鮮やかな色や花が溢れていて胸が踊る。

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カーテンとハンカチの柄が似ていたのが嬉しくて写真を撮った

 糖分を摂取して気力が回復したので、商店街をぐるりと回り、街のお寿司屋さんに着く。前回来た時はちょうど閉店してしまったタイミングだったのでリベンジである。

「2人分の寿司飯しか残ってないけど、いい?」ということだったので、できる分だけぴったりに作って頂いた。有線からは、寿司屋には似つかわしくないクリスマスソングが流れている。仕事帰りのお客さんが持ち帰り用の寿司を買って帰ったり、店の前を通るサラリーマンが店主に会釈して去っていったり、「街とともにあるお寿司屋さん」という感じがした。普段行く回転寿司では、たまごはあまり食べないネタだけれど、お寿司屋さんのたまごは大ぶりで甘じょっぱくて、特別に美味しかった。

 

長年この土地で寿司屋を営んでいるという店主は、海軍の隊員にも定期的にお寿司の作り方を教えているということで、お店の片隅には賞状も飾られていた。改めて、海上自衛隊と密接に関わりのある街だと認識できた。

 

 

舞鶴旅の最後に一日の疲れを癒すため、若の湯に寄った。

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若の湯は明治時代に建てられたそうで、一般的な銭湯の外観のイメージとは一味違った装飾が見られる。決して広くはなく、脱衣所も浴室も、10人も入ればかなりの混雑になってしまうほどだ。お湯は少しぬるめのものとかなり熱いもののふたつで、熱いお湯が苦手なわたしはぬるい方にしか入れないのだが、数ある銭湯のなかでも1、2位を争うくらいにこのお湯が好きだ。

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この日も高齢者から小さなお子さんまで幅広い世代のお客さんが入れ替わり立ち替わり入っていった。ちょうど昨日(1/11)からリニューアル工事のためしばらくお店を閉めることが張り紙に書かれており、ギリギリ滑り込めたのはとてもラッキーだった。5月にはリニューアルオープンする予定だそうなので、また入りにいきたい。しかも、hpを確認したら、なんと昨年(2019年)から舞鶴市ふるさと納税として「銭湯応援!若の湯セット(¥10,000)」というものが出ているらしい。来年度の候補にしよう。


 

結局のところ、街を訪れるきっかけはどんな理由だって良いのだよなと思う。どんなきっかけでも良いから、いろんな街を自分の足で歩いてみたい。伯父がこの地で働いていなかったら、きっと何度も舞鶴を訪れることはなかったと思う。この記事が、誰かの舞鶴に足を運ぶきっかけになったら、伯父の冥土の土産になるかもしれない。

 

 

【参考】

舞鶴赤れんがパーク:https://akarenga-park.com

・マナイ商店街:http://www.dance.ne.jp/~manai/index.html

・若の湯:https://kokintnb.wixsite.com/wakanoyu

 

写真:筆者撮影

シルコ旅行記 〜オリーブと醤の島 小豆島編〜

 初秋の高松&瀬戸内旅行の記事を書いたものの、気づけば更新したのが40日前…… 忙しさにかまけてサボっているうちに季節が変わってしまったけど、最後まで書くぞ。半分意地ですが、「小豆島気になってた!行ってみたい!」という方や、次の旅行先を検討中の方の参考になれば幸いです。

 

過去記事(1日目&2日目)はこちらからどうぞ。

misoshiruko.hatenablog.com

misoshiruko.hatenablog.com

本来は、

  • 1日目:高松 うどん&仏生山温泉
  • 2日目:直島 ノープラン
  • 3日目:豊島 島キッチン→小豆島 エンジェルロード...etc

というプランでしたが、後半にかけて天気が崩れる予定だったため、1日目の仏生山にて、3日目の予定を立て直すことに。直島⇆豊島、豊島⇆小豆島の船が止まる可能性もあったため、思い切って3日目は小豆島オンリーへと変更しました。

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旅の計画中っぽい一枚(仏生山温泉にて)

高松からオリーブの島・小豆島へ

3日目の朝。朝早くからやっていた宿近くのカフェでトーストとホットコーヒーを頂き、一旦高松港へ戻るべく、宮浦港から高松行きのフェリーへ。

さよなら直島、またね赤かぼちゃ。

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あいにくの曇り空

高松港に着き、小豆島行きのフェリーの時間まで1時間弱の空き時間があったので、四国ショップ88にて各々お土産購入タイム。ちなみに、港から徒歩で5分くらいのマリタイムプラザ高松というビルに入っています。四国のお土産はほぼ網羅してるんじゃないか?ってくらいの品揃えで、四国だけでなく小豆島のお土産もフライングゲットできちゃう。控えめに言って最高。職場(ぶっちゃけどうでもいい相手)向きのお土産も選択肢がかなり多いので、ここで買ってしまえばお土産問題はすんなり解決します!すでに前日に地元のスーパーでもご当地品(出汁など)をゲットしていたので、香川のうどん醤油や小豆島産のお米で作った日本酒などを購入。

 

これから向かう小豆島はオリーブが名産のため、店内の隅っこに置いてあったご当地ドリンク自販機の「オリーブ茶」をせっかくなので移動用として買ってみました。コラーゲンとポリフェノールが豊富なんですって。一口味見してみたら、

ヤマヒサ オリーブ茶 280mlペットボトル×24本入

にっっっっっっっっっっが。うん、健康に良さそうなお味。このあと350mlを飲みきるまでに苦しむのであった……良薬は口に苦し!

 

待合所でチケットを購入して、いざ小豆島行きのフェリーへ(片道:700円)。

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高松⇆直島間をつなぐフェリーと違い、船内は結構レトロな雰囲気。ソファの布張りからですら時代を感じられて、すごくいい。奥の売店にはおばちゃんが立っていて、あったかいものも食べられます。乗船率は低めだったため、L字型のソファに座ってバスの時間などを確認しつつまったり。ただの妄想なんですが、逃走しながら旅しているサスペンスドラマの犯人みたいな気分になりました。伝わりますでしょうか?

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ヨットがたくさん見える もうすぐ小豆島だー

小豆島の池田港に到着。その前に寄ったのが直島港や高松港だったせいか、かなりコンパクトな印象を受けました。フェリー発着所のすぐ目の前にある案内所で「小豆島フリー乗車券」を購入(¥1,000)。一枚で一日小豆島内のバスが乗り放題なのが嬉しい。

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小豆島は直島や豊島とは比べものにならないくらい広く、車orバス移動が必須と言ってもいいと思います。最初レンタサイクルを考えていた浅はかな自分を恥じたい。旅直前になって「小豆島思ってたよりも大きい!フェリー乗り場までの交通手段ない!レンタカー予約してない!どうする??徒歩?!??8時間???!?」的なノリで合流しつつ、落ち着いて考えてみたら、半日はバスが一番コスパが高いことがわかりました。路線にもよりますが、坂手線(土庄港〜坂手港行き)は約30分に1本のペースで来るため、計画的に使えば、1日でも3スポットくらいは回れそう。なお、この日は瀬戸内旅最終日で、坂手港から神戸行きフェリーに乗る予定です。

 

池田港の敷地内にある産直市場を物色しつつ、バス停へ。港に到着したのが12時すぎ。腹が……減った。

 

お昼ご飯を目指して、オリーブ公園へ。この旅、2泊分(友人に至ってはさらに多い)の荷物があったのでスーツケースだったのですが、小豆島では荷物と共に移動しなきゃならないことを全く念頭に入れていなかった。オリーブ公園は斜面にあるため、上り登りがネックでしたが、バスがサン・オリーブの前まで上がってくれたのが救い。

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「サン・オリーブ」バス停からの景色 グリーンのポストが可愛い

(オリーブ畑はあとで堪能するとして)まずはランチ。オリーブ公園内にあるカフェオリヴァスにてチリンドロンライスなるものを食します。ワンプレートで¥1,320円なのでちょいお高め…ですが、こういう洒落た飯は普段あまり戴かないので、たまにはいいかなー。チリンドロンライスは鶏肉と野菜をトマトソースで煮込んだスペインの郷土料理だそうです。「洒落乙ランチは量が少ない」という固定概念がありましたが、かなり満足でした。特に、右側に乗ってるポテサラみたいなのがすごく美味!友人が食べていたガスパチョスープも美味しかったなあ。朝トースト一枚で腹ぺこだったので、時間が許せば追加オーダーしたかったくらい。

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腹の虫も収まったところで、オリーブの写真を撮ったり、実写版の『魔女の宅急便』のロケに使われたという雑貨屋さんに寄ってハーブティーや雑貨を物色したり。スーツケースをゴロゴロと引きながらアラサー2人が坂を上り下りする様子は滑稽だったに違いない。瀬戸内旅、バックパックの方が雨や坂などを気にしなくていいかもしれません。

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でもオリーブは綺麗

オリーブを前面に押し出しているだけあって、オリーブ公園だけでなく、小豆島の至る所でオリーブが見られます。港付近では街路樹代わり?に植えられていたり、バスから外を眺めている間、田舎の景色でいえば柿の木くらいの頻度でオリーブオリーブオリーブ…… 小豆島に来るまでは、小豆島=猫島だと勝手に思い込んでいたんですが、猫には一匹も遭遇しませんでした。あれ?

 

バスの時間まで40分くらいは余裕があったので、海の方に下がり、これまたお洒落なカフェToday is The Dayにてレモンソーダを頂きます。モヒートみたいにミントが入ってるのが嬉しかったー。秋なのに暑すぎてバリバリ半袖ワンピースだし、さらにはスーツケースを引いて坂を移動して体力を消耗していたので炭酸が染みる。かつては海の家だったということもあり、すぐ目の前が瀬戸内海なのが素敵。テラス席からずっとこの穏やかな海を眺めていたい。

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この日は当初雨予報だったので、朝一はレインブーツを履いていたのですが、海に入るためにバス停でビーサンに履き替えていました。朝の自分、Good job!雨はおろか、小豆島に近づくにつれてみるみるうちに天気が良くなっていき、海に着く頃には日差しすらまぶしくなっているではないか。秋を意識したテラコッタのネイルも映えます。季節感ごちゃごちゃだけど、心持ちが大事。

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紅葉と桜と海はどうしても足元を撮りがち

おそらく今年最初で最後の海水浴になりました。足湯的な感じですが。どうでもいいけど、私は淡水派なので、湖とか川が好きです。知らんがな。海ってなんか怖いんですよねー。

 

小豆島の醤(ひしお)の郷

淡水トークはどうでも良くて、坂手港方面へ少しずつ駒を進めていきます。

『オリーブ公園口』から約15分バスに揺られ、『丸金前』バス停で下車。

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バスを降りると、そこは醤油の香りでいっぱいだった。マルキン醤油でございます。

あたり一帯が醤油の製造所になっているため、どこを歩いても醤油の香りがぷんぷん漂ってきます。マルキン記念館なるものがあり、創設時のレシピが飾られていたり、醤油を造るための大きな樽が置いてあったりと、その名の通りマルキンと醤油の歴史が学べる施設です。醤の郷の暖簾をバックに小さな樽から顔を出せたり、門のように置かれている大樽をくぐれたり、写真が撮れる映えスポット?などもちょいちょいあります。(自称顔はめパネラーなので本気で挑みましたがここは割愛。)

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工場見学といえば、わたしの地元は納豆が有名で、小学生の時に探険バックを持って納豆工場見学に行くのがお決まりなんですが、豆を蒸す香りが思い起こされて懐かしい気持ちに。まだ発酵してないから全然臭くないはずなのに、クラスメイトが「くっせー!」と騒いでる中でひとり、口には出せなかったけど(なんか落ち着く良い香りだなあ……)と思っていたのを思い出した。この辺一帯に漂っていた香りは、その時に嗅いだものよりも深みがあって濃厚な感じがしました。芳醇な大人な香りというのか。

 

小麦と塩、温暖な気候と醤油造りに最適な条件が揃っていたことで、小豆島では醤油造りが発展していったそうです。小豆島内にはマルキン醤油以外にも醤油蔵や佃煮工場があり、総称して「醤の郷」と呼ばれているんだそう。エリアが違ったので今回は行けませんでしたが、ヤマロク醤油ではもろみ蔵見学ができるらしいので、今度はレンタカーを借りて是非行きたい。

yama-roku.net

 記念館を鑑賞しつつも、売店コーナーの閉店時間(16時)が気になってしまい、そそくさと記念館を退散し、閉店10分前にギリギリ入店。前日の夜、直島の居酒屋さんで出してもらったもろきゅうが美味しかったので、どうしてももろみをゲットしたかった。それに加え、お目当てだった醤油ソフトでブレイクタイム。これがまたたまらん美味しさなのです。「塩キャラメル」みたいな甘じょっぱさと、一口食べる毎に醤油の風味が口の中に残る感じがなんとも言えない美味しさ。これ、市販で買えたらいいのになあ。おそらくコーヒー味のアイスが好きな人は確実にハマるやつです!

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丸金での滞在時間は1時間とコンパクトに。西日の射すバス停の向かい側に木のベンチがあったので、オリーブ公園で友人が買ってくれたオリーブチョコを二人でぱくぱく食べながら座ってバスを待ちます。オリーブチョコ、チョコレートなのに不思議とさっぱりしていて美味。友人は1日の食事を全てカロリー計算するほど(しかも旅行なのに体重計持参)体調管理にストイックなのに「こんなに食べていいの?」と私が心配してしまうほど気に入って食べていたのがおかしかった。それくらい美味しいのでこちらもオススメです。オリーブ茶の最後の一口を飲んで苦い顔をした私を見て友人が笑い、つられるように二人で爆笑したのはなんか優しい時間だった。時々センチメンタルになる。

 

バスに乗り、5分くらいで坂手港に到着。待合所でフェリーのチケットを購入します(土日祝料金で2,490円)。

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バスに乗っている時、小学生の女の子が乗っていたのだけれど、いずれその子が大きくなったらこの港から神戸の街に出て行くんだろうなーなどと勝手に妄想してしまった。島で育つってどんな感じなんだろう。高速バスで地元から東京に行くよりも、船で地元を出ていくのってより心にくるものがありそう。と夕日を見たらしんみりしてしまった。

 

フェリーまであと1時間。夕方から空いているまめまめビール気まぐれ屋台で贅沢にビールを頂きながら時間を潰します。まめまめビール、小豆島の地ビールだそうで、最後まで地元のものを堪能することができてよかった。友人は赤ビール、私は黒ビールを頂きました。ピクルスやパスタを揚げたおつまみもあって充実。1時間もあっという間でした。

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www.mamemamebeer-shodoshima.com

 

3日間の高松・瀬戸内旅も終盤。神戸・三ノ宮行きのジャンボフェリーで本州へ。

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ジャンボフェリーと言うだけあって、この旅の中で乗ったフェリーとは規模が違いました。大きなフェリーに乗るのは、北海道から乗った新日本海フェリーが最後のため、実に3年ぶり。乗船率はかなり高く、シートの上でごろ寝するおじさんや、ボックス席で談笑する大学生など客層は様々。序盤は友人とよゐこYoutubeを一緒に鑑賞しつつ、後半はガチ寝して神戸へと到着。連絡バスを使えば三ノ宮駅までたった210円で行けるので(所要時間10分)、アクセスの良さに驚きました。明石海峡大橋あたりから、船がぐわんぐわん揺れたので、3日間くらい地面が揺れてる感じがずっと続いていた。

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高松&瀬戸内旅行まとめ

  • 三日間でもぎゅっと濃縮した旅行ができる。
  • 高松のうどん屋閉店時間が早い。朝うどんは高松駅周辺がおすすめ。
  • 瀬戸内国際芸術祭期間内外、土日祝でフェリーの時刻や料金が変わるので注意。
  • 瀬戸内の島々はそれぞれ特色があって面白いので、一島1日(できれば2日)かけて回るとより濃厚な旅ができそう。
  • 小豆島は車の方が回りやすい。バスは半日だとコスパが良い。レンタサイクルは無謀。徒歩は論外。
  • 1日が濃厚すぎてブログが長くなる! 

 

以上、オミソ・シルコのシルコ旅行記でした〜!次回は飛行機でどこか行きたいな。

(長文なのに最後までお読みくださって本当にありがとうございます!)

 

写真:著者撮影(Olympus E-M10 Mark IIIを使用)

わたしに一番近かった東京「浅草」

北関東の片田舎出身のわたしにとって、東京は近いようで遠い街だった。

 

年に数回、甲信越地方にある祖父母宅へと向かう道中に通り過ぎるだけで、東京が目的地になることはほとんどなかった。首都高をぐるりと覆う防音壁から垣間見える東京の街並みを頭に焼き付けるべく、目まぐるしく変わる景気を後部座席の窓から食い入るように見るのだった。立ち並ぶビル群を見ても、そこが東京のどこなのかはさっぱりわからなかったが、唯一頭にはっきりとインプットされていたのは、「金色のうんこ」が東京に入ったことの合図だということだけだった。パブロフの犬がベルの音でよだれを垂らすように、黄金に光り輝くうんこが視界に入る度に東京への憧れは増幅されていくーー。

  

高校生になってやっと、自力で東京に行くことを覚えた。部活の同期と高速バスの最後部を陣取って、お台場近くのジョイポリスへ遊びに行ったり、当時付き合っていた先輩と高円寺に行って古着屋を巡り、通学に使うための洒落たリュックを買って帰ってきたりした。東京に一歩近づいたような気がした。

 

わたしに一番近かった東京

受験期。東京に一人で行き、宿泊するのは初めての体験だった。いままでのように日帰りで遊びに行くのとは違って、今度は大荷物だ。冬の着替えは厚手で場所をとる。参考書や洋服を詰め込んだSWIMMERで買ったおもちゃのようなスーツケースをぎこちなく高速バスの座席に持ち込んだ。隣には友人も彼氏もいない、今回は一人だ。東京は、誰かと一緒だと楽しくてキラキラした街に見えたが、電車が1時間に1〜2本しか来ないのが当たり前の田舎者にとって、一人で行くにはあまりにも心細い街だった。

 

でも、この街なら見覚えがある。浅草だ。

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わたしの地元から出ている東京行きの高速バスは、必ず金色のうんこ、否某ビール会社の情熱のオブジェの脇を通って上野や秋葉原を経由し、終点の東京駅に到着するのだ。受験地が多少遠くても気にしない。いつ大勢の乗客が一斉に乗り降りするかわからない電車に大きな荷物を抱えて乗るよりも、浅草付近のホテルに荷物を預けて身軽になってから移動する方がよっぽど気が楽だった。浅草は、東京の中で “わたしに一番近い東京の街” だった。

 

 

無事に東京の大学へ進学することになったものの、初めて住んだ街は惜しくも東京から一駅分外れだった。厳密には上京とは言えない。上玉だった。ランクの高い卵入りのかけうどんみたいだ。それなりに住み良くはあったが、どことなく道が汚かったり、すれ違う人の歯の本数が一般的な街のそれよりも数本少なかったりして、家賃が安いのも納得だった。現実はあまりにも現実的だった。大学生らしく、渋谷や新宿へ繰り出して夜な夜なお酒を飲んだり、原宿や下北沢で洋服を買い漁ったりもした。バイトが終わってあたりが暗くなってから電車に乗り、ライブハウスで汗だくになるくらい朝まで踊った。無駄に代々木公園にも行った。東京の街の美味しいところを少しずつかじっていった。

 

 いつの間にか、浅草のシンボル・金色のオブジェの隣には新たなランドマークが誕生していた。

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 怠惰な大学生だったわたしは、教育実習を言い訳にして就活を一旦放棄し、出来立ての巨大な鉄塔のふもとでバイトをしていた。近くのテナントで働いていたお姉さんと仲良くなり、上がりの時間が被れば最寄りのコンビニで焼き鳥とお酒を買って、浅草まで夜の散歩をした。街灯の下に渥美清さんなどの著名人の写真が飾られていることで有名な浅草六区通りの石製ベンチに座り、ドン・キホーテで買い足した缶チューハイを飲みながら身にならない話をダラダラとするのだった。上機嫌に飲んでいると、帰宅途中のサラリーマンに「写真を撮っていいですか?」と言われて、まんざらでもない気分で被写体になった。本来であればわたしの脳裏にしか記憶されていないはずの黒歴史は、あのサラリーマンの携帯にまだ記録されているだろうか。もともとレコードショップで働いていたお姉さんはバンドに詳しく、「あのバンドの〇〇っていうメンバーが浅草に住んでるらしいんだよね。」と言っていた。その時初めて、観光地として浅草に「来る」んじゃなくて浅草に「住む」選択肢があってもいいんだ、と思った。

  

周りの友人が着々と就活を終え、卒業旅行の計画やら最後の長い夏休みの過ごし方に思いを馳せている頃、重い腰を上げて就活を再開し、なんとか滑り込みセーフした。上京を機に親しくなり、一時は週5で泊まらせて貰っていた高校の同期Sと、本格的に一緒に住むための部屋を探すことになった。最高の条件が揃っていたK糸町の物件を泣く泣く逃したあとにたまたま見つけたのが、奥浅草のマンションだった。予定よりも間取りは少々狭くなったが、二人とも一目で気に入り即決した。

  

浅草ととんかつ屋

引っ越しを済ませ、蕎麦じゃなくても何でもいいから美味しいものを食べに行こう、と外に出てたどり着いたのがとんかつ屋の「とんかつ弥生」だった。嬉しい再訪だった。

全国各地のゲストハウス巡りが趣味だったわたしは、Sと共に東京のゲストハウスにもよく泊まっていた。大学3年生の終わりに三ノ輪の行燈旅館に宿泊した夜、自転車を借りて夜の散策に出かけた。地図は見ずに、なんとなく行ってみたい方向に自転車を走らせていく。気付けばアーケードのある小さな商店街に着いた。道を抜けていくとそのとんかつ屋が見えて、お腹を空かせたわたし達は迷わず入ったのだ。住んでみて初めてわかったことだが、引っ越したマンションの近くにあった千束通り商店街は、わたし達がおよそ1年前に自転車でたまたま辿り着いた商店街で、その時訪れたとんかつ屋はマンションから徒歩5分の場所にあったのだ。浅草との縁を感じずにはいられなかった。

 

わたしがただとんかつに目がないというだけかもしれないが、浅草にはとんかつ屋が多く点在している。なかでも、一番忘れられないのは「カツ吉」のとんかつだ。

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雰囲気のある老舗は、若者を疎ましく思ったりしないか少し心配したが、店員さんが小娘二人に対しても丁寧な接客をしてくれるのがとても気持ちよかったし、何より嬉しかった。カツ吉のとんかつはパン粉がかなり細かめで、衣が薄いのが特徴だ。メニューは定番の味噌とんかつから紫蘇やチーズ、しいたけや牡蠣など、変り種がたくさんある。

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記憶は曖昧だがおそらくチーズとんかつ。ナポリタンが敷いてあるのが嬉しい。

カツ吉には特別な日に行くと決めていた。地元から共通の友人が遊びに来た時、不動産業界で働いていたルームメイトが宅建に合格した時。とびきり美味しいものを食べたい!そんな日にぴったりだった。「いいかい学生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいの歳の頃にはな、脂っこいものはあんまり食えないんだ。」というツイートを思い出すと、20代前半にあんなにも美味しいトンカツを頻繁に頬張れたわたしは幸せ者だと思う。

 

 

浅草と下町人情

「浅草と人情」は「ホストにドンペリ」くらいにぴったりな言葉だと思う。浅草は街の人との距離が近い街だった。干渉されるのとは違って、程よく心地よい距離感だった。

週末には、平日にたんまりと溜め込んだ洗濯物を洗って、IKEAの大きな青色のバッグに詰め込み、自転車でよろよろとコインランドリーに向かうのがお決まりだった。

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待合スペースに置かれた週刊誌をぱらぱらとめくってゴシップに見入ったり、洗濯物がぐるぐると回る様を見ながらぼーっとする時間は、無意味なようで大切な充電の時間だった。たまにオーナーのおばさまと鉢合わせると「いつも綺麗に使って頂いてありがとうね」と声をかけられ、たわいない世間話をする。おばさまがパン屋のパートから帰ってきたタイミングで遭遇するときは、「ここのパン美味しいのよ」と袋に入っていたパンをほとんど私にくれるのだった。

 

休日出勤を終えて駅から自宅に向かっていたある日曜日には、通勤路沿いにあったバーの前で「知り合いの居酒屋さんが店を畳むから好きなものを持って帰って」と店の前にテーブルを広げて、街ゆく人に食器を配っていた。いつも自分で作るのは洋食ばかりで、和食に合う器をあまり持っていなかったため、味のある和食器を揃えたいなと思っていたところだったので、ありがたくご飯茶碗や小鉢などを頂いて帰った。それらの食器はいまでも我が家の食卓に並んでいる。

 

浅草は等身大で生きられる街

浅草にいると、他の街に行ったときに感じる窮屈さを不思議と感じなかった。時たま、緑や土の多いところに行きたくなるので、自転車を走らせれば10分くらいで上野公園に行けるのも魅力だった。ライフにSEIYU、肉のハナマサがあるだけでなく、商店街の八百屋や大きなドン・キホーテなど、日用品や食料品の買い物にも全く困らない。モーニングは朝マックから喫茶店讃岐うどんなど選び放題だったし、作業用のカフェも十分だった。ちょっと疲れた日は銭湯に行って、ケロリンの黄色い洗面器に溜めたお湯を勢いよく被り、あったかいお湯にざぶんと浸かれば大抵のイヤなことは忘れられた。

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春には綺麗な藤の花が破風屋根を彩る曙湯

ホッピー通りでは、サラリーマンたちが昼間はキュッと締めているであろうネクタイを緩めて、各店自慢の牛スジ煮込みをつまみにビールを流し込んでいる。通り全体を優しいオレンジ色の光が包み込み、道のいたるところから笑い声が聞こえてくる。使用感のある丸い椅子やテーブルは決して綺麗とはいえないが、飾らない雰囲気が心を解いて行くのだろう。こんなにもたくさんのリラックスした人々が東京で見られるのは、ホッピー通りか日比谷のオクトバーフェストくらいじゃないだろうか。

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浅草には背伸びをしない等身大の生活があった。それこそが浅草に住む魅力だった。東京の街を歩いていると、どうしてもみんな無理をして生きている感じがして逃げ出したくなった。でも、浅草では息ができる。無理をしなくていいんだ、と思えた。

 
浅草を出てから来春で3年になる。これからの人生でまた浅草に住むことは、きっともう二度とないだろう。わたしにとって、引っ越した後でこんなにも「またあの街に住みたい」と思える街は、後にも先にも浅草以外にないだろう。

 

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写真:著者撮影(iPhone6を使用)

シルコ旅行記 〜直島 嵐の中の南瓜編〜

間が空いてしまいましたが、シルコ旅行記の続きをお届けします。

2日目は直島 嵐の中の南瓜編です。

 

1日目の記事はこちらからどうぞ。 

misoshiruko.hatenablog.com

早く起きた旅の朝は

2日目の朝、TEN to SEN cocohttps://tentosen.jp)をチェックアウトし、高松港へと向かう。名残惜しいけれど、今回は瀬戸内がメインなので、高松ともこれにておさらばです。

 

まずは腹ごしらえ。前日のチェックイン時に TEN to SENのスタッフさんに教えて頂いた、早朝でも食べられるというおすすめのうどん屋さん、味庄へ。

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お店の外観、内観のすべてから、いい味が出ています。こちらの味庄さん、早朝5時からやっているというから驚き。始発より早いかもしれません。また、高松商店街の中心部あたりのうどん屋さんは開店時間がやや遅め(9時とか10時とか)なので、高松駅まで出てからの方が朝早くにうどんにありつける可能性は高め。

 

さあ何を食べようか、朝から天ぷらいっちゃおうかな、と一瞬迷いながらも、さすがに血糖値ブチ上げすぎなのでは……と自制し、ワカメうどん(温)をチョイスしました(280円)。

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事前に調べたお店のイチオシを目当てに行く、というのも一種の楽しみ方だと思うけれど、下調べなくお店に入って自分の食べたい!という欲望に沿うのもまた面白いな、と個人的には思います。わかめうどん、うどんのコシとわかめのシャキシャキ感が相まって美味しかったなあ。朝からこんなに贅沢なことはない。こんなに美味しいうどんが朝から200円そこそこで食べられるなんて香川県民が羨ましい……。味庄さん、また近いうちに訪れたいお店の一つとなりました。しばらくこの後、たまご天に後ろ髪を引かれていたことは内緒。朝なんだもん、血糖値ぶち上げてなんぼだったよなあ。

 

 

モーニングも済んだところで、高松港へ。

高松駅を左手に見ると、右奥の方に「高松港はこっち!」的な案内がデカデカと書かれたエスカレーターがあるので初心者でも分かりやすい。Sと私の地元はアピール下手(勿論案内も下手)なので、香川の案内本当分かり易いわーアピールも上手だし少しは見習って欲しいわーと思うのでありました。

 

それはさておき、案内通りに歩いていくと港が見えて来た〜!

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この日の朝はTHE・秋晴れ。旅に最適で最高な天気。左側の高松港にはちょうど小豆島行きのフェリーが停まっており、右側の高松東港にも小学生くらいの子供たちがわんさか乗っている旅客船が出発を待っています。

 

高松駅周辺はオフィスビルやホテルなど結構大きい建物が並んでいたので、すぐ向こう側にこうして海が広がっているのがとても不思議でした。海と言っても瀬戸内海、穏やかでまるで広い湖のよう。瀬戸内海の近くで育った方は穏やかな人が多いのだろうか……なんてことを想像したり。四国といえば、チャットモンチーは徳島出身だったな、あの心地よいリズムはこの穏やかな海のそばだからこそ生まれたのかな、なんてことを考えたり。

 

高松港から直島 宮浦港へ 

そして、今回の旅で最も心配していたのがフェリー

何故なら、高松港からだけでも直島、豊島、小豆島、女木島、男木島、大島行き、三宮行きなど複数の路線があり、島によっては2つや3つも港があるのです。路線によってフェリー会社もそれぞれ違うため、時刻表を探し出すだけで超一苦労。ガイドブックにはほとんど時刻表は載っていないため、基本はフェリー会社のHPで確認する必要があり、これがまた複雑でわかりずらい。瀬戸内国際芸術祭の期間内外で変わるだけでなく、土日ダイヤや平日のフェリー定休日など結構イレギュラーが多いので注意が必要です。いくらペーパーレス社会とはいえ、こういう時手元に時刻表があると心強い(自宅のプリンターで印刷しまくった)。 

 

今回の行き先は直島

宮浦港行きのフェリーに乗るため、四国汽船のカウンターへと向かいます。

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高松ー直島(宮浦)便は以下の2種類。

  • フェリー(約50分)/520円
  • 高速旅客船(約30分)/1,220円

だいたい30分〜1時間おきにフェリーと高速旅客船が交互に来るので、高速船よりも半額以下で乗れるフェリーでのんびり行くことにしました。

  

出航の15分前くらいに船が来るので、ぞろぞろと乗船。こちらが船内の様子です。

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想像以上に綺麗で広くてびっくり。大きなテレビも付いているし、ボックス席?というのか、向かい合った席なんかもあり非常に快適です。ただこの日はあまりにも天気が良かったので、デッキに上がり、海風に当たります。この日は瀬戸内国際芸術祭の期間中ではありませんでしたが、思っていたよりも人が多い。

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甲板の両サイドに特等席のベンチが8つくらいあるんですが、欧米人のカップルが脇目も振らずにイチャイチャしていて、それはもうバカンスっぽかった(語彙力)。

 

フェリーはおよそ1時間かかるとはいえ、天気がよければこの景色。時間に余裕があれば、料金も安いしゆったりできるのでフェリーがおすすめです。穏やかな海を見ていたら、普段抱えていた悩みがどうでも良く思えてきます。突然哀愁の漂うシルコ。海を見たら誰だって少しは黄昏たくなるものでしょ。

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めまぐるしく変わる景色を楽しんでいたら、あっという間に直島 宮浦港へ到着。乗船時は写真を撮っている余裕がなかったんですが、直島行きのフェリーは草間彌生さんを連想させるような赤いドット柄でとても可愛い外装をしていました。

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港の端にはあの有名な『赤かぼちゃ』が海に面するように佇んでおり、フェリーを降りた人が思い思いに写真を撮っています。穴から顔を覗かせる人、セルフタイマーでかぼちゃの前にあぐらをかいてセルフィするチャイニーズ。後方からそんな諸々の光景を撮るシルコ。なんだかサカナクションの「誰かを笑う人の後ろでもそれを笑う人〜」っていう歌詞みたいだな。


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この直後、とっても可愛らしい大学生くらいの女の子に「写真を撮ってもらえませんか?」と声をかけられました。可愛い子に声をかけられて内心テンションがあがるシルコ。だいたい旅行中には一日に1組以上の方には声をかけられます。ひとり旅なのかな?と思って聞いてみると、一緒に来るはずのお友達が高熱を出してしまったとのこと。ぐすん。でも、ひとり旅もいいよね。この後も颯爽と自転車で駆け抜けていく後姿を見かけたり、途中の美術館ですれ違って少しお話ししたり、ちょっとした交流ができて楽しかった。彼女のひとり旅が素敵な思い出になったことを願います。

 

ひとしきり赤かぼちゃに満足したところで、早めの昼食を食べに。あれ?さっきうどん食べたばっかりじゃ……?と今これを書いていて自分でも思っています。分かっています。でも、いいんです!(川平慈英で脳内再生を)

何故なら食べることこそが旅の醍醐味だから。

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宮浦港から徒歩5分くらいにある 島食DOみやんだ にて海鮮丼を食す

左手に見えるお味噌汁、中にカメノテと呼ばれる、その名の通り亀の手のような貝が入っているんですが、これがまたショッキングな見た目で思わず言葉を失います。各テーブルには、丁寧にラミレートされた手作りの カメノテ食べ方ガイド” が置いてあり、それを見ながら見よう見まねで食べてみます。手の部分をスポッと抜いて中身を食べるんですけど、食べられるところがまあ少ない……。初めて食べた感想としては「これを最初に食べた人の勇気、讃えたい。」が正直なところ。わたし的に、これ初めて食べた人頭おかしいんじゃないかランキングの第1位はエビなんですが、それに匹敵するくらい考えてしまう、何故これを食べるに至ったのか。カメノテ、かなりセンシティブな内容のため、画像は載せませんが、気になる方は是非検索してみてくださいね!どうか自己責任でお願いします!(自己責任って本当便利な言葉ダナー。)

 

 

そんなこんなでカメノテと格闘してる間に、だんだん雲行きが怪しくなり、お店を出る頃には外は雨模様。朝の秋晴れは一体なんだったんだろうか……と思うくらいの土砂降り。傘を差して運転するわけにもいかないので、おそらく島唯一?のコンビニであろうセブンにてレインコートを購入し、あらかじめ予約していたレンタサイクルをピックアップします。 旅行のお供は高校時代、汗だくで練習に励んだ部活仲間なので、ビジュアルを気にすることなく非常に気が楽でした(元陸上部)。直島は坂が多いということで電動自転車を選んでいましたが、これが大・正・解!電動とはいえ、急な坂道はある程度自力で漕ぐ必要がありますが、自慢の脚力で坂を登っていきます。

 

最初の目的地は地中美術館

名前の通り地下にあり、上空からは地中に埋まっているかのように見える不思議な美術館。設計は安藤忠雄氏。

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地中美術館hp(http://benesse-artsite.jp/art/chichu.html)より

昨年2018年の8月からオンライン予約制になっていますが、当日入場数に余裕があれば、チケットセンターで当日券を購入することができます。運良く、余裕があるということでその場で当日券を購入。なお、地中美術館はゲートでチケットを渡してから敷地内での撮影は禁止。記録に残すのではなく記憶に残す、いま多くの人が忘れてしまいがちなことな気がします。たまにはカメラや携帯をしまって、目の前の世界と向き合うことも必要ですよね(しみじみ)。

 

チケットは2,060円と美術館の中ではややお高めですが、入館してすぐ「この値段で逆にいいのか??!?」と思ってしまうほどの満足度。クロード・モネの作品が5点も貯蔵されており、空間がモネの作品を展示するために建築されたことが素人ながらに良く分かる……。曇天の少し暗い自然光の下で観るモネの絵は一言では表せない独特な雰囲気があります。晴天では生み出せないであろうあの空間、雨が降ってくれて良かったとさえ思うほどに完成された空間でした。フェリーに乗ったときも直島に着いてからも、ヨーロッパ系の外国観光客が多いな〜と思ったのですが、この地中美術館をお目当てにしている方が多いのかな、という気がしました。

 

わたしはタレルの部屋が大好きで、金沢に行くたびに21世紀美術館に寄っては20分くらい空を見上げながらでぼーっと座っているのですが、この地中美術館にもタレルの部屋があり、事前に何も調べていなかったこともあってなおさら歓喜!この二つだけでもうお腹いっぱいです。最後のウォルター・デ・マリアの真っ黒の球体に至っては、友人がツヤツヤの泥団子と言い出したことをきっかけに、我々の教養のなさが爆発してしまったので割愛。

 

帰り道、地中美術館からチケットセンターへ下る小道のそばにあるモネの絵画のような蓮の池だけは写真に収めることが出来ました。

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地中美術館からさらに15分ほど自転車を走らせ、宮浦港とは島の真反対にある木村港付近を散策。

30代くらいの素敵なご夫婦がやられているおかしとコーヒーにてチャイを頂きます。雨ざらしで冷え切った体が温まってホッとする。他にもオートミールクッキーやスコーンなども販売していました。ディスプレイも外装もとっても素敵だったなあ。

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レンタサイクルの返却時間も迫る中、どうしても自分の目で見たかった草間彌生さんの『南瓜』を観るべく、嵐の中をずぶ濡れになりながら海沿いの坂道を下っていきます。そういえば、高校生の時、雨の日はわざと傘をささないでずぶ濡れになりながら帰ったっけ。今じゃ流石にできないけれど、なんか気分がスカッとしたんだよなあ。

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ようやく観れた念願の黄色いかぼちゃ。近くで見ると集合体恐怖症の方にはだいぶきついであろうドットの羅列がすごい。遠くが霞んで見えるほどこの時もかなり雨が強く降っていたのですが、南瓜の脇で韓国人の女の子が傘もささずにワンピースでぴょんぴょん跳ねている様子を、彼氏であろうカメラマンがバシバシ撮っていたのがすごく良かった。まさかこんなにも土砂降りになると思っていなかったので、わたしの足元はドロドロのビーサンでしたが、ここまできたらもうなんでも良い。雨予報だった最終日のためにスーツケースにはレインブーツを仕込んでいたというのにお天道様ってやつは本当に気まぐれだなあ。最後の力を振り、高校生に戻ったかのように爆走して宮浦港へ帰還しました。

 

なお、本日のお宿は宮浦港近くにある星屑https://ougiya-naoshima.jp/inn/hoshikuzu.html)。古民家を改修したゲストハウスなんですが、私たちが泊まったのは2階の隠し部屋?みたいなワクワクするお部屋でした。

 

小アジの南蛮漬けとジャーマン・ガール

チェックインを終えて一息ついてから、宿からほど近くにある居酒屋 ちくりんへ。

私たちが瓶ビールを1本空ける頃、ドイツ人の女の子たちが入店してきました。隣の席に並んで座ったのをきっかけに、店主のおっちゃんも交えてみんなでお喋りをしたのがこの日一番の思い出。もちろんペラペラとまではいかないですが、こういう時英語が喋れて良かったなあと思います。

 

学芸員で、現地の同じグループの美術館で働いているというふたりのジャーマン・ガール。京都で開催される学会に参加するため、今回初めての来日だそう。ドイツでも頻繁に日本食を食べているらしく、二人の箸の使い方が上手だった。店主のおっちゃんが「これは食べたことあるか?」と言って、嬉しそうに次から次へと色んな料理をサービスで出してくれたのだけど、その日の朝に自分で釣ってきたという小アジの南蛮漬けが今まで食べたどんな南蛮漬けよりも美味しくて忘れられない。

 

夜は近くの『I♡湯』に寄る予定でお風呂セットを持ってきていたため、本当はサクッと飲んで帰ろうと思っていたのですが、嬉しい誤算とはまさにこのこと。昼間にI♡湯の入り口で撮った写真が可愛かったのでこれだけ載せさせてください!金魚とペンギン。

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4時間くらい気付いたら飲んでいたんだけど、日本に来てどんなところに行ったのか、ドイツではいま何が流行っているのか、という話から結構真面目な話まで色んなことが話せてすごく有意義な時間だった。酔っ払っていたのでうろ覚えだけど……。これで日本語を勉強してるよ!と見せてくれた本の表紙があまりにもステレオタイプすぎて笑ってしまった。

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ドイツのイメージってウインナーにビール?みたいなものしか正直なかったけれど、二人と話していて気付いたのは、ドイツと日本の国民性は結構似ているのかな、ということ。特に、真面目というか勤勉なところ。厳密には、日本人の勤勉さとドイツ人のそれはまるっきり違うと思うんだけれど。ドイツ人は効率をあげるシステムを作るのが上手らしい。わたしは日本人を代表して「日本人は働くために生きるような社会になってるけど、それが馬鹿げてるって気付いてる人もいるんだよ!」ということを強く主張しておきました。知っている日本語が少ないなかで、二人が揃って知っていた単語が過労死だったのが、一国民として恥ずかしいし虚しいなと思った。

 

ちなみに、わたしは大学時代、ドイツ語が第二外国語だったんですが、ドイツ語に関してはかなり怠惰な学生だったので、「いまでも覚えてる単語?VOLKSとWAGENだけだよ!」と言ったらめちゃくちゃ笑ってくれたので優しかった。とにかく、本人達にも精一杯伝えたけれど、日本に来てくれて本当にありがとうという気持ちでいっぱいでした。また近い未来にベルリンで会おうね、と約束をして別れました。お願いだからわたしが行くまで解体しないでおくれ、EUよ。

 

ちなみに今、ドイツではアラビアンフードとひよこ豆が流行っているらしい。 ひよこ豆、わたしは大好きなんだけど、多分日本では一生流行らないだろうな。

 

3日目、オリーブと醤油の島 小豆島編に続く。

 

写真:著者撮影(Olympus E-M10 Mark IIIを使用)

対岸の彼女 〜女の友情って難しい〜

 

先週の一件(過去記事参照)があってからというもの、頭の中がまだそのことで支配されてしまっている。考えまいと思えば思うほど頭の中を巡るので、どうにかして断ち切りたい。どうしたものか。

 

misoshiruko.hatenablog.com

  

ストレスが溜まったとき、私がまず何をやるかというと、堅揚げポテトの大容量タイプ・冷凍ピザ・チューハイのスタメンを筆頭にポップコーンやワイン、バジルソースのパスタなどの好物を準備してとにかく自分を甘やかす。一日の摂取カロリーなんて知らねえ。理学療法士の友人も、そういえば食べることが一番ストレス発散には手っ取り早いよと言っていた。

 

 

手元の準備が整ったら、自分の心情に合わせた映画を選ぶ。仕事面で自分に喝を入れたいなら『プラダを着た悪魔』や『マイ・インターン』が最高だし、スカッとした気分になりたいなら『007』シリーズを観れば間違いない。泣くほど笑いたいときは、007のパロディ映画の『SPY』やミスター・ビーン役で知られているローワン・アトキンソンが主役の『ジョニー・イングリッシュ』あたりを観るのも良い。家族関係のことで悩んでいてとにかく現実逃避をしたいときは、絶対に現実には起こりえないであろうファンタジーの世界に飛び込むようにしている。急遽にストレスが溜まっていて、思いっきり泣いて発散したいときは明らかに涙するであろう作品をわざと選ぶ。

 

 

さて、今回の私は女の友情に辟易している。何の映画がちょうどいいだろうか?

確かにスカッとしたいからスパイ映画も悪くないし、笑ってこの気持ちをすっ飛ばす?それもなんだかしっくりこ来ない。

 

PS3のコントローラーで作品をひとしきりスクロールしていたら、見つけた。『対岸の彼女』だ。

 元々の原作として小説があることは知っていたが、一度も読んだことはない。むしろこれが映画化されていたことを初めて知った。財前直見さんとあの『結婚できない男』の早坂先生役の夏川結衣さんがサムネイルに写っている。きっと間違いない。

 

対岸の彼女 [DVD]

 

再生してみたら、結構古い。2006年の映画だ。しかも、キャストがかなり豪華。主役の二人はさることながら、香川照之木村多江堺雅人多部未華子(敬称略)・・・なんて有名俳優がごろごろ出ている。

 

あらすじはこんな感じ。

35歳の主婦・小夜子は、人付き合いが苦手で、言いたいことがあっても飲み込んでしまう性格。そんな彼女が、再就職のために訪れた会社で独身社長・葵に出会う。葵も同じ35歳。開けっぴろげでおおざっぱな性格の葵との交流を通して、小夜子は次第に心を開いていくが…。葵の高校時代の女友達との過去の経験を挟み、物語は進行していく。

(出典:https://movie.jorudan.co.jp/cinema/31942/

 

どちらかに感情移入するっていうわけでもなかったけど、幾つになったって人は孤独だし、何かしら抱えて生きてるんだよなーと思わされる。葵が高校時代に当時仲が良かった友人に対して「あなたは何不自由なく幸せに育ったように見える」と言うんだけど、その子は全然そんなことなくて、家は貧乏で妹は不良で、結局いじめられてしまう。

 

あーわかる、平気なフリして明るく振舞っている人が平凡で幸せな人生を送ってきたかって言ったら、そんなことない方が多い。返って、普段明るくひょうきんに振舞っている人の方が闇を抱えてるってこと、結構ある。分かってるようなフリして、わたしだって「あの子はきっと不幸なんて味わったことない」と思えるような人でもきっとそんなことないんだよな〜、目に見えるものだけで判断しちゃいけないんだよなって改めて思わされる映画だった。

 

 

正直、女の友情にわたし辟易してしまっている。友人関係ってこんなに難しかったっけ?そういえば、小学生の頃に複数の交換ノートをやっていたことがあって、それがきっかけで喧嘩に発展したりしたっけ。あの時初めて「あ、女ってすげーめんどくさい生き物なんだ。」って思ったのを覚えている。女同士の友情って“マメさ”が重要になってくる気がするんだけど(話をうんうん聞くとか頻繁に会ってお茶するとか…)、わたしはそういうの向いてないんだなと改めて実感してしまった。なんて言うか、何度も言うけどすごいめんどくさい。

 

映画のラストは、「もう、めんどくさい。付き合ってられない!」ってところから、「やっぱりあたし、あんたとなら何でもやっていけるよ!」ってところに復活するんだけど、わたしにそのオチは無理だ。そこまで復活できるのこそが真の女の友情ってやつなのかもしれないけど。ますます、女の友情ってなんだ?とこんがらがってしまった。

 

確かなことは「いつまでも耐えることなく友達でいよう〜」っていう童謡の歌詞があるけど、あれはとてつもなく難しいことで、かなり恐ろしいことだということ。